「イタリアの旅、フィレンツェ」

「J  REPORT 2014 9月第4、5週」
「リタイアメント・ノート 6年3ヶ月目」、
「VOL。866 SINCE AUG.12th、1983」
「旅暦54、イタリアの旅」後半
「フィレンツェ」
第五日目(9月20日)「フィレンツェーピサ」
フィレンツェも3度目だ。1990年には出張でミラノを出発してマイクロバスをチャーターして北部イタリアを巡った。イタリア人のドライバーさんが「ミケランジェロ広場」近くのレストランを教えてくれて美味しいステーキを食べた記憶がある。「ウフィッツィ美術館」では「ルネッサンス」の巨匠たちの絵に感動もした。昨日、フィレンツェは大災害に襲われたという。約10分間に亘り突然「突風」「竜巻」「雹」が吹き荒れ、樹木が倒され自動車を破壊し、瓦を飛ばし、市内中心部が水浸しになったというのだ。ニュースでも報道されていたらしい。このようにヨーロッパも今年は異常気象なのだという。さてまず観光の第一歩は「ドゥオモ」「市庁舎」「ウフィツィ美術館」巡りだ。美しいルネッサンスの様式美のこれらの建物はまずは当時の支配者であった「メジチ家」の財力に寄るものなのだ。「ウフィツィ美術館」ではルネッサンス期の天才3巨匠「ミケランジェロ」「レオナルド・ダ・ヴィンチ」「ラファエル」と「ボッティチェリ」の絵画が纏めて観られる。世界中にここしかないだろう。写真は「ボッティチェリ」の超有名な作品「ヴィーナスの誕生」だが、巨匠たちの絵の前には防弾ガラスが置かれ、それが逆にガラス表面の汚れを通してしか観られないので折角の絵画が色あせてしまうのだ。ちょっとイタリア語のお話しをしてみよう。我々が知っているのは、「ボンジョルノ」(おはようございます、こんにちは)、「ボナセーラ」(こんにちは、こんばんは)、「グラーツィエ」(ありがとう)などだが、一番私が面白いと思うのが「PREGO、プレーゴ」なのだ。これは「ありがとう」の後に「プレーゴ」(どういたしまして)と使われるが、「どうぞ、どうぞ」の意味でも使われる。英語でいえば「プリーズ」の意味でもあるのだ。だから日常会話の中にしょっちゅう出てくる。何かといえば「グラーツィエ」「プレーゴ」なのだ。だからこの言葉は覚えておきたい。「イクスセクーゼ」といえば「失礼」の意味だ。

「聖フランチェスコ修道院」

第四日目(9月19日)「アッシジーシエナーフィレンツェ」
「聖フランチェスコ修道院」
今日は娘の出産予定日だ。二人目の孫の出産だ。心配だが、遠く異国にいるのでどうにもしょうがない。それとスコットランドの独立投票も気になる。独立が否決されたようだとニュースが言っている。娘婿からメールがあり、女の子が産まれたと知らせがあった。二人目の孫娘だ。嬉しいね.母子ともに健康だという。良かった。3142gだという。思わず笑みがこぼれる。これで私のDNAも21世紀に繋げられるだろう。さて、話しは変わってトイレだが、ホテルのトイレはビデも付いているが、公衆トイレには便座も付いていない。トイレ後進国イタリアだ。またイタリアには「ミニカー」というのがある。エンジンが50ccクラスで所謂バイクと同じ扱いを受ける超小型車で、それでも4人乗りだという。14歳から免許が取れるそうだ。それが違法改造され高速度で街中を走っていた。イタリアはご存知の通り、経済が上手くいっていない。失業率12%のため、レストランのウエイターも大半が男性であるのも失業対策だとか。観光地のガイドもそのために地元の人にのみ門戸が解放されているらしい。さて「ワイン」の生産量はフランスと毎年1位と2位の座を競っているそうだ。ローマから「アッシジ」、「ピエンジェ」経由で「シエナ」までが世界遺産の街を巡るのが今日の行程だ。写真はアッシジの「聖フランチェスコ修道院」の全景だ。イタリア中部のトスカーナ州では広大な田園風景を観た。延々と続く丘には「葡萄」と「オリーブ」の木々が、野菜畑は「ヒマワリ」「トウモロコシ」、そして「麦」「牧草」「休耕地」とあるのだが、ヒマワリ、トウモロコシ、麦、牧草等は「輪作」のためなのだろう。ヒマワリは油を採るらしい。それにしても畑ばかりだった。「シエナ」は人口1万1千人程度の小さな街だった。中世が色濃く残っている街で年に二度行われる地区対応の競馬が市内中心部の広場で行われることで有名なところらしい。地元ガイドの日本人女性に聞いたら「日本人が何人住んでいるか、誰も知らない」と言っていた。このアッシジ、ピエンジェ、シエナのコースを廻るツアーは少ないと思うから貴重な体験だった。

