「手前勝手世界食物語、第282話」

「3S会」の新年会を開いた。「3S会」とは昨年6月にスイスとオランダに行った仲間達のことである。3人の名前の頭文字が偶然「S」なので、そう名付けたものだ。「さいたま新都心」の官庁ビルの最上階のレストランには他にも多くのグループが来ていて、ほぼ満席状態だった。関東平野の「臍」のようなところに当る「さいたま新都心」からは、遠く富士山、丹沢連峰、秩父連峰などが黒く聳えていた。この「3S会」の次回の旅は1月の「沖縄」、そして3月には「南米」に行くことになっている。沖縄ではツアー飯をキャンセルして、地元の方お薦めの店に行くつもりだ。楽しみだ。その前に17日から「JRの大人の休日倶楽部」を利用して、札幌、帯広、函館、酒田、上田、松本へと「グルメ手前勝手旅」にも行ってきます。
以上、正月明けの勢古口が東京からお送りしました。

「夕暮れの富士山」

「さいたま新都心」の高層ビルから西の空を観ると「富士山」が夕暮れの赤い空に浮かび上がっていた。実に美しい富士山だった。そういえばテレビで葛飾北斎の「神奈川沖裏浪」で波間に見える富士山を解説していたが、やはり富士山は日本人の心の拠り所だと思った。

「月と土星」
暁の空、東の中空に三日月が光り輝いていた。その左上に「土星」が小さく観えた。といってもラジオで観えるといっていたので見上げるとそこに確かに小さな星があった。よくよく観ているとどうも輪が見えたような気がした。人間の眼では決して観えないのは分かっているが、どうも輪があるように観えるのだ。暗示かな?思い過ごしかな?まあ、観えたと思っていれば幸せなものだ。南米ペルーに新しい電波望遠鏡群が完成したという。私はハワイ島のマウナケア火山の上の望遠鏡群に行った事がある。確か4000mを越える高地にあり、ハワイの澄んだ空気が宇宙観測に適しているというので日本の「スバル望遠鏡」もあった。反射望遠鏡で宇宙を探索していた。冷えた空気の中、一面の星空に観劇したのを覚えている。

「中国の汚職」

12月にスペインに旅行した時、現地の天気藍???マようと付けたテレビは「CNNヨーロッパ」だった。そこでは丁度「日本の総選挙」の報道もされていたが、アジアでは圧倒的に中国のニュースでそれも「汚職」関連の話しばかりだった。結局、中国が今後どうなるのか?というのは「共産党」という「一党独裁」がなしている地方政界の乱れ、即ち満ち満ちている「汚職」に対して庶民がどう反応するのか?ということで「汚職追放」がなせるか?に絞られるのかも知れない。私も中国国内で殆ど車の走らない高速道路を目にした経験がある。聞くと「汚職」で作られた道路だから安全性が全くない。所謂「手抜き工事」だから地元の人はそれを知っていて誰も走らないのだという。これが「共産党一党独裁」の成れの果てなのだ。一部の権限を持った人たちの懐が太るようになる世の中が果たしてどこまで続くのだろうか?

「同期会の新年会」
中学、高校、大学と慣れ親しんだ同期の仲間の集まりだった。もうとうに還暦を過ぎ去った嘗ての若者たちは、私も含めて頭は禿げ、髪は白くなり、もうじき「老人」となろうとしていた。それでも私には「髪が黒い」とのお褒め?の言葉もあったが、鬢も白くなり、もう駄目だと思っている。いつもながら我々「団塊の世代」は年をとっても頑張っているのでした。

「名誉の橋」

北スペインの「巡礼の道」の途中に「名誉の橋」というのがある。ここで昔の騎士が甲冑に身を包み、通りがかる騎士に戦いを挑み、なんと「千人」もの相手を倒したという橋なのだ。甲冑に人も馬も覆われた馬上の騎士が凄まじい勢いで突入してくる姿を想像するだけで恐ろしくなろうと言うもの。当時の騎士は長い長い鑓を持ち、それで相手を突き落としたという。まあ京都五条の橋の上で待っていた「弁慶」と同じでなんでそんなことをするのかは知らないが、真に困ったものだったのだろう。それでも有名を馳せた騎士に因んで「名誉の橋」として未だに記憶されているのだった。

2013年の映画のお話し
映画「もうひとりのシェークスピア」(日比谷シャンテシネ豊洲にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年1作目)
昨年2012年は225本の映画を観た。
イギリスの文豪戯曲作家のシェークスピアには自筆の著書が全くないという。本当のシェークスピアはある貴族だったというお話しだ。だからその時代にシェークスピアと呼ばれていたのは偽者、替え玉だったという。

映画「ダーティー・ハリー」(日比谷みゆき座にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★★(今年2作目)「午前10時の映画館」
クリント・イーストウッド主演の警官映画。流石面白かった。

