「佃島風景」

その昔、「徳川家康」が江戸に入った折に、大坂の「佃」から連れて来た漁師達が住み着いたのが、「佃島」だ。隅田川の河口にあるこの島で、彼等漁師は「白魚」を取って将軍家に毎朝届けるという仕事を独占的にしていたという。何しろ「神君、家康公」直々のお達し、お墨付きだから、辞める訳には往かないだろうが、まあ逆に言えば名誉なことだったのだろう。そんな佃島も、今は高層マンション群が立ち並んでいる。手前には未だに漁師達の末裔が名物の「佃煮」を作って販売している店もある。正月3日にはこの島の神社から神輿が船に乗せられて練り歩く姿が観られる。これは江戸時代から続いている行事だということだ。400年続く行事、神事なのだろう。

「ベビーカーと愛犬」

今年の夏は暑かったので、早朝の愛犬「もも」(シーズー、雌、8歳)の散歩には苦労した。兎に角すぐに歩かなくなってしまうのだ。そこで考えたのが、ベビーカーを利用することだった。いつも歩くコースは、2kmコース、3kmコース、そして5kmコースとあるのだが、最長コースに向うと絶対に歩かないのだ。そこで「ベビーカー」に無理やりに乗せてしまう。そしてベビーカーを私が押しながら適当なところまで来たら、そこで愛犬を降ろしてまたまた歩かせるのだ。こうして5kmのコースの内、数百メーターは乗せながら、その他は歩かせながら、朝の散歩を楽しんでいる。たまたま孫娘が我家に来た時用に準備されていたベビーカーが思わぬところで役に立った。それにしても暑い夏でしたね。

「虎は死して」
諺に「虎は死して皮を残し、人は死して名を残す」と言われているが、大半の人は「名」など残せない。「歴史に名を残す」ことが出来るのはほんの一握りの人間だ。今でも「功なり名を遂げた」人が望むのは「名誉」だといわれている。名を遂げても更に良く深く名誉を得たいとは、一体人間の欲には限りがないのだろうか?現代の名誉とは「勲章」だろう。さて、どこかの国の首相も最後に欲しいのは勲章なのだろうか?それとももっと長く「権力の座」に座っていたいということなのだろうか?一体どこまで望めば満足するのだろうか?果して「近い内」とはいつなのだろうか?

「銀杏」

もう銀杏(いちょう、ぎんなん、両方共に読める)の季節だった。道路上に沢山の銀杏の実が落ちていた。不思議なことに全く臭くなかった。普通銀杏は地面上で非常に臭い匂いを発しているのに、最近の銀杏は精力が落ちたのかな?でも秋を感じさせる風景でした。話しは変わるが、「彼岸」の折に垂オ上げたが、秋の彼岸、秋供養では「お萩」を、そして春の彼岸、春供養には「ぼた餅」と呼ばれるお餅だが、春のは「牡丹餅」というのが、元々の言葉だったそうだ。牡丹がなまって「ぼた」となったという。

2012年の映画のお話し
映画「アイアン・スカイ」(ユナイテッドシネマ豊洲にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年174作目)
2018年、月の裏側に「ナチ」が生き残っていたのが発見された。そして地球征服を目指して、ナチは地球を攻撃するという設定。まあ荒唐無稽を絵に描いたような映画でしたが、それなりに面白かった。結末は意外でした。

映画「ハンガー・ゲーム」(日劇にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年175作目)
物凄く眼の疲れる映画だ。兎に角眼が疲れる。それを覚悟で行かれるのはかまわない。24人から生き残るのはたった一人という殺人ゲームの勝者は果たして?

映画「エージェント・マロリー」(ユナイテッドシネマ豊洲にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年176作目)
女性エージェントの「マロリー」が大活躍する活劇ドラマ。格闘戦闘シーンの連続だ。

映画「モンスター・ホテル」(ユナイテッドシネマ豊洲にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年177作目)
モンスターたちが暮すホテルに人間が闖入してしまった。最後は勿論ハッピーエンドでした。

映画「シネマ歌舞伎 籠釣瓶花街酔醒」(東劇にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年178作目)
勘三郎と玉三郎が共演。惚れた花魁に振られた男の復讐劇。

日経新聞10月5日夕刊「シネマ万華鏡」によれば、「桃さんのしあわせ」が5つ星、「アウトレイジ ビヨンド」が5つ星、「4:44地球最期の日」が3つ星、「最終目的地」が4つ星、「コンフィデンスマン」が3つ星、「新しい靴を買わなくちゃ」が2つ星、「ビラルの世界」が3つ星でした。

