北スペイン・巡礼の道

「J  REPORT 2012 12月第3週号」
「リタイアメント・ノート 4年6ヶ月目」、
「VOL。772 SINCE AUG.12th、1983」
「旅暦43 スペイン・ポルトガルの旅」
「巡礼の道」
第一日目 12月12日(水)
成田のANAラウンジに到着した。チェックインした後、手荷物検査も「優先口」があると教えられた。6月にビジネスクラスで同じフランクフルトに行った時にはなかったから、新しく作られたようだ。チェックインカウンターで「アップグレードでプレミアムエコノミー席がありますが、どうしますか?」と聞かれたが、通路側ではないというので断った。そしたら機内はがらがらで私の隣の窓側の席は空席で事実上二席分使えた。ラウンジではいつもの通り、まず「掻き揚げそば」>を食べる。いつものようには美味くない。こちらの舌がおかしいのかなあ?この1週間位、風邪で熱があり、その影響からか、腰から太ももの後ろの筋肉部分が痛くて、歩くのにも苦労している。原因が分からないし、対策が打てない。帰国したら早速病院に電話して整形外科の先生にでも調べてもらおうかと思っているが、旅行中大丈夫だろうか?心配です。これからフランクフルト経由でスペインのマドリッドまで行くと、現地到着がスケジュール通りだと日本時間の明日13日午前8時、ホテルチェックインして眠るのは恐らくお昼近くになってしまうだろう。これから丸々24時間以上先の話しだ。何しろフランクフルトの空港での乗り継ぎ待ち合わせが3時間以上あるのだ。まあフランクフルトでもラウンジに入れるからまだいいが。さて、本日から「禁酒」をすることとした。5月のアメリカ西部旅行中も禁酒したが、今回の旅行中はお酒は飲まないことにする。スペインは次男が南のマラガに住んでいた2008年8月に娘と一緒に地中海沿岸を中心に旅をして以来だ。今回は北部だから全く環境も違うだろう。特に「巡礼の道」をバスで行くのが大半の目的なのでこれも楽しみだ。インターネットを見てたら「北朝鮮のミサイル発射」という記事が載っていた。「フィリピン沖に墜落」と出ていたが、どうなっているのか?分解していたんじゃなかったのかなあ?
フランクフルト到着、日本時間13日午前0時10分。空港内を移動してきて今ラウンジに落ち着く。これから3時間以上待ち時間がある。喉がカラカラだ。コカコーラゼロをがぶ飲みしている。勿論「フランクフルトSAUSAGE」もだ。気温0度、空から見ても一部に雪が積もっていた。印象的だったのがフランクフルト郊外に見えた「原発」2基だ。白い蒸気を噴出していた。この国、「原発をなし」にするらしいが、その「然エネルギーのコスト高」に批判も出ているという。原発も怖いが、経済への影響も怖い。どっちつかずの議論になりそうな話しだ。即席のサンドウィッチを作ってきた。ライ麦パンにハム、チーズを乗せたものだ。このラウンジ、食事も飲み物も素晴らしい。ああ。ビールが飲みたくなったなあ。我慢できなくなってきた。意思弱く、飲みます。まだ時間がたくさんあるから、「禁酒はスペインに入ってから」にします。ああ、美味いなあ。ビール最高。機内では飲んでないので、旅に出てから最初のアルコールでした。このラウンジ、新設されたみたいですごく綺麗だし、設備も整っている。これまでのラウンジは込んで席を確保するのも大変だったが、ゆとりのスペースに美味しい食事と飲み物でいいですね。今年6月に来たときにはなかったから新しいんだなあ。現地時間午後5時半(日本時間13日午前1時半)流石に疲れが出て来て眠気が増してきた。もう一杯ビールを飲もう。駄目だね、本当に意思が弱いよ。それよりも「アルコール依存症」だということだな。

第七日目 12月18日(火)

