「手前勝手世界食物語、第229話」

第一日目:夕食はサイゴン川船上でのベトナム料理、といっても殆ど中華料理か。「エビ竹輪」これは竹の棒にエビを摩り下ろしたもので包んで油で揚げてある。「茹でエビ」「白身魚のフライ」「イカと野菜の炒め物」「ちんげん菜の炒め物」「海鮮鍋」、デザートは「スイカ」でした。美味くもなく不味くもなく、可もなく不可もない食事でした。昼食は機内食で和食の「とんかつ」を食べた。
第二日目:ホーチミンでの朝食はバイキング。名物の「フォー」をまず食べる。いつもながら麺類は美味いし食べ易い。あとは「野菜炒めとチキンカレー」を少し食べた。昼は本格的なベトナム料理だというが、まずは「フォー」、「生春巻き」「お好み焼き風」「青菜の炒め物」「焼き飯」でした。夜は地元カンボジアの「クメール料理」とか。大きな円形のお皿に幾つか仕切りが設けられていて、そこに数種類の料理が載っていた。「苦瓜の肉詰めスープ」「生野菜と豚挽き肉の手巻き風サラダ」「切り身魚のフライ、ココナッツカレーかけ」「鶏とカシューナッツの炒め物」「スチームライス」でした。このホテルのサービスは非常によかった。最低でも3つ星ホテルではないかと思うくらいでした。
第三日目:カンボジア2日目。ホテルの朝食は勿論「カンボジア風フォー」でした。何がベトナムと違うかというと麺が若干違うかな?程度のお話し。昼食は「カンボジア風中華料理」、豪華メニューでした。「野菜と鶏肉のスープ」「青菜のにんにく炒め」「白身魚の甘酢あんかけ」「豚スペアリブ炒め物」「蒸しナスのガーリック風味」「豚肉とピーマンの炒め物」「三種の野菜のオイスターメ[ス炒め」「豚スペアリブの唐揚げ」などでした。夜は「ブッフェスタイル」だったが、数百人のお客が入り乱れ、とても食べられる状態ではなかった。比較的空いている人気のないものを食べたが不味かった。あとで聞いてみたらお客の数は600人で満席だったという。週末ということで隣国タイの人も多く来ていたという。
第四日目:勿論本日も「カンボジア風フォー」を食べた。今日のフォーには豚肉を入れてもらった。昼食には地元の名物料理「アモック」が出た。これが淡水に住む「雷魚」をココナッツミルクと合わせて蒸したもの。白身魚なのであっさりしたものだった。その他は中華料理だった。夜はバスの中での和食弁当。お腹を満たすだけだった。
第五日目:ハロン湾のホテルではいつも通り朝は「フォー」を食べる。昼はハロン湾クルーズの船の中での「海鮮料理」プラス「揚げ春巻き」。まあまあこんなものだろう。船内での海鮮料理は勿論新鮮だから決して不味くはない。香港の田舎で食べるような雰囲気だ。昔、バブルの全盛期には毎年数回ファーストクラスの飛行機で香港に行って新鮮な魚介類を食べていた経験からすると、このベトナム料理は田舎料理の域を出ないが、これはこれで鄙びていてベトナムだという気持ちにさせてくれる。ベトナム料理の「揚げ春巻き」で思い出すのが「グアム島」だ。その後何度も行ったことのあるベトナム料理の店に初めて行った時、この店の名物料理だという「揚げ春巻き」を注文したら、長さ15cm、直径2cmほどの馬鹿でかい揚げ春巻きが出てきた。そしてサイドに生野菜が数種類置いてあった。生のもやし、香草(ハーブ)、何かの葉っぱ等で春巻きを包んで、店自慢のたれに浸けて食べるというのだ。バリバリと大きな口を開けて噛みながら揚げた春巻きを食べた。食べ応えもあったが、実に美味しかった。但し量が多過ぎてやむなくホテルまで残りを持ち帰った。その後、病み付きになりグアムに行く度にこの店にはお世話になった。当時一本確か2ドルだったと思うが、安くて美味しかったのを今でも覚えている。これがベトナム料理かと感心したものだった。夜はほてるで中華料理でした。そろそろ胃も疲れているようで余り食べられなかった。
第六日目:ハロン湾のホテルでの朝食は定番の「フォー」。 昼も中華、夜は「ベトナム風フランス料理」でポークを食べた。早く日本に帰りたいと思うようになったのはやはり歳なのだろうか?
以上、ベトナム・カンボジアから勢古口がお送りしました。

