「人生は旅の如くー2009年編7月の韓国」

「J  REPORT 2024 4月第4週号」
「リタイアメント・ノート 14年10ヶ月目」
「VOL.1364 SINCE  AUG.12th、1983」

「走るな! 転ぶな! 風邪引くな!」が老人には大切らしいです。㔟古口
追加して「癌になるな」もね。

「人生は旅の如くNO.5-2009年編・第3話、7月の韓国にて」
韓国にはこれで3度目だった。1度目はソウル、2度目は釜山で共に仕事での訪韓だった。今回はプライベートな旅でソウル市内とその周辺を旅した。観光地の梨泰院や江南よりも王朝跡を復元した地域には興味があった。それと南大門などの庶民的な場所には韓国の匂いに溢れていた。1度目のソウルは5月の連休中だったので、丁度ソウルはその時期白い花(何の花かは知らない)が散っていて雪の如く地面を覆っていたのを覚えている。仕事で行っているので夜の接待での高級料理店とキーサンパーティも記憶にある。一番驚いたのは韓国では器を手に持って食事しないということだった。箸でのみ器から物を摂る。左手は使わない。それと隣の女性が箸で客に食べさせるのにも驚いた。客は手を全く使わなくてもよいのだ。それらは皆若い頃の出来事だったが、こんな風習は今もあるのだろうか?
博物館を訪れた時に白髭の老人が突然日本語で話しかけて来てこれまた驚いた。多分植民地時代に教育を受けた人だったのだろう。日本と韓国の複雑な関係を改めて知ることになった。
庶民の味方は市場だろう。色々なものが売っていると同時に屋台風の食べ物屋があり、いい匂いをさせていた。しかし一番困ったのはニンニクの匂いが抜けないことだった。空港に着いた時からニンニク臭かったが、数日すると自分もニンニクまみれになっているのか、人の匂いが気にならなくなる。ところが日本に帰国すると家族からは非難ごうごうだった。身体中からニンニクが溢れていたらしかった。食べ物はまあ美味しかったと言っておこう。

「今週の映画と本」

「今週の映画と本」
「プリシラ」(TC日比谷にて)私的評価★★★(今年24作目)
エルビス・プレスリーの妻となった女性がプリシラだった。15歳の彼女は西ドイツの駐留米軍の父と共に家族で赴任していた。そこで徴兵されていた エルビスと出会い、高校卒業後結婚するが女性憧れのエルビスのために彼絵を描く。切ない生き方だった。

「陰陽師0」(UC豊洲にて)私的評価★★★(今年25作目)
菅原道真が大宰府に追放され亡くなった頃の京都は魑魅魍魎が闊歩する場所だった。600万人 の民を天皇を頂点とする150名ほどの貴族が支配し、それは陰陽師の占いを基にした政治だった。そんな時、科学的論理により問題を解決しようとする一人の天才陰陽師が現れた。それが安倍晴明だった。陰陽師たちの出世争いを描く。

また、4月19日付け日経新聞夕刊「シネマ万華鏡」には、「異人たち」「青春」「霧の淵」「辰巳」「名探偵コナン/100ドルの五稜星」「あまろっく」が紹介されていました。

「2024年の映画で私が良いと思ったのは」
★★★★★=「哀れなるものたち」「ジャンヌ・デュ・バリー 国王最期の愛人」「コット、はじまりの夏」「オッペンハイマー」

★★★★=「枯れ葉」「ゴールデンカムイ」「ダム・マネー ウォール街を狙え!」「ブルックリンでオペラ」「パスト ライブス/再会」

「私の2023年に観た映画は98本、星5つは
★★★★★=「ドリーム・ホース」「SHE SAID その名を暴け」「生きる LIVING」「パリタクシー」「クロース」「ふたりのマエストロ」「JFK/新証言 知られざる陰謀」

「2024 観劇シリーズ」 2023年の歌舞伎観劇は12度でした。
寿初春大歌舞伎昼の部「常辰歳歌舞伎」と「荒川十太夫」「狐狸狐狸ばなし」を観劇。
一月大歌舞伎「平家女護嶋」(新橋演舞場にて)を観劇。
猿若祭二月大歌舞伎、昼の部を歌舞伎座にて観劇。「新版歌祭文」、「釣女」、「籠釣瓶花街酔醒」の3題目。
三月大歌舞伎、昼の部「菅原伝授手習鑑」、「傾城道成寺」、「小浜御殿綱豊卿」を観劇。
四月大歌舞伎、夜の部「於染久松色読販」、「神田祭」、「四季」を観劇。久々の玉三郎でした。(写真:K四月)
團菊祭五月大歌舞伎、昼の部を観劇予定。(写真:K五月)

