「田中屋の蕎麦」

「手前勝手世界食物語、第360号」
「明月庵 ぎんざ田中屋 本店」
SONYビルの真裏を新橋方面に100mほど行ったところにあるのが、有名な蕎麦屋「明月庵ぎんざ田中屋本店」だ。元々は練馬にあった店らしいが、銀座で本格的な蕎麦屋はここだろう。神田の「藪」、「まつや」、各地にある「砂場」等々色々な有名店があるが、それなりの美味しさはやはり田中屋だと思う。その日は以前に勤めていた商社時代の上司らとの新年会で田中屋を使った。「おすすめ会席」を頼み、熱燗を飲み、最後の締めで「せいろ蕎麦」を頼んだが、これがまた美味かった。蕎麦の味が鼻を付く。咽喉越しがまたいい。出汁との絡み合いも本当にいいし、歯応えもまた素晴らしい。さて店内だが、もう満席であちこちで酒と蕎麦がお客を満足にしていたようだったが、本当に混み込みの大混雑だった。流行ってますね、田中屋さん。
以上、東京から勢古口がお送りしました。

「永代橋とスカイツリー」

「永代橋とスカイツリー」
永代橋の向こうにスカイツリーがある。江戸時代には考えも付かない風景だ。橋の右側が深川の下町になる。大川の川開きの花火見物の群集の重みに耐えかねて橋が崩落したこともあった。それでも橋は江戸庶民になくてはならないものだったので、直ぐに再建されたという。

「江戸の庶民の生活は楽だったか?68」
「風呂好き」
日本人は江戸時代から風呂好きだったのはご存知の通り。ところが実は2種類あった。一つは「湯屋」、これは所謂「銭湯」だ。「風呂屋」は「蒸し風呂」だった。流行っていたのは「湯屋」でこれには江戸で約600件ほどあり、「株」でその権利を売買していた。江戸時代と言うのは今で言う「協同組合」方式で「株」でそれぞれに業種が守られていた。即ち新規参入が防がれていた。湯屋の株は300両ほどしたそうだ。湯屋はだから儲かった。これには理由があり、火災が多かった江戸では自前の内風呂は殆どなかったから、湯屋を江戸の庶民は利用したことにもよる。さて、「株」だが、江戸時代は「株組合」が組織されていて新規参入を防いでいた。その代わりに幕府に組合として「運上金」を差し出して保護を得ていた。だが幕末になって「水野忠邦」の改革期に株組合の制度がなくなり、新規参入が出来るようになったという。

「大相撲・初場所」

「現在のアメリカンフットボール」その1
先日、日本選手権を獲得した富士通フォロンティアーズの関係者から聞き、目から鱗だったことがある。ご存知かとは思うが、アメリカンフットボールは所謂司令塔がクォーターバック(略してQB)だ。現在では作戦はベンチからのサインで伝えられる。ベンチサイドに数字を書いた板や電光掲示板で数字の組み合わせを示す。それで全員が次のプレーの内容を知る。そしてQBが「ハット・コール」と言って、「ハット、ハット、ハット、、、、」といい、それの何番目のコールで一斉にスタートするというのが、昔からだった。今でもプロはその段階でベンチのサインとは違ってQBがオーディブルといい、その場で防御側の動きを見てプレーを変えることがある。しかしコールは当然QBが出していた。ところが今期の富士通はアメリカから来た新しいQBの推薦でコールをセンターが出すように変えたというのだ。これは驚きだ。永年自らもフットボールをしてきて、まして大学はQBだった私からすれば「目から鱗」だった。コールは攻撃側が一斉に動き出す合図だ。それを従来はQBが唱え、それを聞いて全員がスタートする。だがセンターは最前線中央で地面にあるボールを保持し、QBにトスする役割だが、センターがコールするとオフサイドと言う反則が大幅に減るというのだ。オフサイドというのはボールが動く前に攻撃側が動くことをいう。詳しく言うと攻撃側がボールが動く前に不正な動きをすることはイリーガル・プロシージャーといい、防御側の場合をオフサイドと言うのだが、専門用語ばかりでも困るだろうから一応オフサイドとしておく、多少の観客からのクラウドノイズ(大歓声)があってもセンターの周囲にいるオフェンスラインには聞こえる。そして他のプレーヤーはセンターがボールを動かしたのを見て動き出すというのだ。全く我々の時代の発想とは違うのだ。これが今アメリカのカレッジフットボールで行われているというのだ。次回はこのことをもう少し詳しく述べよう。