映画「大奥」(丸の内ピカデリーにて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年3作目)
男女逆転の世界を描く。徳川綱吉の時代だ。変な映画だなあ。

映画「シェフ」(銀座テアトルシネマにて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★★(今年4作目)
これは面白かった。パリの三ツ星レストランを維持するために何をするのか?それがシェフの悩みだった。

日経新聞1月11日夕刊「シネマ万華鏡」によれば、「フラッシュバックメモリーズ 3D」が」5つ星、「カラカラ」が4つ星、「LOOPER」が3つ星、「96時間リベンジ」が3つ星、「鈴木先生」が2つ星、「渾身」が3つ星、「しんしんしん」が4つ星でした。

「私の去年2013年の映画の評価は?」
今年の★★★★★は、
今年の★★★★は、「シェフ」

「シノプスシ203」
「薔薇色の人」(風野 真知雄 著)角川文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年345冊目)「姫は31」第4段

「血霧」上(パトリシア・コーンウェル 著)講談社文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年1冊目)「検屍官ケイ・スカーペッタ」シリーズ
「血霧」下(パトリシア・コーンウェル 著)講談社文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年2冊目)「検屍官ケイ・スカーペッタ」シリーズ
昨年は345冊の本を読んだ。
流石このシリーズはいつも面白い。すぐに書店のベストテンになっていた。

「冬うどん」(和田 はつ子 著)ハルキ文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年3冊目)「料理人季蔵捕物控」シリーズ第18段

「今日を刻む時計」(宇江佐 真理 著)文春文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年4冊目)「髪結い伊三次捕物余話」シリーズ第9段

「ふきだまり長屋大騒動」(鳥羽 亮 著)幻冬舎文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年5冊目)「半次と+兵衛捕物帳」シリーズ第1段

「縁談」(小杉 健治 著)ハルキ文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年6冊目)「独り身同心」シリーズ第1段
「破談」(小杉 健治 著)ハルキ文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年7冊目)「独り身同心」シリーズ第2段

「血は欲の色」(澤田 ふじ子 著)幻冬舎文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年8冊目)「公事宿事件書留帳」シリーズ第19段

「泣きの剣」(井川 香四郎 著)幻冬舎文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年9冊目)「船手奉行さざなみ日記」シリーズ第1段

「うだつ屋智右衛門縁起帳」(井川 香四郎 著)幻冬舎文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年10冊目)新シリーズ第1段

「夜霧兵馬」(佐々木 裕一 著)幻冬舎文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年11冊目)「旗本ぶらぶら男」シリーズ第1段

「花始末」(藤井 邦夫 著)文春文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年12冊目)「秋山久蔵御用控」シリーズ第8段

「千石の夢」(佐々木 裕一 著)二見文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年13冊目)「公家武者松平信平」シリーズ第5段

「葉月の危機」(稲葉 稔 著)幻冬舎文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年14冊目)「よろず屋稼業早乙女+内」シリーズ第4段

「天国と地獄」(波多野 聖 著)ハルキ文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年15冊目)「銭の戦争」シリーズ第3段

「小袖の陰」(上田 秀人 著)光文社文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年16冊目)「御広敷用心 大奥記録」シリーズ第3段

初詣と新年会

「J  REPORT 2013 1月第3週号」
「リタイアメント・ノート 4年7ヶ月目」、
「VOL。776 SINCE AUG.12th、1983」
「川崎大師」
ちょっと三が日には行けなかったが、6日の日曜日に「川崎大師」を訪れた。三が日ほどの混雑はなかったが、それでもまだまだ沢山の老若男女が参拝していた。「お護摩供養」で清められた「御札」を貰い、心も新たに私も身仏に頭を下げた。今年の御札には「病気平癒」と祈願した。実は昨年末から「腰の後の筋肉」から「お尻」「太腿の後」「脹脛」と痛みが去らず歩くのにも困難をきたしている。そのための祈願だった。

「江戸の庶民の暮らしは楽だったか?6」
日中の長さの違いを「長日」「短日」と言い分けたが、「日の出」=「明け六つ」、「日の入り」=「暮れ六つ」といって、その間太陽が昇っている間が日中でこれを6刻に分けていたが、当然ながら長日と短日では長さが違うから、1刻(2時間)の時間も違ってくる訳だ。町には「時の鐘」があり、昔は「線香」を燃やして時間を計っていて、時を告げる鐘を打っていたという。江戸時代も後半には機械式の時計が出来てきたが、長日、短日の差を埋めるためには、振りこの錘の位置を調節して時を図っていたらしい。なるほど「刻」が季節によって違うのだから仕方がない話しだろう。それと「着物」だが、当時は「古着」全盛時代だったようだ。庶民が新しい着物を新調出来るのは数年に一度位だったらしく、殆どは古着を買い、汚れれば洗い直し張り直し縫い直しして、最後は赤ん坊のおむつにまでなり、更には壁に塗りこんでまで使い込んでいたらしい。決して無駄にするようなことはなかったという。先日観た映画でシェークスピア時代のロンドンでは道路がぬかるんでいて、そこに板が敷かれており、その上を人々は歩いていたが、江戸も恐らく雨が降れば道はぬかるんでいたと思われるから、それこそ大変だったろうと思う。