今年の冬の映画はお勧めが沢山あります。

「クリスマスのその夜に」(ヒューマントラストシネマ有楽町にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年203作目)
ノールウェイの小さな町でのクリスマスイブの出来事。色々な人たちがイブの夜を過ごす。そんな人たちの一晩の行き方を描く。なかなかの秀作でした。

映画「タンタンの冒険」(日比谷スカラ座にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★★(今年204作目)
原題は勿論「TINTIN」だから、ティンティンと発音されるべきなのだろうが、ヨーロッパでは有名なお話しの映画化。それも3Dのアニメだ。ハドック船長の祖先が隠したといわれている宝を狙って起きる事件をジャーナリストのタンタン青年が解決しようとするもの。文句なく面白い。

映画「50/50」(日比谷シャンテシネにて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★★(今年205作目)
シアトル在住の27歳の独身青年が突然癌に侵される。1年目の生存率が50%という。恋人も去って行く。人生に絶望するかと思いきや、家族や友人の支えに何とか耐えて抗がん剤治療を受けるのだが、果たして生き残られるのだろうか?今年お勧めの映画の一つです。ぜひご覧になって下さい。

映画「RAILWAYS」(丸の内ピカデリーにて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★★(今年206作目)副題「愛を伝えらない大人たち」
立山連峰が眺められる富山平野を走る「富山地方鉄道」所謂「地鉄」の運転手とその家族の物語。勤続42年、35年間無事故無違反で定年を迎える運転手の夫「三浦友和」に妻「余 貴美子」は看護士に復帰するという。そこで意見の衝突があり、妻は家出、離婚届が届けられる。心温まる家族愛でした。いい映画です。

映画「けいおん」(ユナイテッドシネマ豊洲にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年207作目)
アニメだが、超人気とか。女子高の軽音楽部。3年生4人と2年生の梓の仲良し5人組は卒業旅行でロンドンへ行く。茶目っ気たっぷりの彼女たちが面白い。なるほど人気になる訳が見えてきたかな。

映画「怪物くん 3D」(ユナイテッドシネマ豊洲にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年208作目)
人気漫画の映画化だが、怪物世界のプリンスが人間世界で活躍するというものだが、荒唐無稽なのがこれまた楽しい。お子様向けでした。

日経新聞12月9日夕刊の「シネマ万華鏡」の評価は、「風にそよぐ草」が5つ星、「フレンズ、もものけ島のナキ」が3つ星、「MI ゴーストプロトコル」が4つ星、「源氏物語 千年の謎」が3つ星、「瞳は静かに」が3つ星、「エル・ブリの秘密@約のとれないレストラン」が3つ星でした。

「シノプスシ152」
本「ご存じ大岡越前」(鳴海 丈著)光文社文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年359冊目)「雲霧仁左衛門の復讐」
奉行の「大岡越前守」と瓜二つの遊び人「金次」が入れ替わって活躍するというお話し。

本「謎解きはディナーのあとで2」(東川篤哉著)小学館 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年360冊目)
ベストセラー小説の第二段。令嬢刑事「宝生麗子」と執事「影山」の絶妙コンビが殺人事件を次々と解決する。

