「キューバの旅」

「J  REPORT 2016 2月第3週」
「リタイアメント・ノート 7年8ヶ月目」、
「VOL。937 SINCE AUG.12th、1983」
ご意見ご要望等が御座いましたら、こちらへメールください。  sekoguti@aa.e-mansion.com

「旅暦64、キューバの旅」
第一日目、2月4日(木曜日)
羽田のANAラウンジでいつものように「かき揚げ蕎麦」を食べる。(写真1:ANAラウンジにて)

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勿論ワインを飲みながらだ。エア・カナダ機でトロントに向かう。今回はプレミアム・エコノミ席にした。余り寝心地はよくないが、それでもエコノミー席よりはましだろう。かなり眠れた。12時間後、トロント上空、地上に雪は全くない。遠くにダウンタウンが見え、NCタワーも見えた。(写真2:トロント上空にて)気温3度。
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トロントからキューバの首都「ハバナ」へ。気温20度だが、意外に涼しいのに驚く。時差ボケで困る。実はトロントで本来のエコノミーの席からビジネスクラスに航空会社が親切にも変えてくれた。エコノミーだと食事もお酒も有料だというが、ビジネスはフリーだ。助かりました。3時間半の旅でした。

第2日目、2月5日(金曜日)
今日は一日中「ハバナ観光」だ。最初に訪れたのが、「ハバナ・クラブ」という「ラム酒」の博物館だ。勿論、このブランド名「ハバナ・クラブ」が最もよいラム酒だ。(写真3:ハバナ・クラブ)

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1495年のコロンブスのアメリカ発見に伴い、スペインがこのキューバを植民地として、コロンブスによってカナリア諸島から「砂糖キビ」が持ち込まれ、砂糖キビ農場が誕生した。現地住民はスペインとの戦いや彼らが持ち込んだ疫病によりほぼ全滅したために、アフリカより奴隷を連れて来て砂糖キビ畑で働かせたという。ジオラマ式の当時の砂糖キビ工場の模型があった。当時スペイン本国より早くキューバでは鉄道が敷設されたという。(写真4:工場模型)
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奴隷は動物並で人間とは思われていなかったし、動物と同じ扱いを受けていた。勿論売買の対象として。そして重労働を課せられた。(写真5:奴隷たち)
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昨年9月のアメリカ南部の旅でも聞いたが、白人と黒人の混血を「ムラノ」と呼ぶ。一部のムラノは解放奴隷となることもあったようだ。さて奴隷たちの手で刈り取られた砂糖キビは工場で液体砂糖になる。その液体を発酵させてラムの原酒が出来る。その状態ではアルコール度数は6度。そこから蒸留を3度繰り返し、85度まで高める。それを濾していよいよラム酒の完成だ。アメリカからボトリングの機械も輸入されていたという。(写真6:ボトル詰め機械)
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10年物以上のラム酒は一壜10数万円以上の価値があるという。貴重品だ。
ハバナの街は古い「歴史地区」と「新市街地」に大別されるが、街の運河を挟んだ反対側に「モロ要塞」がある。ここは1596年に造られた。スペインは南米各地で集めた黄金等の宝物をまずここハバナに集め、そこからスペイン本国に送ったという。いわば中継基地として重要な地だったのだ。従って海賊たちが多数襲ってきたので城砦が必要なのだ。そしてここを英国が襲う。3か月の戦いにより、モロ要塞の一部は完全に破壊される。それにしても本日の大西洋は荒れている。凄まじい波が押し寄せて来る。風も強いから寒い。写真は破壊された城壁の一部が欠けた部分だ。(写真7:モロ要塞)
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(写真8:モロ要塞の欠けた部分)
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そして11か月による戦いでハバナは英国の手に落ちた。スペインはハバナ、一都市とフロリダ半島全体との交換を英国に示すことで、ハバナを取り戻すことが出来た。それほどハバナはスペインにとって重要な拠点だった訳だ。(写真9:モロ要塞より眺める新市街地)
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キューバには2度の革命の歴史がある。最初がスペインからの独立で1868年からの10年間の独立戦争だ。その後アメリカに支配され、再び革命が起きたのは1959年で、フィデロ・カストロやチェ・ゲバラらが活躍した時のものだ。その後は皆さまもご存知の通りのアメリカからの経済封鎖で疲弊したキューバの現状だ。漸くアメリカとの間の関係も緩みつつあるが、未だ航空機の直行便は両者の間にはない。さて、「支倉常長」をご存知だろう。仙台藩藩主「伊達政宗」の命を受けてローマまで旅した人だ。彼がキューバを訪れた最初の日本人となったのはもう400年も前のお話しだ。その像がハバナにある。(写真10:常長の像)
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彼は太平洋を横断しメキシコからキューバに渡り、そこから大西洋を越えてスペイン経由ローマに入った。それを記念して最近日本の学校法人が像を建てたという。さて、スペイン総督が住んでいたのがハバナで当時の総督がフロリダ半島に赴いたが、現地人との戦いで命を失った。残された妻はいつまでも夫の帰りを待ち、「風見鳥」を屋根の上に建て早い帰国を願っていたという。今もその風見鳥が残されていた。(写真11:風見鳥)
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ハバナで特徴的なのは兎に角「古い車」が多く走っていることと、犬が多いこと。そして公衆電話があることだ。クラッシック・カーと呼ばれるような、1950年代を中心にして、30年代、40年代の車もあるという。皆立派に手入れされていた。海に近いハバナでは塗装も直ぐに錆びるだろうし、維持するのは大変な努力がいるのだろう。犬は野犬もいるのだろうが、首輪をして名札を付けているのも多い。後日判明したが、野犬の一部なのだが、政府が管理している野犬だった。(写真12:犬)
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また携帯電話は普及が遅れているので昔ならば当たり前の一般の公衆電話があちらこちらにあり、皆利用していた。さてキューバと言えば忘れることが出来ないのが文豪「アーネスト・ヘミングウェイ」だろう。まず彼がハバナ滞在中に定宿といていたピンクのホテルを観る。一番、最上階の角部屋が彼の部屋だそうだ。(写真13:ヘミングウェイの定宿)
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「ヘミングウェイ」