「私の今年の映画の評価は?」
今年の★★★★★ 「ヘルプ」「わが母の記」
今年の★★★★  「ロボジー」「麒麟の翼」「ドラゴンタトゥーの女」「ポエトリー」「ピラミッド」「シャレード」         「PINA」「エル・ブリ」「マーガレット・サッチャー」「マリリン 7日間の恋」「アーティスト」「ジョン・カーター」「裏切りのサーカス」「ファミリー・ツリー」「星の旅人たち」「ミッドナイト・イン・パリ」「プレイ 獲物」「崖っぷちの男」「ブラック・ブレッド」「リンカーン弁護士」「ローマ法王の休日」「ダークナイト・ライジング」「あなたへ」「最強のふたり」

「シノプスシ191」
「旦那背信」(上田 秀人 著)幻冬社文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年257冊目)
「妾屋昼兵衛女帳面」シリーズ、3作目。

「逸脱」(堂場 瞬一 著)角川文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年258冊目)
「捜査一課・澤村慶司」シリーズ1作目

「秋はまぐり」(和田 はつ子 著)ハルキ文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年259冊目)
「料理人季蔵捕物控」シリーズ17作目

中秋の名月

「J  REPORT 2012 10月第2週号」
「リタイアメント・ノート 4年4ヶ月目」、
「VOL。761 SINCE AUG.12th、1983」
「中秋の名月」
その日は東京を台風17号の風雨が襲った。従って「中秋の名月」は翌日の台風一過の早朝観ることが出来た。真ん丸のお月様は幻想的だ。日本人は月が好きだね。でも実に美しい月だ。西の空、一杯に観えている様な錯覚すら感じる。太陽がどんどん昇ってくると月もその姿を空の青さの中に消してしまった。月は素晴らしかったが、台風一過の都内の道路には風で吹き折れた小枝が散乱していた。「東京海洋大学」内の大きな木が地上1mほどのところからぼきっと折れていた。多分日本中随所で大木が折れただろう。でもその日の空はどこまでも青く澄み切っていた。その夜は「16夜(いざよい)」の月が実に美しく夜空を飾っていた。

「どんぐりころころ」
街路樹の下に「どんぐり」が転がっていた。するとこの木は「ブナ科」のものなのだろう。都会でもこういった木が生えている。ところが山はどうも夏の暑さもあって大変らしい。新聞に「やせ細った熊」の写真が出ていたが、餌不足が酷いらしい。今週は木曜日から「北海道旅行」がある。「知床半島」にも行くのだが、知床の熊も痩せて大変なようだ。襲われて食われでもしたら、これもまた大変だ。知床には2005年10月一人旅で行った。ところがいよいよ知床半島というところでバスの中にいる私の携帯が鳴り出した。甥からの電話だった。「母が死んだ」という。「朝、食事を持っていったら、もう冷たくなっていた」というではないか。それからバスの終点から逆戻りで「女満別空港」に行って、急ぎ東京へ戻ったのだった。それ以来の知床だ。

「手前勝手世界食物語 270話」

北海道といえば、時期外れだが「毛蟹」でしょう。二日目の夕食に出て参りました。これが苦手なんだよね。身を穿り出すのが苦手だ。正に無口になってしまって、必死で身を取り出す。毛蟹と言えばすぐに思い出すのが、多分幼稚園か小学生低学年の時の旅の途中、函館でのことだ。いつも夏か冬かの休みには母と妹と一緒に札幌に来ていた。母方の祖父と叔父たちが住んでいたからだった。だから幼い頃の北海道の思い出は多い。その一つが「毛蟹」だった。青函連絡船を下船し、鉄道に乗った時、母が函館駅で毛蟹を買ってきてくれた。それを車内で食べた時の感動は今でもすぐに思い出す。本当に美味しかった。熱々の毛蟹をむしって食べた。あの時の感動は忘れられない。今回も最初は「毛蟹半身」ということだったが、実際に出てきたのは「毛蟹一匹」でしたが、ちょっと小さめだし時期外れだから仕方がないかね。昔新橋の「蟹専門店」に行っていた頃は一匹1万円の毛蟹をよく食べたものだった。懐かしいね。母との思い出の一つには、今でもあの情景が目蓋に浮かぶ。汽車の窓から見ると周囲は蒸気がそこここにあり、今にも動き出そうとする蒸気機関車が見える。そんな時に毛蟹を食べていたという不思議を思い出す。生まれて初めて毛蟹を食べた瞬間だった。美味しかったなあ。
以上、勢古口が北海道からお送りしました。