「2024年旅暦」
1月に蕎麦の旅で東北と信州に行きました。
7月に釧路に長期滞在を、8月には家族全員で壱岐の島へ旅する予定。通院の予定があるために、旅行は難しいですね。
海外には2月にハワイに行きました。次のハワイは9月の予定です。

「2023 本の記憶シリーズ」  2022年の読書数は、185冊でした。
「助っ人は若様」(牧 秀彦 著)二見文庫 私的批評眼★★★(今年50作目)「南町 番外同心」シリーズ第5弾

「未だ謎」(佐伯 泰英 著)光文社文庫 私的批評眼★★★(今年51作目)「芋洗河岸」シリーズ第3弾

「ネヴェー・ゲーム 上」(ジェフリー・ディーヴァ― 著)文春文庫 私的批評眼★★★★(今年52作目)「同」シリーズ第2弾

「ネヴェー・ゲーム 下」(ジェフリー・ディーヴァ― 著)文春文庫 私的批評眼★★★★(今年53作目)「同」シリーズ第2弾

「四月大歌舞伎観劇記」

「四月大歌舞伎観劇記」於:歌舞伎座にて(写真:K1)
久し振りに玉三郎を観ることが出来た。(写真:K3)

「於染久松色読販(おそめひさまつ うきなのよみうり) 土手のお六 鬼門の喜兵衛」
鶴屋南北作(写真:K2)
人間国宝二人の競演だ。お六に坂東玉三郎、喜兵衛に片岡仁左衛門が扮する。
河豚中毒で死んだ丁稚を田舎の物売り爺に化けさせ、大店を恐喝するというもの。流石の演技が光る。ところが丁稚がいきを吹き返して。

「神田祭」
仁左衛門と玉三郎が鳶の頭と芸者に扮しての舞踊劇。神田祭はご存じ神田明神の天下祭だ。粋といなせな江戸っ子の心意気を描く。

「四季」=「春 紙雛」「夏 魂まつり」「秋 砧」「冬 木枯」
春夏秋冬を踊りで描く。特に冬では木の葉の役で「尾上眞秀(まほろ=寺島しのぶの息子)」や坂東亀三郎らの少年たちの踊も楽しい。

人間国宝の演技はやはり素晴らしい。場内はほぼ満席でした。客を呼べる数少ない歌舞伎役者たちでした。

「4S会は大宮で」

「癌闘病記―第12回」
最近は体調も良く、一時は10%以上減った体重もここへきて5%は回復し太り始めた。いい傾向だと思うので当面は変化がない限り、闘病記は中断します。

「4S会は大宮で」
私以外の3名は埼玉県人であり、今回は大宮で開催した。(写真:A1)
兄弟のスー兄さんが14日間の通訳兼ガイドの仕事終了を労う目的だった。スー兄さんは7組14名のベルギー人のツアー客を案内して東京から京都、広島、大阪、白川郷等々を廻る旅で疲れ果てたという。14名はベルギーの富裕層の方々で世界中を旅しているという。この時期日本各地で桜の便りがあり大いに堪能されたようだった。お疲れ様でした。毎晩、夕食時にはビールとワインで数時間の宴会が続いたという。ベルギーと言えばチョコレートの国。頂いたお土産も沢山のチョコレートだったという。
我々4人は大宮の温野菜で2時間たっぷり食べて飲んだ。勿論私はいつもの如く黒ウーロン茶の氷入りのみ。もうじき断酒から1年が経つが本当にお酒と縁が切れた。これを数年前に知って実行していればと今も悔やまれるのだが、やはり人間が練れていない証拠でしょうか。

「イタリア料理店にて」

「手前勝手世界食物語、第669話」
「イタリア料理店にて」
銀座三越新館11階のレストラン街のイタリア料理店に入った。辛い物は食べられないので刺激物のないイタリア料理ならば食べられるだろうと思ったのでした。
期待通りの美味しさだった。
まずは「メカジキのカルパッチョとズッキーニ和え」(写真:S3)
本当に久し振りのカルパッチョでした。
そして次は「スパゲッティ・カルボナーラ」(写真:S2)
麺もアルデンテでこれまた美味しかった。
最後はメインの「黒毛和牛のステーキ」(写真:S1)
塩と胡椒のみの味で中々だったが、実は今一つ不足でした。ミディアムレアで焼き方を頼んだのだが、出て来たのはミディアムのちょっと固めの肉でした。もっと柔らかくしてくれないとね。
でも食欲もあり完食しました。元気な証拠かな?
以上、もう初夏の暑さの東京から㔟古口がお送りしました。
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次は前週のJ REPORTに続きます。

