「手前勝手世界食物語、第270話」

「ジャスミンティー」
「知床旅行」前に打ち合わせ会をしたのが、西川口駅から徒歩10分ほどの小さな中華料理店だった。実はスイス旅行の事前打ち合わせ会もここで行ったことがあったので、今回も行って見たが、店の名前が変わっていた。聞くと経営者もコックさんも変わったというのだ。まあ来てしまったのだから仕方なく、ここで食事をした。3000円で飲み放題食べ放題でやるというのだ。ところが味は今一つ、ちょっと塩辛くて私の舌には合わなかった。最後に出たのが「ジャスミン・ティー」だったが、「花」が咲いていた中国茶には初めてお目にかかったという次第でした。このお茶は美味しかったです。まあ安かったから仕方がないか。この店、兎に角、コック一名、出前用の人1名、共に中国人でコックさんはもう3年日本にいるというが殆ど日本語を喋れなかった。だが不思議なことに「出前」の注文がひっきりなしに入っていて、所謂「お弁当式」のオカズ詰め合わせを沢山作ってはバイクで運んでいた。我々の料理もそのお弁当のオカズの一部が出てきたのだろう。
以上、勢古口が東京よりお送りしました。

「指物師」

この写真も「江戸東京博物館」に展示されていたものを撮ったのだが、ここに江戸時代の町人の生活が縮図となっているので紹介しておこう。江戸時代の江戸と言う町は、いつの頃からか「百万人都市」となり、世界一の大都会だった。そこには「水道水」も「木製の管」で運ばれ、非常に便利にそして衛生的になっていたという。そして町人、ここでご紹介するのは「指物師」で木や竹を使って色々な道具類を作っていた人だ。典型的な江戸の町の「長屋」だ。部屋は一間、入口に土間があり、竃(へっつい=かまど)があり、水を貯めている壺がある。ここで煮炊きをする。部屋は精々6畳間くらい。ここで寝起きも仕事もするのだ。布団は風呂敷に包んで天井から吊るすのが当たり前。江戸時代は火事が多かったので、家具は殆ど持っていない。なぜならばすぐに火事で焼き出されてしまうからだ。だから道具類はレンタルが殆どだったらしい。こんな長屋に暮す人々。「江戸っ子は宵越しの金を持たない」と言われた所以は「火事」が原因だったらしいのだ。火事で失ってしまうのなら、使ってしまえという論理だったらしい。「一両」(今の価値で約10万円)で家族4人が一月暮らせたというのだから、まあそれなりの暮らしをしていた江戸の人たちでした。

「秋の運動会」

銀座のみゆき通りに面している「泰明小学校」の狭いグラウンドでは「秋の運動会」が行われていた。あの狭い場所での運動会だから大変だろうなあと思いながら通過。実は先日、ある幼稚園のところで園児たちがお昼寝を終えて簡易ベッドを片付けていたから、思わず可愛いなあと思って写真を撮ったら、保母さんと思われる中年の女性が駆けて来て文句を言われたことがあった。だから今回は門の前の看板だけ写真を撮った。なんだかんだとやりにくい世の中になってきましたね。父兄の方たちも門でチェックされていて、誰でもが運動会に参加できる訳ではないようだった。堅苦しい世の中でした。

「寄付」
「三田評論」が届いた。理由は「中学校(普通部というのだが)」の校舎新築への寄付をしたので雑誌に「名前を載せた」ということだった。まあ小額だが大変お世話になった「学校への寄付は一つの義務だ」と思っている。「150周年記念」にも寄付をして「銘板」に名前を載せてもらっているし、体育会アメリカンフットボール部の「人工芝グラウンド新設工事」にも寄付し、これもステンレス製の銘板にも名前を載せてもらった。今回「三田評論」には「ロンドン・オリンピック」で活躍した人たちが載っていた。まずは「フェンシング男子」の銀メダリスト「三宅諒」君(文学部4年)、「男子100m、男子4x100m」五位入賞の「山縣亮太」君(総合政策学部4年)、「競泳男子100m平泳ぎ、200m平泳ぎ」銅メダリスト「立石諒」君(環境情報学部4年)、「セーリング女子レーザーザジアル級」の「土居愛実」さん(環境情報学部1年)、「馬場馬術個人」の「法華津寛」氏(昭和38年経済学部卒)、「陸上男子800m」の「横田真人」氏(平成22年総合政策学部卒)、そして「パラリンピック」でも「高桑早生」さん(総合政策学部2年)が活躍されたという。よかったね。

