いよいよポルトガルへ

「J  REPORT 2012 12月第4週号」
「リタイアメント・ノート 4年6ヶ月目」、
「VOL。773 SINCE AUG.12th、1983」
「旅暦43 スペイン・ポルトガルの旅」
第四日目 12月15日(土)
相変わらず「時差ぼけ」が治らず、2時になると一度目が覚めてしまう。そしてまたまたうとうとしていて朝を迎える。だが、よく考えてみれば日本にいる時に起きている時間と同じだと気付かされた。「もう時差ぼけは解消されている」のだった。さて、今回のツアー参加者は、「ご夫婦」「老人のご兄弟」「母娘」がそれぞれ1組づつ、それに単独参加は男性3名、女性3名の合計12名に男性添乗員という具合だ。この添乗員が凄い。「これこそがプロ」と言えるだろう。まず語学はこれまでしゃべっているだけで「英語」「スペイン語」「フランス語」勿論「日本語」だが、多分「ポルトガル語」「イタリア語」も堪狽セろう。それに「知識」が物凄い。本当に感心する。「古代から中世、近世のヨーロッパの歴史だけでなく、宗教の知識も凄い」。現地ガイドの数倍の知識を持っていると感じる。それもヨーロッパ全土、西も東も全てだから凄い。それでも彼は添乗員暦7年だというからまたまた驚かされた。我々ツアー参加者は流石にここまで「マイナーなコース」に来る位だから、皆さん海外旅行経験の長い方たちだ。個人参加は全て一人部屋だ。相部屋についての話しを女性陣に投げかけてみたら「相部屋の相手を一方的にいびり倒して、結局一人部屋に追加料金を払わせて追い出す人もいる」とのこと。確かにそういったことを私もチュニジア旅行で目にした。「女性は恐ろしい」の一言だ。まあ、皆さんそれぞれが和やかに旅を楽しんでいるのがこれまでだ。さて昨晩は使えたインターネットが朝になったら全く繋がらなくなってしまった。ホテル側のシステムに問題があるのか?何なのか?この時代、インターネットがないとどうしようもないね。さて、本日は目的地の「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」まで延々6時間のバスの旅だ。「巡礼の道」のゴールだ。フランスは「パリからだと800km」の最終地点。「聖ヨハネ」の墓が見つかった場所がこの地だという。市内を見下ろす丘が「歓喜の丘」と呼ばれており、巡礼者たちが眼下の街を、大聖堂を見て、「ゴールに到達した」と歓喜をあげる場所を訪れ、最後に大聖堂で聖ヨハネのお墓を見た。ヨハネ像にも抱擁した。「なぜ、この旅行に来る気になったか?」というと、半年ほど前に映画「星の旅人たち」というのを観た。巡礼の旅に出た直後、ピレネーの山中の事故で死んでしまった息子の遺骨を背負って歩く還暦を過ぎたアメリカ人の父親とたまたま連れになった人たちとの心触れ合う物語だ。これを観て「どうしても巡礼の道に行きたくなった」というのが動機だった。またここがイスラム教徒をイベリア半島から追い出そうとする戦いの始まりとなった記念すべき場所でもあるらしい。その戦いを「レコンキスタ(国土回復運動)」と呼ぶ。話しは変わるが江戸時代、「島原の乱」でもキリスト教徒の農民たちは戦いに向かうに当たって意味は理解していなかったのに「サンティアゴ」と叫んで突撃していったという。「聖ヨハネ」=スペイン語では「サンティアゴ」はそういった意味でもスペイン復活の象徴だったらしい。日本人(島原のキリスト教徒)も異教徒(幕府側の仏教徒)との戦いに「聖ヨハネ」の名を叫んだのだという。

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