「箱根駅伝」

大学の駅伝には「全日本学生」(伊勢神宮)、「出雲」(出雲神社)、そして「箱根駅伝」(箱根神社)と「神社」が絡んでいるんだそうだ。いつものように3日に復路の応援に出掛けた。ラジオを聴いているので順番等は分かっている。日比谷公園前で待ち受けているとトップの「日本体育大学」がやって来た。そしてあっという間に通過していった。「正月恒例」のこの駅伝に出るために血の滲むような努力をして出てきた選手達だが、今年は風が強く、体温を奪われて途中退場した選手もいたし、本当に駅伝は難しいと思う。ひとりひとりの体調管理も難しいだろう。それにしても関東の大学生はこの箱根路を走るチャンスがあるからいいが、他地区の学生にはこのチャンスがないのはかわいそうな気がした。
以上、寒い東京から新年のご挨拶を勢古口がお送りしました。

「栄枯盛衰」

今年も大手電機メーカーは大変だろう。そんな中、今から20数年前、大阪時代のことだった。学生が就職で尋ねてきた。私の母校とは対抗戦を毎年行っている関西名門私立大学衣の学生だった。それもアメリカンフットボールの部員だ。私の商社に入りたいという。ところが結果は某大手電器メーカーM社に入った。それが今では大リストラをしている。一方商社は資源高騰のあおりもあり、今や絶好調だ。運命とは分からないものだ。「奢れる平家は久しからず」とも「栄枯盛衰」は世の常とも言われている。日本には創業100年を越える企業が数多くある。また逆に戦後起業したものもたくさんある。私の元の会社、総合商社「丸紅」も元々は「近江商人」の出だ。そんな近江商人の家訓に「売り手良し、買い手良し、世間良し」と言う言葉があるという。勿論商売だから「儲ける」ことが大切だが、それでは一方通行で長く商いは出来ない。だから売り手も買い手もそして世間様も良くなければならない。だから「薄利多売」という概念で「社会に貢献する」というのだ。これは今でも通用する概念だろう。アメリカの企業は「目先の利益」に囚われるとよく言われる。あの有名企業「コダック社」も倒産の憂き目にあった。一時代、コダックの技術は世界最高だった。特許も沢山持っていた。だが世の中の変化に付いて行けなかった。同じことが今日本の電機メーカーを襲っている。

「元旦の月」
元旦の東京は東の空には雲がたなびき、まことの「東雲(しののめ)」だった。従って午前7時前には「初日の出」を拝むことが出来なかった。だが空には「日の出直前の月」が輝いていた。

「江戸の庶民の生活は楽か?5」

「冬至」を過ぎた。江戸時代の庶民の暮らしに必要な時間は「夜明け、日の出」から「日の入り」までが「日中」だった。そこで「夏至」の頃は「長日」と呼ばれ、「冬至」の頃は「短日」と呼ばれていた。夏は当然ながら日中が長いし、それに対して冬は日が短い。「日の出」が「明け六つ」で「日の入り」が「暮れ六つ」となる。その間の今で言えば12時間が「六刻」となる。だから、長日と短日では一刻の長さが実質的に違っていた。まあ、時間など余り正確にした暮らしをしていた訳でもなかった様で、ある意味適当なものだったらしい。だから待ち合わせなどするとなると何時間も待つことなど当たり前だったようだ。「時の鐘」があり、時を告げていたが、庶民は日が落ちれば節約のために灯りを消して寝ることしかなかったのかも知れない。実際照明は非常に高価で「行灯」の油は一番安いのは「魚油」であり、これは燃やすと臭いらしい。田舎などには「囲炉裏」の灯りもあっただろうが、江戸では火事が恐ろしいから当然制限されているし、行灯は「菜種油」などはよい品だったようだ。「蝋燭」は最も高価なものだったようだ。だから不要の灯りは付けないで寝るに限るのだった。

孫娘・栞ちゃんとお年玉」
正月2日叔母の家に皆で集まった時、孫娘の「栞」1歳1ヵ月半、にお年玉を上げた。すると顔を上下させ、いかにも「ありがとう」とでもいうようにする。これがまた可愛い。勿論「じじ馬鹿」の話しなのだが、どうやら人から物を貰ったらありがとうの動作をするように保育園で教えられているらしい。