朝一番で「ユーラシア大陸最西端」の「ロカ岬」に行く。オフシーズンだから観光客は我々だけ。これまでずっと天気が悪かったのだが、この瞬間のみ太陽が照ってきていて、大陸最西端に立ったという気持ちになった。「証明書」も書いてもらいご満悦で写真を撮った。さて江戸時代だが、「仙台伊達藩」の藩士たち30数名が「遣欧使節」として伊達政宗の命でこの地を経由してローマにまで訪れていた。その内、10名内外の武士が結局この地に残り地元女性と結婚して、今その血脈が残り、230名もの「ヤパン」さんという姓の人たちがいるという。400年前のお話しだが、日本人の血が辛うじて残されていたという感動的な事実だった。だがこの事実は数百年に亘り極秘とされていて、幕末に岩倉具視や福沢諭吉らが欧州を訪れた際、地元からその事実を知らされたという不思議な物語なのだ。リスボン市内に戻ってきて最後の観光だ。有名な「ジェロニモ修道院」にはあの「ヴァスコ・ダ・ガマ」の遺体を入れた棺もある。ポルトガルにとって「大航海時代」を切り開いた偉大な人物なのだから、当然といえば当然だ。その海側に大きなモニュメントがある。それはまさに大航海時代を象徴する「エンリコ航海王子」らが乗った船が船出しようとしているその姿だ。「発見のモニュメント」と呼ばれるものだ。「エンリコ航海王子」没後500年を記念したものだという。ヨーロッパの小国だったポルトガルが全世界にキリスト教の布教と合わせて「植民地」を作っていた偉大な歴史の端緒なのだろうか?モニュメントの下の床に世界地図があり、日本には「1451」とあり、「種子島」漂着の1453年の2年前にはポルトガル側の記録では大分に行ったことになっているようだ。立ち並んでいる人たちの先頭は勿論「エンリケ」、3番目に「ヴァスコ・ダ・ガマ」、そして後ろから2番目に「フランシスコ・ザビエル」がいる。さて、午後から市内を一人で探索する。ごみごみした坂の多い街だ。「一日乗車券」@5.5ユーロを買い,「フニクリ」と呼ばれる「路面式ケーブルカー」で急坂も登った。疲労もピークに達しているので、早々にホテルに戻った。聞くと添乗員さんは12歳までヨーロッパに住んでいたというから語学堪狽ネのも分かる。明日は帰国だ。9日間長いようで短いようで、それでもあっという間に旅でした。

第六日目 12月17日(月)

選挙結果に一喜一憂した昨晩だった。大物政治家が落選すれば「ただの人」だけど、何か理想を掲げる政治家が見られなくなったのはやはり「日本の国力の衰退」なのだろうか?ここポルトガルは、スペインより200年も早く、イスラムを国から追い出す「レコンキスタ」が終わったという。小国「ポルトガル王国」のまとまりのよさがそれを成しえた要素だというが、逆に地域毎に分裂状態だったスペインは、押したり引いたりでなかなかイスラムを駆逐出来なかったという。今もスペインには公用語が4つあるという。今まさに北部「カタリューニャ」地方の分離独立が叫ばれてもいる。さて、ポルトガルに入って土産物店に行くと必ずあるのが「真実のニワトリ」と呼ばれるものだ。このお話しはポルトガルだけでなくスペインにも同じような話しが伝わっているという。強盗殺人の罪を着せられた男が死刑の直前に無実を訴えて裁判官に「無実だから、このニワトリに証明させてくれ」という。裁判官は笑い飛ばすが、グリルされていたニワトリが突然立ち上がり鳴き出し、このことで無実が証明されたというのだという逸話だという。いずれにしてもキリスト教との密接な繋がりがこういったお話しを生み出すのだろう。クリスマス前のこの時期、各地に「クレゼピオ」と呼ばれる、作り物が置かれる。これは「イエス・キリスト」の誕生の場面を小さな人形などを使って描いているもので、エルサレムの「馬小屋」でイエスやマリアたちがいて、キリストの誕生を祝う人たちがいるといった設定が物語風に描き出されているクリスマス恒例のものだそうだ。「土で作ったクレゼピオの人形」を孫娘のために買い求めた。

第五日目 12月16日(日)