本「恵比寿屋喜兵衛手控え」(佐藤雅美 著)講談社文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★★(今年361冊目)
ちょっと古い作品だが、大110回直木賞受賞作品。公事宿を営む恵比寿屋の物語。複雑に絡んだお話しが凄い。

本「謎手本忠臣蔵 上」(加藤 廣 著)新潮文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★★(今年362冊目)
本「謎手本忠臣蔵 中」(加藤 廣 著)新潮文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★★(今年363冊目)
本「謎手本忠臣蔵 下」(加藤 廣 著)新潮文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★★(今年364冊目)
ご存知忠臣蔵を5代将軍綱吉の母を「従一位」に叙してもらいたがために引き起こされたとして別の観点から描いたもの。涙なくしては読めない。丁度帰国日が12月14日だったためにどうしても読み終えたかった。

本「007 白紙委任状」(ジェフリー・ディーヴァー 著)文言春秋 刊 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年365冊目)
ジェフリー・ディーヴァーがジェームス・ボンドを描くという面白いもの。流石作者の意図が凄い。巨大なテロ集団に立ち向かうボンド、果たしてどうなるのか?

「ハノイ編」

12月12日(月曜日) 第五日目
新しいベトナムの観光名所として多分「北ベトナムのハワイ?」を目指して開発中なのが「ハロン湾」なのだろう。「ベトナムの桂林」といっていたが、中国は「桂林」のような切り立った奇妙な山がここでは大小2000の島となっており、とても風光明媚なところだった。ここで観光船に乗って島の間を巡り、鍾乳洞を見て、小高い島の頂上からの絶景を見るといったところか。暫らくすると小船が近寄ってきて果物を売り込みだした。日本人は甘いから一皿1ドルで次々と売れていく。商談はなし。網竿に商品を入れてそれをとればドル紙幣を網に入れる。これで商談成立。私が窓を開けていた小さな子供が窓から身体を入れてきて果物を買えといってきた。勿論無視。後進国では幼い子供を使っての物売りが多い。一方船内では絹や麺の製品、金属加工品等を船員が売りつけにくる。なんと6時間も船内に拉致されてしまうのだから困ったものだ。さて近くの島にはゴルフ場も建設中とのことで、外貨獲得の目玉にするつもりなのだろう。ここでも日本と同じ内容のNHKテレビをホテルの部屋で観られるのはありがたかった。昨晩は「丘の上の雲」を夜中にやっていたということで感激していた同じツアーの人もおられた。このハロン湾クルーズだが、普通で行けば3時間もあれば充分だろう。それを延ばしに延ばして、買い物をさせるという仕組みになっているのには納得できなかった。ここは中国国境にも近いので中国人、日本人、そして韓国人がたくさんいたが、西洋人は殆ど見かけなかった。

12月13日(火曜日) 第六日目
今日はいよいよ帰国日だ。まずベトナムの首都「ハノイ」に移動。ハノイの現状をガイドに聞いてみた。原油の自給率は40%、ガャ潟淘繧ヘリッター85円、従ってエネルギー事情はよくない。電力は中国からの輸入もあるという。ということから、「原発」の導入に積極的なわけだ。日本の新幹線も導入するという。手軽な移動手段のバイクは日本製が10万円、国産品だと3?4万円だそうだが、「安かろう悪かろう」だそうだ。最近のことらしいが、韓国内で結婚できない韓国男性がやってきてベトナム人女性と結婚して韓国に帰国してからその女性を殺した事件があったらしい。従って結婚ブローカーは罪になるという。また中国人の経済犯も多く、対中国感情は悪化しているという。中国には長い間侵略され征服されてきた歴史がある。16世紀までベトナムでは漢字が使われていた。だから未だに漢字から出てきている言葉は日本語と殆ど同じだという。それが16世紀にヨーロッパから宣教師がやってきてアルファベットが入ってきて併用されるようになった。その後フランスの殖民地になったことでアルファベットの使用だけとなり漢字が今や忘れ去られようとしているという。ハロン湾からハノイに行く間にバイクで運ばれていく「豚、鶏、犬」を見かけた。犬は一般的に食するらしい。所謂赤犬といわれる種類だろうが、バイクの荷台の金網の檻に6?7匹入れられていた。これから屠殺場に行く途中だという。ちょっと我々には理解できないことだった。やはりベトナムはまだまだ後進国だ。日本の戦争直後に若干年月が加わった程度の水準だったようだ。でも比較的対日感情は良いようでこれからが期待出来る、これからの国だという印象だった。ハノイ観光の最後は「ホーチミン廟」だった。彼は1969年アメリカとの戦争の最中に亡くなったが、「国の父」と慕われ防腐処理を施されて今でも遺体を見せているという。「レーニン」「毛沢東」そして「ホーチミン」のみ公開されているが、その意味はなんだろう?

