「江戸のファーストフード」

「江戸のファーストフード」
江戸時代のファーストフードといえば、当時は勿論「屋台」で手軽に街角で買えて食べられるものだ。直ぐに思いつくのは「蕎麦」「寿司」(写真)「天麩羅」だ。実際江東区森下近くの「江戸深川資料館」にはこれらの屋台の復元されたものが置かれている。実は日本におけるファーストフードの原点なのは「お握り」だという説がある。これが最も説得性があると私は思っている。なぜならば、お握りは最も手軽に造られ食べられるからだ。恐らく山や海で働く人たちの弁当に、また旅人の弁当に、労働者の人たちの弁当に、江戸以前では戦いの際の弁当にと、かなり古い時代からお握りは持ち運び便利な食べ物として使用されていたと思われる。だからこれがファーストフードの最初だと言う訳だ。日本は米の国だから、「お握り」は素晴らしいものだといえよう。江戸時代も後期になると、お握りだけでなく、香の物やその他のオカズも付いていたらしい。また、ファーストフードとしては「深川飯」や「親子丼」などもそういう範疇に入るのだろう。親子丼は明治時代になってから出来たものだが、人形町の有名店では当時の女将が労働者の要望で初めて造ったと書かれていたと記憶している。

「江戸の庶民の生活は楽だったか?43」
「七五三」
昔は洋司の死亡率が高かった。だから子供の安らかな成長を願って、「七五三」を祝った。「三歳の髪置き、五歳の袴着(男子)、七歳の帯解=おびほどき(女子)」がそれである。今もその風習は続いている。では、果たして江戸時代の人たちの寿命はどうだったのだろうか?以下それを記す。
「江戸時代の平均寿命は?」
江戸時代の記録はないが、明治に入っての記録等から観ると、乳幼児の死亡率が当時は1000人当たり、150人から160人だったようだ。従って平均寿命も40歳代前半だった。多分明治時代と同じだと江戸時代も考えられる。これが大正時代の大正10年から劇的に変る。それは水道で「塩素殺菌」が採用され、水道水が殺菌され細菌が除去された結果だという。さて、それ以前はどうだったか?2004年に毎日新聞に発表された研究結果によると、古代人、西暦702年当時の御野国加毛郡半布里(今の岐阜県富加町)の戸籍から推定した平均寿命は、男性32.5歳、女性27.75歳だったという。女性は出産時の死亡が多かったから、短かったらしい。また当然衛生面の問題もあり、乳幼児死亡率は恐らく1000人当たり200人以上だったと思える。因みに現在は1000人当たり3?4人程度と少なくなっている。

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