次に訪れたのが「革命広場」だ。一つのビルにゲバラの最後の手紙の文章が書かれている。ゲバラはボリビアで銃殺されたが、革命の英雄として今でも称えられている。この広場の周囲は官庁街で彼は経済部門を担当する閣僚になっていたらしい。彼はボリビアでの革命運動中に逮捕され殺されたが、ボリビア軍は彼の両手を切り取って遺体を分からないようにして隠したという。その後キューバ政府が発見して本国に持ち帰った。(写真14:ゲバラの顔が描かれたビル)

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ヘミングウェイに戻ろう。彼が常に訪れて座り、ダイキリを飲んだ店がある。(写真15:ダイキリの店)
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ヘミングウェイの定席には彼の像もある。(写真16:ヘミングウェイ像)
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「ダイキリ」を飲んだ。クラッシュした氷に砂糖をスプーン1杯、15ccのライムジュース、30ccのコーヒーリキッド、45ccのハバナ・クラブ・ラム酒を加えて30秒間混ぜて出来上がりだ。余りアルコールは感じられなかった。(写真17:ダイキリ)
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ハバナ名物の「ココタクシー」に乗る。ココナッツの形をしているからそう呼ぶらしいが、50ccのバイクの後ろに二人乗りの座席を設けたものだ。東南アジアにもあったような記憶がある。これが物凄いスピードで走るから寒いこと寒いこと。(写真18:ココタクシー)
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アイスクリームの店まで約10分走った。名物のアイスを食べ、それからクラッシク・カーに乗り、市内を走り回りホテルへと向かった。この車、当時のアメリカのビッグスリーの「GM」[フォード]「クライスラー」の車だ。30分程走ったが、オープンカーなので寒かった。(写真19:クラッシック・カー)
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革命広場には「モニュメント」が立っている。(写真20:モニュメント)革命の成功と独立の象徴だという。
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ホテルで夕食後、「トロピカーナ・ショー」を観に行く。オプションで2万3千円もした。その代り、ラム酒が一人当り250ccと、コーラ一缶、スパークリングワイン1杯とおつまみが付く。そんなに沢山のラム酒が飲める訳ない。アルコール度40度のラム酒だ。(写真21:ラム酒のボトル)
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ダンサーたちが出て来てテンポのよいラテンの音楽で踊り出す。歌と演奏と踊りとがマッチしたショーだ。たっぷり2時間あった。(写真22:ダンサーたち)
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(写真23:ダンサーたち2)
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10時から始まったショーは12時過ぎて終わった。疲れました。

「2016 私の勝手な映画批評シリーズ」  2015年には映画は222本観ました。
映画「ドリームホーム」(UC豊洲にて)私的批評眼(J‘CRITICAL EYE)★★★(今年19作品目)
アメリカの光と闇を描く。家を買ったものの実は借金漬け。そこで経済が悪化すれば返済不能となる。男は子供と母親の3人暮らし。買った家を追い出される。そこで逆に不動産会社の社員となり、大儲けして新しい家を買う。この話しは1%の人が99%の人より多い財産を持っているというアメリカのお話し。まあ新しい家も欲しいですがね。アメリカの現実でした。

日経新聞2月5日夕刊の「シネマ万華鏡」の評価によれば、「キャロル」が5つ星、「オデッセイ」が4つ星、「不屈の男、アンブロークン」が3つ星、「ザ・ガンマン」が3つ星、「ロバートキナ、弧高の白鳥」が3つ星、「猫なんかよんでもこない」が2つ星、「蜃気楼の舟」が3つ星でした。
日経新聞2月12日夕刊の「シネマ万華鏡」の評価によれば、「ディーパンの闘い」が4つ星、「スティーブ・ジョブズ」が4つ星、「ドラゴン・ブレイド」が3つ星、「ネコのお葬式」が2つ星、「マンガ肉と僕」が2つ星、「ライチ☆光クラブ」が2つ星、「鉄の子」が2つ星でした。

「私の去年2016年の映画の評価は?」あくまで私の私感ですからね!!
今年の★★★★★は、「俳優、亀岡拓次」「サウルの息子」

今年の★★★★は、「はなちゃんのみそ汁」「ブリッジ・オブ・スパイ」「最愛の子」「ザ・ウォーク」「ブラック・スキャンダル」

「2016 旅の記憶シリーズ」
国内は1月の北東北「角館、秋田市内(秋田)」、「三内丸山遺跡(青森)」、「あつみ温泉、酒田(山形)」、「村上、新潟市内、瓢湖、燕三条、弥彦(新潟)」へ旅しました。

「2016 本の記憶シリーズ」
「闇の目」(鈴木 英治 著)角川文庫 私的批評眼(J‘CRITICAL EYE)★★★(今年19冊目)
「下っ引夏兵衛捕物控」シリーズ第1弾