「北海道旅行後記」

実は今、「新千歳空港のANAラウンジ」でこれを書いている。「機材到着遅れ」とかで約50分出発が遅れるという。これまた参ったね。羽田に着くと恐らく午後11時だ。タクシーで帰ると6000円以上になってしまうので、電車かバスなのだが、参ったよ。まあ、ラウンジにいるだけマシだが、酒を飲みながら、書いている。思い出せば、「知床では鮭の遡上」が見られた。河口から上流に向けて子孫を残すためだけに自殺的な遡上を行う鮭たち。実に健気だ。周辺では北海道の花「ハマナス」が赤い花と赤い実をつけていた。鮭たちは遡上して「産卵」し、そこで死ぬ。ハマナスは花を咲かせ実を実らせ次の世代に「命」を繋ぐ。同じ「命の継承」だが、「鮭とハマナス」、なぜこうも違うのか?自然の摂理とはいえ、本当に空しい。さて今回の旅も恐らく1000km以上はバスで走ったのではなかろうか?長い行程でした。今回も6月のスイス旅行と同じ3人組でした。毎日毎晩飲み明かしました。次回の3人の旅は来年1月に「沖縄」に行く嵐閧ナす。慣れたもので朝食時に昼食用の食材を確保し、昼食は「手製弁当?」で済ませる我等。「旅慣れた」ものですね。夜は勿論「焼酎とワイン」で酔っ払ってました。北海道では「ワンコインワイン」というのがコンビニで売られていて、それが@500円でフルボトルのワインなのだ。本当に安い。皆チリ産でした。

第二日目 10月5日(金曜日)

網走経由で知床に向かう。しかし台風の影響か、波が高くて目玉だった「観光船」乗船は中止となった。知床は野生動物の宝庫なのだろう。「蝦夷鹿」「キタキツネ」等を沢山観掛けた。「ヒグマ」には遭遇しなかった。知床の自然を守るために逆に「鹿」を駆除しているという。増え過ぎで木や草を食べつくしてしまうらしい。「蝦夷鹿」の肉を使って「大和煮の缶詰」や「ハンバーガー」なども売っていた。一説によると「蝦夷鹿焼肉丼」もあるらしい。知床の売店のおじさんは「鹿が人口より多い」とぼやいていた。この地方の産物は「ビート」、砂糖の原料になるものだ。北海道は広いから町と町とは点と点を結ぶ線の周りは原野か畑か森林ということになる。知床は2005年に来た時に母の死亡が伝えられたところで、今回も船に乗れなかったのは「よほどついていない土地なのか」と思ってしまう。「知床よ、俺を拒否するのか?」と言いたくなった。その晩は「川湯温泉」に泊まる。「屈斜路湖」の近くだ。この辺りは「阿寒国立公園」内にあたる。非常に硫黄の強い温泉でした。余り温泉が好きではないので、「カラスの行水」でした。

第三日目 10月6日(土曜日)最終日

朝、食後の散歩を兼ねて温泉街を歩いていたら偶然「川湯エコミュージアムセンター」というのがあった。オープンは8時ということで30分ほど早いので諦めて引き返そうとしたら、係りの女性と思われる人が現れたのでずうずうしくも、「入れますか?」と聞いたところ、「掃除中でもよければ」ということなので、勿論OKして早めに入らせてもらった。パャRンの3D画像で周辺の状況をチェックした後、ビデオで摩周湖等の自然を観た。「霧の摩周湖」として名を馳せている摩周湖の霧は夏の間が多いらしい。その日の目玉はやはり「摩周湖」だ。お蔭様で天気もよく、摩周湖は眼下に透き通るような水を貯めて光り輝いていた。時々中国語が聞こえてくる。服装からすると台湾の人のようだ。高校の修学旅行時に来た時は霧で全く何も観えなかったと記憶している。さてその後、マリモで有名な「阿寒湖」に行く。ここには今年の一月にも来たところだ。その時、湖は「完全凍結」していた。今は初秋の頃なので緑一色だ。「雄阿寒岳」「雌阿寒岳」「阿寒富士」等の山々は美しく、くっきりと観ることが出来た。そして一路帰路へと向かう。

知床へ

「J  REPORT 2012 10月第2週号追加」
「リタイアメント・ノート 4年4ヶ月目」、
「VOL。762 SINCE AUG.12th、1983」
「旅暦42、北海道知床の旅」
第一日目 10月4日(木曜日)
北の大地「北海道」に無事到着しました。さあ、始まりです。まずバスで旭川へ、勿論目的地は「旭山動物園」である。今回の旅はJTB旅物語の「知床の大自然観光」と銘打ったもので、2泊3日のバス旅行だ。旭山動物園には数年前の2月に一度訪れており、「ペンギンの雪中散歩」も観ている。秋なので当然雪はないからペンギンの散歩はない。約1時間、園内を廻る。小さな動物園だがそれぞれに趣向を凝らし、客を飽きさせない展示方法なのだろう。虎、ライオン等の猛獣や、小動物、鳥などがいる。一応目玉はやはり「空飛ぶペンギン」と「アザラシ」なのか?その日は観光バスが90台入ったという。修学旅行生が多い。まあ動物園はほどほどにして、一路東の層雲峡の先の温泉に向かう。まだ大雪山系の山々の紅葉は山頂付近だけのようだ。途中「北見」を通る。その昔、大正時代にはこの地は「ハッカ」の産地で「ハッカ御殿」が建っていたそうだ。今は「玉葱」の産地らしい。畑には取り入れられた玉葱を入れた鉄の籠が沢山置かれていた。一つの籠で約10万円するらしい。玉葱といえば私は「淡路島」を思い出すが、この辺りも産地だったとは知らなかった。今や北海道の米は「美味い米」として知られるようになった。これも温暖化の影響なのかもしれない。寒冷地だった北海道も今や立派な米の山地でもあるようだ。「夢ピリカ」というのが特に有名らしい。泊まりは「温根湯温泉」でした。