「バチカン」

「バチカン」
午後からの観光は時間的な制限もあり、「コロッセオ」と「バチカン市国」を巡った。私は共に1990年と1998年に訪れている。最も行きたかったのは「フォロ・ロマーノ」なのだが、今回はコロッセオは外からのみ、バチカンは「バチカン博物館」、「システィーナ礼拝堂」、「サンピエトロ大聖堂」を早足で内部見学した。システィーナ礼拝堂では写真撮影禁止なのに撮影する馬鹿がやはりいて警備員に写真を削除されていた。カソリックの総本山であるバチカンは非常に裕福であり、ローマ市内にも沢山の建物を所有しているという。バチカンには多い日には20数万人が訪れるというが、本日は比較的少なかったので助かった。「フォロ・ロマーノ」はローマ帝国時代のローマの中心地であり、色々な神殿だけでなく、国政の中心である「元老院」があった所だ。そこでBC44年3月15日、「ユリウス・カエサル」英語名「ジュリアス・シーザー」が暗殺されたのだ。有名な台詞「ブルータス、お前もか!」が叫ばれた場所でもある。ブルータスはスーザーの義理の息子でもあったのだが、元老院の圧力に負けてしまったのだった。ここには1998年にも行っているが、もう一度行きたかった。そして最後は「スペイン階段」と「スペイン広場」、「トレビの泉」を観てきたが、人ばかり多くて、また泉は工事中であり、疲れただけだった。「ローマは一日にして成らず」だから観光も一日、いや半日では全く不可能だ。「ただローマに行って来た」というだけだ。相変わらずローマ市内の交通渋滞は酷いし、現地の人たちの運転マナーは最悪だし、どこへ行ってもイタリア人のいい加減さに呆れる旅だ。単車が多いのには驚かされた。食事はツアー飯にしてはまあマシだろう。それと物価が北欧ほど高くなく助かった。円安が進んでいるが、それほど旅には影響していない。ビール大瓶で@3.5ユーロ、約500円、ワインはフルボトルで@14ユーロ、約2000円、リーズナブルだろう。写真はサンピエトロ大聖堂の主祭壇。