「大相撲・初場所」
大入り満員の大相撲が両国国技館に戻ってきた。初日から「満員御礼」となった「初場所」だが、千秋楽まで殆ど満員札止めだというから驚きだ。

「インドの結婚式」

「インドの結婚式」
何でも一生に一度のことだから、普通は披露宴の宴会には千人単位での出席者があるというインドの結婚式。どこかの街でも大きなステージを中心にして結婚式の仕度がされていたのをみたが、兎に角映画スターのショーでもあるのかと思ってしまった。カースト制度の中で他のカーストの人との結婚が基本的に認められないインドでバスの中等で女性をレイプする事件が多く起こっているのは何故なのだろうか?結婚が偏っているからなのだろうか?やはりインドはカオスの国でした。

「2015年の映画のお話し」
映画「ST 赤と白の捜査ファイル」(TC日本橋にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年3作目)
警視庁の特殊捜査班がハッカー集団を追い詰めるというお話し。荒唐無稽でした。

映画「96時間 レクイエム」(TC日劇にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年4作目)
元妻が自宅の寝室で殺されていた。犯人に仕立て上げられた男が警察に追われながらも犯人を遂に捕まえるというお話し。兎に角強過ぎる男だった。

映画「薄氷の殺人」(ヒューマントラストシネマ有楽町にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年5作目)
中国東北部の街で起きた連続殺人事件。死体はバラバラにされて広範囲に亘って発見された。その犯罪を追う警察官の執念を描く。

映画「オズ」(ユナイテッドシネマ豊洲にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年6作目)
オズの魔法使いのその後のお話しでした。アニメです。子供向きでした。

映画「真夜中の五分前」(銀座TOEIにて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年7作目)
上海で時計職人をしている日本人の青年が、美しい中国人の双子の姉妹と知り合う。どちらがどちらだか分からない。二人は入れ替わりをしたりして生きていた。だが海外で事故で一人が死ぬ。果たして残ったのはどちらなのか?

映画「シン・シティ」(TCスカラ座にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年8作目)
コミックの映画化だろうが、白黒映画のパートカラーは異常だ。兎に角殺し合いばかりだった。

映画「鉄道員 ぽっぽや」(銀座TOEI座にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年9作目)

日経新聞1月9日夕刊の「シネマ万華鏡」の評価によれば、「ジミー、野を駆ける伝説」が4つ星、「薄氷の殺人」が4つ星、「ジミーとジョルジュ」が3つ星、「96時間/レクイエム」が3つ星、「トラッシュ/この街が輝く日まで」が3つ星、「シン・シティ 復讐の女神」が3つ星、「王の涙」が3つ星でした。

「私の去年2015年の映画の評価は?」
今年の★★★★★は、
今年の★★★★は、「ゴーン・ガール」「トラッシュ」

「2015 旅の記憶シリーズ」
2015年の国内旅行は、
2015年の海外旅行は、
「2015年 歌舞伎観劇シリーズ」

「2015 本の記憶シリーズ」
「望の夜」(今井 絵美子 著)角川文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年14冊目)「髪ゆい猫字屋繁盛記」シリーズ第4弾

「操の護り」(上田 秀人 著)光文社文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年15冊目)「御広敷用人大奥記録」シリーズ第7弾

「千両箱」(小杉 健治 著)光文社文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年16冊目)「般若同心と変化小僧」シリーズ第4弾