「またまた孫娘」

生後11ヶ月になる初孫の「栞」だが、会うたびに大きくなっている。どうも背丈体重共に平均よりはちょっと大きいだけだそうだが、元気に掴まり立ち出来ている。もうすこしすると歩き出すのだろう。身長73cm、体重7.3kgの女の子でした。

2012年の映画のお話し
映画「アイアン・スカイ」(ユナイテッドシネマ豊洲にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年174作目)
2018年、月の裏側に「ナチ」が生き残っていたのが発見された。そして地球征服を目指して、ナチは地球を攻撃するという設定。まあ荒唐無稽を絵に描いたような映画でしたが、それなりに面白かった。結末は意外でした。

映画「ボーン・レガシー」(日劇にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年178作目)
ジェイャ刀Eボーンの新しいシリーズ。主人公は変わっても筋立ては変わらない。活劇シーンの連続で手に汗握る。

映画「アウトレイジ・ビヨンド」(ユナイテッドシネマ豊洲にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★★(今年179作目)
いやはや流石は北野監督だ。全員悪人というのがよく分かる。まあ一度ご覧になっては如何か?

日経新聞10月12日夕刊「シネマ万華鏡」によれば、「ミステリーズ 運命のリスボン」が5つ星、「思秋期」が4つ星、「推理作家ポーの最期の五日間」が3つ星、「キック・オーバー」が3つ星、「恋に至る病」が3つ星、「情熱のピアニスト」が3つ星、「フタバから遠く離れて」が3つ星でした。

「私の今年の映画の評価は?」
今年の★★★★★ 「ヘルプ」「わが母の記」
今年の★★★★  「ロボジー」「麒麟の翼」「ドラゴンタトゥーの女」「ポエトリー」「ピラミッド」「シャレード」         「PINA」「エル・ブリ」「マーガレット・サッチャー」「マリリン 7日間の恋」「アーティスト」「ジョン・カーター」「裏切りのサーカス」「ファミリー・ツリー」「星の旅人たち」「ミッドナイト・イン・パリ」「プレイ 獲物」「崖っぷちの男」「ブラック・ブレッド」「リンカーン弁護士」「ローマ法王の休日」「ダークナイト・ライジング」「あなたへ」「最強のふたり」「アウトレイジ・ビヨンド」

「シノプスシ192」
「なでしこ御用」(宇江佐 真理 著)集英社文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年260冊目)
江戸の町医者の娘が御用聞きのように活躍し犯罪を推理する。

「追跡」(高嶋 哲夫 著)ハルキ文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年261冊目)
「警視庁鉄道警察隊」のお話し。鉄道車内で起こる連続切り裂き魔を追う。

「寂滅の剣」(北方 謙三 著)新潮文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年262冊目)
「日向景一郎」シリーズ5作目、最終回。祖父と孫が父を討ち、兄と弟が殺し合う。剣豪たちの宿命も遂に完結した。面白かった。

「剣客太平記」(岡本 さとる 著)ハルキ文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年263冊目)
「夜泣き蝉」(岡本 さとる 著)ハルキ文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年264冊目)
「剣客太平記」2作目。
「いもうと」(岡本 さとる 著)ハルキ文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年265冊目)
「剣客太平記」3作目。
「恋わずらい」(岡本 さとる 著)ハルキ文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年266冊目)
「剣客太平記」4作目。
「喧嘩名人」(岡本 さとる 著)ハルキ文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年267冊目)
「剣客太平記」5作目。

「寵臣の真」(上田 秀人 著)徳間文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年268冊目)
「お髷番承り候」シリーズ第5作目。