「ポンペイ」

「ポンペイ」
第三日目(9月18日)「ポンペイーローマ」
今回の旅で来たかった所の一つが「ポンペイ」だ。AD1世紀半ばに一度地震で崩壊した都市だったが再建が行われた十数年後、その日は朝から動物たちが騒いでいたという。ポンペイは当時周囲約5kmの街で人口は約2万4千人だったというが、だれもが異変が起きるとは思わず普通の暮らしを続けていたという。そして午後1時、ヴェスビオス火山が突然爆発を起こし、噴煙を吹き出し、火山弾、火砕流が街を襲い、あっという間に人々を呑み込んでしまったという。5mから10mもの火山灰に覆いつくされた。逃げ出そうとした人たちも家財道具や金銀を持ち出そうとして結果として逃げ遅れたという。約2万2千人が犠牲になったという。街は80%が発掘されたらしいが、掘り出されたものは殆どがナポリの博物館に収蔵されているらしい。従って発見された人間の形が残っていた空洞に石灰を流し込んで型取りしたものは2点しか展示されていなかった。当時の人たちの体格は背も低く小さな身体だった。ポンペイの特徴的だったのは、大きなメインストリートには「馬車用の轍」が掘られていて、通り易くなっていたことと、「売春宿」が2軒もあったことだ。轍は今の欧米の使用している「広軌軌道」の原型となったもので、ローマ時代の戦車の轍とも共通でこれが現代の列車の車輪幅の基準となったものだ。「売春宿」は古代ローマ遺跡に行くとどこでも必ずあるから「世界最古の商売」と呼ばれもするものだが、本当にどこにでもあるからこれまた驚かされる。セックスには鷹揚なローマ人だったらしい。道路は石畳で歩道の部分は30cmほど高く設けられており、道路の中に大きな石が数個あり、これが横断歩道の役割を果たしていた。そして道路は雨水や排水の水路も兼ねていたのだそうだ。だから道路は馬車や荷車の通路と排水路の役目の両方を兼ね備えていたことになる。この地方の特徴の一つに「松」の木の剪定方法がある。松の木の天辺にのみ葉を生やさせて下の部分の枝は全て刈り落としてしまうのだ。だから傘を差したような松の木になっているのだ。面白い。さて、ナポリからローマまでは「ユーロスター」に乗車した。ここでも不思議なことに気が付いた。自動車はイタリアは右側通行だが、列車は左側通行なのだ。なぜ?分からない。ユーロスターは多分時速250kmほどは出して走っていたと思う。動力車両が前と後ろに付いていて引っ張り、押して走る形式だ。日本の場合は車両自体にそれぞれ動力があるが、ヨーロッパは前後の動力車両以外はただの客車が連結されているだけだ。途中すれ違う列車もなく「ローマ・テルミニ」駅に到着した。1990年にこの駅を訪れた時には暗い駅だとの印象だったが、それは改善されたが、夜の治安の悪さは変わらないらしい。当時、知らないから夜、男3人でテルミニ周辺を歩いてレストランを探しピザを食べた記憶がある。偶然その店で日本人女性がウェイトレスで働いていた。ローマの治安の悪さは今も昔も変わらないのだろう。写真はヴェスビオス火山を背景にした遺跡内の広場。

「アマルフィー海岸」

「アマルフィー海岸」
船で「ソレント」に行き、そこから小型バスで「アマルフィー」に向かう。断崖絶壁の約40kmが「アマルフィー海岸」だ。その絶壁に張り付くように家が建ち、畑があり、うねうねと曲がりくねった道路が細く続く。そんなところの中心にあるのが元「アマルフィー教国」の首都「アマルフィー」なのだ。といっても小さな街だ。枢機卿がいた教会があり、中世の都市国家時代の首都だったということ位しか私たちは知らない。それでも沢山の観光客が来ていた。私はこの街がどうしてそんなに人気があるのか未だに理解できないのだ。二度目のアマルフィーだが、海水浴客がいたことのほうが驚きだった。位置関係から行くと、ナポリの南の海にカプリ島があり、その更に南にアマルフィーがある。ナポリとアマルフィーの間にヴォスビオス火山とポンペイがあるのだ。アマルフィーは日本では織田裕二の映画で有名になったのだろう。写真はアマルフィー市街の全景だ。写っているのは勿論私だ。