「アンコール遺跡群編」

12月10日(土曜日) 第三日
ホーチミンを出て30分後には「トンレサップ湖」上空に達した。湖と湿地帯が一緒になったような巨大な海のようなもので周囲には水田が広がっていた。首都「プノンペン」から北西に約200km離れたここ「シェムリアップ」が「アンコール遺跡群」観光の拠点だ。昨晩は大きな満月がカンボジアの夜空を照らしていた。さて、朝になると快晴の空、澄み切った空気が気持ちいい。この地方はベトナムより一層貧しい農村のようだ。基本的にカンボジアは農業国、あとは観光だが、ここ「アンコール遺跡群」には年間200万人が訪れるという。ホテルも完備している。「アンコール・トム」(大きな都という意味らしい)、「アンコール・ワット」(寺院の都)、「プレループ」遺跡からの夕日を観たが、アンコール・ワットを全く誤解していた。これらの石造建設物は古いものは9世紀初頭から、中心的には12世紀以降の「仏教、ヒンドゥー教、イスラム教」等の宗教文化と当時存在した王国の都の遺跡群だったのだが、この地がフランスの植民地時代にこれら遺跡が発見されたと鵜呑みにしていたが、実はカンボジア人たちは存在を知りつつもただジャングルに放置していたのだった。それがフランス統治時代に発掘され現在に至ったおり、日本、フランス、イタリア等の援助により復旧されており、ジャングルの中の遺跡というイメージは全く違っていた。不幸なことにカンボジアは3年数ヶ月の間に「ポルポト政権」により、少なくとも170万人最大では220万人とも言われる国民が殺されたというのだ。その際に銃撃戦の痕が遺跡にも残されているが、この地が約1000年も前の偉大な文明の中心地だったということになんら変わりはないのには驚かされる。素晴らしい文明が現代に残された。ありがたいことだ。勿論「ユネスコの世界文化遺産」だ。夕食時には観光名物になっている「宮廷舞踊、アプサラの舞」を鑑賞したが、独特の女性の手と足の動きには日舞にも通ずるものがあると思った。宗教的にはカンボジアは「小乗仏教」の国で95%以上の人が仏教徒だという。過去、隣国のベトナム、ラオス、タイのアユタヤらとの激しい戦いを繰り広げてきたカンボジアは今は平和な国になっていた。アンコール・ワットの壁に刻まれているレリーフには神話が語られていたが、不思議なことに「善は猿、悪は阿修羅王」として描かれているのはタイと全く同じなのだ。この東南アジア、インドシナ半島のある意味での共通点なのだろう。

