第12日目

第12日目 5月29日(火曜日) 3?4
朝、午前4時、昨晩は旅の疲れから午後8時には眠りに着いた。結果、早朝から目覚めて起き出し、部屋から庭に出てみると空には「満天の星」があった。北斗七星を見つけ、「北極星」を見つけると、その左側、北北東のところから南の空に「天の川」が流れていた。大学4年の夏合宿の「伊豆修善寺競輪学校」、そして数年前の「中国九塞溝」以来の「天の川」だ。実に太く大きく優雅に流れている。まるで本物の川のようだ。「天空の芸術」に時を忘れる。
朝8時からカリフォルニアの砂漠を西に渡り、「シェラネバ山脈」の最高峰「Mr.ホイットニー」の麓を北上し、そこから山脈を西に横断して最終目的地の「ヨセミテ国立公園」に入った。その日はマリポサグロブの「ジャイアント・セコイヤ」の巨木を見学した。確かニュージーランドのクライストチャーチ郊外にこのセコイヤの森があるが、外来種を嫌うNZ政府が検討した結果、生育の早いこの品種を導入して森を作ることにしたという話しを現地NZで聞いた記憶が蘇って来た。帰り道に「リス」を見つけたので追いかけていたら何か音がする。「コツ、コツ。コツ」とリズミカルな音だ。観ているとなんと「啄木鳥(きつつき)」がいるではないか。赤い頭をして木を嘴で突いている。これは珍しいと見入っていると仲間の人たちもやってきたので教える。貴重な経験だった。更にバス停付近では鹿4頭も発見した。ヨセミテの森も動物たちの宝庫だ。明日はいよいよ本格的な「ヨセミテ探検」だ。何が見つかるやら楽しみだ。漸くこの田舎町「オークハースト」で携帯電話が繋がった。ラスベガス以来丸二日ぶりだ。驚いたことにヨセミテには「ゴルフ場」があった。自動車が出来る前にはここまで馬車でやってきて避暑をし、ゴルフを楽しんでいた金持ち連中がいたという。恐ろしいところだ。多分ゴールドラッシュで一山当てた人たちの遊び場だったのだろう?
第13日目 5月30日(水曜日)
今朝も早くから出発して「ヨセミテ公園」内の「グレーシャー・ポイント」に向かう。その名の通り嘗ての「氷河」の跡を眼下に見下ろせる場所だ。左に「ヨセミテ滝」、右に「ネバタ滝」、その中央に氷河が削り取った平地が広がっている。雄大な光景に圧倒される。今朝は鹿6頭、内1頭は雄の角のある鹿、リス3匹、「カリフォルニア・コンドル」1羽を見ることができた。この辺りも天候不順で雪が少なく水が不足していて、夏の終わりには滝は枯渇してしまうという。自然の力には勝てないと思い知らされた一日だった。だが旅の最後の国立公園は自然に囲まれた正にアメリカの象徴のような場所でした。長いようで短い15日間の旅も終わりだ。漸くサンフランシスコに到着し、明日は帰国するばかりだ。
第14日目15日目 5月31(木曜日) 第15日目 6月1日(金曜日)
サンフランシスコから空路帰国します。総括編は後日改めてお送りします。日本到着は日にちが変わって6月1日午後2時の嵐閧ナす。長い旅でしたが、感動の旅でした。

