食事

5月18日  1?5食
昼にANAラウンジで蕎麦とスナックを食べて、機内で午後6時にビーフの夕食、その後は一切食事せずにャ泣gレイクまで来て、ホテルでの夕食となった。コーラ、スプライト、水は飲み放題で、サラダにパンにステーキが出た。ステーキはアメリカ特有の「赤身」の「アンガス種」でぱさぱさのステーキで網目の焦げ目までは良かったが、私のステーキはウエルダンになっていて最悪だった。サラダはまあまあか。「一日一快食」を続けて2ヶ月経った。3kg痩せたきり、その後変化がない。この食事方法は「貴乃花親方」「鶴太郎」「所さん」等もやっているらしい。芸矧Eでも信者がいるらしい。まあ、頑張って続けてみよう。
5月19日
朝はバナナ2本にオレンジジュースにコーヒー。昼は「バッファロー・バーガー」が出た。普通の牛の肉と余り変わらない。まあまあの味か?久しぶりに昼を食べた。夕食は定食みたいな「ミート・ラザニア」でした。安いから仕方がないね。
5月20日
朝は「コンチネンタル・ブレックファースト」で、ココアとスープより少し堅いメ[セージグレイビーなるものとゆで卵、ヨーグルトを、昼はサンドイッチ弁当が出たが食べずに持ち帰りした。夕食は「生野菜のサラダ」と「虹鱒のャeー、塩胡椒風味」だったが、これも不味かったなあ。味は淡白でよいのだが、魚の身自体がぱさぱさしていた。ツアー飯の極致といえよう。サイドの「ガイリックトースト」のほうがよっぽど美味しく3つも食べてしまった。アメリカ到着後、禁酒を継続中です。頑張ってます。
5月21日
朝は前日同様のメニュー、ココア、メ[セージグルービー、ヨーグルト、茹で卵でした。昼は「クロワッサン」に「鶏肉」を挟んだサンドウィッチ、夜は「チキンクリーム・スパゲティ」でした。ボリュームあり過ぎて困りました。
以上、アメリカ西部の旅の前半戦を「アリゾナ州カイエンタ」より勢古口がお送りしました。

第四日目

第四日目 5月21日(月曜日) 1?4
午前3時、目が覚めたので外に出た。夜空には星が光ってはいたが、周囲の明かりが強くてたいした数の星は見えなかった。満天の星空を期待したのに残念。まだどこかで星を見るチャンスはあるだろう。日本は昨日は天体ショーに沸いたらしい。「金環日食」はインターネットで観た。さて、今日は二番目の国立公園「グランド・ティートン」へ行く。まずはイエローストーン川に沿っていつもの道を行く。川面から水蒸気が立ち上がっている。バッファローの大群がいる。何百頭もいる。朝のお食事中のようだ。親子連れが多いのが群れの特徴か?途中「コンチネンタル・ディバイド」を通過する。要は大陸の中心部にあり、水の流れを太平洋か大西洋かに分ける分水嶺のことだ。この辺りは「白樺」の木が生える位高地なのだ。未だ半分ほど氷結した「ルイーズ湖」の湖畔を通る。この国立公園はイエローストーンの南東に当たり「ワイオミング州」にある。イエローストーンも90%ワイオミング、10%モンタナ州にあるのだが、この「グランド・ティートン」は映画「シェーン」のラストシーンで子供が「シェーン、カンバック!」と叫ぶ中、シェーンが立ち去る時、背景にある山並みがここなのだ。主峰「マウント・モーラン」3842mを中心にして鋭い山々が聳え立つ。切り立つ峰、山肌、残雪、樹木、動物、湖、草花、実に美しい。原野には中型の鹿の「エルク」、「BISON」、「リス」、「熊」がいる。熊以外は全部観た。私は熊の親子を発見したと思っているのだが、遠くて確認出来なかった。更に山に沿った湖で大型のねずみの一種「PIKA」を発見した。私だけが写真に収めた。今日は暑くて暑くてかなわなかった。本来は寒くて仕方がない時期なのに現地の人たちも異常気象に驚いていた。寒さで震えるはずが暑くて真っ赤に日焼けしてしまった。そこから一路「SALT LAKE」に戻る。ワイオミングからアイダホ経由ユタまでの本日の全工程は700kmだった。アイダホの大地、太陽、水が育み、「ポテト」「牛」「馬」を生み出している。兎に角広い「西部の大地」でした。帰路の途中「ジャクャ刀Eホール」という西部劇に出てきそうな町で「フラバブル」という一見して桜かと思わせるような樹木と花を観た。木の名前は町の人に聞いたので辞書で調べてみよう。調べたが、よく分からなかった。