12月11日(日曜日) 第四日目
朝5時。日の出を観に行く。「アンコール・ワット」の西側の入り口から入り5本の塔を眺めながら、東の空を望む。5本の塔の前の池にその姿が逆に映る。やがて夜明け、徐々に空が赤く染まり、明るくなってきた。このアンコールワットの塔がカンボジアの国旗にも入っている。昨日訪れたアンコールトムの巨大な顔の像(バイヨンの微笑み像)はお札に刷り込まれているという。さてワットの中は朝から観光客で一杯だ。5本の塔はヒマラヤを現しているという。そんな「カンボジア王国」だが、100年にわたるフランスの植民地化、独立戦争、アメリカのベトナム戦争の余波、そして共産主義勢力ポルポトによる内戦で国土はずたずたになり、30年前には人口は700万人にまで減ったという。だからカンボジアには老人がいない。平均寿命62歳のこの国の今の人口は1400万人で、30歳以下が70%、15歳以下が49%だという若い国だ。だから今のカンボジア人たちは皆元気だ。確かに田舎には電線もない、ということは電気が通じていない。しかし、農業で自活でき、副業で現金が稼げればそれでいいというのが彼らの考え方のようだ。贅沢などしなくても食べて家族が生活できればそれでいい。これって当たり前の話しだと思うが如何なのだろうか。地元のスーパーに立ち寄ったので、「お米」の値段を見てみた。ちょっと高級なお米があった。2kgで3.45ドル、1kg当たり150円程度か。日本とは一桁違うようだ。さてこのアンコール遺跡群はそれこそあちこちに埋もれていた遺跡が見つかった。それぞれが造った王様の時代の宗教により違うが、「大乗仏教」「ヒンドゥー教」「小乗仏教」と時代により違うのだが、ヒンドゥー教はその前にあった仏教の釈迦如来像をことごとく破壊してしまっている。一方、仏教文化は自分たちの前の宗教を破壊してはいない。「宗教戦争」といってしまえばそれまでなのだろうが、この地に残された「仏教対ヒンドゥー教」の戦いの遺跡は1000年の永きに亘る文明間の対立の象徴のようだった。兎に角ジャングルの中にあちこちに数百年隠されていた遺跡群に人間の力を再発見した思いだった。映画「トゥーム・レーダー」にも出た「タ・プロム」の遺跡は400年の間に「ガジュマル」の木に遺跡全体が覆われていて自然の力を知らされた。巨大なガジュマルの根へ戻る。今度は「ハノイ」だ。そこからバスで「ハロン湾」へと向かう。夜中、ハロン湾のホテル到着。疲れた。ハノイからここまでの道のりはごく普通の一般道を走る。街中には「NAH HGIH」とのネオンサインがたくさんあった。これは所謂「旅館」という意味らしい。旅行者用なのか地元の人用なのか分からないが、道々にたくさん出ていた。

ベトナム・カンボジアの旅

「J REPORT 2011 12月第2週号」
「リタイアメント・ノート 3年目6ケ月目」 「VOL.716 SINCE AUG. 12th、1983」
「旅暦37 ベトナム・カンボジアの旅」
「ホーチミン、旧サイゴン編」
12月8日(木曜日) 第一日目
初めてベトナムは「ホーチミン」市の土を踏む。旧「サイゴン」の町はスコールで煙っていた。ベトナムは右側通行、たくさんのバイクが我先にと走っていく。ヘルメットを被りビニールのシートを羽織っているが、観ていてはらはらするような運転で自動車と自動車の間を縫うようにしてバイクは走る。この地もまだまだ交通道徳がなっていない国だ。信号は流石に守ってはいるが(中国よりはましだが)競争するような走り方だ。取り合えずホテルにチェックインしてから市内観光に向かう。気温30度、湿気がスコールの影響もありきついかな。ホテルは衛生的だし部屋も広い。まあまあ納得だ。インターネットもちゃんと付いていた。さて、現地のガイドさんの話しによると、ベトナムの人口は8700万人で、ホーチミンには900万人が住んでいるという。その内半数の人がバイクを持っているという。なんと450万台のバイクがホーチミン市内を走っているらしい。もの凄い数だ。一番人気がホンダ、次がヤマハ、スズキ、カワサキと続くという。宗教は80%が仏教徒、15%がカャ潟bク、その他が5%らしい。因みに貨幣だが、「1米ドルが2万ベトナムドン」ということになるらしい。天文学的なインフレなのか?分からないが米ドルが通用することは間違いがない。車は70%が日本車。家電も90%が日本製だとか。市内の旧大統領府や中央郵便局、サイゴン大教会などをお決まりの観光とお土産屋さんへの拉致と話しは決まっている。それにしても1台のバイクに子供3人に親が二人乗り込んでいたりと驚かされることばかりでした。夜はサイゴン川のディナークルーズ。昼間見たらその汚さに驚かされそうな川をちょっとだけクルーズするが、特に綺麗なものはなにも見えない。食事が終わるとショーが始まる。地元の楽器を使っての演奏だが、日本の歌が中心だ。最後に女性ダンサーが火を扱うショーがあり盛り上がる。びっくりしたのは、隣のテーブルのベトナム人夫婦二組と子供二人のグループが食事が終わって勘定書きを観てから「値引き交渉」を始めたことだ。店の女性もびっくりしていたが、ねばりにねばって交渉成立したようだった。「郷に入れば郷に従え」だが美しい女性たちだっただけに驚いた。ここは値引き交渉は当たり前の世界だ。乾季だというのに小雨が降っている。さて時差2時間がそろそろ効き始めてきた。日本時間真夜中の12時、こちらは午後10時、眠たいです。