「儀式 上」(パトリシア・コーンウェル 著)講談社文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年17冊目)「検死官スカーペッタ」シリーズ第21弾

「儀式 下」(パトリシア・コーンウェル 著)講談社文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年18冊目)「検死官スカーペッタ」シリーズ第21弾

「私闘向島」(稲葉 稔 著)光文社文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年19冊目)「剣客船頭」シリーズ第11弾

「岳飛伝」(北方 謙三 著)集英社刊 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年19冊目)「岳飛伝」シリーズ第11弾

「節目の年」

「J  REPORT 2015 1月第4週」
「リタイアメント・ノート 6年7ヶ月目」、
「VOL。882 SINCE AUG.12th、1983」
「節目の年」
「銀座には何故カメラ屋が多いのか?」
こういう疑問を持たれた方は居られませんか?多いといっても家電販売店ではなくカメラ専門店ですが、そんな専門店が数軒あります。逆にコンビニは一軒しかありません。銀座ほどコンビニの少ない街も珍しい。ちょっと外れて新橋、京橋、日比谷にはコンビニはあるので、やはり家賃が高いとしか思えません。コンビにはコスト高で合わないのでしょう。それに比べてカメラ専門店は高付加価値なので昔からのカメラ屋さんも存在できるのでしょうか?最も多いのは飲食店、これは当然か?そしてブランド店、これも定番だ。そして意外に多いのが「弁護士事務所」だ。交番は銀座4丁目交差点、数寄屋橋交差点、土橋交差点、銀座1丁目交差点にあるくらいか。目に付くのはやはり銀行の支店だろう。それと各地の道府県のアンテナショップが集中しているのも銀座から有楽町界隈だといえる。皆さんも探してみて下さい。

「戦後70年、震災後20年、地下鉄サリン事件後20年」
節目の年が今年だ。戦後70年は太平洋戦争終了後70年はもう余り知る人も少なくなりつつあるが、20年前に起こったことは皆まだ印象深く覚えているだろう。1月17日の阪神淡路大震災、そして30月20日の地下鉄サリン事件、オウム真理教が起こした無差別テロだ。多くの人が亡くなり、多数の人が後遺症を抱えて今も苦難の道を歩んでいる。日本は地震の国だし、まだまだ地震被害はあるのだろうが、テロは勘弁してもらいたい。付け加えるなら、日清戦争後120年、日露戦争後110年だし、150年前の1865年は慶應元年で幕末の混乱時で、その2年後には徳川幕府が終わり、大政奉還となった年だった。

「雲呑麺」

「手前勝手世界食物語、第359号」
「雲呑麺(ワンタンメン)」
昨年食べたもので美味しかった食事の中で忘れていたのがあった。それが雲呑麺だった。久し振りに訪れた香港で食べたが、やはり美味しかった。香港の麺は乾麺なので独特の食感があり、余り日本人には好まれないかも知れないが、やはり本場は本場なりの美味しさだ。ファーストフードとして香港人にも人気だが、逆に今香港では日本のラーメンが大人気だという。香港では何箇所かで日本の有名なラーメン店を見かけたが、客も沢山入っていたのでその人気振りが分かった。さて、話しを雲呑麺に戻そう。銀座4丁目の「ブルーリリー」(以前は紅虎と言っていたが名前とコンセプトを変えて再オープンしたもの)で注文してみた。写真がそれだ。麺は日本のラーメンのもの。雲呑は海老が少なく、挽き肉中心だ。本場ではぷりぷりの海老が中心なのだが、まあ仕方ないか。やはりこの雲呑麺合戦は香港に軍配を上げよう。
以上、「寒の入り」となった東京から勢古口がお送りしました。