イタリアの旅、青の洞窟

「J  REPORT 2014 9月第4、5週」
「リタイアメント・ノート 6年3ヶ月目」、
「VOL。865 SINCE AUG.12th、1983」
「旅暦54、イタリアの旅」
5回目のイタリアの旅だった。
第一日目(9月16日)「ローマーミラノ」
成田から1万キロ離れたローマに着いたが、途端に問題が発生した。まずパスポートコントロールが長蛇の列、私は要領よく20分で通過したが、ツアーの人たち11名が通過し終えたのは1時間後だった。まあ空港のサービスは最悪だ。アリタリア・イタリア航空の機内もサービスが酷かった。プレミアムエコノミーの席だったが、ラウンジは使えず、アルコールもワインとビールしかなかった。ビジネスの席はガラガラ、プレミアムはほぼ満席、エコノミーはこれもほぼ満席だった。これでは経営危機に陥る訳だ。やはりビジネスクラスを埋めないと航空会社は儲からない。フライトアテンダントの態度も悪い。これだから悪循環となりジリ貧になっているのだろう。約2時間後、今度は財布を落とした人が出て警察へ。なんだかんだとミラノのホテルに着いたのが、現地時間午前0時、日本時間翌日朝の7時という訳だ。治安が悪いイタリア、時間に無頓着なイタリアの旅がいよいよ始まります。高速道路の元祖はイタリアだ。それもローマ帝国時代の「ローマ街道」が基本だ。ローマ軍が如何に早く移動して敵を倒せるかを目的に造られたローマ街道がそのまま現代の高速道路になった。勿論基本はローマから出発している。本日は「A1」道路を移動した。昔の「アッピア街道」だろう。イタリアの「ETC」システムを日本は導入した。日本はイタリアに比べ高速道路は30年遅れていると1990年初めてのイタリア訪問時に言われたのを思い出した。ホテルでカードキーを貰ったが全く反応せず。それもほぼ我々グループの全室がそうだった。いい加減な国だ。働かない国だ。
「青の洞窟」
第二日目(9月17日)「カプリ島―アマルフィー」
観光の目玉は「カプリ島」の「青の洞窟」だ。ナポリから船で約1時間、南のカプリ島へ着く。ここから20人程度乗れる小型船に乗り換えて、青の洞窟へと行くのだが、洞窟の前でさらに小さなボート、池にある手漕ぎボートと思えばいいだろう。ボートの数は10隻ほどで、一隻当りに船頭一人に客が4人、それらが横幅1.5m、高さ5?60cmほどの入り口から入るのだ。だから乗客は全員仰向けになって寝ているような恰好だ。船頭は洞窟入口にあるロープを引き寄せ、タイミングを計ってぐいとロープを手繰りあっと言う間に中にボートを入れる。波があれば勿論入れない。洞窟の中は真っ暗で入り口から差し込む光だけだ。振り返ると洞窟内の入り口付近の海水が青く見えた。確かに美しい光景だ。神秘的と言えるだろうが、ゆっくりとみている余裕はない。写真を撮るだけでお終いだ。次から次へと船がやってきて、我々グループも30分待ちでの洞窟入りだったが、後から来た船は2時間待ちになるという。洞窟内の広さは恐らく500坪ほどだろう。かなりの広さがある。そして出るのも逆に寝転んでの瞬間作業で出るということになる。まあ奇跡的な観光でした。年々海水の水位が上昇しているので、そう遠くない時期に入れなくなるだろうとのことだった。降り際にチップを要求され船頭に1ユーロやった。

「馬刺し」

「手前勝手世界食物語、第349号」
「馬刺し」
先日、自宅に「3S会」の方々に集まって頂き、「馬刺し」を食べた。写真は解凍前の「馬刺し」だ。「ロース」と「赤身」の2種類で約1kgある。ロースは100g@1080円、赤身は100g@880円だからかなり高いものだ。「レバー」は100gしか売ってもらえなかった。「牛の生レバー」が禁止になってから馬刺しのレバー人気が高まり、熊本の馬肉専門店でも一回に100gしか売ってくれなくなった。これらの馬刺しだが、原産地は「カナダ」でカナダから小馬の時に熊本に送られてきて、阿蘇などの牧場で育てられ「熊本産」として出荷されているのだ。だから純粋には熊本産とは言えないかも知れないが、牛なども出産地ではなく、生育地で産地表現されているのだから、まあいいだろう。

「バーニャカウダー」
いつもいく有楽町のイタリアンレストランでは「食べ放題、飲み放題」で@3080円とお得なので、野菜をたくさん食べることにしている。今、夏場の天候不順で野菜が高い。従って食べ放題で野菜をたくさん食べるのだが、私が好きなのは「バーニャカウダー」だ。「ひまわりオイル、ガーリック、牛乳、アンチョビ、くるみ、香料」で出来ているバーニャカウダーを暖めて、それに生野菜や茹でた野菜を浸けて食べる。自宅でもやるのだが、野菜が高いのでこの数ヶ月は自宅ではやっていない。その代わりに食べ放題で野菜を食べているという次第である。この店では飲み放題では「白ワイン」のみ飲んでいる。3ヶ月前の検査で「尿酸値」が高いといわれたのでビール類は飲まないようにしている。ワインも本当は身体にはよくないのだろうが、イタリアンでは焼酎はないので仕方なくワインを飲んでいる。
以上、東京から勢古口がお送りしました。次回の更新はイタリアから帰国後の25日と28日に行う予定です。