「ブラックバイト」(六道 慧 著)光文社文庫 私的批評眼(J‘CRITICAL EYE)★★★(今年20冊目)「警視庁行動科学課」

「解放者」(大沢 在昌 著)角川文庫 私的批評眼(J‘CRITICAL EYE)★★★(今年21冊目)
「特殊捜査班カルテット」シリーズ第2弾

「欠落」(今野 敏 著)講談社文庫 私的批評眼(J‘CRITICAL EYE)★★★(今年22冊目)「同期」シリーズ第2弾

「暴力刑事」(小杉 健治 著)光文社文庫 私的批評眼(J‘CRITICAL EYE)★★★(今年23冊目)

「平太郎の命」(佐々木 裕一 著)角川文庫 私的批評眼(J‘CRITICAL EYE)★★★(今年24冊目)「もののけ侍伝伝」シリーズ第6弾

「トリニダードへ」

第3日目、2月6日(土曜日)
食事は朝も夜もビュッフェだし、昼は決まりきったような「豚肉」か「鶏肉」か「魚」のソテーかフライかで味付けが殆ど一緒で食欲が湧かない。
キューバの産業は、今はサービス業が一番で、次は観光業、その次が砂糖キビを含めた農業だという。18世紀には砂糖キビ農場で財をなした農場主が沢山いて奴隷を使っていた。(写真24:サトウキビ畑)

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今が刈り入れ時だそうだ。キューバは面積11万平方キロで人口1千1百万人。70%が平野で30%が山地だが、東部に山脈が集中している。原油も年間400万トン取れるが、硫黄分が高いので発電向けだという。冷戦時代はソ連などから年間1千300万トン原油を輸入していたが、今はベネゼイラから輸入いているのでガソリン代は非常に高く、1リッター120円程度だという。これが如何に高いかは後のち分かる。牧畜業も盛んで道路沿いは、牧場がサトウキビ畑だ。田舎に行くと「馬車」が庶民の交通の手段となっている。馬車ステーションもちゃんとある。(写真25:馬車)
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ヒッチハイクをする人も多いという。 ハバナには地下鉄も勿論ないからバスが輸送手段だが、地方はバスに代わって馬車なのだろう。さて、ハバナから南へ向かい、カリブ海に出たところにも世界遺産の街がある。「シエンフェゴス」だ。ここはアメリカ南部からとフランスからの移民であるフランス人家族50世帯が造った街だという。(写真26:街の地図)
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食後、大邸宅のレストランの屋上からカリブ海を眺める。遠くに「原発」が見えた。といっても70%出来たところでチェルノブイリの事故が起きたので中止された原発なのだ。ドーム型の建物が観えるだけだ。(写真27:原発)
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我々はカリブ海沿岸を東に向かう。そこには砂糖キビで設けた大商人たちの豪華絢爛な家が立ち並んでいた。「トリニダード」という街だ。「三位一体」の意味の街だ。天井が物凄く高く10m以上はある建物が今は博物館となっている。内部はイタリアのカラーラからの白い大理石、イギリスやアメリカ、フランスの調度品で飾られていた。博物館の中庭で花が咲いていた。(写真28:中庭にて)
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この邸宅、侯爵だか伯爵の家だったらしいが、スペイン王に献金すると爵位が貰えたらしい。夫婦に子供14人、召使の奴隷30人が住んでいたという。博物館だから色々なものが飾られていたが、キューバの国の紋章があった。(写真29:国の紋章)
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頭の部分の帽子は平和の象徴、向かって右側がフロリダ半島、左側がユカタン半島、間にある「キー」がキューバを表している。即ち、大西洋、カリブ海、鍵であるキューバを過ぎるとメキシコ湾という形になる。3つの海への鍵がキューバなのだ。「ゲバラ」の写真も飾られていた。右から2番目の人がゲバラだそうだ。(写真30:ゲバラ)
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中庭から塔を見上げる。真っ青な空、これがキューバの空なのだという。(写真31:塔と空)
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街の大広場の先にも塔があった。実はこの塔を周辺の建物と風景が、25セント硬貨に掘られているという。(写真32:塔と街並み)
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(写真33:25セント硬貨)
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その場所に「配給所」があった。キューバ国民は、平均的には月収700人民ペソ、大体日本円で3500円程度らしい。その前に昔の中国と同じように、兌換ペソと人民ペソがあり、我々外国人には兌換ペソが渡される。兌換ペソと人民ペソではレートが全く違う。兌換ペソ1ペソは日本円120円程度、人民ペソ1ペソは約5円。だが我々旅行者は人民ペソは使えないと思っていたら、今は現地の人も混ぜて使っているという。配給所は現物を安値で国が売ってくれる場所だ。例えば月に一人当りお米3kgまでが約10円。その他肉、豆、砂糖、オリーブオイル、粉、塩、等々生活必需品の食品をここで手に入れることが出来るが、大体配給量は半月分だという。残りはスーパーで買うしかない。(写真34:配給所内部)
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(写真35:配給所価格表)
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キューバ国民は学費と医療費は無料だ。歯医者も無料、インプラントも無料だという。だからガソリンが如何に高いかお分かりいただけると思う。キューバには私企業というのはない。企業は皆国営だ。但し個人商店が4万人ほどある。例えばレストランだとかお土産屋さん(基本的に皆手作り)だとか、小さな野菜販売だとか、個人タクシーだとかで、税金は収入の50%だそうだ。今後は外資が入ってきてどんどん変わるのかはこれからの問題だ。まずはアメリカの制裁解除だ。米議会の反対で簡単には行かないようだ。昨晩のダンサーたちも国家公務員だという。ホテルのサービスの悪さには驚かされる。共産主義、社会主義の悪い麺、即ち働いても働かなくても賃金に変わりはない。従って労働意欲が湧かなくなる。サービスも低下する。逆スパイラルなのだ。観光客向けのホテルの従業員もこの調子だから推して知るべしだろう。社会主義の理想と現実のギャップをどう解消していくのだろうか?