第三日目

第三日目 5月20日(日曜日)  1?3
朝、ホテルのモーニングコールで飛び起きる。時計は5時を示している。やはりどうも可笑しいと思っていたのだが、部屋の時計が一時間進んでいた(注:サマータイムにしていなかったようだ。手抜きだ)。それにしても昨晩は「睡眠導入剤」を飲んだので完全に熟睡した。時差も直った。天気も快晴、雲一つない。またた「イエローストーン国立公園」に行く。我々のホテルは「ウエスト・イエローストーン」という地域で公園内の西入り口のすぐそばにある。公園に入って10分ほどでバッファロー(こちらの呼び名はBISON)の大群に遭遇した。道路を完全に占領してしまってゆっくり歩いている。自動車も我々のバスものろのろ運転で渋滞となってしまった。春に生まれたばかりの子牛たちも元気に走り回っている。警笛を鳴らすことは勿論禁じられているのでバッファローが立ち去るまで待つしかない。レンジャーがやってきて車でバッファローたちを道路外に誘導してくれたので漸く進めた。途中、小型の鹿「DEER」や大型の鹿「エルク ELK」、リスなども見えた。さて今日はちょっと北の「ノーリス」と「マンモス」というところで「温泉」を観る。中国の「黄龍」やトルコの「パレッカム」と同じように温泉から石灰分が湧き出し、それが固まって段々畑のようになり、綺麗なお湯の池を形作っているのだ。温泉の温度により、中にいる微生物の光り方が違っていろいろな色になるという。午後からイエローストーンの語源になった渓谷に行った。「グランド・キャニオン オブ・イエローストーン」という。大きな滝があり、そこから流れ出す水が谷を造り出し、周囲の岩石の色が黄色という訳だ。「イエローストーン湖」も美しい湖だった。湖の前のホテル「レイク・イエローストーン・ホテル」は外装が全て黄色の板張りだった。国立公園内のホテルだからなかなか高そうでした。帰り道にも沢山のバッファローがいたが、朝の大群を見たせいで新たな感動はなかった。

第二日目

第二日目 5月19日(土曜日)  1?2
夜明けは午前6時頃。7時にはホテルを出て州間高速道路で一路北上する。道路を疾走する大型トラック。トラック部分は運転席の後ろに二段ベッドがあり、タイヤは前輪2本、後輪2列4本の8本、更に貨物車は後輪2列4本の8本で合計18本だ。更に更に、荷物車が二台や三台まで牽引しているのもあるから恐ろしい輸送力だ。ユタ州はモルモン教のメッカだから、寺院が多い。平屋の寺院の上に4?5mの尖塔がたっているが、これにはクロスはなく、円錐形のものだけがある。ちょっと変わった形だ。アメリカ、特に田舎の車はピックアップトラックが多い。トレーラーハウスの展示場もあちこちにあった。利用する人が多いということだろう。周囲はまずは牧場があり、牛や馬が見える。アイダホ州に入ると広大な農場となる。昨日も見た円形の農場も見られる。半径100mほどのパイプを時計の長針のようにして動かし、数メーター置きに開いた穴からスプリンクラーの要領で水を散布するのだ。パイプにはタイヤがついていて移動出来るが、しかし、どうやって移動させるのか?は分からなかった。これを使ってアイダホポテトを量産しているという。兎に角凄いスケールの農業だ。一面、芋畑ばかりだった。徐々に高度があがっていく。約1500mほどからは溶岩の平原と新庄樹林帯が続く。そしてその先ワイオミングには白い雪を頂いた山々が見え出した。SALT LAKEから約5時間で漸く目的地「イエローストーン国立公園」に到着、標高1900m。ここはアメリカ最初の国立公園だという。勿論「世界自然遺産」でもある。そしてここは火山帯のど真ん中、カルデラの中なのだ。岩肌の間から温泉が噴出し、そこに住む微生物の色で不思議な色の魔術を見せ、また間欠泉が勢いよく噴出し、観光客を楽しませる。その周囲には動物たちも多く、バッファローたちが草をはみ、エルフという中型の鹿や、熊、リス等もいるという。なんといっても見せ場は「オールド・フェイスフル間欠泉」の吹き上がりだろう。数時間置きに数メートルの高さに噴出するのは流石に凄い迫力だった。ニュージーランドでも見たがこちらのほうが規模も大きく感激ものだった。バッファローにも感激。今は子育ての時期らしく親子で暮らしている姿もあった。ホテルは「モーター・イン」所謂日本流には「モーテル」だった。ところが部屋は広くベッドが二つスペースも充分あったが、私の部屋は道路に面した角部屋で外の音、隣の部屋の水音が酷いのには参った。