食事

5月26日
朝は定番の「アメリカン・ブレックファースト」、昼は「チキンの照り焼き、バーベキュー風」、夜はビュッフェスタイルの食べ放題で、それこそ何でもありました。「牛の煮込み」「チキン・ャeー」「豚のバーベキュー風味」「白身魚のャeー」、サラダ類、パスタ、ご飯、ポテト、その他多数ありました。兎に角混んでいて、行列して約30分ほど待ってから漸く食事が出来た。
5月27日
朝は昨晩同様の混み具合だった。バイキング形式だが美味そうなものは殆どなかった。ドイツ人、フランス人の観光客に混じって慌てて食べたという感じだった。昼は「ハンバーガー」、夜はラスベガスのホテルでこれまた長蛇の列に並んでのバイキング。お目当ての「ローストビーフ」も行列で諦めた。焼きたてのピザを食べたのが救いか。
5月28日
朝はバイキング、昼は「鮭弁当」、夜はホテルで「チキンの半分の照り焼き」と「サラダ」「ベイクド・ポテト」「温野菜」だった。他の客は皆ステーキを食べていたが、ツアーだから安い鶏肉の足でした。
ここのところ、すっかり「一日一快食」から離れてしまっている。どうしても惰性に流されて毎食少しだが食べてしまっている。明日からもう一度気分を入れなおして「一日一快食」に再挑戦します。宜しくね。
5月29日
朝食は「一日一快食」に戻すべく、「ヨーグルト」「バナナ」「コーヒー」で済ます。旅行中に元に戻しておかないと大失敗(リバウンド)してしまいそうで恐怖に駆られてしまう。昼はメキシコ料理の「トルティーヤ」。これはとうもろこしの粉に野菜を挟んだメキシコ風サンドイッチだ。包んであるとうもろこしの皮が赤いのでちょっと驚く。夜は日本料理だということだったが、何か「白身魚のフライ(タラの塩干ししたものを戻してフライにしたのか?)」をメインとしたもので、細く切ったツナの刺身とサラダと漬物にご飯だった。それでも「OKA」という名の日本レストランには地元民が沢山訪れていて刺身などを食べていた。この店、日本人の経営なのか?或いは働いている人は中国人か韓国人のようだったが、理解に苦しむ和食レストランでした。
5月30日
朝は果物とヨーグルトにコーヒー。昼は定食みたいなひき肉の固まり。夜はサンフランシスコで中華料理。「春巻き、餃子、エビマヨ、酢豚、スープ、焼きャo、焼き飯」等等、不味い中華でした。エビマヨが出たのには驚いた。あとはホテルでの朝食と機内食2食で帰国します。今日は最後にビール2杯飲みました。旅行中最初で最後のビールでした。お疲れ様でした。
以上、勢古口がアメリカはサンフランシスコから15日間の旅を締めくくりました。

第11日目

第11日目 5月28日(月曜日)  3?3
ところで今回のツアーも終盤戦だが、本当に「女性のパワー」には感服させられる。ツアーメンバー24名のうち、女性単独客6名、男性単独客2名(含む私一名)、夫婦7組、母娘1組の告ャだ。圧倒的に女性陣が多い。これはどのツアーも同じようなもので、今や日本女性は世界を闊歩しているといっても過言ではない。女性は長生きし、旅行や食事でエンジョイし、正にフルパワーを発揮しているのだ。さて、ラスベガスでは当然ながら「ギャンブル」は全くしなかった。現在のラスベガスでの配当率は95%だと言われているらしい。それでもやり続ければ、限りなくゼロになっていくので必ず勝利するのはホテル側だというのは火を見るよりも明らかだ。「勝てない勝負はしない」のが持論でギャンブルはやらない。そろそろ疲れもピークになりつつある。眠たい。今日はゆっくりの10時出発で「デス・バレー」に行く。その名の通り「死の谷」だからどんなところなのだろうか。途中「ワイナリー」に立ち寄り、12日振りにアルコールの洗礼を受けた。ワインのテイスティングだから勿論量を飲む訳ではないが、久々のアルコールに身体が震えた。なかなか美味しいワインで「白」「ロゼ」「赤」共に少量だったが楽しめた。その後、塩で完全に固まった湖「ブラック・ウォーター」で塩の上を歩き、少々塩を舐めて見た。ちょっと風味のある塩味だった。夕方4時半にはホテル到着。砂漠の中なのに「ゴルフ・コース」もあり、夜には「コヨーテ」も出てくると言う。遭遇に期待したい。今日は一日中「砂漠」の中を走っていた。気温40度の世界だった。この辺りは元々は「インディアン」の土地であり、その後「メキシコ」の領土となったものを、「アメリカ合衆国」が戦争で奪い取った土地だ。西部の大半はそうやって得た土地だという。まあ、18世紀から19世紀、敢えて言えば20世紀初頭まで「帝国主義」がまかり通っていた時代の産物がここあちこちに残されているのが現代という訳だ。一部の土地は「インディアン・リザベーション」としてインディアンたちに返されているが、元々不要になった土地を返還したに過ぎないということを一番知っているのがアメリカの人たちなのだろう。ここ「デス・バレー」もインディアン居留地の一部を国が借りて国立公園としているらしい。部屋の外の庭を「鳩」と「カラス」が歩いていた。あとで分かったが、カラスと思われていたのは違う鳥「なんとか?もどき」だった。残念ながら「コヨーテ」には会えませんでした。カリフォルニアに来てGASOLINE価格がユタ州より高いのに気が付いた。どうしてなのか?不思議でした。