お江戸日本橋の賑わい

「J  REPORT 2012 10月第3週号」
「リタイアメント・ノート 4年4ヶ月目」、
「VOL。763 SINCE AUG.12th、1983」
「江戸は日本橋北詰の模型」
両国の「江戸東京博物館」で「徳川家康の肖像、江戸時代の人々の家康観」という催しが行われていた。身障者手帳を見せれば「ただ」なので入ってみた。そこの「常設展示場」に大きな模型があった。一つは「江戸城本丸」、もう一つは「大名屋敷」、そして最後は「江戸日本橋北詰」の3つだった。特に日本橋から神田方面を模したものには詳細な人間の姿をした模型たちが立ち並び、当時の江戸の賑わいを浮墲オていた。武士、町人、芸人、老若男女が集っている。まさに江戸、日本橋の縮図だ。葡ハりには大店があり、その前を「棒手振り」が魚や野菜を運びながら商品を売っている。裏では長屋の井戸端で女性たちが「井戸端会議」、その隣で子供たちが遊んでいる。長閑な日中の風景でした。

「元上司の死」
今年、3人目の直属の元上司の死だった。それは突然のメールで判明した。既に神戸で通夜は開催されていた。慌てて翌日の葬儀に間に合うように新幹線で東京を経つ。葬儀場は新神戸駅から徒歩15分ほどの場所にある「キリスト教会」だった。二日前、朝の散歩中、路上で倒れてそのままお亡くなりになったという。残されたのは奥様のみ。その奥様のご挨拶に寄れば、「1年半ほど前に心臓疾患が見つかり、それから7回の入退院を繰り返し、カテーテル治療でステントを4箇所入れていたという。復帰し最近では散歩とカメラ撮影を楽しんでおり、一ヶ月前にはゴルフもやったという。いつもなら奥様も一緒に散歩するのだが、その日は単独で出掛けた」という。そして携帯に夫発信の電話が入ったが、話している人は救急隊員だという。「直ぐに病院に来て下さい」ということで、駆け付けたが、一度も意識が戻らぬまま、すでに帰らぬ人になっていたという。心の準備もお別れの言葉も掛けられずに旅立たれた奥様には本当にお悔やみの言葉すらない。今年の年賀状には「大病をしました」と書かれていたが、これほどのことがあったとは知らなかった。「O氏」67歳、早過ぎる死でした。彼とはある共通点がある。彼は関西学院の中学部ではタッチフットボールを、高校大学ではアメリカンフットボール部に所属していた。私も高校大学と体育会でアメリカンフットボールをやっていた。関学とは定期戦があり、交互に東京神戸を訪れ戦っていた。その当時は一度も勝てなかった。だから彼とは試合場のグラウンドのどこかで会っていたはずだと思う。葬儀の最期、お別れの時に奥様がキッスをされていたのを見たら思わず涙が出てしまった。ご冥福をお祈りする。そこで思い知ったのだが、人の生き死には正に「サドンデス」だ。卵zも出来ない時に突然死が舞い込む。常に死を意識して生きなければならないと改めて思った次第でした。「遺言」を書くことにした。

「お江戸日本橋の賑わい」

「手前勝手世界食物語、第269話」

「ラーメン井上」
「築地場外市場」にあるこれも有名なラーメン店が「井上」だ。いつも行列が出来ている。麺を茹でている親父さんも歳食ったね。何10年もここでやっている。ふと見たら隣の店もどうも買い取ってしまい、ラーメンの食べるところにしてしまったようだ。店舗拡大、目出度し目出度しだ。昔はラーメン一杯@500円だったが、今は@650円になっていた。麺の上一面に広がったように乗っている「チャーシュー」がここの名物だ。醤油味のスープは本格的な昔からの東京ラーメンの味だ。麺は普通の太さのストレート麺。650円払って、並んでいると麺が1分ほどで茹でられて出てくる。チャーシューと刻みネギが乗せられてラーメン完成、それを路上で立ち食いするのがここの流儀だ。中国からの観光客も食べていた。ラーメンは日本が一番ですね。普段はラーメンなど食べないのだが、ついお腹がすいて食べてしまいました。間口1間、奥行き半間ほどの小さな店だが、築地で知らない人はいないだろう。早朝から開いていて市場に来る人たちが利用する店なのだが、勿論一般の人たちも利用している。本当は右隣の店からいつもクレームが付いていて、その理由はラーメン屋に並ぶ人たちの列がその右隣の店の前に流れてきてしまうので営業妨害だといつも揉めていた。そして左隣の店は確か長靴とかそういったものを売っていたと思ったが、どうもその店を買収したのか、店が倍に拡張されていたのだった。お昼で店はお終いです。
以上、東京から勢古口がお送りしました。