イエローストーン

「J REPORT 2012 5月第5週号」
「リタイアメント・ノート 3年11ヶ月目」
「VOL。741.SINCE AUG.12TH 1983」
「旅暦38.アメリカ西部の旅
第一日目 5月18日(金曜日)  1?1
成田でいつものようにANAラウンジで「掻き揚げ蕎麦」を食べる。いつもながら美味い。そして午後4時のユナイテッドの便でサンフランシスコ経由「SALT LAKE CITY」に向かう。到着は現地時間18日午後3時(日本時間19日朝6時)だ。サンフランシスコの空港でトラブル発生。飛行機が出発しようとタクシーングしていたところ管制塔からの指示でまたゲートに戻ることになった。原因は小さなコンピュータの故障ということで部品を換えて1時間後に再出発ということになった。でも何事もなく無事到着した。サンフランシスコを飛び立つとSF市内と「ベイブリッジ」が見え、その先の「オークランド」上空を通過して行く。20分ほどすると頂が雪に覆われた山も眼下に見える。砂漠の中に奇妙なものがあった。約100m程の円形のもので、「真田の六文銭」のように並んでいる。緑色なので後で聞くと地下水を汲み上げて穀物を栽培しているという。やがてSALT LAKE CITYが見えてきた。郊外にはアメリカ特有のゴルフコースを囲むように立てられた一戸建ての家々が連なっているのも目にした。ホテルには4時半にチェックインしたが、もう25時間以上寝ていないので流石に眠たい。まだ夕食が残っている。寝てはいけない。頑張りましょう。今日は気温14度、ほぼ晴れ、湿度が低いから乾燥して喉がいがらっぽい。この町、周囲を山々に囲まれていて車で一時間程度に多数のスキー場があり、その雪質は乾燥したパウダースノーで最高だという。「冬季オリンピック」も開催された町だ。山にはまだ雪が残っている。さて午後8時を過ぎたが、未だ全くの昼間と同じ明るさだ。緯度が高く、北海道と同じだという。ご存知キリスト教の一派である「モルモン教」の町でもある。指が攣(つ)ってPASOCONを打てないから止めます。
少ししたら回復したので再開。ここユタ州は西部なのだろ、ネイティヴ・アメリカン所謂インディアンの人たちをあちこちで見掛ける。漸く午後9時、日の入りして薄暗くなった。日本との時差は15時間、今日本は19日の正午だ。私の時計は日本時間のまま。海外旅行の時はいつもそうしている。今回の場合は、日本時間プラス9時間の24時間前が現地時間になる訳だ。日本時間にしていないと日本へのメール等をする時に混乱してしまうためなのだ。慣れればこれでも問題ない。禁酒に再挑戦することにした。環境が変わった時がある意味チャンスだと思って挑戦する。

「東京タワーと富士山」

夕日が美しい。そして眼下の「東京タワー」がライトアップされた。遠く「富士山」のシルエットが見える。場所は先週ご紹介したレストラン「オレゴン バー&グリル」、汐留センタービル42階からの眺めだ。22日にオープンされる「東京スカイツリー」はテスト的なライトアップを行っていた。緑色、青色へと変化しながらスカイツリーが幻想的に闇に浮かび上がっていた。