第10日目

第10日目 5月27日(日曜日)  3?2
今朝も早起きして「日の出鑑賞」に出掛ける。ここ「ブライス・キャニオン」も奇岩奇石が立ち並ぶ国立公園だ。6時20分頃に朝日が昇った。その後、「ザイオン国立公園」に移動して、フリーシャトルバスで「ヴァージン・リバー」沿いに上流まで遡りその周辺を探索した。「リス」を発見して追い掛けていたら、バスが発車してしまいそうになり、慌てて駈け戻った。「ザイオン」は年間300万人の観光客が来る人気スポットらしい。さて「メモリアル・デイ」の三連休の真ん中の日曜日とあって家族連れが多く、道路は渋滞気味だった。アメリカに来て驚いたことがいくつかある。まず「選挙権」だ。国民の半分程度が選挙権を取得していないという。というよりも選挙権取得のための瑞ソ・登録をしていないから選挙権がないというのだ。これは日本と大きく違う点だ。だから現地ガイドの方は、共和党のロムニー候補に対して今回の大統領選挙は現職のオバマ大統領が勝つといっていた。次に驚いたことは、田舎を走っていてもちょっとした街には必ずといっていいほどに「ウォル・マート」のショッピングセンターがあること。それも全ての規格が同じで全ての店舗が同じ国「様式で出来ていることだった。商品の配置も殆ど一緒だった。勿論トイレの場所も一緒だ。「ウォル・マート」は日本では「西武百貨店」「そごう百貨店」「西友」を傘下に収めているが、今はそれほど影響力を日本市場に持っているとは思えないが、今後はどうなるのだろうか?それとどこに行っても「マクドナルド」と「サブウェイ」があることだ。アメリカ人がこれほど均一的な事柄を好むとは思いも知らなかった。まあ、日本人も同じか。もう一つ、「日本車」の数の多さだ。日本の自動車メーカーが北米市場を睨み、開発してきたコンセプトが「品質の良さ」「燃費効率の良さ」だったのだろうが、これはGASOLINEを使用する北米市場だからであって、欧州は「エンジンの小型化」「ターボチャージャーの装備」そして「ディーゼル・エンジン」により燃費効率を図ってきたという。この点、市場の狙いが欧州メーカーと日本メーカーとは大きく違っているということだ。果たしてこれが世界戦略にどう反映してくるのだろうか?興味深い点だ。(注:キャリフォルニアに入ったらレギュラーGASよりディーゼルのほうが若干安かった) 夕方「ラスベガス」に入った。泊まったホテルは「サーカス・サーカス」といって古いホテルで設備も悪い。街に出て無料のショーを楽しんだが、凄い人の数だ。皆、買い物もギャンブルのせずただそぞろ歩いているだけ。」さて我々は一人7ドルの24時間有効パスを買って、公共のバスに乗ったが大渋滞で殆ど進まないのには参った。「ミラージュ」の「火山のショー」、「トレジャーアイランド」の「海賊ショー」、「べラージオ」の「噴水ショー」など定番を観た。10年前に仕事で来た時となんだかそれこそ時が止まってしまっているような錯覚を覚えるほど寂れているラスベガスだった。「カジノ」も日曜日の夜なのに余り活気がなかった。スロットマシーンはがらがら、その他のゲームも人影少ない。建築中でそのまま放置されたホテルや空き地が目立つ。「リーマン・ショック」から立ち直れていないようで不況が続いているという。さて私自身はギャンブルはやらないので、すぐに寝ることにした。ところが寝ようと思ったら乾燥しているこの地域の影響か?身体中が痒くなり大変な思いをした。特に露出していた足首のところは酷い状況だ。さて、ウォルマートで孫娘用のお土産に「涎掛け」を買い求めた。6月からは地元の「保育園」に行くというまだ6ヵ月半の孫娘。多分人見知りして毎日泣いて暮らすのだろうかと思うと心が痛む。涎掛けは可愛らしいのがあったので衝動的に買い求めてしまった。ブラジルはポルトアレグレでいつもおわせになっている「和田さん」からグループの方々に私の今回の旅の応援メッセージを頂いて感謝、感謝。もう少し頑張って旅を続けます。

