「江戸の庶民の生活は楽か?5」

「冬至」を過ぎた。江戸時代の庶民の暮らしに必要な時間は「夜明け、日の出」から「日の入り」までが「日中」だった。そこで「夏至」の頃は「長日」と呼ばれ、「冬至」の頃は「短日」と呼ばれていた。夏は当然ながら日中が長いし、それに対して冬は日が短い。「日の出」が「明け六つ」で「日の入り」が「暮れ六つ」となる。その間の今で言えば12時間が「六刻」となる。だから、長日と短日では一刻の長さが実質的に違っていた。まあ、時間など余り正確にした暮らしをしていた訳でもなかった様で、ある意味適当なものだったらしい。だから待ち合わせなどするとなると何時間も待つことなど当たり前だったようだ。「時の鐘」があり、時を告げていたが、庶民は日が落ちれば節約のために灯りを消して寝ることしかなかったのかも知れない。実際照明は非常に高価で「行灯」の油は一番安いのは「魚油」であり、これは燃やすと臭いらしい。田舎などには「囲炉裏」の灯りもあっただろうが、江戸では火事が恐ろしいから当然制限されているし、行灯は「菜種油」などはよい品だったようだ。「蝋燭」は最も高価なものだったようだ。だから不要の灯りは付けないで寝るに限るのだった。

孫娘・栞ちゃんとお年玉」
正月2日叔母の家に皆で集まった時、孫娘の「栞」1歳1ヵ月半、にお年玉を上げた。すると顔を上下させ、いかにも「ありがとう」とでもいうようにする。これがまた可愛い。勿論「じじ馬鹿」の話しなのだが、どうやら人から物を貰ったらありがとうの動作をするように保育園で教えられているらしい。

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