「人生は旅の如くNo.4ー2009年編第2話・6月に上海にて」

「J  REPORT 2024 4月第3週号」
「リタイアメント・ノート 14年10ヶ月目」
「VOL.1363 SINCE  AUG.12th、1983」

「走るな! 転ぶな! 風邪引くな!」が老人には大切らしいです。㔟古口
追加して「癌になるな」もね。

「人生は旅の如くNO.4-2009年編・第2話、6月の上海にて」
私の日程管理はアナログのエルメスの手帳だ。(写真:A1)
いつもはぎっしりと埋めているはずの予定が殆ど白紙状態だ。理由は簡単だ。行動力がなくなり自宅で過ごしているからだった。あるのは通院予定のみ。だから新ネタもなく、過去を振り替えざるを得なくなった。2009年の12回の海外旅行の始めは5月のイギリスだったが、続いて6月は中国上海、7月は韓国、8月は台湾を訪れた。
ところで前週号のイギリス編を読まれた友人でイギリス滞在3度となるM君から鋭くまた実に詳しい情報を頂いたのでご紹介させてもらうこととした。

M君レポート:
ローマ帝国は、5世紀のゲルマン民族大移動より以前、ブリテン島(現在の
英国の主要部を成す島)を数百年に渡り領土としていましたが、その時代には、
島の人口は少なく、しかも住民は(現在の大半であるアングロ・サクソンでは
なくて)ケルト人だったらしい。
 4~5世紀にかけ、フン族の西方移動に追われるように、ゲルマン民族の
大移動が起き、彼らが、現在の北ドイツ辺りの故地から、ブリテン島に侵入・
移住し、この島の主たる住人になりました。
 このゲルマン人(の部族)を、一般に、アングロ・サクソン人と呼んでいます。
彼らは、ブリテン島で、自分達の王国を築きました。 England というのは、
Angle人(アングロ人)の土地、という意味です。
 その後、1066年に、現在のフランスのノルマンディー半島に居住していた
ノルマン人がブリテン島に攻め込み、ブリテン王ハロルドと、ノルマン王ウィリアム
の戦いを制したウィリアムは、そのままブリテン島に住み着いて、ノルマン王朝を
創始。これが英国史で言う、“Norman conquest” です。 ノルマン王朝創始者である
ウィリアムは、“Willian the Conqueror ” (ウィリアム征服王)と称されています。
 因みに申しますと、ノルマン人(Norman)というのは、10世紀頃に、スカンジナビア
半島から現在のフランスのノルマンディー半島に攻め込んで、そのまま定着してノルマン
王国を建てたたゲルマン系の人種です。現代の北欧の人を見ても分かる通り、体格が
大きくて、同じゲルマン系であるアングロ・サクソンだの、ローマ帝国のラテン系より
強かったのです。
 ノルマン人は、そもそもはゲルマン系ですから、言語もゲルマン系を話していた筈
ですが、ノルマンディ半島に定住した後、文化的には、被支配民族であるラテン系の
フランス人と同化し、フランス語を話すようになっていました。
 そのノルマン人が支配階級になったので、ブリテン島では、支配階級はラテン系の
フランス語、被支配階級のアングロ・サクソン人は、ゲルマン系の言葉を話すという
分裂状態が起きました。
 両階級の間で、当然様々な大量の交流が有りますから、言語も混交して行きました。
これにより、ゲルマン系の語彙・文法とラテン系の語彙・文法が混在・共存するように
なり、英語の原型が出来て行ったのです。 これは、ヨーロッパ言語の中でも、英語だけ
に見られる特徴です。
 被支配階級は、教育・文化レベルも低かったので、混交の過程で簡略化が起きました。
その結果として、英語の名詞には、性別が有りませんし、形容詞は語尾変化しません。
そして、この簡略化のお蔭で、英語は学び易い言語になり、又、ゲルマン系とラテン系
両方の語彙を持つという、語彙豊富な言語になりました。
 我々の子供時代、TVの30分連続番組で、“ロビン・フッド” という弓の名手の反政府
集団?のお話しが有ったのをご記憶でしょうか?
 ロビン・フッドは、ノルマンの支配に抵抗するアングロ・サクソン集団のリーダーだった
のです。