そして、ヨセミテ

そして、ヨセミテ 過去の随筆一覧

2012/05/31
「J  REPORT 2?12 6月第1週号」
「リタイアメント・ノート 4年1ヶ月目」、
「VOL。743.SINCE AUG.12th、1983」
「旅暦38、アメリカ西部の旅 その3 そして、ヨセミテ」
第九日目 5月26日(土曜日)  3?1
朝、4時半。まだ夜明け前、非常に冷える。観光スポットから「日の出」を眺めるために1時間も待つ。漸く太陽が顔を出す。なかなか感動的な瞬間に皆のカメラのシャッターを切る音が鳴り響く。兎に角寒い。ダウンコートの上からも寒さが染み込む。朝食後、またまた昨日を同じように「鹿(エルク)」に遭遇する。さて、グランド・キャニオンを出るまでに交通事故を目撃。被害者?は「エルク(中型の鹿)」、加害者は「人間の運転する車」だった。ボンネットが凹んでいて、レンジャーの車が二台出て処理に当たっていた。こんなところでも交通事故があるとは驚きだ。話しは変わるがアメリカの「バス」はヨーロッパと違って、出入り口が前方運転席横一箇所しかない。ヨーロッパのバスはたいてい中ほどにも出入り口がある。なぜなのか?不思議だ。日本もアメリカと一緒だ。アリゾナ州からまたまたユタ州に入る。南から北に移っただけなのに時差がある。というのはアリゾナだけは「サマータイム」を使用していないからだ。「グレン・キャニオン・ダム」による全米第二位の人造湖「レイク・パウエル」、そして年間降雨量約100mmの雨が突然濁流となって砂漠を走り、それが岩にあたり砕け散り、更に風化して数万年が経過した不思議な岩の間の回廊「アンテンロープ・キャニオン」を観る。このあたりの景色はどこも見ても赤茶けた砂岩の砂漠が続くだけ。途中、2度ばかり「つむじ風」が吹くのを見た。漸く「ブライス・キャニオン」へ到着。高度2200m辺りは緑の牧場もあるが、西部は基本的にはどこへ行っても同じ光景が続く。朝、早かったので眠たい。明日の朝もまた「日の出鑑賞」だという。参った。アメリカは月曜日が「メモリアル・デイ」で三連休となるため、どこの観光地も非常に混んでいるという。我々も食事するにも大行列で漸く飯にありつけました。

