「日本堤と吉原大門」

「日本堤と吉原大門」
現在の台東区の地図を見てみると、言問橋の上流に隅田川から北西の方角に「土手通り」という道がある。これが江戸時代には「日本堤」と呼ばれていた。この道の先に「吉原大門」があった。通りを左に曲がり、「見返り柳」があり、「三曲がりの衣紋坂」の先に「大門」があったという。江戸時代は水運が発達していたから、吉原に遊ぶ客の多くが、「猪牙船」と呼ばれた小型の船、今で言えば水上タクシーのようなもので「山谷堀」で下りて、日本堤を歩いて吉原に向ったという。この「日本堤」、実は別な狙いがあったという。元々吉原は日本橋にあった。しかし「振袖火事」と呼ばれた「明暦の大火」(1657年)で焼け落ちたのを幕府が浅草の北に「新吉原」として復活させた。その折に、江戸の町を水害から守るために、「日本全国の大名」に命じて、土を盛り上げた堤をたったの60日で造らせたという。だから「日本堤」と名付けられた。この堤の上を人々が歩くから、堤はどんどん固まっていった。これにより隅田川が仮に氾濫しても、この堤により直接の江戸市中への浸水は防ぐことが出来るようになったという。何と知恵のある役人もいたものだ。感心するではないか。写真は「猪牙船(ちょきぶね)」だ。

「新月」
人間は太陽に影響されるのか?それとも月なのか?今年は新月が月に2度ある珍しい年だという。1月と3月に新月が二回訪れる。その後は19年後になるという。さて、世界中の国旗で太陽は日本だけかもしれない。月が国旗に使われている国は非常に多い。特にイスラムの国は月がある。日本の国旗は太陽だけだから不思議だ。世の中、暑くて日中は動けない。従って活動は夜間だという国は多い。月と星をあしらった国旗は本当に多い。どうも人間は月の満ち欠けや引力に非常に影響されているらしい。だから国旗も月と星、即ち夜のものになる。日輪に影響を受け、日の出、日の入りに感動するのは世界から見れば珍しい国民なのかも知れない。

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