「自転車は凶器」
これまでだったら「凶器?」と疑問符をつけていたのだが、今では疑問符は付かない。間違いなく「凶器そのもの」である。本当に歩道を歩くのが怖くなる。恐怖感を覚えながら歩く身になってもらいた。皆さんも歩行者であるならば必ず自転車に襲われかけたことがおありになるだろう。本当に怖い。全く無謀な運転をしながら「リンリン」とベルを鳴らして、鳴らしているほうならまだよいほうか、兎に角突進してくるのだから始末に負えない。これならば免許制にでもしないと仕方ないだろう。相模原市で歩道での自転車と歩行者の分離と一方通行が始まったそうだ。自転車先進国のヨーロッパは、日本と同じように道路も狭い。しかしそこには必ず自転車専用道路があり、歩行者と分離されている。ドイツなどは自転車専用道路内で歩行者との事故が起こってもそれは歩行者の責任だという。それなりに自転車もルールを守り、歩行者もルールを守るということが必要だ。日本ではとてもそんなことは出来そうにもない。恐ろしや日本の自転車。

「手前勝手世界食物語、第254話」

「石川亭」
日本橋高島屋で買い物をしたので、ちょっと歩いて「コレド室町」のレストラン街を初めて訪れた。フレンチの店で「石川亭」という店があったので入ってみた。小ぢんまりとした店で元々は埼玉で始めた店の東京進出店の2店目だという。コース料理は@3300円だったが、アラカルトにした。「美食家風サラダ」@1500円、「海介のフリッツ」@1500円、「茨城県産旨味豚のグリエ、焦がしバターのsauceグルノーブル風」@1800円、「自家製ライ麦パン」@200円、「鶏レバームース、カシス風味」@500円。豚のグリエは美味しかった。ボリュームもあり、この店はなかなかいけそうだ。最後に食べたレバームースは最高の味だった。好き嫌いのあるレバーペーストだが、間違いなく美味しい一品だったといえよう。リピーターになりそうな店でした。「コレド室町3F,TEL6225?2010」

「銀座東武ホテル内レストラン」
久し振りに家族で銀座松坂屋裏の「銀座東武ホテル」に行った。長男夫婦、長女夫婦と孫娘の栞、そして次男と。6時に蘭?オていたのだが、席はほぼ満席状態。やはり家族連れが多い。いつもは「ローストビーフ」が目玉なのだが、今日は「ブラジル料理のシェラスコ風ビーフ」がメインだった。ブラジルには私も行ったこともあり、また次男は2度に亘り約2ヶ月も行っていた経験もあるので、このシェラスコ期待していたが、今一つ物足りない味だった。あくまでブラジル風ということでスタイルだけ真似たものだった。皆さんが美味しいというカレーライスがなく、代わりに「ハヤシライス」があった。和洋中華がごったまぜに並んでいる料理を90分食べ放題で2900円は安いか?(飲み放題付きで4800円)
これからアメリカに発ちます。帰国は6月1日なので、ホームページの更新は2日になると思いますので宜しくお願い致します。勢古口が東京からお送りしました。

「古地図で歩む御門」

江戸城、或いは「千代田城」と言う城の阜コ関に当るのが「大手御門」(1)は、今の「三井物産ビル」の脇の交差点前にあった。そして永代通りを東に向うと最初の堀(日本橋川)の手前が「呉服橋御門」(2)となる。今もこの地名は残っている。そして日本橋川に沿って北上、反時計回りに次が「常盤橋御門」(3)、「神田橋御門」(4)、「一ツ橋御門」(5)、その一ツ橋御門の内側、即ち大手御門から反時計回りに行くと「平川御門」(6)となる。一ツ橋御門の更に先に「キシバシ御門」(7)、その内側に「竹橋御門」(8)、左回りに進み「清水御門」(9)、「田安御門」(10)と御三卿の屋敷前の御門がある。そして内堀の西側が「半蔵御門」(11)、南が「桜田御門」(12)、「日比谷御門」(13)、「数寄屋橋御門」(14)、「馬場先御門」(15)、「和田倉御門」(16)、「鍛冶橋御門」(17)、「和田倉御門」(18)で内堀を一周した。次は外堀に沿っている御門は東から今の浅草橋駅のところに「浅草御門」(19)、西へ向い「筋交御門」(20)、「小石川御門」(21)、「牛込御門」(22)、「市谷御門」(23)、(24)、南に下って「赤坂御門」(25)、「虎ノ御門」(26)、「幸橋御門」(27)、「山下御門」(28)となっている。この御門の古地図上の形は目の検査をする時に使う円形の一部が欠けているのを想像してもらいたい。そして円ではなく四角になっていてその一部が欠けている、というよりここが通路になっているのだろう。汐留の先「浜御殿」にも「御門」(29)があるのだが、その名前が書かれていない。「浜御門」とでもいうのだろうか?基本的に御門は堀や川の内側、江戸城側に築かれている。その名は今も地名として残されているのが多い。
話しは変わるが幕末の頃の江戸は約100万人、京都が約40万人、そして大坂が約35万人の住民がいたという。当時の全国の人口は恐らく2000万人強だから、やはりこの三つの都市は大都会だったといえよう。勿論江戸は武士が多い消費地だし、大坂は町人の町、京都は工芸の都だった。それにしても江戸は群を抜いている。当時世界一の大都会だったのだろう。