「サマランカのコロンブス像」

コロンブスはスペインのイザベラ女王の支援を受けて大西洋を西に向った。彼の手元にはあの有名な本「東方見聞録」があり、そこには「日本」という書き込みが300以上もあるという。その本は今も現存している。コロンブスが行きたかったのはアメリカではなく「日本」だったというのだ。それも「黄金の国、ジパング」なのだったという。それが偶然アメリカに到達してしまった。スペインの「サマランカ」には「コロンブス」の像がある。大学の教授に航海術を習っているコロンブスの姿だという。さて、今「東方見聞録」の著者「マルコ・ポーロ」がスペイン人だったとする説が浮上してイルと言う。我々はマルコ・ポールはイタリアはジェネバの人だと教えられてきたが、どうやらそうではないとする解釈が今の主流になりつつあるという。果たして黄金の国ジパングはあったのだろうか?一説には「平泉」だという。多いに夢を見たいものだ。

2013年の映画のお話し
映画「もうひとりのシェークスピア」(日比谷シャンテシネ豊洲にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年1作目)
昨年2012年は225本の映画を観た。
イギリスの文豪戯曲作家のシェークスピアには自筆の著書が全くないという。本当のシェークスピアはある貴族だったというお話しだ。

日経新聞12月28日夕刊「シネマ万華鏡」によれば、「もうひとりのシェイクスピア」が4つ星、「ブラッド・ウェポン」が4つ星、「おだやかな日常」が4つ星、「拝啓。愛しています」が2つ星、「さなぎ/学校に行きたくない」が3つ星、「サイドバイサイド」が3つ星、「駆ける少年」が5つ星でした。

「私の去年2012年の映画の評価は?」
今年の★★★★★ 「ヘルプ」「わが母の記」「声をかくす人」「レ・ミゼラブル」でした。

「シノプスシ203」
「薔薇色の人」(風野 真知雄 著)角川文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年345冊目)「姫は31」第4段

「血霧」上(パトリシア・コーンウェル 著)講談社文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年1冊目)「検屍官ケイ・スカーペッタ」シリーズ
「血霧」下(パトリシア・コーンウェル 著)講談社文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年2冊目)「検屍官ケイ・スカーペッタ」シリーズ
昨年は345冊の本を読んだ。
流石このシリーズはいつも面白い。すぐに書店のベストテンになっていた。

来る年2013

「J  REPORT 2013 1月第2週号」
「リタイアメント・ノート 4年7ヶ月目」、
「VOL。775 SINCE AUG.12th、1983」
「来る年2013」
「言葉の不思議」
スペインを昨年12月に旅した時に、スペインには4つの「公用語」があることを知った。今、独立で揉めているマドリッドを中心とした「カタルーニャ地方」にはその地の言葉があることは息子から知らされていたが、あれだけの小さな国にも4つもあるとは驚いた。インドには100以上の言語があるという。勿論ヨーロッパにもそれぞれの国の言葉、そしてその国の中にもまた別の言葉があるのだから、世界中に一体幾つの言語があるのだろうか?日本のようにほぼ均一な言葉が使われてはいるが、江戸時代以前には地方自治が進んでいたから言語も地方の訛りがあった訳だ。特に言われているのは「鹿児島弁」だろう。さて面白いのが、「日本語とアラビア語」だ。日本語の本は未だに大半が「縦書き右から左」に書かれている。元々は中国語から来た訳だが、中国では今は左から右書きになっている。NHKのアナウンサーの読んでいる原稿も縦書き右から左となっている。アラビア語はご存知の通り、右から左へ書かれる。しかし数字(アラビア数字=今我々が使っている数字のこと)だけは左から右だから面白い。文章の中に数字が現れるとその部分だけ逆になるのだ。不思議なものだ。

「紅白歌合戦」
この数年間は年末はNHKの「紅白歌合戦」を見ている。大半が知らない歌手だが、たまには懐かしい人も出てくる。今回は何といっても「三輪明宏」の「といとまけのうた」には改めて感激させられた。本当に涙が出てきた。でもああいった時代の日本人の心を知る若い人たちが今いるのだろうか?非常に疑問に感じさせられた。さて今年の特徴は「早変わり」にあったのではなかろうか?コスチュームを一瞬の内に着替えてしまう早変わりは楽しめた。

「墓参り」
正月慣例の墓参りに「青山墓地」を家族で訪れた。娘家族の車が渋滞で遅れた為、長男夫婦と一緒に墓参りした。2日は快晴で気温は高くなっていたが、風が強かったので、箱根駅伝でも大変だったようだったあの日だ。いつもならかなりの墓参りの人たちがいるのだが、今年は少なかった。今年は父の「13回忌」だ。まと数日後に墓参りに一族で集まることになっている。