「汐留は今」

「汐留は今」
明治初期にはご存知「汽笛一声新橋を」と歌われたように新橋―横浜間に日本で始めての鉄道が走った始発駅だった場所だ。そこは今や高層オフィスビルが建ち並び、昔の趣きなど影も形もない。恐らく日本でも有数の高層ビル群地帯だろう。銀座周辺は今も盛んに変化を遂げている。銀座6丁目にあった「松坂屋銀座店」が姿を消してかなりの時間が経つが、いよいよ新しい建物の建設が始まった。銀座には一頃見なくなっていた中国人観光客も復活し大きな買い物袋を持っている姿もたくさん見かける。漸く少し涼しくなってきた東京。今年はそれにしても暑かった。

「江戸の庶民の生活は楽だったか?59」
「絵師」とは?
「御用絵師」「町絵師」「浮世絵師」らのことをいう。「御用絵師」は将軍家や大名家に召し抱えられるもので、中でも将軍家に仕えた「奥絵師、表絵師」が最も格式が高いとされた。特に「狩野派」が重用された。「町絵師」は市井にあって独立し武家や商人の注文を受けて自由闊達に絵を描いた。元禄、享保期の英一蝶(はなぶさいっちょう)、宝暦、天明期の宗紫石(そうしせき)、司馬江漢(しばこうかん)俵屋宗理(たわらやそうり)などが有名。「浮世絵師」も同様市井で活躍し、版元や絵草紙屋などの依頼で、描くのは庶民に身近な江戸風俗絵が多く、遊里の女や評判の美人、歌舞伎役者、人気力士、名所風景などだった。18世紀から19世紀に掛けてたくさんの絵師が活躍し、その後海外にも絵が流出したのはご存知の通りだった。

「晴海は今」

「晴海は今」
今、晴海地区はマンション建設ラッシュだ。現在見渡しただけでも4棟の超高層マンションが建設中だ。2020年の東京オリンピックの時には晴海には「選手村」が建てられるから、恐らく交通網も更に充実するだろうから先行的な投資なのだろう。

「イタリア旅行」
9月16日からイタリア旅行に出掛ける。調べてみたら5回目のイタリア旅行だった。一番最初は1990年に仕事で出張した時だった。ローマからミラノに行き、そこからは小型バスをチャーターして、ヴェローナ、カッラーラと石材の産地と石材店を廻り、フィレンツェからローマ、そしてロンドン経由で帰国したのだった。仕事だから観光らしいものは初日のローマだけだったが、食事がとても美味しかった記憶がある。特にヴェローナの夜は地元の人の接待で4時間にも亘るディナーで食べ過ぎ飲み過ぎたことが思い出させられる。特にイタリア人の食べる量の凄さには驚かされた。最近もツアー飯では日本人向けに量が少量になっているが、今でもたくさんの量が出てくる時があるが、その時ほど日本人と欧米人の食の違いが分かるというものだ。それが体格にも表れているのだろう。

「三原橋は今」

「三原橋は今」
一年位前に銀座三原橋の地下にあった映画館や飲食店が閉鎖された。その後フェンスで覆われていたが、漸く地下の構築物の撤去が始まった。理由は耐震のためだという。元々橋があったのだから、その下は川だったのだろう。多分江戸時代は「三十間堀川」のはずだ。東海道、今の中央通りの東側に日本橋川と京橋川を結んでいたのが三十間堀川だ。その名残りが三原橋だったと思う。さてレトロな地下街で恐らく戦後すぐに出来た地下街の奔りだったのだろう。東京も凄い勢いで変わっている。

「2014年の映画のお話し」  2013年は221本の映画を観ました。
映画「フルスロットル」(ユナイテッドシネマ豊洲にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年148作目)
近未来のデトロイトで封鎖されていたスラム街を破壊しようとする市長。偶然潜入捜査をしていた保安官がその事実に気が付いて戦うというもの。スピードと体力を生かした活劇が決め手。