「チェ・ゲバラ」

第4日目、2月7日(日曜日)
最初に訪れたのは、17世紀18世紀に砂糖産業で栄えた「トリニダード」の郊外だ。盆地全体が昔は砂糖キビ畑だったそうだが、20世紀に入って「ビート」の生産が世界的に盛んになり、キューバの砂糖キビはその座を奪われたという。(写真36:ロス・インヘニオス渓谷)

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キューバの国の木は「バオバオ」の一種で「ダイオー椰子」だ。沢山生えていた。(写真37:ダイオー椰子)
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「マナス・イスナガ」という村に立ち寄る。ここは「イスナガ」という人が中心で造られた村で、イスナガ兄弟が美人の女性を巡り、兄は塔を、弟は井戸を掘り、どちらが高いか深いかを競ったという。結果兄の塔が45m、弟の井戸が43mで兄が女性を妻とした逸話があるらしい。(写真38:兄の塔)
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村には今も使用している「砂糖キビ絞り機」があり、奴隷や馬、牛の労力により絞っていたという。同じものは沖縄でも見た。(写真39:砂糖キビ搾り機のある小屋)
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村の人たちは観光客相手に手作りの品を売っていた。木彫りものや、綿布などだった。(写真40:木彫りのお土産品)
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それにしても貧しい農村だった。働く老人の姿が痛ましい。砂糖キビの皮を剥いていた。(写真41:老人)
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子供たちはどこでも一緒。集団で鶏を追いかけて石を投げていた。(写真42:子供たち)
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駅もあったから鉄道は通っているのだろう。(写真43:鉄道の駅)
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村人たちがトラックの荷台に乗って移動していた。(写真44:トラックに乗る村人)
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さて、いよいよ「チェ・ゲバラ」の霊廟に来た。「サンタクララ」という街で革命軍にとっては歴史的な街なのだ。(写真45:霊廟全体)
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ここで歴史的な戦いを行ったことを示す浮き出した絵があった。馬上はゲバラだ。(写真46:ゲバラの絵)
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ここで何が起きたか?1959年10月、革命軍はメキシコから船でキューバの南東部に上陸し、ハバナに向けて二つに分かれて西進していった。ゲバラ率いる400名の革命軍はキューバの南の海岸に沿って進み、やがて北進して、ここサンタクララに到達した。ここの中心部に「カピーロの丘」があり、政府軍4000人が立てこもっていた。更にハバナから増援軍400人が列車でやってきた。丘まで来た列車は結局そのままハバナに引き返すことになったという。なぜなのかは分からない。それを察知したゲバラ率いる革命軍は18名を先回りさせ、線路の犬釘を抜き、ブルドーザーで線路を持ちあげてしまった。そこへ列車がやってきて機関車が脱線転覆し、革命軍が火炎瓶を投げつけ攻撃したので、政府軍は壊滅した。その翌日アメリカの傀儡政権バティスタ大統領はベネゼイラに逃げ出し、連れて富裕層もフロリダ半島に逃げて行ったという。革命が成功した記念すべき場所なのだ。(写真47:列車転覆現場)
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「チェ・ゲバラ」とは何者なのか?元々はアルゼンチン人でブエノスアイレス大学の医学部卒業の医師である。それが革命思想に触れて、メキシコからキューバに上陸したのだった。「チェ」とは所謂愛称で「君」とか「同士」とかいう意味らしい。仲間内で使う言葉だという。ゲバラの銅像の後ろに彼のサインが観える。「CHE」と書かれている。本名「アルフォンソ・ゲバラ+母親の姓」(写真48:ゲバラ像とサイン)
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革命広場にあったゲバラの顔の下に書かれていた最後の手紙の末尾には「平和よ、永遠なれ」と記されていた。天候が回復したので霊廟の中に入れたが、写真撮影禁止だった。遺品と写真が沢山残されていたし、お墓もあった。黒人の警備員のおばちゃんにブローチを褒められた。本日の宿泊地「バルデロ」はキューバの北、大西洋に面した街でキューバ一の保養地だという。

「バラデロ」

第5日目、2月8日(月)
昨晩はプロ・アメリカンフットボールの決勝戦「スーパーボウル」があった。最初の部分を観てから食事に行き、戻ってからまた見たのだが途中から寝てしまう。目覚めたらラスト数分だったが、ダイジェストを延々とやっていたのでゲームの内容は分かった。
さて午前中は島に行く。船で片道1時間半。船と言ってもシーズン中はカジキマグロを釣る船だ。島は「カーヤ・ブランコ」即ち「白い島」という白い砂浜が綺麗な場所だった。(写真49:島)