日本では「総選挙投票日」だ。昨晩ホテル近くのショッピングセンターに行ってみた。土曜日の夜ということもあり、巨大な店内は家族連れ等で大賑わいだった。そこで観た不思議な光景のお話し。まず「口の開いた袋やバッグを持っている人はガードウーマンから透明なビニール袋を渡され、それに荷物を入れてから、ビニール袋の口を圧縮機で完全に閉じさせられるのだ」。勿論「万引き防止策」。逆に出口ではブザーが大きな音を立てていて、帰る客の荷物に不審物がないか、チェックしていた。「入りも出もチェックが実に厳しかった」。まあお国柄といえばそれまでだが。さてまた添乗員に「宗教の違い」について質問してみた。答えは最初に出来た「ユダヤ教」の預言者は例えば「モーゼ」「ノア」だとか色々な時代に色々な預言者が出てきているが、救われるのは「ユダヤの民」のみ。次の時代に出来た「キリスト教」は、ユダヤ教の全て(旧約聖書)を認めた上で最終的に「主イエス・キリスト」を「神の子」として認めて(新約聖書)キリスト教徒を救済する。そして最後に出てきた「イスラム教」は、「ユダヤ教の旧約聖書もキリスト教の新約聖書も全ての教えを認めた上でイスラム教徒の人々を救う(その教えはコーラン)」というのだそうだ。その最も偉大な預言者が「モハンマド」だ。だからもっとも「寛容性の高いのがイスラム教」で、もっと「寛容でないのがユダヤ教」だそうなのだという。そして「クリスマス」だが、キリストの実際の誕生日は「紀元一年?の6月か7月」だそうだ。だから「クリスマスの日はイエス・キリストの誕生を祝う日」として後の時代に作られた日なのだそうだ。こんなことはキリスト教徒ならば常識なのだろうが、私は知らなかった。まあ、ヨーロッパはどこへ行っても常に宗教色が強くて、他の宗教を認めないという風潮が強い。特に欧米は「キリスト教国」といってもいいだろう。「宗教、宗派、人種」と実に人間の歴史は「対立と紛争の歴史」だと言っても過言ではあるまい。ヨーロッパはどこの街でも、「教会を中心にして、市庁舎、広場、城壁」となっている。さて、今日はスペインからポルトガルへと移動する。「ポルトガル」に入れば私は遂に世界「50カ国目」の訪問国となる。改めてスペインの地図を見てみると、ほぼ中央に首都「マドリッド」があり、高原地帯が広がり、東北にフランスとの国境沿いに「ピレネー山脈」があり、北は大西洋、南は地中海に面している。勿論西側はポルトガルだ。気候的には「南は温暖な乾燥した地中海性気候であり、北側はメキシコ湾流が暖かく湿った空気をもたらし、雨が多い」と聞く。だから、この数日、常に雨に降られていた。「北は緑の、そして南は岩山の荒涼とした大地の世界」だ。「ポルト」で「サンフランシスコ教会」や「ドウロ川クルーズ」をしたが、雨に祟られた一日だった。あのパリの「エッフェル塔」を建てたエッフェルの弟子が作った19世紀の「鉄橋」が現存し、上をメトロが走っていた。夕焼けと月を観たので明日は晴れるかも知れない。期待しよう。