映画「フライト・ゲーム」(ユナイテッドシネマ豊洲にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★★(今年149作目)
大西洋を横断中の機内にいた「航空保安官」宛に届いたメールは20分毎に乗客を殺すということだった。その代わりに1億5千万ドルを振り込めということなのだ。乗客150名と乗員の命を掛けた戦いが始まった。手に汗握るとはこのことをいう。面白かった。

映画「イン・ザ・ヒーロー」(ユナイテッドシネマ豊洲にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★★(今年150作目)
ヒーロー役の縫い包みを着ている役者は顔も声も出てこない陰の役者、彼らを「スーツ・アクター」という。そんなスーツ・アクターの一人の中年男性が昔の武士の如く信念を持ってスタントマンとして演技する姿に打たれた。平成の武士道見たり。

映画「アイ・フランケンシュタイン」(ユナイテッドシネマ豊洲にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年151作目)
200年前にフランケンシュタイン博士によって死体から作られた人間「アダム」が現代で天使と悪魔との戦いに巻き込まれるというもの。

映画「イヴ・サンローラン」(角川シネマ有楽町にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年152作目)
2008年に亡くなったイヴ・サンローランの半生を描く。彼はホモだった。

映画「マルティニークからの祈り」(TCシャンテにて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年153作目)
騙されて麻薬の運び屋となりパリの空港で逮捕された主婦がカリブ海の刑務所で2年間も過ごすことになってしまった事実を映画化したもの。まあやるほうもやるほうだが、韓国外交部の官僚たちも酷い。

9月12日付けの日経新聞夕刊「シネマ万華鏡」の評価は、「リスボンに誘われて」が4つ星、「海を感じる時」が4つ星、「ガーディアン・オブ・ギャラクシー」が4つ星、「フランシス・ハ」が3つ星、「チング 永遠の絆」が3つ星、「るろうに剣心 伝説の最期編」が3つ星、「舞妓はレディー」が3つ星でした。

「私の去年2014年の映画の評価は?」
今年の★★★★★は、「青天の霹靂」「超高速・参勤交代」「人生はマラソンだ」「ゴジラ」「なまいきチョベレンと水夫さん」「バルフィー」
今年の★★★★は、「小さいおうち」「アメリカン・ハッスル」「ウルフ オブ ウォールストリート」「光にふれて」「ダラス・カーボウイズ・クラブ」「それでも夜は明ける」「あなたを抱く日まで」「世界の果ての通学路」「チョコレート・ドーナッツ」「プリズナーズ」「ウッドジョブ」「マンデラ」「X?MEN」「グランド・ブタペスト・ホテル」「私の男」「パークランド」「マダム・イン・ニューヨーク」「怪しい彼女」「思い出のマーニー」「めぐり逢わせのお弁当」「フライト・ゲーム」「イン・ザ・ヒーロー」

「2014 旅の記憶シリーズ」
2014年の国内旅行は、第1回目は九州福岡と水俣(1月)、第2回目は能登(1月2月)。第3回目は長崎(3月)。第4回目は山形寒河江、青森白神山地、函館、第5回目は福岡、佐賀(6月)、第6回目は福岡、壱岐(7月)、第7回目は北海道(8月=3度目の利尻礼文)でした。
2014年の海外旅行は、トルコ(1月、3度目)、台湾(2月、3度目)、シンガポール(3月、X度目?)、フィンランド、ポーランド(6月、55&56ヶ国目)、アイルランド(7月、57カ国目)、デンマーク(58)、ノールウェイ、スウェーデン(59)フィンランドの北欧4カ国(8月、58&59カ国目)です。

「2014 歌舞伎観劇シリーズ」歌舞伎座にて★★★★「今年4回目」

「2014 本の記憶シリーズ」  2013年は本を350冊読みました。
「軌跡」(今野 敏 著)角川文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年217冊目)

「熱波」(今野 敏 著)角川文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年218冊目)

「天保百花塾」(井川 香四郎 著)PHP文芸文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年219冊目)

「慶花の夢」(六道 慧 著)徳間文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年220冊目)
「山同心花見帖」シリーズ第1弾

「笑う月」(鳥羽 亮 著)徳間文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年221冊目)
「極楽安兵衛剣酔記」シリーズ第1弾

「リンクス」(矢月 秀作 著)中公文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年222冊目)

「お順(上)」(諸田 玲子 著)文春文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年223冊目)