食事

5月22日
朝はヨーグルトとバナナとココア。昼は「鮭弁当」、夜は「サーモンのャeー」でした。ツアー飯は不味いです。もうちょっとましな物を食べたいのが本音です。
5月23日
朝食はいつも通りヨーグルトとコーヒー、牛乳にりんご一つ。昼食は中華料理、麻婆豆腐と餃子、春巻き一つづつ。夜は「バーベキュー・リブ」が出た。これはそれなりに美味しく完食した。手を油でべとべとにしながら、リブを食べるのは気持ちがいい。
5月24日
朝はバナナとオレンジジュースにコーヒー。昼は「ナバホ料理」ということで「メキシコ料理のタコス」のようなものが出てきて、上に乗っている具材は「豆、トマト、レタス」に辛いたれが掛けてあった。夜は「チキン・ポット・パイ」というキチングラタンをパイ生地で包んで焼いたものを食べた。
5月25日
朝は「アメリカンブレックファースト」といういわば定食だった。「スクランブル・エッグ」「ベーコンかメ[セージのチョイス」「ポテトかご飯かパンのチョイス」にデザート、飲み物という具合。久々に朝食を食べてしまった。昼も同じ場所で「スパゲティ・ミートメ[ス」を食べ、夕食は「ハム・ステーキ」を食べた。キャフェテリアなので学食かスキー場の食堂のような感じだった。
以上、アメリカ西部の旅も残すところわずかとなってきました。続報をお楽しみにしていてください。勢古口がお送りしました。

第八日目

第八日目 5月25日(金曜日) 2?4
早朝、6時。「早起きは三文の徳」とはよく言ったもので、ホテルの2階の窓から何気なく外を見ると木陰から「鹿」が2頭現れた。ゆっくり歩きながら草を食んでいる。チャンス到来とばかり部屋から数枚の写真を撮ったあと、慌てて外に行くと正に目の前、3mほどをゆっくりと歩む鹿と遭遇してしまった。別の外人男性も慌ててカメラ片手に現れる。鹿は我々の目の前を通過しながら駐車場のほうへと歩み去った。体長1.5mほどの鹿は、「奈良の鹿」のように人懐っこくはないが、決して人を恐れてはいない。自然に溶け込んでいて、人間我関せずといった感じだった。
ここは全米でも屈指の観光地で年間450万人の人が訪れるという。やはり欧州からの人が多いようだ。アジア系では日本人は我々とほんの少し、あとは中国人が少しいただけだった。今日は動物デイかも?朝の鹿に続いて、昼には「ブルー・ジェイ」という青い鳥を撮影、更に小さな小鳥も発見し撮影。この小鳥は人懐っこい鳥で人を恐れずに近寄って来た。勿論、リスは2度見かけた。「グランド・キャニオン」を走る「無料巡回バス」を利用してあちらこちらの観光スポットを巡り、その雄大さを堪狽オた。眼下、約1500mほどを流れる「コロラド川」、この水がこの景色を永い年月を掛けて作り出してきたのだった。相変わらず携帯電話が不通、圏外のままだ。現地の人たちが使っているアメリカ製の携帯は繋がるようだが、日本から持ってきた携帯は「AT&T」の回線を利用しているのだが、全く繋がらない。SALT KAKE CITYでのみ繋がった。だからラスベガスに着くまでは無理なのだろうか?本当に参った。インターネットもグランドキャニオンではホテルの食堂でのみ通じるのでわざわざPASOCONを持参してネットに接続している。早く便利な都会に行きたいです。さて、明日は「朝日鑑賞」だ。4時20分ホテル出発で日の出を観に行く嵐閧ナす。

