「2014アカデミー賞は?」

「2014年のアカデミー賞は?」
「作品賞」は「それでも夜は明ける」。「監督賞」は「アルフォンソ・キュアロン」氏(ゼロ・グラビティ)。「主演男優賞」は「マシュー・マコノヒー」氏(ダラス・バイヤーズクラブ)。「主演女優賞」は「ケイト・ブランシェット」さん(ブルージャスミン)。「助演男優賞」は「ジャレッド・トレー」氏(ダラス・バイヤーズクラブ)。「助演女優賞」は「ルピタ・ニョンゴ」さん(それでも夜は明ける)。「外国語映画賞」は「追憶のローマ」(イタリア)。なお「ゼロ・グラビティ」は、監督賞、撮影賞、編集賞、作曲賞、録音賞、音響編集賞、視覚効果賞を獲得した。残念ながら日本からノミネートされていたアニメ2作品は落ちた。レオナルド・ディカプリオはまたまた主演男優賞を逃したが、当然と言えば当然だろう。納得出来る選考でした。
「日本アカデミー賞」
参考までに日本アカデミー賞は、「舟を編む」が作品賞、主演男優賞、助演男優賞等を総なめしました。

「虫干し」
江東区に「江東シルバー人材センター」というのがある。いつもバスの広告でみていたのだが、連絡をとったら、仕事を請け負うという。当然70歳以上の人たちが自分たちの特技を生かして仕事をするという。私がお願いしたのは家内の着物の「虫干し」だった。3年前に家内の実家から娘時代の着物をこちらに送らせた後、ダンボールに入れたままにしていた。一回だけ中身を開けて写真を撮り、一応の整理はしてあったが、本格的な虫干しは初めてだった。写真はベランダの下に吊るした30枚の着物。風が吹き抜けて丁度虫干し日和の日だった。来て頂いたのは、元呉服店に勤めていたという75歳程度の方だった。時間当たり@1100円を私はセンターに支払う。初日は午前中2時間、2時間空けて、午後から5時間働いて貰った。その日は全部で50枚の虫干しをしてもらった。

「2014年の映画のお話し」  2013年は221本の映画を観ました。
映画「ホビット2」(丸の内ピカデリーにて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年32作目)
身長130cm位の人間たちが龍に占領された国を奪還しようとする冒険物。最後は次回にお楽しみでした。

映画「東京難民」(有楽町スバル座にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年33作目)
大学も除籍され、アパートも追い出された21歳の若者の転落の物語。負のスパイラルの中から彼は何を見出すのか?最下層の人たちを描く。

映画「ネブラスカ」(TOHOシネマシャンテにて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年34作目)
モンタナからネブラスカへの1500キロの長旅。100万ドルの宝くじに当ったと信じ込む老いた父親を車で連れて賞金を受け取りに行くことにした息子。そして兄と母もその旅に加わる。そこでこれまで知らなかった一家の生い立ちを知ることになる。今時珍しい白黒映画でした。

映画「グロリアの青春」(ヒューマントラストシネマ有楽町にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年35作目)
南米チリに住む中年女性のグロリア。長男には孫が、そして長女はスウェーデンの男性の元に向う。既に離婚した元夫にも新しい妻がいる。毎夜グロリアはアバンチュールを求めてクラブへと。そこで知り合った男性との出会いを楽しむ。そんな彼女の姿から中年女性の哀れさが滲み出す。人生とは?残りをどう過ごすのか?が取り上げられる。

映画「猫侍」(ユナイテッドシネマ豊洲にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年36作目)
ちょっと風変わりな時代劇だった。アニメ的といえばいいのか?元加賀藩士の浪人が町のヤクザ通しの争いに巻き込まれる。一方は猫を可愛がるヤクザの親方。一方は犬を可愛がる親分。浪人者は猫を殺すように依頼されるのだが、人も猫も殺せる性格ではなかった。さてその後は?