12月9日(金曜日) 第二日目
ベトナム戦争当時、アメリカ軍を苦しめた「ベトコン」と農民たちが作ったという「スチの地下トンネル」に行く。まあもう36年も前にベトナム戦争は終わっていたのだが、その戦場跡が今や観光地となっている訳だ。これは定番の観光。さて、少しベトナム事情を探ってみよう。収入だが、工業地帯のブルーカラーで月1万2千円ほど、市内のホワイトカラーだと2万円、外資系だと3万から3万5千円、サービス業の大学生の夜のアルバイトで2万円だという。失業率は低く南では2.4%、北でも4.8%だという。食事だが、朝食は屋台での外食(約1ドル)、サラリーマンの昼食は屋台か弁当(約1.5ドル程度)を買う。夜は自宅で内食。学校は小学校5年(進学率94%)、中学4年(同72%)、高校3年で義務教育は中学まで。進学率が低いのはベトナム人以外の少数民族の影響か?人口の65%が35歳以下の若い世代が多い。特に教育については熱心で、大学の授業料は比較的安く年間で公立では4?5万円、私立は6?7万円だが、日本の公文の場合、月2万円だとか。オーストラリアの外資系では年間1百万円かかるという。収入から比べるとやはり割高だ。公共のバスは市内一律4000ドン(18円)、タクシーは2kmまで1万ドン(40円)、1km毎に1.5万ドン(60円)だという。徴兵制があり、18歳から27歳までの間に2年間軍隊に入るという。ベトナムの米の輸出は年間670万トンでタイについで世界第二位。街を走っていて気が付いたことだが道端にバイクのサイドミラーを売る人がいたり、コンプレッサーがあり、タイヤのパンク修理や空気補充をする仕事もあるようだ。更に盲目の人が道端で歌を歌っているとバイクの人たちが寄ってきてお金を置いていく姿もあった。兎に角モーターバイクの世界で、大半の人がマスクをしているし、足はサンダル履きだ。市内の至る所にローターリーがあるのだが、そこに周囲から勢いよく多数のバイクが飛び込んでくる。カオスだ。混沌とした中に一定のルールというか、暗黙の了解があるのだろうが、我々にはとても真似できる運転ではない。これで事故が起きないほうが不思議だ。バイクはやはり殆どが信号無視で走っていた。このバイク、50cc以下は無免許だという。車はやはり1台200万円ほどするので皆18歳になるとバイクを買うという。日本車は全てが現地でのノックダウン方式で製造しているという。
夕方、カンボジアに飛ぶ。明日はいよいよ「アンコールワット」観光だ。本来ならば「乾季」は12月から3月で、一番暑いのが4月から5月のはずだが、何か雨季が延長しているような雰囲気だった。