「ゴミの中で暮す人たち」

「ゴミの中で暮す人たち」
今公開中の映画に「トラッシュ」というのがある。ブラジルの貧困層の少年達がゴミの中から見つけた財布が原因で騒動を起こすと言うものだが、この少年達はゴミの山の中で暮らしている。同じようなことをインドのデリーで観た。道路脇のゴミの山で暮らしている家族が沢山いたのだった。驚いたことは以前にも述べたが、ここがインドの不思議だ。喜捨の精神が厚いヒンドゥー教のお蔭でこういった路上生活者ですら餓死者が出ないという不思議さ。本当にインドは不思議な国なのだ。

「江戸の庶民の生活は楽だったか?67」
「化粧品」
今も昔も女の人は化粧品に眼がなかった。「口紅」「頬紅」「白粉(おしろい)」「髪油」などのことだ。特に「紅」は紅花から作られ東北地方(特に山形)が紅花の産地だった。紅花は「干し花(紅餅)」に加工され主に近江商人の手によって京都大坂などの紅花問屋に送られ、そこで化粧品として作られ、更に江戸に卸された。化粧用の紅は、猪口(ちょこ)や蛤の貝殻などに塗ってあり、猪口紅、うつし紅、皿紅などと呼ばれた。

「マリンタワー」

「英語の祖先は?」
英語が今のような形になったのは約1500年前のことだというから比較的新しい。ルーツはドイツ語から出たのが英語だと清泉女子大学の大杉正明教授がNHKラジオで話されていた。私の想像だが、ゲルマン系の民族が今のイギリス諸島に入ってきて住み付いた時に現地の住民との間で混ぜ合わされた後に出来たのが英語なのだろう。英語にはラテン語の影響も大きい。シーザーの時代には既にイギリスはローマ帝国の一部になっていたからだ。だからロンドンの近くには「BATH」という地名があるが、その名の通り「ろーま風呂」のある街だ。私も一度訪れたことがある。

「中国人観光客」
ネットのコラムを読んでいたら、面白いことが書かれていた。中国人の老夫婦の旅行者がヨーロッパで経験したこととして述べていたのだが、バイキング形式のホテルのレストランでウェイターから「日本人ですか?」と聞かれたと言うのだ。「違う」と言うと、ウェイターは「食事を残さず綺麗に食べられたから日本人かと思った」と言ったという。なぜならば中国人は皿に沢山取ってきて大量に残していくが、日本人は食べられるだけもってきて食べるから綺麗だということらしい。中国人旅行者が同じ中国人を批判しているのがおかしかった。でもこれは事実だ。またこの中国人旅行者はパリのルーブル博物館でイヤーフォーンガイドを借りようとしたら中国語の物はないと言われたという。勿論日本語のはある。理由は中国人向けのもあったが、皆返してくれないので中国語ガイドの提供は止めたというのだ。これも中国人のマナーの悪さを自らが批判していたのがおかしかった。台湾の故宮博物館でのこと。昨年2月に大学の仲間と訪れた時、纏めて日本語のイヤーフォーンガイドを借りたのだが、パスポートをかたに取られた。多分外国人、特に中国本土からの旅行者の態度が悪いのだろうと思った。パスポートを担保にするとは酷いがこれが中国人の実態なのだろう。写真は年末の横浜は山下町の「マリンタワー」だ。綺麗ですね。

「初詣」

「初詣」
三が日を外して4日に川崎大師を訪れた。三が日ほどの人出はなく、30分も並ばずに境内に入れた。お護摩供養を申し込み、本堂に入る。十人ほどの僧侶が読経を唱える。黄色の衣を着た大僧正が恭しく火を点す。護摩木に火が付き炎が燃え上がる。なんとも厳かな雰囲気だ。やはり正月だという気持ちにしてくれた。「空海、贈り名は弘法太子」、遣唐使として唐の長安に行き、密教を授かってきた高僧だ。その空海が建てたと謂われているこの「平間寺」、唱えるのは「南無太子遍照金剛」、私も大きな声で唱えた。

「2015年の映画のお話し」
映画「居酒屋兆治」(有楽町スバル座にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年1作目)
高倉健の遺作の一つ。函館を舞台にして不器用にしかし真面目に生きる男を描く。初恋役の女優は大原麗子、妻役は何と歌手の加藤登紀子、田中邦衛や左とん平ら懐かしい人たちばかりだった。

映画「トラッシュ」(TCみゆき座にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★★(今年2作目)
ブラジルはリオデジャネイロ。政治の腐敗と汚職の街。そこのスラムに住む少年達は学校にも行かずにゴミの山から物を広い金にする。偶然財布を拾う。そこには1000万リアルの現金が隠されている秘密があった。それを追って警察が介入してくる。果たして少年達の運命は?