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余り透明度は良くなく潜った人に聞くと全く何も濁っていて観えなかったそうだ。サヨリに似た魚がいた。(写真50:魚)
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(写真51:白い島の海岸線)
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約1時間島にいてまた戻る。途中から「カモメ」が付いてきて、我々の投げるスナックを奪い合っていた。どこのカモメも同じ行動をとるものだ。(写真52:カモメ)
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午後からはバラデロの街を馬車で観光する。ここは革命以前は高級別荘地だったという。ここで漸く革命の意味とクラッシック・カーや豪邸の理由が分かった。革命軍が奪ったものが「車」であり、「家」であり、富裕層の「財産」だったのだ。富裕層はそれら全てを残して逃げ出すしかなかった。またサンタクララの戦いのように革命軍400人が政府軍4000人に勝つというのは、軍隊自体が戦意喪失しており、命掛けの革命軍の前には戦う前に逃げるしかなかったのだろう。化学会社で財をなした「デュポン」がこの半島の先端部分から10kmを何と1平方メートル当たり16セントで買ったという。その後彼は先端2kmを残して残り8kmを50ドルから100ドルで売ったというから凄い。その中には「アル・カポネ邸」もあった。石造りの家で全てが石で出来ている。ここにカポネは2度訪れたというが実際にはお酒の倉庫だったらしい。当時禁酒法時代のアメリカに密輸するための基地がここだった。(写真53:カポネ邸)
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デュポンの家は半島の先端にあるから、3方が海という最高のロケーションだ。(写真55:デュポン邸からの眺め)
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(写真56:ゴルフコース)
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実際に当時デュポン邸には9ホールのプライベート・ゴルフ・コースもあったという。この屋敷は木造、それもキューバ産のマホガニーで全て造られているから、カポネの家が実にみすぼらしく感じる。エレベータまで付いていた3階建ての邸宅だった。現在のゴルフコースは貸しクラブ含めてビジターが90ドルだそうだ。(写真57:デュポン邸)
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夜は「さくら」という鉄板焼きレストランに行った。隣に座ったのがカナダ人の夫婦だったので話しをし、日本食の食べ方を教えたりしたが、20年前にモンテネグロからカナダに移住し現在はトロントで金融のアドバイザーをしている63歳の人とその妻だった。料理自体は「これが和食」とはとても思えない。まあ、仕方がないが鉄板焼き風の物を食べたと思うしかなかった。

第6日目、2月9日(火)
いよいよキューバも最後の日になった。今日一日で明日は帰国日だ。キューバの北海岸を大西洋に沿って西に向かう。途中、海岸線に沿って油田の井戸が観えた。さてキューバで一番高い場所にある橋を通過。(写真58:橋)120数メートルの高さがある。

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1954年にノーベル文学賞を受賞したヘミングウェイが好んでやってきた漁村「ヒコマル」は全く無名の村だったが、彼の「老人と海」が世に知られたことで一躍有名になった田舎の漁村だ。彼がレストランで聞いた地元の漁師の会話からヒントを得て、「老人と海」を書いたという。(写真59:小説のモデルになった漁師)
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角の席がヘミングウェイの指定席で今はそこには像が飾られている。(写真60:ヘミングウェイ像と海)
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ヘミングウェイとカストロの写真もある。1960年革命後にこの地でフィッシングの大会があり、その時の優勝者がカストロだったということでトロフィーをヘミングウェイが寄贈した。(写真61:ヘミングウェイとカストロ)
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この日は波も高く、寒かった。現地の人に聞いたが、既に洪水が2度あり、寒いので異常気象だということだった。(写真62:打ち寄せる波)
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ヘミングウェイは
1899年生まれで1961年に亡くなった。村人は彼への親しみを込めて、漁船のスクリューを自ら提供して彼の像を造ったのだった。彼はうつ病で最後は自殺した。村人は彼の63歳の誕生日に合わせて像を飾ったという。(写真63:村人が造った像)
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更にハバナ近郊に彼の自宅がある。今は博物館となっている。(写真64:自宅前)
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彼は第一次世界大戦時に負傷して膝が悪く、著作時にはベッドルームの壁の本棚にタイプライターを置き、裸足で立ってタイプしていたという。(写真65:ベッドとタイプライター)
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書斎には周囲に鹿の角などが掛けられ、一点「ピカソ」が書いた白い動物の絵がある。彼はこれをスペインでたったの150ドルで求めたという。(写真66:ピカソの作品)
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また食堂には大きな「ミロ」の絵が飾られている。(67写真:ミロの絵)
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プールの横には彼が愛用したボートが置かれていた。フロリダのキーウエストで建造された船で、これで魚を釣りに出たのだ。(写真68:ボート)
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さて社会主義国家キューバも節目を迎えようとしている。カストロに代表される革命期の人たちが去りつつあり、今後世界とどう付き合うかが試されようとしている。少子高齢化が進み、2020年からは人口減少になるとみられるキューバ。現実的には乞食もいるし、少ないとはいえ格差はあるのだろう。また徴兵制があり、男子は18歳から2年間徴兵される。頼みの観光業は年間300万人が訪れるが、その内100万人がカナダからだ。日本からは年間1万人程度だという。アジアからはやはり中国人が多いという。アメリカの経済封鎖はアメリカ製の部材を10%以上使用するものは各国にキューバへの輸出を禁じているという厳しいものだ。車は新しいのは大半が韓国製だった。日本車も少しは走っていた。いずれにしても平等、公平、人道を謳っている国だが、次世代の指導者は何を考え、どのように国民を導こうとしているのかが全く観えないのがキューバだった。これまでの相互扶助精神が資本主義の波にどう揉まれて行くのか?興味津々の国から目が離せない。

第7日目、2月10日(水曜日)
早朝、4時半にホテルを出ていよいよ帰国となる。トロントはマイナス3度で今度は白銀の世界だった。日本は何があったのだろうか?陸の孤島のキューバからやっとネットが使える世界に戻ってきた。キューバでは形態やスマフォの普及率は低く、約400万台らしい。やはり高いのが電気代とガソリンと通信だろう。トロントに来て文明世界に戻った感がある。まあ、無事に羽田に到着できることを願うだけだ。