第七日目

第七日目 5月24日(木曜日)  2?3
いよいよ長旅も半分を過ぎようとしている。そろそろ旅の疲れも出てきており、身体がしゃきっとしない。「一日一快食」「禁酒」と頑張っている。頬が少しこけて来た。といって油断すると直ぐに太るから困る。今日は「ナバホ族の居留地」内にある有名な場所第八番目の観光ポイント「モニュメント・ヴァレー」に行く。ここは正に西部劇に出てくる場面そのものなのだ。奇妙な形をした砂岩が地上に突き出しているところをカウボートとインディアン、あるいは騎兵隊が走り抜けていくシーンを思い出してもらいたい。あの「ジョン・フォード監督」が好んだという場所もある。広大な西部、そしてそこに聳える奇岩、今にも「ジョン・ウェイン」が颯爽と馬に乗って、やってきそうな場所だ。昼食後には映画「駅馬車」のロケ地にも行った。空は澄み切った青空だった。その後第九番目の「グランド・キャニオン国立公園」へと向かう。ここは知らない人はいないから、紹介記事はどうでもいい。私自身は10年前に訪れたことがある。ラスベガスへ出張の折、時間を割いて一人で訪れた。今回は明日一日たっぷりとグランド・キャニオンを堪狽オてみるつもりだ。夕方、「夕日鑑賞」に出掛ける。なかなか感動的な光景だった。勿論、綺麗な写真も撮れました。空には星が瞬いていて新月の月も美しかった。

第六日目

第六日目 5月23日(水曜日) 2?2
「西部は田舎だ」。これに尽きるといった感じだ。逆に言えば「古き良きアメリカ」が残っているというべきなのだろう。通信事情が極端に悪い。インターネットはホテルから出来るのだが、携帯電話が町を離れると「圏外」と侮ヲされ通話通信全て不可狽ニなる。折角「海外ポケ放題」で「AT&T」に垂オ込んであるが、圏外になるからどうしようもない。まあ、考えてみればそれも当たり前かも知れない。日本の26倍の国土があるのだから、日本みたいに山岳遭難者でも携帯で救われるという訳にはいかないのだろう。それにしても困った。国立公園内は殆ど通話不狽セ。話しは変わるが、アメリカには軍隊が4軍ある。「アーミー」「ネイビー」「エアフォース」「マリーン」だ。それ以外にも「州兵」がいる。これは日本の自衛隊のようなもので「災害派遣」「俣ョ対策」等内向きな活動で濫 ???ノ編入されていて、「すわ鎌倉」という時には軍隊に召集されるらしい。不思議なのはGASOLINE価格だ。レギュラーが大体ガロン$3.7程度で、ディーゼルが10%近く高いのだ。日本や欧州ではディーゼルのほうが安い。聞いてみると税制の違いのようで製造コストはディーゼルのほうが高いらしいから、それを基準にした自由価格だという。米国はガロン単位の価格だから、リッターに直すとほぼ1ドル/Lとなる。西部では車は圧倒的に「日本車」が多い。ある駐車場では8割が日本車だった。トヨタ、ホンダ、日産、マツダ、三菱と多種多用だが、やはりトヨタとホンダが群を抜いていた。北米の自動車ディーラーは「現品在庫販売」だそうで、だから震災やタイの洪水で在庫がなくなった日本メーカーの販売が不振になった訳だ。日本のように注文生産ではなく、見込み生産してそれを現物で買うのが米国式らしい。さて中西部の「穀倉地帯」は実は水が殆どない地区なのだ。そこで川からの灌漑は勿論だが、砂漠地帯ではもう60年も前から「井戸水」が汲み上げられて灌漑用水として使用されてきていた。実は砂漠には雨は殆ど降らないから、この井戸水の水源は「化石水」といって大昔に地下水脈に溜まったものだという。推定ではあと20年ほどでなくなってしまうという。大水流を誇っていた「コロラド川」も水量は半分ほどになっているという。このままではアメリカの農業は大打撃をこうむる可柏ォもある。未来は決して明るくない。更に今話題の「シェールガス」の発掘には「大量の水」が必要だ。果たして人類の文明を支えてきた「水」は足りるのだろうか?「否、絶対に不足する」。
今日は第六番目の「メサ・ヴェルデ国立公園」に行く。スペイン語で「緑の丘」という意味で真平らな丘の数百メートル下に削り取られた谷間が広がっている場所で、先住民族たちが1000年以上前に住んでいた住居跡が岩場に掘られて残されていた。丘の上で耕作をし、崖の中腹の土手に穴を開けて住居として暮らしていたらしいが、その後彼らの行方は不明だという。子孫は多分インディアンだろう。その後インディアンである「ナバホ族」の居留地に向かう。そこに第七番目の観光ポイントの「フォー・コーナーズ」という場所がある。4つの州の境界線が一つに交わる点がそれだ。「ユタ」「コロラド」「ニューメキシコ」そして「アリゾナ」の4州が一点で重なっているのだ。この日は強風で「砂嵐」状態だった。アリゾナの「カイエンタ」というナバホ居留地内の町に入るまでは100m先も見えない位の状態だった。正に砂漠の世界だった。この地区の土は「砂岩」で非常に脆いので風化し易い。砂岩は東京日比谷の「帝国ホテル」の外壁に使われているので思い出して欲しいが、赤茶けた色の岩だ。だから砂漠の中に大きな山がところどころ残されている西部劇特有の風景を醸し出しているのだが、これらは皆砂岩が風化したあとという訳だ。