と原文のまま掲載させて頂きました。M君ありがとうございました。面白い話しですね。

ということで話しを元に戻そう。
まずは上海だ。実は上海は2000年に続いての2度目。中国には3度目(1997年が最初)の旅だった。
当時現地の責任者として赴任していたM氏ご夫妻を頼り妻と訪れた。一番印象的だったのは租界と言われた古い上海にある超有名なレストランにて胡弓の音に導かれて中華料理を堪能したことだった。租界は戦前の上海にて治外法権の外国人勢力の植民地のようなもので、対岸は浦東で経済特区でもあり中国発展の象徴的な近代的超高層ビルが立ち並ぶ。一方こちら側はタイムスリップしたような西欧風の建物群がある独特の雰囲気の土地だった。近くには名園・豫園があり戦前に舞い戻ったような気がしたものだった。2008年の時も上海から蘇州や杭州等の有名観光地や寒山寺等を廻ったが、改めて中国の歴史の奥深さを味合うことが出来た。
ただいつもの如くツアー客は最後は土産物店に拉致監禁され強制的に買い物をさせられるということになるのでした。安いツアー程この買い物が逆に高額になり業者にとって釣り合っていることになるのは今も続く周知の事実でした。中国料理はまあ美味しいのだが、油物ばかりだから飽きてしまうことも多い。それと当時は替えの取り皿、茶わん、取り箸が出て来ず、同じ皿や器で何品もの料理を食べること、習慣の違いから各自が直箸で大皿料理を食べることの衛生状態に不安を感じるようになり所謂「マイ箸」を持参するようになった。この時既に香港には何回も訪れていて朝食の飲茶に行くと現地の人たちはまず自分の皿、器、箸等を出て来た熱いお茶で洗っているのに遭遇した。彼ら自身も衛生状態に不安を抱えていることが分かり早速真似した。今は流石にそんなことはないとは思うが、彼我の差は歴然としていたと記憶している。所詮日本人ツアー客には安い店にしか採算上行かないから仕方がないのだった。中国にはその後も度々行くのだが、未だに好きになれない国の一つであるのでした。

「今週の映画と本」

「今週の映画と本」
「ブルックリンでオペラを」(TC日比谷にて)私的評価★★★★(今年21作目)
オペラ作曲家の彼はスランプに陥り5年間も新曲を造れていなかった。妻と彼女の連れ子18歳の義理の息子との3人暮らしに、偶然街のバーで出会った女性・タグボートの船長と浮気をした彼はそこから新たなオペラを思いつき発表すると大ヒットする。しかし女性船長はそのオペラが彼女と彼との出会いを描いたものであることを知り復縁を迫る。一方息子の彼女16歳はこれまた偶然に作曲家一家の掃除人が母親だと分かる。そして18歳の息子と16歳の娘との関係は未成年者に対する犯罪なのかへと話しは進み、逃れるために二人は結婚しようとする。米国の法律ではニューヨーク州では16歳の少女の結婚は認められていなかった。果たしてどうなるのか?アメリカン・コメディーの暖かさが感じられる映画でした。現題は「She came to me」

「パスト ライブス/再会」(TC日比谷にて)私的評価★★★★(今年22作目)
韓国では道で袖が触れた男女には縁があるという。縁とは前世で8000世代前からのどこかで二人は出会っていたということ。ソウルに住む12歳の少年少女は初恋に。しかし彼女は突然いなくなる。8年後彼はネットで彼女がニューヨークで暮らす作家だと知る。連絡を取り合う二人。更に12年が経ち遂に彼は彼女を訪ねてニューヨークを訪れる。既に彼女は結婚しアメリカ人男性と暮らしていた。彼の数日間のニューヨーク滞在時の彼女との行動が実に美しいし、しかし必然的に別れが悲しく、ブラトニックな愛の姿を描く。

「名探偵コナン/100万ドルの五稜星」(UC豊洲にて)私的評価★★★(今年23作目)
北の地、函館で戦前に隠された秘宝を巡る争いを描く。いつもながら面白い。

また、4月12日付け日経新聞夕刊「シネマ万華鏡」には、「プリシラ」「リンダはチキンがたべたい!」「貴公子」「No.10」「ザ・タワー」「ソウルフル・ワールド」が紹介されていました。