いよいよポルトガルへ

「J  REPORT 2012 12月第4週号」
「リタイアメント・ノート 4年6ヶ月目」、
「VOL。773 SINCE AUG.12th、1983」
「旅暦43 スペイン・ポルトガルの旅」
第四日目 12月15日(土)
相変わらず「時差ぼけ」が治らず、2時になると一度目が覚めてしまう。そしてまたまたうとうとしていて朝を迎える。だが、よく考えてみれば日本にいる時に起きている時間と同じだと気付かされた。「もう時差ぼけは解消されている」のだった。さて、今回のツアー参加者は、「ご夫婦」「老人のご兄弟」「母娘」がそれぞれ1組づつ、それに単独参加は男性3名、女性3名の合計12名に男性添乗員という具合だ。この添乗員が凄い。「これこそがプロ」と言えるだろう。まず語学はこれまでしゃべっているだけで「英語」「スペイン語」「フランス語」勿論「日本語」だが、多分「ポルトガル語」「イタリア語」も堪狽セろう。それに「知識」が物凄い。本当に感心する。「古代から中世、近世のヨーロッパの歴史だけでなく、宗教の知識も凄い」。現地ガイドの数倍の知識を持っていると感じる。それもヨーロッパ全土、西も東も全てだから凄い。それでも彼は添乗員暦7年だというからまたまた驚かされた。我々ツアー参加者は流石にここまで「マイナーなコース」に来る位だから、皆さん海外旅行経験の長い方たちだ。個人参加は全て一人部屋だ。相部屋についての話しを女性陣に投げかけてみたら「相部屋の相手を一方的にいびり倒して、結局一人部屋に追加料金を払わせて追い出す人もいる」とのこと。確かにそういったことを私もチュニジア旅行で目にした。「女性は恐ろしい」の一言だ。まあ、皆さんそれぞれが和やかに旅を楽しんでいるのがこれまでだ。さて昨晩は使えたインターネットが朝になったら全く繋がらなくなってしまった。ホテル側のシステムに問題があるのか?何なのか?この時代、インターネットがないとどうしようもないね。さて、本日は目的地の「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」まで延々6時間のバスの旅だ。「巡礼の道」のゴールだ。フランスは「パリからだと800km」の最終地点。「聖ヨハネ」の墓が見つかった場所がこの地だという。市内を見下ろす丘が「歓喜の丘」と呼ばれており、巡礼者たちが眼下の街を、大聖堂を見て、「ゴールに到達した」と歓喜をあげる場所を訪れ、最後に大聖堂で聖ヨハネのお墓を見た。ヨハネ像にも抱擁した。「なぜ、この旅行に来る気になったか?」というと、半年ほど前に映画「星の旅人たち」というのを観た。巡礼の旅に出た直後、ピレネーの山中の事故で死んでしまった息子の遺骨を背負って歩く還暦を過ぎたアメリカ人の父親とたまたま連れになった人たちとの心触れ合う物語だ。これを観て「どうしても巡礼の道に行きたくなった」というのが動機だった。またここがイスラム教徒をイベリア半島から追い出そうとする戦いの始まりとなった記念すべき場所でもあるらしい。その戦いを「レコンキスタ(国土回復運動)」と呼ぶ。話しは変わるが江戸時代、「島原の乱」でもキリスト教徒の農民たちは戦いに向かうに当たって意味は理解していなかったのに「サンティアゴ」と叫んで突撃していったという。「聖ヨハネ」=スペイン語では「サンティアゴ」はそういった意味でもスペイン復活の象徴だったらしい。日本人(島原のキリスト教徒)も異教徒(幕府側の仏教徒)との戦いに「聖ヨハネ」の名を叫んだのだという。

「手前勝手世界食物語、第278話」

「いよいよ忘年会シーズンが始まった」
ご覧の写真は今年6月にスイス、オランダに行った3人組の忘年会の写真だ。場所は有楽町、いつも行くイタリア料理の店「VINO VITA」だ。食べ放題呑み放題で@3400円でした。イタリアンといっても野菜中心のビュッフェ方式で、肉は「生ハム」、魚は「サーモンの燻製」のみで、後は全て野菜です。勿論果物もデザートも沢山あります。但し、一人に一つだけメイン料理をプラス注文できる。それはピザ、スパゲティーから選べる。今回の飲み物は「白ワイン」でボトル5本空けてしまった。さてこの3人組、名前が「S」で始まるため、今後は「3S会」と呼ぶことにする。来年早々には「沖縄」旅行に行くことにしてある。私はその後、3月に南米ペルー、5月に南アフリカに野生動物行く嵐閧ノしている。楽しみだ。その前に今月は12日から北部スペインとポルトガルに行ってきます。
以上、勢古口が師走の東京からお送りしました。

「栞ちゃんとももちゃん」

孫娘の「栞」が愛犬「もも」を追いかけている。そして小さな指を出して、ももちゃんを触る。触ると直ぐに手を引き、「ゲッゲッツゲッ」と大きな声で笑う。笑顔一杯で笑う。ももが逃げるとまた追いかける。そして触り笑う。これが見ていて楽しいし面白い。そんな幸せそうな栞だが、一年前の誕生直後に「心臓に穴が二つ」空いていると知った時は驚いた。当時ちょうどロシア観光中だったから、本当に心配した。それから一年、先日の病院での診断では穴は塞がったとのことだった。やっと安心できた。助かりました。さて、ももちゃんにとって栞ちゃんは天敵かな?