日経新聞1月9日夕刊の「シネマ万華鏡」の評価によれば、「ジミー、野を駆ける伝説」が4つ星、「薄氷の殺人」が4つ星、「ジミーとジョルジュ」が3つ星、「96時間/レクイエム」が3つ星、「トラッシュ/この街が輝く日まで」が3つ星、「シン・シティ 復讐の女神」が3つ星、「王の涙」が3つ星でした。

「私の去年2015年の映画の評価は?」
今年の★★★★★は、
今年の★★★★は、「ゴーン・ガール」「トラッシュ」

「2015 旅の記憶シリーズ」
2015年の国内旅行は、
2015年の海外旅行は、
「2015年 歌舞伎観劇シリーズ」

「2015 本の記憶シリーズ」
「衣笠の姫」(佐々木 裕一 著)光文社文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年9冊目)「青い目の旗本 ジョセフ按針」シリーズ第1弾

「複合捜査」(堂場 瞬一 著)集英社文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年10冊目)

「面影に立つ」(鳥羽 亮 著)幻冬舎文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年11冊目)「剣客春秋親子草」シリーズ第3弾

「火盗改父子雲」(鳥羽 亮 著)角川文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年12冊目)「火盗改父子雲」シリーズ第1弾

「白鶴ノ紅」(佐伯 泰英 著)双葉文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年13冊目)「居眠り磐音江双紙」シリーズ第48弾

「松の内」

「J  REPORT 2015 1月第3週」
「リタイアメント・ノート 6年7ヶ月目」、
「VOL。881 SINCE AUG.12th、1983」
「聖路加国際病院」
正月早々から聖路加に行くことになった。まず昨年から続いている軟便と短時間に訪れる便意を医師に相談したところ、大腸の内視鏡検査をすることとなった。6日に検査日の1週間前から比較的緩い食事制限、そして3日前からは食事の大幅制限となる。理由は大腸内に残らない食べ物を摂取するためだ。そのため野菜類、海草、キノコ類、胡麻等は一切駄目。うどん、ご飯、鶏ささみ、豚牛赤身肉、魚等ならばよい。まあこんな食生活をしていよいよ検査日。朝から大量の薬剤の液体を飲まされ、便が完全に白濁するまで続けると漸く2時間ほどで終了。病院に行き検査開始。40分ほど内視鏡を入れての検査だったが、予想していた大腸内の腫れ等はなかった。小さなポリープが一つ発見されたが問題ないとされた。さて、翌日は聖路加の整形外科で右膝にヒアルロン酸の注射。毎月行っている。お蔭さまで右膝は現在は殆ど問題ない。そして次は皮膚科。2年振りのN女医との対面だ。美人女医さんだ。「お久し振り」と言われてしまった。この2年担当してくれていた医師が昨年末留学することになり、またN女医に担当が替わったからだ。「先生、助けて下さい」と申し上げて身体中の痒みを説明すると、肌の乾燥が主原因ということで、保湿クリームと痒み止めの飲み薬と軟膏を貰った。早速全身に塗った。特に乾燥肌の私はこの時期、乾燥した空気で肌がやられてしまう。困ったものだ。まあ、薬の効果が出てくるまでの我慢だ。といった具合で年初から病院通いでした。そろそろ「松の内」も明ける。世の中の人たちは普通の生活に戻り、忙しく働いているのだろう。