「茂林寺」

一昨年も行ったが、群馬県館林の手前の「茂林寺」に行ってみた。本当は「「芝桜」を観にいったのだが、残念ながら盛りを過ぎていたので観ないで帰ってきた。自宅から、都バス、半蔵門線経由東武伊勢崎線で約2時間強の電車の旅だった。驚いたが、「東武動物公園」から「中央林間」まで直通の急行があった。東武伊勢崎線、半蔵門船、東京田園都市線と乗り継いで行くのだから驚く。群馬県、埼玉県、東京都、神奈川県に跨る路線だ。ご存知の通り、茂林寺は「ぶんぶく茶釜」のお話しの舞台だ。門を入ると沢山の「たぬき」がコンクリートの台の上に立ち並んでいた。それなりに参拝客も多く、活況を呈していた。

「旅の友」
私は基本的に飛行機内では眠らない。勿論「時差対策」のためなのだが、そのために機内に「本」を持参して読み続けている。今回は「文庫本」10冊、「単行本」2冊の合計12冊を持って行く嵐閧セ。そのために荷物は重くなるが仕方ない。

2012年の映画のお話し
「私の今年の映画の評価は」
今年の★★★★★ 「ヘルプ」「わが母の記」
今年の★★★★  「ロボジー」「麒麟の翼」「ドラゴンタトゥーの女」「ポエトリー」「ピラミッド」「シャレード」         「PINA」「エル・ブリ」「マーガレット・サッチャー」「マリリン 7日間の恋」「スターウォーズ EPISODE1」「アーティスト」「ジョン・カーター」「裏切りのサーカス」

映画「キラー・エリート」(ユナイテッドシネ豊洲にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年90作目)
オマーンの首長に捉えられた友人を救うために、元SAS(世界最強のイギリスの特殊部隊)の隊員3人を事故に見せかけて殺すように依頼された男がその目的のために次々と殺人を犯すというもの。

歌舞伎観劇「5月大歌舞伎」(新橋演舞場にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年3回目)
演目は「西郷と豚姫」、「紅葉狩」、「女殺油地獄」の3幕。女殺油地獄は近松門左衛門の作品で何度も観ているが流石素晴らしい作品だった。

映画「レンタネコ」(銀座テアトルシネマにて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年91作目)
なんとも不思議な映画だ。主人公は20歳代の独身女性。一緒に暮らしているのは多数の「ネコ」たち。それをリヤカーに乗せて「レンタネコ」と呼びかけながら借り手を捜している。心の穴をネコが塞ぐという。オムニバス形式で借り手との物語が進む。

映画「幸せの教室」(ユナイテッドシネマ豊洲にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年92作目)
「トム・ハンクス」が脚本、主演、監督を務めた映画。高卒のスーパーで働く男性がリストラされる。そこで一念発起して大学へ通い始め、そこで一人の女性教師と知り合いになるという物語。ハートフル・コメディーか。

映画「貞子3D」(ヒューマントラストシネマ有楽町にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年93作目)
ホラー映画。ネット上で「呪いの動画」というのを観た人が次々と自殺をする。それを一人の女性教師が打ち破って行くというもの。「リング」シリーズ最新版だという。