「北東北の旅、後半、酒田」

「J  REPORT 2016 2月第2週」
「リタイアメント・ノート 7年8ヶ月目」、
「VOL。936 SINCE AUG.12th、1983」
ご意見ご要望等が御座いましたら、こちらへメールください。  sekoguti@aa.e-mansion.com

「北東北への旅、後半」「酒田」
北前船で栄えた酒田でも最大の金持ちが「本間家」だった。嘗て米沢藩「上杉家」も借金を依頼したほどであった。大地主の大商人であったが、大名貸しもやるし、勿論北前船もやるし、米もやるし、兎に角庄内地方最大の金持ちだったという。その本間家の旧本宅が一般公開されていたのでガイドの人と一緒に訪れた。確かに立派な家だった。由来が凄い。幕府の役人が大名の酒井家を訪れた時に、幕府の役人のためだけに、本間がお殿様に代わって家を建て接待したという。(写真:本間家の正門)

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内部は写真撮影禁止なので詳しくはお伝え出来ないのが残念だが、役人を接待した母屋の裏側に本間家の人たちが住む家屋があった。家族以外に50人以上の使用人も住んでいたというから凄い。母屋の客間は天井も高く、欄間の彫刻も素晴らしい。お金を掛けたなあと分かる造りだった。部屋の鴨居の部分だけが低い。これは刀を振り上げられないためのものだという。室内での切りあいで敵に襲われないためのものなのだろう。屋敷の玄関口の前に大きな松の木がある。「登り龍」を象徴した縁起のいい松だという。(写真:松)
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確かに本間家の強さの象徴のような松だった。だが、この本間家も近年には没落ではないが事業に失敗している。それは本宅前にある建物は元々商売の拠点としていた建物で、戦後は「本間物産」として運営されていたが、確か30年も前に倒産していて、今は人の手に渡っていた。(写真:本間物産跡)
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「山王クラブ」
次に訪れたのが、酒田の花柳界の一軒の店が公開されていた「山王クラブ」というところだった。(写真:山王クラブ入口)
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ここは北前船で設けた商人たちが集い遊んだ酒田一の花柳界の一角だった。この店によく泊まったのが画家の「竹下夢路」だったという。彼が好んで泊まったという部屋には女性を描いた絵もあった。(写真:竹下夢路の絵)
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また古い建物だが、見事な「欄間」があった。(写真:欄間)
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当時の酒田の活気を垣間見た気がした。さて、この建物の中で酒田の伝統的な「つるし飾り」が作られていた。母が子を想う気持ち、そして子の幸せを願って、手作業で小さな飾り物を造り、傘の下に吊るした「傘福」と言われるものである。「雛祭り」にあわせてボランティアの女性たちの手で作られていた。飾り物の生地は古い着物や残り生地を利用して一つ一つ作られ、今正に吊るされていた。(写真:傘福)
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この傘福のような「吊るし雛」は大変珍しく全国的にも酒田を含めて3箇所だけだそうだ。(写真:傘福を作る女性たち)
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生憎の空模様で「鳥海山」の雄姿は見られなかったのが残念だが、この時期の酒田としては天気が良かったといってもいいだろう。風が強いのが酒田だし、従って大火に何度もあっている酒田。風がなかったので助かりました。酒田は人口10万人だというが、やはり人口減なのだろうか? 酒田から「あつみ温泉」に向う。駅のホームで駅員から「特急の暖房が悪くて20度ほどしかならないので、ご迷惑をお掛けします」と言われ、暖かいお茶のペットボトルやレスキューシートや揉むと暖かくなる例のものなどをくれた。車内の気温は20度だというが、別に寒くはない。それはお酒を飲んでいたからなのかも知れない。JRも随分気を使うようだ。更に特急券は払い戻すというサービスだ。我々は休日パスだから流石に特急料金は返金されなかったが、少し位寒くても冬ならば当然だろう。

「村上」

「村上」
初めて降りた村上駅から歩いて「おしゃぎり会館」に向う途中の学校の校庭にある「ブランコ」。ブランコは全て巻き上げられていたのに驚く。聞くと雪が降ると埋まってしまうため、このようにブランコは冬中巻き上げられているという。雪国ならではの話しだ。(写真:ブランコ)

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そういえば青森駅で駐輪場にたくさんの自転車があったが、完全に雪に埋もれていたが、自転車は冬場は使わないということなのだろうか。「おしゃぎり」とは祭りに曳き回される山車を村上ではこう呼ぶ。会館には常に3台のおしゃぎりが飾られていた。(写真:おしゃぎり)
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知らなかったが村上は「塩鮭」の本場の一つだということだった。江戸時代、藩の財政立て直しのために始めたものらしいが、非常に高いものらしい。製造先を訪れた。部屋の天井からたくさんの鮭が吊るされていた。腹を開けて内臓を取り出し、そして塩を振って、寒風にさらして干すのだそうだが、色々と知恵があるのだろう。さて村上では8万匹の稚魚を放つという。川に戻ってくるのが0.3%というから貴重だ。今年は5千匹の鮭が遡上してきて捕獲されたという。1匹1万円以上に鮭だが、味見したが実に美味しかった。でも高いので買わなかったが。(写真:吊るされた鮭)
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村上の人口は約6万人だが、年間1000人づつ毎年人口が減少しているという。日本海側を含めた日本の田舎の問題を間違いなく示している典型的な都市の一つが村上でした。