2014年3月7日付け日経新聞夕刊「シネマ万華鏡」の評価は、「それでも夜は明ける」が4つ星、「オール・イズ・ロスト」が3つ星、「ホビット2」が3つ星、「銀の匙」が3つ星、「魔女の宅急便」が3つ星、「ダリオ・アrジェントのドラキュラ」が3つ星、「マンガで世界を変えようとした男」が3つ星でした。

「私の去年2014年の映画の評価は?」
今年の★★★★★は、
今年の★★★★は、「小さいおうち」「アメリカン・ハッスル」「ウルフ オブ ウォールストリート」「光にふれて」「ダラス・カーボウイズ・クラブ」

「2014 旅の記憶シリーズ」  2013年の旅では、「ペルー」が51カ国目、「南アフリカ」が52カ国目、「ジンバブエ」が53カ国目、「ボツワナ」が54カ国目、「ザンビア」が55カ国目でした。
2014年の国内旅行の第一回目は、1月の九州福岡と水俣でした。第二回目は能登でした。
2014年の海外旅行は、トルコ(1月、3度目)、台湾(2月、3度目)です。

「2014 歌舞伎観劇シリーズ」歌舞伎座にて★★★「今年1回目」

「2014 本の記憶シリーズ」  2013年は本を350冊読みました。
「美雪晴れ」(高田 郁 著)ハルキ文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年52冊目)「みをつくし料理帖」シリーズ第9弾

「風塵の剣」(稲葉 稔 著)角川文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年53冊目)「風塵の剣」シリーズ第5弾

「古手屋喜十為事覚え」(宇江佐 真理 著)新潮文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年54冊目)「古手屋喜十為事覚え」シリーズ第1弾

「藍の糸」(中島 要 著)ハルキ文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年55冊目)「着物始末暦」シリーズ第2弾

「夢かさね」(中島 要 著)ハルキ文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年55冊目)「着物始末暦」シリーズ第3弾

「江戸の歌舞伎事情」

「日本はなぜ欧米列強の植民地にならなかったか?」 竹村公太郎氏著、「日本史の謎は地形で解ける」より
簡単に言えば、それは日本の地形と気候から来る自然災害が欧米には魅力と言えなかったからだという。アフリカには奴隷にさせられる豊富な人間が、更に象牙、金、ダイヤモンドもあった。また、アジアには広大なプランテーション(ゴム、綿花、紅茶、香料)が開かれる土地と人があり、それを搾取するための植民地化が可能だった。しかし、日本は国土の2/3が山岳地帯であり、平野が少なく、鉱物もなく、更に地震、津波、洪水、火山の噴火に頻繁に襲われ、欧米諸国にとっては全く魅力のない国だったというのだ。幕末は特に地震が頻発し(1854年7月安政伊賀地震、同年12月の安政東海地震、翌年1855年11月の安政江戸地震とその後の余震)、欧米の人たちにとっては恐ろしい土地だったのだろう。なんとなく納得出来る。

「江戸の庶民の生活は楽だったか?41」
「芝居」
江戸の芝居は「江戸三座」と呼ばれる「官許芝居」がある。「中村座、市村座、森田座」が常設の芝居小屋を許されていた。所謂幕府の許しを得ていた「江戸歌舞伎」だ。一方、「宮地芝居」と呼ばれる庶民向けの芝居があった。「江戸歌舞伎」のほうは明け六つ、日の出から始まり暮れ六つ日暮れまで続く。客はまず「芝居茶屋」に夜明け前に入って朝ごはんを食べたり、朝酒を飲んでから芝居小屋に入る。これは非常に高いものになる。観劇料だけでなく、茶屋の座敷代や飲食代、役者たちへのご祝儀などなどが付くから高い。「宮地芝居」は神社仏閣の境内を借りて行う。三座の芝居は一つの芝居を丸一日掛けて演じる。一方宮地芝居は名場面だけ抜粋して行う。但し、芝居では幕府を批判するようなことを禁じていたので、実際の事件を過去に置き換えて演じていたこともあった。例えば忠臣蔵は室町時代に舞台を変えている。「江戸三座」の常設小屋は浅草の「猿若町」にあったが、そこは今も「浅草六区」として有名な場所だ。写真は歌舞伎の「助六」の場面だ。