「選挙が騒がしく始まった」
私の住む江東区は「東京15区」だ。ここも激戦区になりそうだ。まずは現職で元民主、元生活、そして「日本未来の党」のA氏、「民主党」で前回は石川で森元首相と戦ったTさん、「みんなの党」の二世K氏、勿論自民党共産党から等々「つわもの揃い」だ。今も自宅前に選挙カーが来て演説している。都心部でも銀座有楽町周辺では都知事候補が必ず誰か来ている。私は投票日には海外なので「期日前投票」して旅行に行くつもりだ。

歌舞伎観劇「12月大歌舞伎」(新橋演舞場にて)

通し狂言「御摂(ごひいき)勧進帳」三幕
「歌舞伎18番の勧進帳」が出来る60余年も前に作られ江戸で演じられた古典歌舞伎、今から凡そ240年も前の作だそうだ。義経と弁慶らの勧進帳だが、ちょっと趣きが違ったが面白かった。
「勘三郎死す」
テレビを観ていて驚いた。非常に残念。年に5回は歌舞伎を観ているし、シネマ歌舞伎も観ているので、たまには彼の舞台も眼にしたことがある。本当に残念です。
「武士と刀」
歌舞伎でも最近は刀の持ち方が間違っている武士がいるので驚く。本来武士は左腰に刀を差している。家に入るときは「脇差」はそのままで、「大刀」は鞘のまま腰から抜いて、右手で持つのが常識だ。左手に持っているということはいつでも抜けるということを意味している。従って敵意がないことを浮墲キために右手に持っていて、座れば右側に置くのが当たり前だが、それをしない役者がいることに驚くことしばしばだ。もうちょっと勉強しろよ。

2012年の映画のお話し
映画「アナザー・ハッピー・デイ」(ヒューマントラストシネマ有楽町にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年211作目)
離婚した夫婦は子供の親権を分けた。その後別の人とそれぞれ結婚して新たに子供が出来た。こんな複雑な二家族の長男の結婚式で大騒ぎ。

映画「恋のロンドン狂騒曲」(日比谷シャンテシネにて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年212作目)
ウディ・アレン監督作品。舞台はロンドン。男女の離婚、浮気、再婚を描くコメディー。それなりに面白かった。

映画「汚れなき悪戯」(日比谷みゆき座にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★★(今年213作目)
古い白黒映画だったが、面白かった。スペインの田舎の村にある修道院の門の前に赤ん坊が捨てられていた。その子を育てた12人の修道者たちと男の子の物語。最後の場面が凄い。

日経新聞12月7日夕刊「シネマ万華鏡」によれば、「砂漠でサーモンフィッシング」が3つ星、「二つの祖国で」が4つ星、「ウーマン・イン・ブラック」が3つ星、「アナザー・ハピー・デイ」が2つ星、「ボス・その男シヴァーン」が3つ星、「今日、恋をはじめます」が2つ星、「僕の中のオトコの娘」が2つ星でした。

「私の今年の映画の評価は?」
今年の★★★★★ 「ヘルプ」「わが母の記」「声をかくす人」
今年の★★★★  「ロボジー」「麒麟の翼」「ドラゴンタトゥーの女」「ポエトリー」「ピラミッド」「シャレード」         「PINA」「エル・ブリ」「マーガレット・サッチャー」「マリリン 7日間の恋」「アーティスト」「ジョン・カーター」「裏切りのサーカス」「ファミリー・ツリー」「星の旅人たち」「ミッドナイト・イン・パリ」「プレイ 獲物」「崖っぷちの男」「ブラック・ブレッド」「リンカーン弁護士」「ローマ法王の休日」「ダークナイト・ライジング」「あなたへ」「最強のふたり」「アウトレイジ・ビヨンド」「アルゴ」「黄金を抱いて翔べ」「人生の特等席」

「シノプスシ200」
「○に+の字」(佐伯 泰英 著)新潮文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年319冊目)「新・古着屋総兵衛」シリーズ第5弾
10代目総兵衛たちは京都へとむかう

「百眼の賊」(鳥羽 亮 著)角川文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年320冊目)「火盗改鬼与力」シリーズ第4段

「疾風剣こだま返し」(鳥羽 亮 著)講談社文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年321冊目)「深川狼虎伝」シリーズ第1段

「遠雷の夕」(鳥羽 亮 著)実業ノ日本社文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年322冊目)「剣客旗本奮闘記」シリーズ第4段