「2024年の映画で私が良いと思ったのは」
★★★★★=「哀れなるものたち」「ジャンヌ・デュ・バリー 国王最期の愛人」「コット、はじまりの夏」「オッペンハイマー」

★★★★=「枯れ葉」「ゴールデンカムイ」「ダム・マネー ウォール街を狙え!」「ブルックリンでオペラ」「パスト ライブス/再会」

「私の2023年に観た映画は98本、星5つは
★★★★★=「ドリーム・ホース」「SHE SAID その名を暴け」「生きる LIVING」「パリタクシー」「クロース」「ふたりのマエストロ」「JFK/新証言 知られざる陰謀」

「2024 観劇シリーズ」 2023年の歌舞伎観劇は12度でした。
寿初春大歌舞伎昼の部「常辰歳歌舞伎」と「荒川十太夫」「狐狸狐狸ばなし」を観劇。
一月大歌舞伎「平家女護嶋」(新橋演舞場にて)を観劇。
猿若祭二月大歌舞伎、昼の部を歌舞伎座にて観劇。「新版歌祭文」、「釣女」、「籠釣瓶花街酔醒」の3題目。
三月大歌舞伎、昼の部「菅原伝授手習鑑」、「傾城道成寺」、「小浜御殿綱豊卿」を観劇。
四月大歌舞伎、夜の部「於染久松色読販」、「神田祭」、「四季」を観劇予定。久々の玉三郎です。

「2024年旅暦」
1月に蕎麦の旅で東北と信州に行きました。
7月に釧路に長期滞在を、8月には家族全員で壱岐の島へ旅する予定。
海外には2月にハワイに行きました。次のハワイは9月の予定です。

「2023 本の記憶シリーズ」  2022年の読書数は、185冊でした。
「流言」(上田 秀人 著)講談社文庫 私的批評眼★★★(今年46作目)「武商繚乱記」シリーズ第3弾

「魔眼の光」(佐々木 裕一 著)光文社文庫 私的批評眼★★★(今年47作目)「公家武者信平」シリーズ第15弾

「花咲舞が黙っていない」(池井戸 潤 著)中公文庫 私的批評眼★★★★(今年48作目)

「夫には殺し屋なのは内緒です2」(神楽坂 淳 著)講談社文庫 私的批評眼★★★(今年49作目)「同」シリーズ第2弾

「大地震の後始末、能登と台湾」

「大地震の後始末、能登と台湾」
1月に能登半島を、そして4月には台湾東方沖にて大地震が発生した。その後の後始末というか復興対策に大きな違いがあると思い記する。
何が違うのか?台湾ではその日の内に体育館内に避難所が設けられベッド付きのテントが多数設置されたし、壊れた建物の撤去はその日に既に始まっていた。水も食料も準備されていた。その早さに驚かされる。
一方、能登では道路が通れないとして全く手付かずの状態でライフラインも崩壊していた。この差は何なのか?私は民間に任せるか官に頼るかの差ではないかと思う。台湾では民間が事前に打ち合わせていた通りに行動し自主的に活動した。能登では官の指示がない限り何もできない、何もしない状況が長く続いた。これは官に頼るという基本的な考え方と自主的に自らを守るという考え方の差だと思う。兎に角日本人は災害時に他者を、特に官を頼り過ぎだ。自分の身は自分で守るという考えが必要だ。これ以上詳しく述べても時間の問題なので、皆様のご判断に任せるが、兎に角人を、官を頼るな。自らの命は自らがまず守るということだ。一例を挙げると家屋の被害調査などは写真で撮影しそれを証拠として早急に撤去すべきだ。本人の同意さえあれば撤去は可能だったはずだ。何故ならばコロナ禍での数々の助成金等は全て前払いの後付けだったからだ。まずは支払いをして後日精査することで一層緊急性は回避されると思うが。(詳しい例を列挙すると多過ぎるため省略)