「東京マラソン」

「J  REPORT 2014 3月第1週」
「リタイアメント・ノート 5年9ヶ月目」、
「VOL。836 SINCE AUG.12th、1983」
「東京マラソン」
例年、この日は寒い。今年の2月23日も寒風が吹き荒んでいた。豊洲付近、37キロ地点でランナーたちを見送る。出発して2時間ちょっとだから早いランナー達なのだろう。沿道の声援を浴びながら走り去るランナー。その後、銀座に出たら、いるは、いるは、大勢のランナーが銀座通りを浅草に向けて走って?歩いている人もいたが、皆ゴール目指していた。沿道には応援なのか、観客なのか、それぞれに声を出していた。この日、風はあるものの日溜りでは暖かさすら感じたが、ランナー達は元気に走り去っていった。

「健康年齢」
普通の人の健康年齢は男性では80歳マイナス8歳程度の72歳と言われている。しかし、私は既にゴルフが出来なくなって10年以上、膝の手術をして3年半、だから私の健康年齢は62歳だったといえる。今は健康ではない生活を送っているということになる。ゴルフも好きで年間4?50回はやっていたが、膝に負担が掛かるために諦めた。だから友人達がゴルフに出掛ける話しを聞くたびに羨ましいと思う。昨年は脊柱管狭窄症の手術もしたし、本当に不健康な身体になってしまった。

「三度目の台湾」

「J  REPORT 2014 2月第4週」
「リタイアメント・ノート 5年8ヶ月目」、
「VOL。834 SINCE AUG.12th、1983」
「旅暦49」
「三度目の台湾の旅」
今回は体育会「アメリカンフットボール部」のOB会の一部の集いでの旅だ。私が大学1年の時の、1年から4年生までの集まりが「嵐が丘倶楽部」なのだが、その中から有志で9名が集った。羽田空港国際線ターミナル中華航空カウンター前に集合した小父さんたちは元気で台湾に向けて出発したのだが、台北は記録的な寒波だった。今回の旅で誤算が二つあった。一つは異常気象の寒波と雨。もう一つは写真の大半が削除されてしまったことだった。まず台北の気象は到着時9度で小雨。当日はホテルチェックイン後、「夜市」に行った。約1kmほどの間に小さな店が沢山あり、食あり、小物あり、服あり、靴ありと何でもある夜市だったが、終点のお宮に詣でて戻ってきたのだが、寒くて寒くて風邪気味になってしまった。夕食は台北名物の「鵞鳥」(がちょう=グース)の肉を食べた。申し訳ないのだが、この写真もなくなっていた。台湾料理は勿論中華料理なのだが、味付けも薄味で主に3種の鳥(ニワトリ、がちょう、鴨)と豚肉、そして魚介を中心として、野菜盛りだくさんの料理だ。地域的にも近い沖縄料理に似ているという。そして58度という強い酒を飲んで、酔っぱらって寝てしまった。
翌日12日の水曜日も朝から雨で気温も10度前後と寒い。風邪薬を飲んで出掛けたが、朝市で台湾家庭料理を食べた。汁ナシ麺と鳥の内臓を煮付けたものや野菜でこれも満腹。朝市で「からすみ」を買う。まあ出来の良し悪しはあるのだろうが、安い。空港にもある専門店の値段は100g大体700元だから、2500円程度だが、浅い市ではその半分程度だった。その後、「故宮博物館」に行き、6月に日本にもやってくる秘宝翡翠の「白菜とこおろぎ」や「豚の角煮」に似た宝石、象牙の加工品等名物を見た。雨で台北名物の「台北101」という超高層ビルも先端の部分が全く雲の中で見えない。お菓子を買ったり、ウィンドーショッピングしたりして、夜は「北京ダック」がメインの料理を堪能した。最後はキャバレーみたいなところでウイスキーを飲んで、女性と会話したりして楽しんだ。店の女の子は皆日本語が堪能だったのには驚いた。