「春の珍事」(佐伯 泰英 著)ハルキ文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年323冊目)「鎌倉河岸捕物控」シリーズ第21段

「はぐれの刺客」(澤田 ふじ子 著)光文社文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年324冊目)
一人の武士の生き様を描く。

「付け火」(藤井 邦夫 著)文春文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年325冊目)「秋山久蔵御用控」シリーズ第16段

「身過ぎの錐」(鈴木 英治 著)双葉文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年326冊目)「口入屋用心棒」シリーズ第23段

「緋木瓜の仇」(鈴木 英治 著)双葉文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年327冊目)「口入屋用心棒」シリーズ第24段

「ええもんひとつ」(山本 兼一 著)文春文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年328冊目)「とびきり屋見立て帖」シリーズ第2段

「江戸の庶民の生活は楽か?4」

江戸時代の庶民の娯楽と言えば、「桜の花見」、「隅田川の川開きの花火」、「秋の月見」、「紅葉見物」、勿論「浅草奥山」や「両国広小路」等の盛り場には色々なものもあり、「歌舞伎観劇」等もあったという。神社仏閣が行う「御開帳」といってありがたい仏像を観させてお金を得ていたのもあったようだ。さてまだ冬になったばかりだが、江戸時代から「桜の花見」は庶民にも人気だったようだ。落語「長屋の花見」にもあるように、長屋の人たちも皆で花見に出掛けたようだ。場所はと言えば、八代将軍吉宗公が植えさせたという「飛鳥山」や「墨堤」、「上野」の山、品川の「御殿山」等が勇名だったようだ。今も変わらず桜の名所は同じだ。その他ちょっと変わったところでは「大山詣」や「お伊勢参り」も盛んだったようだ。大山や伊勢に行くには今の「ツアーコンダクター」のような職業もあり、宿の手配からルート等を決めて団体さんを送り込んでいたという。考えてみれば、テレビもない時代だが、それなりに庶民は楽しみを考え出していたのだろう。お伊勢参りなどは一生に一回の楽しみだったのだろう。

「歳末セールと福引」
「師走恒例の歳末セール」が各地で始まった。そして「福引補助券」を貰って、ぐるぐるっと箱を廻す。ころっと出てくる「玉」、当れば鈴を鳴らす。大概は外れでティッシュ1個程度だ。豪華賞品には海外旅行などもあるが、私はいつも「白い玉」で残念でしたで、終わる。籤運がないのだろう。

年末ジャンボ宝くじ

「J  REPORT 2012 12月第2週号」
「リタイアメント・ノート 4年6ヶ月目」、
「VOL。771 SINCE AUG.12th、1983」
「年末ジャンボ宝くじ」
ついこの間正月が来たと思ったら、もう12月、「師走」になってしまった。本当に早いものだ。恒例の「年末ジャンボ宝くじ」が発売された。「西銀座チャンスセンター」は例の如く行列が出来ていた。今回から法律が改正されて最高額が前後賞合わせて「6億円」という高額だという。だがよく考えてみると、高額になったということは配当原資が変わらないとすると当る確率が低くなるということではないのだろうか?同じことはどこで買っても当る確率は同じで、なにも行列して買わなくてもいいと私は思うのだが、皆さんはどうでしょうか?今回もグループ買いで数万円買いました。実は私がこれまでに当った高額配当金はたったの6万円強でした。1万円というのは何回かあるのだが、当らないものですね。「買わなければ当らない。しかし買っても当らない」なんとかならないかな!!

「復興特別所得税課税」
株の配当が来た。そしたら一枚の紙が入っていた。それが「復興特別所得税」の説明だった。株式の配当についている所得税、今は本来の15%から減税で7%になっているのだが(注:地方税と合わせると現状は10%、本来は20%)、それに2.1%の付加税が来年から付くと言う。来年は所得税7%x2.1%の7.147%だが、佐来年からは所得税15%x2.1%で15.315%の課税となり、それが復興が終わると思われる2037年まで続くというものだった。全く参る話しだ。それらが本当に復興に使われていなかったという事実が最近判明したが、今後我々が所得税から支払う特別所得税が流用されているというのには腹が立つこと立つこと。頭に来る話しだ。