「癌闘病記ー第11回」

「癌闘病記―第11回」
昔部下だったW君から電話があった。私の病状を心配しての電話だった。実は彼の奥様は10年ほど前に若くして癌で亡くなっていた。当初は乳がんだったが、その後肝臓癌になったという。そんなこともあり私の癌も切除したらどうかと何度も電話を頂いていた。双子の娘さんもそれぞれ独立して今は私と同じように孤独な一人暮らしだから余計心配してくれているのだ。ありがたいことだ。
断酒してほぼ一年が経つ。あれほど飲んでいた酒を止めてから一滴も飲んでいない。また呑みたいとは思わない。
抗癌剤の影響があるものの、どうやら食欲はあり食事はきちんと食べられているので助かる。
でも大腸がんの疑いも浮上し、体力の衰えも酷く、頭の痛いことばかりだ。
とは言え、口内の状態は悪化の一途を辿っている。舌は乾燥するとつばも飲み込めないし、勿論辛い物熱い物は相変わらず駄目だ。従ってアイスクリームばかり食べて舌を冷やしている。一番食べ易いのが寿司なのだが、山葵は厳禁で生姜も駄目だ。まるで子供だね。
不満を述べても仕方ないので、一日でも永く生きることに努める。
以上、春本番となった東京から㔟古口がお送りしました。
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次は前週のJ REPORTに続きます。

「人生は旅の如くーイギリスにて」

「J  REPORT 2024 4月第2週号」
「リタイアメント・ノート 14年10ヶ月目」
「VOL.1362 SINCE  AUG.12th、1983」

「走るな! 転ぶな! 風邪引くな!」が老人には大切らしいです。㔟古口
追加して「癌になるな」もね。

「人生は旅の如くNO.3-2009年編・第1話イギリスにて」
私の趣味は、「旅行」「読書」「食」、それに「映画・美術・歌舞伎鑑賞」と続くのだが、最近は身体が動けなくなり屋外活動と縁が薄くなった。だから今年の桜も観られるのだろうか心配だ。
60歳直前に会社を辞めて旅行三昧の隠居生活に入った私が2009年の海外への旅は何と12回だった。この頃膝は痛めていたがまだまだ元気だったのだ。
振り返って2008年は初尽くしの旅だった。7月のカナディアンロッキー、8月のスペイン・フランス、9月のエジプト、そして10月のアメリカ・ニューヨーク。NYK以外は全て初めての地だった。その後何度も行くことになるので、詳しくはその時にまた述べよう。
さて2009年は活動に力が入った年になった。5月のイギリスには1週間いた。大英博物館から歩いてすぐのホテルに泊まった。従って主に市内では博物館を中心に廻った。子午線のグリニッジや名前は忘れたが、小川に沿っていた美しいイングリッュガーデンの街も訪れた。勿論バッキンガム宮殿や金融街のシティ、ウェストミンスター寺院、ビッグ・ベン、タワーブリッジ、ロンドンブリッジ等も歩き回った。実はロンドンには出張で1984年4月に高炉メーカーの方と訪れていたので2度目だった。東ではカンタベリー、西はお風呂の語源と言うバス(BATH)や大学で有名なオックスフォード、またストーンヘンジにも、そして北へは湖水地方にも行った。観光客向けの安いレールウェイパスを購入していたので電車を利用して廻った。伝統であると同時に郊外には田舎が広がるイングランドに驚いた。貴族階級の支配する領地のような小さな街、ロンドンを出ると直ぐに牧草地や広大な農地になりそこに小さな集落がある。その中心部には高い教会の尖塔が必ず見える。これほど教会があるとは思わなかった。まあヨーロッパ全体に都市と教会とのコラボは当たり前なのだが。
食はインド料理にも中華料理も勿論イギリス風の料理も食べた。噂ではロンドンの飯は旨くないと聞いていたが、そんなことはなかった。湖水地方では列車の時間の都合でフィッシュ&チップスを慌てて食べたが、魚のタラが大きくて流石の私も食べるのに時間が掛かり、あとは駅まで走った。ホテル近くの中華料理屋で食べた麻婆豆腐が余りにも辛くて下痢気味になったこともあった。
郊外の道路は殆どの交差点が所謂「ラウンドアバウト」で円形の時計回り(イギリスは日本と同様左側通行だから)の道をぐるぐる回る無信号方式だった。交通量が少ないから可能なのだろうか?日本でも試みたみたいだが実行されたとは聞かないから渋滞が増えたのだろう。またイギリスの道は100%舗装されていると聞いていたが本当だった。イギリスはローマ帝国の植民地時代があり英語の単語の何と40%はラテン語由来だというから、ローマの力を感じざるを得ない。
初めてロンドンのヒースロー空港に着陸する直前に観た戸建て住宅に停まっていた車の色に赤が多いのにびっくりしたことを思い出す。同時に市内の所謂長屋方式の二階屋に煙突のある家が労働者用の家だということも知った。市内の高級住宅街はやはり綺麗な町だった。今思い出しても楽しい一人旅でした。