「江戸の歌舞伎事情」

「日本はなぜ欧米列強の植民地にならなかったか?」 竹村公太郎氏著、「日本史の謎は地形で解ける」より
簡単に言えば、それは日本の地形と気候から来る自然災害が欧米には魅力と言えなかったからだという。アフリカには奴隷にさせられる豊富な人間が、更に象牙、金、ダイヤモンドもあった。また、アジアには広大なプランテーション(ゴム、綿花、紅茶、香料)が開かれる土地と人があり、それを搾取するための植民地化が可能だった。しかし、日本は国土の2/3が山岳地帯であり、平野が少なく、鉱物もなく、更に地震、津波、洪水、火山の噴火に頻繁に襲われ、欧米諸国にとっては全く魅力のない国だったというのだ。幕末は特に地震が頻発し(1854年7月安政伊賀地震、同年12月の安政東海地震、翌年1855年11月の安政江戸地震とその後の余震)、欧米の人たちにとっては恐ろしい土地だったのだろう。なんとなく納得出来る。

「江戸の庶民の生活は楽だったか?41」
「芝居」
江戸の芝居は「江戸三座」と呼ばれる「官許芝居」がある。「中村座、市村座、森田座」が常設の芝居小屋を許されていた。所謂幕府の許しを得ていた「江戸歌舞伎」だ。一方、「宮地芝居」と呼ばれる庶民向けの芝居があった。「江戸歌舞伎」のほうは明け六つ、日の出から始まり暮れ六つ日暮れまで続く。客はまず「芝居茶屋」に夜明け前に入って朝ごはんを食べたり、朝酒を飲んでから芝居小屋に入る。これは非常に高いものになる。観劇料だけでなく、茶屋の座敷代や飲食代、役者たちへのご祝儀などなどが付くから高い。「宮地芝居」は神社仏閣の境内を借りて行う。三座の芝居は一つの芝居を丸一日掛けて演じる。一方宮地芝居は名場面だけ抜粋して行う。但し、芝居では幕府を批判するようなことを禁じていたので、実際の事件を過去に置き換えて演じていたこともあった。例えば忠臣蔵は室町時代に舞台を変えている。「江戸三座」の常設小屋は浅草の「猿若町」にあったが、そこは今も「浅草六区」として有名な場所だ。写真は歌舞伎の「助六」の場面だ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です