映画「タクシードライバー」(日比谷みゆき座にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年94作目)
古い作品だ。主演は「ロバート・デニーロ」。先日観た「キラーエリート」にも出演しているが、若い若い頃の映画だ。ニューヨークでタクシードライバーをしている青年の物語。若き日のデニーロの肉体美も驚きだった。

「シノプスシ175」
「跡継ぎの胤」(鈴木 英治 著)双葉文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年132冊目)「口入屋用心棒」シリーズ20作目
「闇隠れの刃」(鈴木 英治 著)双葉文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年133冊目)「口入屋用心棒」シリーズ21作目
「包丁人の首」(鈴木 英治 著)双葉文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年134冊目)「口入屋用心棒」シリーズ22作目
沼里藩の藩主と弟を助けながら、剣の腕を磨く「湯瀬直之進」を尾張柳生流の達人が襲う。

「てっぺん」(井川 香四郎 著)祥伝社文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年135冊目)「幕末繁盛記」シリーズ1作目
新シリーズだ。四国の別子銅山で働いていた「鉄次郎」は訳あって山を追われ、大坂にやってくる。そこで思わぬことに材木問屋の主に指名されてしまう。目指すは山の頂、てっぺんだ。

「侍の娘」(稲葉 稔 著)徳間文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年136冊目)「さばけ医龍安江戸日記」シリーズ1作目
医師でもあるが剣の道にも通じている龍安のところに往診の依頼があった。そこで会った武士と娘。彼等はある旗本一家から追われていたのだった。それを救う龍安。

「おそろし」(宮部 みゆき 著)角川文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年137冊目)「三島屋変調百物語事始」シリーズ1作目
江戸中から集められた不思議な話しを綴る「百物語」。

「がんこ煙管」(岡本 さとる 著)祥伝社文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年138冊目)「取次屋栄三」シリーズ2作目
「若の恋」(岡本 さとる 著)祥伝社文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年139冊目)「取次屋栄三」シリーズ3作目
秋月栄三郎は寺子屋と剣道道場を営む傍ら「取次屋」という仕事を請け負っていた。何でも屋、便利屋、今で言う探偵みたいなものだ。

神に召された人

「J REPORT 2012 5月第4週号」
「リタイアメント・ノート 3年目11ケ月目」 「VOL.740 SINCE AUG. 12th、1983」
「夏場所」
「両国」に大相撲がやって来た。ところが客足が一向に伸びず、最低を記録しているらしい。話題と言えば「史上最多6大関」、「新大関」といったものなのだろうが、肝心の場所自体活気を帯びていない。横綱が初日から負けたり、大関陣はぱっとしないし、まあ盛り上がりに欠けている。こんなことならばファンの眼は大相撲から離れてしまうだろう。この際、やはり大改革をするしかないのではなかろうか?まず最初にやることは理事長を替えることだと思うが如何か?

「金環日食」
21日の金環日食を観る前に日本を発つわけだから、残念といえば残念だが、実は私は「1988年8月にイタリアはベニス」でこの「金環日食」に遭遇したことがあった。そんなことが起きるとは全く卵zもしていなかったから驚いた。船でベニスに向う途中から太陽が欠け出し、ベニスに到着した時が正に丁度金環日食となった時刻だった。現地の人たちは何も驚いてもおらず、私は太陽を直接見ることはなく、手の親指と人差し指で輪を作ると太陽の光が地面で輪を結ぶのだ。直接見なくても地上の光を追えば太陽の形が分かることを知った。数分後太陽は元の形に戻った。いやはや歴史的事象に遭遇したのでした。

「神に召されたH氏」
「ペトロ」というクリスチャンネームを持つ私の元の上司H氏が65歳で亡くなった。早過ぎる死だった。通夜の場所は「保土ヶ谷カトリック教会」だった。カトリックの通夜には初めて出席した。賛美歌が厳かに流れる。神父様の言葉が続く。20年も前に大腸がんで入院手術していた彼を大阪の病院に見舞った時のことを思い出す。昨年夏に再発し転移してしまったとのことだった。亡くなったその日、家族に見守られ自宅で神父様の秘蹟を受けられ「ありがとうございました」と言って神の元に召されたという。カャ潟bク教徒として立派に生きてそして死んだ。短い人生だったが悔いはなかったという。「アーメン」