「兼六園」

「兼六園」
雨の兼六園。加賀百万石の金沢城に隣接した庭園だが、昔は城の一部だったという。池を巡る庭園と築山、東屋がある純日本庭園だ。この池の水は市内を流れる川の水を上流のほうから引いて来て、その水圧で汲み上げているという。百万石というのは徳川家に次ぐ収入であり、勿論と外様大名最大の石高だ。初代前田利家公以来続く家柄だ。家老職の家来でも数万石の大名級の石高があったというからその規模の大きさが分かるというもの。そんな前田家の象徴的な庭園でした。

「恩師」

「J  REPORT 2014 2月第3週」
「リタイアメント・ノート 5年8ヶ月目」、
「VOL。833 SINCE AUG.12th、1983」
「恩師」
中学時代の恩師の講話を聞いた。昭和36年に入学した時の担任でもある恩師の「香山先生」は86歳とご高齢だが、かくしゃくとしておられたが、数度に亘る癌の手術を経験されて、死の淵を彷徨ったこともあったという。昭和3年生まれの先生は、僕らの数学の先生だったが、その後母校の「普通部長」(所謂中学の校長)や「カリタス」の学長もされ、今は悠々自適?の生活だろうと想像する。思った以上にお元気でまた頭の冴も素晴らしく、かくありたいと私も思う晩年の生き方だった。「般若心経」の解説や「宮沢賢治」作「眼にて言う」や「野口雨情」作の「シャボン玉」を朗読されたりしたが、一番印象的だったのは、「三木成夫」氏の著書「海、呼吸、古代形象」の中の「生命記憶と回想」についての解説だった。その内容だが、人類の祖先、即ち一番最初の生命体は地球誕生40数億年前から10億年以上経った今から30億年くらい前に誕生した単細胞生物だった。それが進化の過程を経て現在の人類に至っているという。ところが驚くことに受胎時から人間は通常は十月十日、約310日後に出産となるのだが、受胎後32日目にはエラをつけた「鮫の姿」を示し、35日目には「原始両生類の姿」になり(肺呼吸をするカエルとかイモリのようなもの)、36日目には「原始爬虫類の姿」になり、更に38日目までの2日間に歴史的には約1億年の記憶を経て「原始哺乳類の姿」になるというのだ。これはこの二日間で一秒間に550年の進化の過程を経ているというのだ。人類の遺伝子には「過去に辿った進化の過程」が全て組み込まれていて、それが胎児の成長の過程で全て一度は姿を現すということが見られたというのだ。驚きだ。母体にある羊水は「古代海水」と同じ成分だというのだ。これは現在地上に暮す全ての動植物に多分共通することなのだろう。遺伝子とはそういったものなのだろう。

「鉄鋼ビル」
驚いた。東京駅八重洲口にあった「鉄鋼ビル」が無くなっていた。大手鉄鋼メーカーが入っていたビルだったのでかなりの頻度で訪れた古いビルだったが、あのビルがなくなっていたのには本当に驚かされた。東京は今正に再開発の最中であり、今後のオリンピック景気で更なる発展があるのだろう。

「老い」
最近、「老いて来た」と痛感している。まず学生時代壊した左膝の手術、これは「人工関節」を埋め込むものだが、これを2010年9月に行った。そして腰の痛みが続いた結果「脊柱管狭窄症」の手術を2013年5月に行った。ところが今度は手術していない右膝の痛みが酷くなり、月に一度通院している。更に最近「物忘れ」が出始めている。まだ軽度だが、どこに物を置いたか?この物は何で誰が置いたのか?とかあの人は誰だったか?とか、もう老いとしかいいようがない状態が度々だ。言葉も忘れがちで特に漢字は思い出せなくなった。パソコンのせいなのだろうが、漢字は忘れてしまった字が多い。英語などは殆ど新しい言葉は覚えられない。困ったものだ。徐々にこうやって老いて行くのだろうか?最近は物を食べている時に、肺に入れてしまうことが度重なってきた。これも老化の一端なのだろうか?若い頃は決してこんなことはなかった。

