「北東北の旅、後半、酒田」

「J  REPORT 2016 2月第2週」
「リタイアメント・ノート 7年8ヶ月目」、
「VOL。936 SINCE AUG.12th、1983」
ご意見ご要望等が御座いましたら、こちらへメールください。  sekoguti@aa.e-mansion.com

「北東北への旅、後半」「酒田」
北前船で栄えた酒田でも最大の金持ちが「本間家」だった。嘗て米沢藩「上杉家」も借金を依頼したほどであった。大地主の大商人であったが、大名貸しもやるし、勿論北前船もやるし、米もやるし、兎に角庄内地方最大の金持ちだったという。その本間家の旧本宅が一般公開されていたのでガイドの人と一緒に訪れた。確かに立派な家だった。由来が凄い。幕府の役人が大名の酒井家を訪れた時に、幕府の役人のためだけに、本間がお殿様に代わって家を建て接待したという。(写真:本間家の正門)

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内部は写真撮影禁止なので詳しくはお伝え出来ないのが残念だが、役人を接待した母屋の裏側に本間家の人たちが住む家屋があった。家族以外に50人以上の使用人も住んでいたというから凄い。母屋の客間は天井も高く、欄間の彫刻も素晴らしい。お金を掛けたなあと分かる造りだった。部屋の鴨居の部分だけが低い。これは刀を振り上げられないためのものだという。室内での切りあいで敵に襲われないためのものなのだろう。屋敷の玄関口の前に大きな松の木がある。「登り龍」を象徴した縁起のいい松だという。(写真:松)
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確かに本間家の強さの象徴のような松だった。だが、この本間家も近年には没落ではないが事業に失敗している。それは本宅前にある建物は元々商売の拠点としていた建物で、戦後は「本間物産」として運営されていたが、確か30年も前に倒産していて、今は人の手に渡っていた。(写真:本間物産跡)
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「山王クラブ」
次に訪れたのが、酒田の花柳界の一軒の店が公開されていた「山王クラブ」というところだった。(写真:山王クラブ入口)
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ここは北前船で設けた商人たちが集い遊んだ酒田一の花柳界の一角だった。この店によく泊まったのが画家の「竹下夢路」だったという。彼が好んで泊まったという部屋には女性を描いた絵もあった。(写真:竹下夢路の絵)
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また古い建物だが、見事な「欄間」があった。(写真:欄間)
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当時の酒田の活気を垣間見た気がした。さて、この建物の中で酒田の伝統的な「つるし飾り」が作られていた。母が子を想う気持ち、そして子の幸せを願って、手作業で小さな飾り物を造り、傘の下に吊るした「傘福」と言われるものである。「雛祭り」にあわせてボランティアの女性たちの手で作られていた。飾り物の生地は古い着物や残り生地を利用して一つ一つ作られ、今正に吊るされていた。(写真:傘福)
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この傘福のような「吊るし雛」は大変珍しく全国的にも酒田を含めて3箇所だけだそうだ。(写真:傘福を作る女性たち)
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生憎の空模様で「鳥海山」の雄姿は見られなかったのが残念だが、この時期の酒田としては天気が良かったといってもいいだろう。風が強いのが酒田だし、従って大火に何度もあっている酒田。風がなかったので助かりました。酒田は人口10万人だというが、やはり人口減なのだろうか? 酒田から「あつみ温泉」に向う。駅のホームで駅員から「特急の暖房が悪くて20度ほどしかならないので、ご迷惑をお掛けします」と言われ、暖かいお茶のペットボトルやレスキューシートや揉むと暖かくなる例のものなどをくれた。車内の気温は20度だというが、別に寒くはない。それはお酒を飲んでいたからなのかも知れない。JRも随分気を使うようだ。更に特急券は払い戻すというサービスだ。我々は休日パスだから流石に特急料金は返金されなかったが、少し位寒くても冬ならば当然だろう。