「手前勝手世界食物語、第268話」

もう時間も大分経つのでこの欄の題名である「手前勝手世界食物語」と名付けた所以などを語ってみよう。元々このホームページを開設したのは2001年の11月だった。過去のホームページを観ていただければ分かるのだが、まあその頃からよく海外旅行に行っていた。そしてその際に食べたものを記録しようと思い立ってこの欄を作ってみた。勿論海外だけでなく、国内でも美味しい店を探して歩いた。そんな記事を読んだ一部の方から「自分も行って見たい」とのお話しを頂くようになり、それならばと、これまで実に268回も更新を重ねてきたということだ。だからその名の通り、「手前勝手」というのは「私の自らの感覚」で判断し、「美味しさ」の基準も私独自の判断である。ある時、ある店に行ったら、私のホームページを観て、訪れた客がいたとか、アルバイト募集したら私のホームページを印刷して持ってきた人がいたとか、聞く事もあった。まあ、どこかで私の味を共有する人たちもおられるらしいので、これからも続けていくつもりだ。国内では勿論だが、海外でも仮に個人旅行でなく団体旅行であっても出来る限り、グルメな店を探して行くようにしている。団体旅行の場合は所謂「ツアー飯」であり、美味くない。従って、ツアー飯を断って個人で街に出掛けて食べることも度々ある。そういった自由を認めてくれないケースもあるが、無理をしてでも旅先でも美味しいものを食べたいと思っているのだ。

「築地場外市場、鰹節の秋山」
久し振りに築地の場外市場を歩いてみた。流石平日だが観光客の姿が多い。例の有名な卵焼き屋さんの「丸武」には弟のタレントさんの写真が飾られていた。さて今日ご紹介するのは恐らく築地で「鰹節」では唯一の店だろうと思うのだが、その名は「秋山」。削りたての鰹節を販売しているのだ。鰹節自体を販売するのはあるだろうが、「削りたて」というのが味噌なのだ。料理屋さんでも自らの店で鰹節を削るところもあるのだろうが、ここ築地で削りたてを買い求めてきて、すぐそのまま湯に入れるところも沢山あるのだろう。店先には数多くの客が来ていた。「出汁」には「鰹節」「煮干」「昆布」と色々あるが、料理の基本の一つが「鰹節」だ。日本橋近くには老舗の鰹節店もあるが、庶民には築地の鰹節、それも削りたてが似合うのではないだろうか?

「熱もりの蕎麦」
大阪府堺市にある有名な蕎麦店が「ちく満」だ。「ちくま」と読む。ご存知堺市は戦国の世から商人の町として栄えてきた町だ。鉄砲伝来より早くその製法を取り入れて、日本中の鉄砲供給基地となり、また貿易でも財を成した町でもある。その町の周囲は堀を巡らし、あたかも自治権があるような形態であったと言う。そんな伝統ある町にあるこの蕎麦屋。通りを挟んで反対側には「美々卯」の創業店がある立地だ。この「ちく満」の蕎麦が関東生まれの私からするとちょっと変わっている。「関東は蕎麦、関西はうどん」と言われているが、堺のこの蕎麦は太さがまず太い。うどん並みの太さだ。それを所謂「熱もり」と呼ばれる「蒸籠(せいろ)」に蕎麦が乗り、高温の蒸気で蒸し揚げた状態」で出す。タレがまた凄い。それこそ「熱々」のタレに「生卵」を割り入れる。生卵を入れないと熱くてとてもではないが食べられそうにない。それほどに熱いタレなのだ。生卵でちょっと温度が下がったタレに熱々に蒸された蕎麦を入れて食べる。だから関東風の蕎麦の味をまずは賞味しようとして蕎麦だけ最初は食べるなどと乙なことをおっしゃる方には向いていない。熱々の蕎麦にこれも熱々のタレに浸して食べるこの独特の蕎麦、一度味合うと感動すること間違いなしである。但し、蕎麦を食べたのかうどんを食べたのか、最初はよく分からなかったと言っておこう。
以上、東京から勢古口がお送りしました。