「佃島風景」

その昔、「徳川家康」が江戸に入った折に、大坂の「佃」から連れて来た漁師達が住み着いたのが、「佃島」だ。隅田川の河口にあるこの島で、彼等漁師は「白魚」を取って将軍家に毎朝届けるという仕事を独占的にしていたという。何しろ「神君、家康公」直々のお達し、お墨付きだから、辞める訳には往かないだろうが、まあ逆に言えば名誉なことだったのだろう。そんな佃島も、今は高層マンション群が立ち並んでいる。手前には未だに漁師達の末裔が名物の「佃煮」を作って販売している店もある。正月3日にはこの島の神社から神輿が船に乗せられて練り歩く姿が観られる。これは江戸時代から続いている行事だということだ。400年続く行事、神事なのだろう。

「ベビーカーと愛犬」

今年の夏は暑かったので、早朝の愛犬「もも」(シーズー、雌、8歳)の散歩には苦労した。兎に角すぐに歩かなくなってしまうのだ。そこで考えたのが、ベビーカーを利用することだった。いつも歩くコースは、2kmコース、3kmコース、そして5kmコースとあるのだが、最長コースに向うと絶対に歩かないのだ。そこで「ベビーカー」に無理やりに乗せてしまう。そしてベビーカーを私が押しながら適当なところまで来たら、そこで愛犬を降ろしてまたまた歩かせるのだ。こうして5kmのコースの内、数百メーターは乗せながら、その他は歩かせながら、朝の散歩を楽しんでいる。たまたま孫娘が我家に来た時用に準備されていたベビーカーが思わぬところで役に立った。それにしても暑い夏でしたね。

「虎は死して」
諺に「虎は死して皮を残し、人は死して名を残す」と言われているが、大半の人は「名」など残せない。「歴史に名を残す」ことが出来るのはほんの一握りの人間だ。今でも「功なり名を遂げた」人が望むのは「名誉」だといわれている。名を遂げても更に良く深く名誉を得たいとは、一体人間の欲には限りがないのだろうか?現代の名誉とは「勲章」だろう。さて、どこかの国の首相も最後に欲しいのは勲章なのだろうか?それとももっと長く「権力の座」に座っていたいということなのだろうか?一体どこまで望めば満足するのだろうか?果して「近い内」とはいつなのだろうか?

「銀杏」

もう銀杏(いちょう、ぎんなん、両方共に読める)の季節だった。道路上に沢山の銀杏の実が落ちていた。不思議なことに全く臭くなかった。普通銀杏は地面上で非常に臭い匂いを発しているのに、最近の銀杏は精力が落ちたのかな?でも秋を感じさせる風景でした。話しは変わるが、「彼岸」の折に垂オ上げたが、秋の彼岸、秋供養では「お萩」を、そして春の彼岸、春供養には「ぼた餅」と呼ばれるお餅だが、春のは「牡丹餅」というのが、元々の言葉だったそうだ。牡丹がなまって「ぼた」となったという。

2012年の映画のお話し
映画「アイアン・スカイ」(ユナイテッドシネマ豊洲にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年174作目)
2018年、月の裏側に「ナチ」が生き残っていたのが発見された。そして地球征服を目指して、ナチは地球を攻撃するという設定。まあ荒唐無稽を絵に描いたような映画でしたが、それなりに面白かった。結末は意外でした。

映画「ハンガー・ゲーム」(日劇にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年175作目)
物凄く眼の疲れる映画だ。兎に角眼が疲れる。それを覚悟で行かれるのはかまわない。24人から生き残るのはたった一人という殺人ゲームの勝者は果たして?