グランド・キャニオン

「J  REPORT 2?12 5月第5週号、その2」
「リタイアメント・ノート 3年11ヶ月目」
「VOL。742.SINCE AUG.12th、1983」
「旅暦38、アメリカ西部の旅 その2」
第五日目 5月22日(火曜日) 2?1
旅もいよいよ中盤戦に入る。今日は、三番目の「デッドホーススポット州立公園」、四番目の「キャニオンランズ国立公園」、そして五番目の「アーチーズ国立公園」を訪れた。一路、SALT LAKEから南下する。知らなかったが「アムウエイ」はモルモン教徒が母体だという。ケント・デリカット、ケント・ギルバート両名ともモルモン教の宣教師として日本を訪れたという。高速道路を走ると「EXIT 何番」という印がある。これは州間高速道路の出口を州境からマイルで侮ヲしているという。だから自分が降りたい出口のナンバーを知っていれば、今から何分で到着できるかが卵ェ出来るのだそうだ。大体普通の車は1マイルを1分、即ち時速約100kmで走っているからそういう計算が成り立つらしい。「国道15号線」を走っていると鉄道の線路が平行して走っている。そこを長い貨物列車が走っていく。ディーゼル車が前後と中間にも繋がれていて貨車を引っ張っていた。ご存知の通りアメリカの踏み切りでは一旦停止はしない。遮断機や警報がなっていない限り車は皆止まらずに通過してしまう。合理的といえば合理的だ(追伸:やはりトラックとバスは一時停止の義務あり)。さてSALT LAKE郊外では200坪の土地と家で約1000万円程度で購入出来るという。またこの地方には殆ど黒人は住んでいないという。よく考えてみればアメリカは歴史がない国だから、あるものといえば「自然」しかない訳だ。今日の観光地は皆、「砂岩」で出来た地層が長い年月の間に風化作用によって削り取られ、奇妙な姿の石や穴が開いた岩や切り取られた渓谷が出来ており、正に自然の造形力の凄さに感動させられた。今日は暑かった。真っ赤に日焼けしてしまった。但し長袖だったので顔だけが真っ赤です。今日の収穫は昼飯時、目の前を駆け抜ける動くものを発見し追いかけたところ、小型の野ねずみの一種だった。写真撮影にも成功。更にアーチーズ公園では「イーグル」が空を舞うのにも撮影成功しました。どうやら「禁酒」にも慣れてきて飲まずにぐっすりと眠れるようになった。逆に寝たりなくて昼間バスの中で眠くて仕方がない。あちら立てばこちら立たず、困ったものです。さて、クイズです。世界の人たちが「これはアメリカだ、と思うものは何ですか?三つ上げなさい」。答えは「コカ・コーラ」「ジーンズ」「ロックンロール」だそうです。「平均的アメリカ人が訪れたい場所を三つあげなさい」では「ディズニーランド」「自由の女神像」「グランド・キャニオン」だそうです。これはニューヨークタイムズ紙からだそうです。