初詣と新年会

「J  REPORT 2013 1月第3週号」
「リタイアメント・ノート 4年7ヶ月目」、
「VOL。776 SINCE AUG.12th、1983」
「川崎大師」
ちょっと三が日には行けなかったが、6日の日曜日に「川崎大師」を訪れた。三が日ほどの混雑はなかったが、それでもまだまだ沢山の老若男女が参拝していた。「お護摩供養」で清められた「御札」を貰い、心も新たに私も身仏に頭を下げた。今年の御札には「病気平癒」と祈願した。実は昨年末から「腰の後の筋肉」から「お尻」「太腿の後」「脹脛」と痛みが去らず歩くのにも困難をきたしている。そのための祈願だった。

「江戸の庶民の暮らしは楽だったか?6」
日中の長さの違いを「長日」「短日」と言い分けたが、「日の出」=「明け六つ」、「日の入り」=「暮れ六つ」といって、その間太陽が昇っている間が日中でこれを6刻に分けていたが、当然ながら長日と短日では長さが違うから、1刻(2時間)の時間も違ってくる訳だ。町には「時の鐘」があり、昔は「線香」を燃やして時間を計っていて、時を告げる鐘を打っていたという。江戸時代も後半には機械式の時計が出来てきたが、長日、短日の差を埋めるためには、振りこの錘の位置を調節して時を図っていたらしい。なるほど「刻」が季節によって違うのだから仕方がない話しだろう。それと「着物」だが、当時は「古着」全盛時代だったようだ。庶民が新しい着物を新調出来るのは数年に一度位だったらしく、殆どは古着を買い、汚れれば洗い直し張り直し縫い直しして、最後は赤ん坊のおむつにまでなり、更には壁に塗りこんでまで使い込んでいたらしい。決して無駄にするようなことはなかったという。先日観た映画でシェークスピア時代のロンドンでは道路がぬかるんでいて、そこに板が敷かれており、その上を人々は歩いていたが、江戸も恐らく雨が降れば道はぬかるんでいたと思われるから、それこそ大変だったろうと思う。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。