映画「エージェント・マロリー」(ユナイテッドシネマ豊洲にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年176作目)
女性エージェントの「マロリー」が大活躍する活劇ドラマ。格闘戦闘シーンの連続だ。

映画「モンスター・ホテル」(ユナイテッドシネマ豊洲にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年177作目)
モンスターたちが暮すホテルに人間が闖入してしまった。最後は勿論ハッピーエンドでした。

映画「シネマ歌舞伎 籠釣瓶花街酔醒」(東劇にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年178作目)
勘三郎と玉三郎が共演。惚れた花魁に振られた男の復讐劇。

日経新聞10月5日夕刊「シネマ万華鏡」によれば、「桃さんのしあわせ」が5つ星、「アウトレイジ ビヨンド」が5つ星、「4:44地球最期の日」が3つ星、「最終目的地」が4つ星、「コンフィデンスマン」が3つ星、「新しい靴を買わなくちゃ」が2つ星、「ビラルの世界」が3つ星でした。

「私の今年の映画の評価は?」
今年の★★★★★ 「ヘルプ」「わが母の記」
今年の★★★★  「ロボジー」「麒麟の翼」「ドラゴンタトゥーの女」「ポエトリー」「ピラミッド」「シャレード」         「PINA」「エル・ブリ」「マーガレット・サッチャー」「マリリン 7日間の恋」「アーティスト」「ジョン・カーター」「裏切りのサーカス」「ファミリー・ツリー」「星の旅人たち」「ミッドナイト・イン・パリ」「プレイ 獲物」「崖っぷちの男」「ブラック・ブレッド」「リンカーン弁護士」「ローマ法王の休日」「ダークナイト・ライジング」「あなたへ」「最強のふたり」

「シノプスシ191」
「旦那背信」(上田 秀人 著)幻冬社文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年257冊目)
「妾屋昼兵衛女帳面」シリーズ、3作目。

「逸脱」(堂場 瞬一 著)角川文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年258冊目)
「捜査一課・澤村慶司」シリーズ1作目

「秋はまぐり」(和田 はつ子 著)ハルキ文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年259冊目)
「料理人季蔵捕物控」シリーズ17作目

中秋の名月

「J  REPORT 2012 10月第2週号」
「リタイアメント・ノート 4年4ヶ月目」、
「VOL。761 SINCE AUG.12th、1983」
「中秋の名月」
その日は東京を台風17号の風雨が襲った。従って「中秋の名月」は翌日の台風一過の早朝観ることが出来た。真ん丸のお月様は幻想的だ。日本人は月が好きだね。でも実に美しい月だ。西の空、一杯に観えている様な錯覚すら感じる。太陽がどんどん昇ってくると月もその姿を空の青さの中に消してしまった。月は素晴らしかったが、台風一過の都内の道路には風で吹き折れた小枝が散乱していた。「東京海洋大学」内の大きな木が地上1mほどのところからぼきっと折れていた。多分日本中随所で大木が折れただろう。でもその日の空はどこまでも青く澄み切っていた。その夜は「16夜(いざよい)」の月が実に美しく夜空を飾っていた。

「どんぐりころころ」
街路樹の下に「どんぐり」が転がっていた。するとこの木は「ブナ科」のものなのだろう。都会でもこういった木が生えている。ところが山はどうも夏の暑さもあって大変らしい。新聞に「やせ細った熊」の写真が出ていたが、餌不足が酷いらしい。今週は木曜日から「北海道旅行」がある。「知床半島」にも行くのだが、知床の熊も痩せて大変なようだ。襲われて食われでもしたら、これもまた大変だ。知床には2005年10月一人旅で行った。ところがいよいよ知床半島というところでバスの中にいる私の携帯が鳴り出した。甥からの電話だった。「母が死んだ」という。「朝、食事を持っていったら、もう冷たくなっていた」というではないか。それからバスの終点から逆戻りで「女満別空港」に行って、急ぎ東京へ戻ったのだった。それ以来の知床だ。