「2016 私の勝手な映画批評シリーズ」  2015年には映画は222本観ました。
映画「ブラック・スキャンダル」(UC豊洲にて)私的批評眼(J‘CRITICAL EYE)★★★★(今年15作品目)
1980年代のボストン。兄ジミーは所謂ギャング、金儲けならば何でもやる。弟は有名な上院議員。彼らと同じ南ボストン出身のFBIの男。3人は幼馴染だった。FBIはボストンを牛耳っているイタリア・マフィアを潰すために兄のジミーから情報を得ようとする。毒を制するに毒を持ってという作戦だった。ジミーは裏切り者は必ず始末した。ということでまあ映画を観てください。ジョニー・デップの演技力で4つ星にした。

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映画「俳優、亀岡拓次」(UC豊洲にて)私的批評眼(J‘CRITICAL EYE)★★★★★(今年16作品目)
寅さんの復活を観たみたいだった。この映画は本当に面白い。喜劇の原点のようだ。監督「横浜聡子」、主演「安田顕」となじみが薄い人たちだが、本当に笑い転げた。シリーズ化してもいい映画だった。
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映画「サウルの息子」(HTC有楽町にて)私的批評眼(J‘CRITICAL EYE)★★★★★(今年17作品目)
ポーランド、アウシュビッツ収容所。ユダヤ人の死体を始末する同じユダヤ人の別グループがいた。彼らも3ヵ月後には殺される運命にあった。そこで少年の死体を見つけたのは死体処理班の一人だった。それは息子の遺体だった。彼は息子をユダヤ教に基づいて正式に葬儀し埋葬したかった。そこで取った行動とは?本当に凄い映画だった。実際に私はアウシュビッツに行った経験があるので、その遺体の処理に関わる人たちの思いが鋭く胸に刺さった。「カンヌ映画祭グランプリ」受賞の作品でした。一見の価値有り。
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映画「エージェント・ウルトラ」(UC豊洲にて)私的批評眼(J‘CRITICAL EYE)★★★★(今年18作品目)
CIAが人工的に最強のエージェントを作り出した。しかし内部で意見対立があり、そのエージェントを殺そうとする。だが彼は強かった。次々と襲い掛かる敵を殺すのでした。
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映画「ドリームホーム」(UC豊洲にて)私的批評眼(J‘CRITICAL EYE)★★★(今年19作品目)
アメリカの光と闇を描く。家を買ったものの実は借金漬け。そこで経済が悪化すれば返済不能となる。男は子供と母親の3人暮らし。買った家を追い出される。そこで逆に不動産会社の社員となり、大儲けして新しい家を買う。この話しは1%の人が99%の人より多い財産を持っているというアメリカのお話し。まあ新しい家も欲しいですがね。アメリカの現実でした。
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日経新聞1月29日夕刊の「シネマ万華鏡」の評価によれば、「俳優 亀岡拓次」が5つ星、「ニューヨーク 眺めのいい部屋売ります」が3つ星、「ブラック・スキャンダル」が3つ星、「ドリームホーム」が3つ星、「残エ」が2つ星、「ビハインド・ザ・コーヴ」が3つ星、「ロイヤル・コンセルトヘボウ」が4つ星でした。

「私の去年2016年の映画の評価は?」あくまで私の私感ですからね!!
今年の★★★★★は、「俳優、亀岡拓次」「サウルの息子」

今年の★★★★は、「はなちゃんのみそ汁」「ブリッジ・オブ・スパイ」「最愛の子」「ザ・ウォーク」「ブラック・スキャンダル」

「2016 旅の記憶シリーズ」
国内は1月の北東北「角館、秋田市内(秋田)」、「三内丸山遺跡(青森)」、「あつみ温泉、酒田(山形)」、「村上、新潟市内、瓢湖、燕三条、弥彦(新潟)」へ旅しました。

「2016 本の記憶シリーズ」
「火縄の寺」(鈴木 英治 著)徳間文庫 私的批評眼(J‘CRITICAL EYE)★★★(今年15冊目)「無言殺剣」シリーズ第2弾

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「大岡忠相」(竜門 冬二 著)集英社文庫 私的批評眼(J‘CRITICAL EYE)★★★★★(今年16冊目)
副題「江殿改革力、吉宗とその時代」 この本は歴史好きには絶対にお薦めです。
八代将軍「吉宗」が行った改革で主なものが幾つかあるが、その一つが「大岡忠相」の江戸町奉行への抜擢だ。将軍になって翌年直ぐに彼を普請奉行から町奉行に抜擢した。そして江戸の治安だけでなく、関東地方の米の増産も請け負わせたのだ。本来ならば勘定奉行が行うべき関東の直轄地の増産を江戸町奉行が行うというのだから、反発も当然出た。何故、吉宗は大岡を抜擢したのか?実はまだ吉宗が紀州藩主時代に、当時伊勢山田奉行だった大岡と会っていた。その時大岡の公平公正さを知ったという。大岡は米の増産に対して民間人の力を借りて成功させた。
2番目の改革はそれまで幕政を握っていた二人「新井白石」と「間部詮房」を彼らが出した辞表願いを拒否し罷免したことだ。二人は幼い将軍の後見役として幕政を牛耳っていたが、一挙に葬り去られた。
3番目は「目安箱」の創設だ。将軍が直接庶民の声を聞くというもの。
4番目は「御庭番」の創設だ。紀州から連れて来た家臣を御家人に格下げして隠密的役割を振り当てた。
まあ是非お読み下さい。絶対に面白いですよ。数々のエピソードが綴られています。
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「孤影の太刀」(上田 秀人 著)徳間文庫 私的批評眼(J‘CRITICAL EYE)★★★(今年17冊目)
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「女がさむらい」(風野 真知雄 著)角川文庫 私的批評眼(J‘CRITICAL EYE)★★★(今年18冊目)
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「瓢湖」