「トルコの旅、後記」

「トルコの旅、後記」
今回の旅で覚えたトルコ語は、「グナイドン(おはよう)」、「メルハバ(こんにちは)」、「テシュッキル(ありがとう)」だった。簡単な言葉だが、異国の言葉を覚えるのはそれなりに難しい。アラビア語の「アッラー」を書けるようになった。写真はそのアッラー(神と言う意味)と言う文字が左側にある。見た目には手書きのアルファベッドの「IVW」のような部分だ。これを右から左に書く。イスラム教ではお祈りの前に、手足、口を洗い、身体を清めてから祈る。これは日本人が神社仏閣に参る時と同じだ。一つ分かったことがある。通常に礼拝は立っている状態から、膝ま付き正座をする。その後額を床や地面に付ける。このような動作を繰り返すのだが、座れない場所では神に向って立ち、両肘を身体につけて、腕を90度の角度に上げ、掌を上に向けて手を開き、祈る。掌はゆったりと膨らませ、何かものをもらうような形だ。トルコで一番助かったのは「トイレ」だった。東南アジアも含めてイスラムの国はトイレでお尻を洗う風習があるから、トルコのトイレもシャワー式トイレが大半だった。日本のようにプッシュボタン式ではないが、蛇口を捻ると水が出てきて気持ちよかった。

「2014年の映画のお話し」  2013年は221本の映画を観ました。
映画「危険な関係」(TOHOシネマシャンテにて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年 10作目)
日華事変前の上海で起きる男女の騙しあい恋愛編。三流映画でした。

映画「エンダーのゲーム」(丸の内ピカデリーにて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年 11作目)
エイリアンが地球に侵入してくるというので天才的な子供たちが集められゲームで戦闘の訓練をさせられる。果たしてエイリアンはやってくるのか?

映画「黒執事」(ユナイテッドシネマ豊洲にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年12作目)
コミックの映画化か?訳が分からなかった。

映画「ソウルガールズ」(ヒューマントラストシネマ有楽町にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年13作目)
オーストラリアの差別されていた先住民「アボリジニ」の少女達がコーラスグループを作り、ベトナム戦争の慰問に向い成功するというサクセスストーリー。実話に基づく。

映画「小さいおうち」(丸の内ピカデリーにて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★★(今年 14作目)
流石山田洋次監督だ。戦前戦中、ある中流家庭に勤めた女中さんの目を通して、不倫関係を見る。最後の最後に感動が待っている。いい映画だった。

2014年1月24日付け日経新聞夕刊「シネマ万華鏡」の評価は、「エレニの帰郷」が4つ星、「小さいおうち」が4つ星、「オンリー・ゴッド」が4つ星、「はなしかわって」が3つ星、「ゲノムハザード」が3つ星、「ヌイグルマーZ」が3つ星、「ROOM237」が2つ星でした。1月31日付けでは「アメリカン・ハッスル」が4つ星、「ウルフ・オブ・ウォールストリート」が4つ星、「はじまりは5つ星ホテルから」が3つ星、「ザ・イースト」が3つ星、「メイジーの瞳」が3つ星、「7番坊の奇跡」が3つ星、「無人地帯」が3つ星でした。

「私の去年2014年の映画の評価は?」
今年の★★★★★は、
今年の★★★★は、「小さいおうち」

「2014 旅の記憶シリーズ」  2013年の旅では、「ペルー」が51カ国目、「南アフリカ」が52カ国目、「ジンバブエ」が53カ国目、「ボツワナ」が54カ国目、「ザンビア」が55カ国目でした。
2014年の国内旅行の第一回目は、1月の九州福岡と水俣でした。

「2014 本の記憶シリーズ」  2013年は本を350冊読みました。
「江戸裏御用帖」(小杉 健治 著)角川文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年17冊目)「浪人・岩城藤次」シリーズ第1弾

「仇討」(田牧 大和 著)角川文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年18冊目)「とんずら屋請負帖」シリーズ第2弾

「お帰り稲荷」(早見 俊 著)角川文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年19冊目)「小伝馬町牢日誌」シリーズ第1弾

「奇剣柳剛」(鳥羽 亮 著)光文社文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年20冊目)「隠目付江戸日記」シリーズ第7弾