「瓢湖」
新潟駅前からバスに乗り「瓢湖」へと向う。約1時間で到着。「餌付け」の時刻が朝9時だというが、ぴったりと9時に到着した。リアカーに大きなバケツを数個積んだ小父さんが現われ、「ひょー、ひょー、ひょー」と掛け声を掛けると沢山の「鴨」と「白鳥」が集まってきた。凄い数だ。特に鴨の数が凄い。(写真:瓢湖の餌付け)

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白鳥は10月から渡来し、年明けから徐々に北に帰っていくという。ピーク時には1万羽だったそうだが、今は約3500羽。毎週金曜日に数を数えるらしい。(瓢湖の白鳥)
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(瓢湖の白鳥2)
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小父さんの後を追うように鳥たちは餌を求める。それでもまだ遠くにはたくさんの白鳥がいたが、それらの白鳥は見向きもしないが、どうしてなのだろうか?餌付けしたからこの湖に白鳥が訪れるようになったのだろうか?(写真:瓢湖の餌付け2)
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約30分、ほぼ餌は配り終えた。我々も行きと同じバスで新潟に戻ることにする。それにしても凄い数の鳥たちでした。

「文語と口語」
人の言語には「文語」と「口語」があるという。ヨーロッパの言語では、文語が「ラテン語」、口語が各地の方言、即ち各国の話し言葉。アラブでは文語は古アラブ語で書かれた「コーラン」が文語、その他の話し言葉が口語。中国語は文語が「漢文」、口語は各地の方言。日本語では文語は「漢文調」のもので、口語は喋っている各地の言葉。日本語の文語は今は殆ど使われていない。世界にはこのように文語と口語がヨーロッパ、アラブ、中国、日本とあるのだという。今の日本人に必要なのは文語を覚えることだというのが頭を鍛えるために必要なことらしい。

「弥彦神社」

「弥彦神社」
弥彦神社を訪れるのは初めてだった。弥彦温泉には2度ほど泊まったことがある。新潟から新幹線で燕三条、そこから弥彦線に乗り換えて「弥彦」へ。ガイドの小母さんと一緒に神社を訪れる。大きな赤い鳥居が見えた。(写真:弥彦神社鳥居)

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神様が真ん中を歩かれるので我々は参道の端を歩く。すると直ぐの左手に小さな橋が見えた。これは神様専用の橋で神様のみ渡れられるのだという。(写真:神様の渡る橋)
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登り坂の参道が続く。参道の脇に手洗い所があった。(写真:参道)
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手のすすぎ方だが、ひしゃくを右手に持ち、水を汲み、まずは左手を洗い、こんどはひしゃくを左手に持ち替え右手を洗い、右手に水を受けて口をすすぐ。水を流してひしゃくを元に戻すというらしい。
いよいよ本殿が見えてきた。本殿は3つ並んでいて、一番前の棟は我々一般人が入れる場所だ。2番目は天皇や皇太子などの皇族や神官のみ。そして一番奥の棟は神様が居られ、開けずの間になっているという。誰も入ることが出来ないのだそうだ。(写真:本殿)
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神社の裏が「弥彦山」だ。高さ634mだというから東京スカイツリーと一緒だ。山の向こう側は日本海だそうだ。頂上からは寺泊の夏の花火も見えるそうだ。(写真:本殿前の4人)
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この神社では「二礼四拍手一礼」とちょっと珍しい拝礼の仕方が正しいのだそうだ。清々しい気持ちになって、いよいよ東京に戻ることとした。3泊4日、青森県と山形県の援助もあり、安い旅でした。追伸:弥彦神社の宝物殿は写真撮影禁止だったが、歴代の天皇陛下の肖像画が飾られていた。初代「神武天皇」から第125代「今上天皇」まで全て揃っていた。どうして顔が分かったのだろう?まあいいか。

「北東北の旅、後半、食」

「手前勝手世界食物語、第396号」
「北東北の旅と食、後半」
「酒田のちらし寿司」
酒田のガイドさんのお薦めが寿司ということで山王クラブ近くの寿司屋に行った。出てきたのは「ちらし寿司」。具材が細かく刻まれており既に味が付いているという。スプーンで食べたが、まあまあそこそこ美味しかった。@1300円でした。(写真:酒田のちらし寿司)

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私は「満月」でワンタン麺を食べたかったのだが、団体行動ということで今回は寿司でした。

「新潟、いかの墨」
新潟駅前近くの「いかの墨」という店に行く。予約してあったので入れたがほぼ満席状態だった。飲み放題付きで@4500円だから安かった。日本海の魚4種類の盛り合わせ、蟹入り鍋等々あったが、実に楽しく4人でいつものように盛り上がった。(写真:いかの墨にて)

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「土産物」
酒田で「大福餅」を、弥彦で「パンダ焼き」というお菓子を買って帰った。(写真:お土産のお菓子)
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新潟の夜景だ。下を流れる信濃川と2本先の橋が万代橋だ。
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以上、勢古口がお送りしました。2月4日から11日まで「キューバ」に行きます。帰国後ブログを更新します。