「読売屋天一郎」(辻堂 魁 著)光文社文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年21冊目)「読売屋」シリーズ第1弾

「刑事の絆」(堂場 瞬一 著)ハルキ文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年22冊目)「警視庁追跡捜査掛」シリーズ第5弾

「血の轍」(相場 英雄 著)幻冬舎文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年23冊目)

「忘れ扇」(今井 絵美子 著)角川文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年24冊目)「髪ゆい猫字屋繁盛記」シリーズ第1弾

「本所騒乱」(稲葉 稔 著)光文社文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年25冊目)「剣客船頭」シリーズ第8弾

「破邪の剣」(鳥羽 亮 著)徳間文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年26冊目)「用心棒血戦記」シリーズ第1弾

「冬のやんま」(辻堂 魁 著)光文社文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年27冊目)「読売屋天一郎」シリーズ第2弾

「倅の了見」(辻堂 魁 著)光文社文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年28冊目)「読売屋天一郎」シリーズ第3

「千両役者捕物帖」(幡 大介 著)ハルキ文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年29冊目)「千両役者捕物帖」シリーズ第2弾

「姫さまお輿入れ」(幡 大介 著)ハルキ文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年30冊目)「千両役者捕物帖」シリーズ第3弾

「天狗と花魁」(幡 大介 著)ハルキ文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年31冊目)「千両役者捕物帖」シリーズ第3弾

「喜多方へ、能登へ」

「J  REPORT 2014 2月第2週」
「リタイアメント・ノート 5年8ヶ月目」、
「VOL。832 SINCE AUG.12th、1983」
「福島へ、能登へ」
「磐梯山」
トルコから帰国した翌日から、また旅に出た。イスタンブールのあの寒さから一転して暖かな日本に驚いた。郡山から磐越西線に乗り換えて約1時間、「磐梯山」が見えてきた。周りは雪に覆われているが、堂々たる雄姿は相変わらず素晴らしい。福島県は原発の被害による影響で困っているが、この会津地方は遠く離れているにも拘らず観光面での影響はあったという。幕末には「戊辰戦争」で官軍?に徹底的に破壊されたこの地方だが、その粘り強い精神力で復活を果たしたといえよう。会津若松で新潟行きの電車に乗り換えて「喜多方」へと向う。約20分でラーメンの街「喜多方」へ到着。駅で「ラーメンマップ」を貰い、歩き出す。日差しが強い。多少風もあるが、冬の厳しい寒さではなく、寧ろ春が近付いているという感じだった。訪れたのは有名なチェーン店。当初は2店行こうと思っていたが、流石お腹一杯になってしまい、早々に東京に戻った。今回もJR東日本の「大人の休日倶楽部パス」で4日間乗り放題の切符を使っての「小さい旅」の始まりだ。まだ帰国翌日なので時差が抜けていないから、車内では本を読みながら、しかし半分寝ていた。疲れが溜まっているようだった。

「壷焼きケバブ」

機内では、最初が「豆腐の揚げ物」、次が「タラの塩漬けの焼き物」の2食を食べた。美味くなかった。
22日:朝食はバイキングでトマトスープに果物、ヨーグルトで簡単にすます。
昼は「トマトスープ」「インゲン豆の炒め物」「すずきのフライ」。美味しかった
夜はホテルでのバイキング。食べ過ぎを警戒して、「サバの塩焼き」と「サラダ」ですませた。
23日:朝食は前日同様。
昼はレストランで、「トマトとチーズのスープ」「温野菜」「生野菜サラダ」「サテのような串焼き肉」。
夜はホテルでのバイキング。段々ビールの値段が上がっている。本当に小さな300mlで本日は12TL(日本円で600円)も取られた。
24日:朝食はいつも通り。
昼食は「ポタージュスープ」「生野菜のサラダ」「茄子のケバブ、サーモン入り」「ピゲ(ピッサの原型)」「お米のプディング」。量が多過ぎて大半を残した。味はいいのだが、とても多くて食べられない。
夕食は「結婚式のスープ」「ひよこ豆料理」「壺焼きケバブ」だったが、壺焼きは牛肉、野菜、ニンニク、トマトのスープ、塩等を入れた素焼きの壺を80度で3時間焼いたもので、これはトルコ料理の定番の一つだが、お米と合わせて食べるのだが、美味しいものだった。白ワインのボトルは40TLでした。3人で二本飲みました。写真は洞窟レストランの「壺焼きケバブ」。
25日:朝食では「オムレツ」があった。
昼食は:「トマトスープ」「煮た豆」「肉団子(鳥と牛)」「ニジマスの塩焼き」。とても美味しいのだが、食べ過ぎ状態が続いているので半分ほどにして残した。
夕食はホテルでだったが、何を食べたのか忘れた。それほど印象の薄い食事だったのだろう。
26日:いつもの朝食。「オムレツ」はシンプルプレーンオムレツにした。
昼食は和食で、「幕の内弁当」のようなもの。半分以上残した。別に不味いから残したというのではなく、疲れて胃も腸も休ませてくれと言っている。
おやつに「ケバブ」を食べたが、人気店のものだということで小腹を満たすには丁度いいものだった。薄切りの牛肉を沢山重ねて串刺しにしたものを焼きながら包丁でそぎ落としたものと細かく刻んだ野菜が入ったものを小麦の皮で巻いたものだったが、美味しかった。
夕食は、「ボスポラス海峡ディナークルーズ」だ。
27日最終日:昼食は、橋の下のレストランで「サバサンド」と「かたくちいわしの素揚げ」ほかを食べたが、実に美味しかった。サバサンドがあれだけ人気があるのがよく分かった。オリーブオイルを塗ったサバを焼き、パンに挟んで食べるという単純なものだが、それがまた実に美味しいから不思議だ。塩、胡椒を加えたほうが我々の口には合うかもしれないが。橋の上では沢山の人たちが釣り竿から釣り糸を垂らしていた。以上、世界三大料理の国「トルコ」からお送りしました。

「トプカプ宮殿」

「トプカプ宮殿」
「トプカプ」とは「大砲で守られた門」という意味だという。オスマントルコの王たちが暮らした場所だ。この宮殿の周囲には城壁が張り巡らされていたという。宝物殿では「86カラットのダイヤモンド」や「巨大なサファイヤが3つ嵌め込められている短剣」等素晴らしい宝石類に圧倒される。「オスマントルコ帝国」の力が如何にあったか?ということの証明がそこにはあった。さて「幸せの門」という建物には「イスラムの貴重な宗教的宝物」が沢山あった。入ったところにはサウジアラビアの「メッカ」にある「カアバ神殿の鍵」、次が「モーゼの杖」(これはモーゼがエジプトから脱出する時、紅海の海を切り裂いた際に使用したという杖)、「聖ヨハネの右手の骨」(エフィソスから発掘されたもの)、「モハメッドの足跡が刻まれた石」、「モハメッドの髭」、「モハメッドが使っていた剣」等々凄い宝物ばかりだった。信じる人は信じるだろうし、信じない人は偽物だと思うのだろうが、それが宗教なのだから仕方がないと私は思う。さて、写真は今回のツアーメンバーの7名、下段中心が私です。夜は新市街と旧市街を隔てる湾内のディナークルーズ、日中あった霧も晴れてライトアップされた建物が美しい。世界中から色々な人たちが集まってきていて実に国際色豊かだ。因みにトルコは世界の観光客集客数では、第6位だというから日本よりかなり観光立国だといえる。
「ディナークルーズ」
イスタンブールの旧市街と新市街との間にある湾を巡るクルーズに出た、心配された天候だったが、霧も晴れて、ライトアップされた建物が船からも美しく観えた。飲み放題食べ放題で船内は賑わう。さてベリーダンスが始まった。我仲間の一人が早速ダンサーの求めに応じて一緒に踊り出す。楽しかった旅の最後の夜を飾る出来事だった。その際、下船を忘れるというハプニングも起きたが、無事ホテルへと戻った。