「手前勝手世界食物語、第228話」

「鰻の登亭」
太るから止めるべきなのだが、どうしても鰻を食べたくなった。そこで銀座4丁目和光の裏にある「登亭」に行った。それなりに安い鰻を食べさせてくれるが多分輸入の養殖物だろう。仕方がないがこればかりは値段との相談だから、国産の天然物を食べようと思えば4桁の金額を払えばいいだけで、安く美味しくとはそうは簡単にはいかない。不思議なもので「鰻」の値段は、大きさで付けられているようだ。本来ならば鰻の味や質で決るはずなのだろうが、全てが輸入か国産でも「養殖物」ばかりだろうから、味も質も同じということだろうから、大きさが値決めの最大の要素になる訳だ。だがよく考えてみると鰻を扱う技術と言うのはどうなっているのだろうか?鰻を「捌き」「串に刺し」「蒸し」「焼く」と言う行程を経ている訳で、そこに職人の技術が入っているからこそ、美味しさの良し悪しがあるだろうに。何とも納得しがたい鰻屋さんの現状でした。両国にあるそれこそ「両国」という名の店では、昔ながら客から注文が入ってから、串刺しされていた鰻を蒸す。そして蒸し上がった鰻を炭火でタレを付けながら焼く。従って捌きからではないものの時間が掛かる。まあ最低でも30分近くは待たされる。それ位気持ちの余裕がないと食べられないのが鰻だ。昔は多分注文が入ってから捌いたと思う。今は注文、即出てくる。焼いてあるのを暖めて出すだけならばそれは早いだろう。それでも鰻は美味しいから止められない。
以上、鰻好きの勢古口が東京からお送りしました。

「有楽町は赤一色」

有楽町駅前はクリスマスのイルミネーションか、赤一色の電飾で飾られている。今や銀座のデパート大戦争が火花を散らしているが、その火花が飛び移ってきたかのような色だ。ここ「有楽町マリオン」裏と「有楽町交通会館」の間にびっしりと張り巡らされた電飾は余り節電にはならないが、気分を盛り上げることにはなるだろう。さて「大江戸地図帳」を片手の「街歩き」の続きと行こう。今の「東京駅」は江戸時代には大名の上屋敷だった。南のほうからいくと、「鍛冶橋」側から「松平・三河」「堀田・セツ」「松平・ノト」「真田・信ノ」「水野・キイ」「松平・クラ」「松平・タンバ」「松平・泉水」「北町奉行」「松平・伊豆」「秋元・但馬」「細川・越中」らの屋敷がそれだ。大きな屋敷も若干小さな屋敷もあるが、千代田城を取り囲む肝心要な場所であるから、恐らく明治維新で政府に召し上げられたこの辺りは屋敷は取り払われて一面の野原にでもなっていたのだろうか?今の丸の内側はその後「岩崎弥太郎」に払い下げられ「三菱村」が出来た訳だが、東京駅からそのまま皇居まで一直線に進むことが出来ることになるためには、大名屋敷は取り払われていたのだろう。元々大名や旗本、御家人の屋敷は徳川幕府から貸し与えられていた訳だから幕府崩壊後は明治政府に召し上げられたのだろう。「南町奉行所」のあった有楽町駅周辺、そして「北町奉行所」があった東京駅日本橋口までは約1.1kmの距離だ。ここで江戸時代の裁判の数々が行われたのだろう。そして東京駅日本橋口から大手町交差点に掛けての南側に「評定所」「傳奏所」があり、奉行所で裁けなかった高度な判断を老中たちが下したところだという。今の「みずほコーポレート銀行」と「新住友ビル」のある場所がそれだったのだ。評定所前の北側には「道三堀」という掘割があったが、勿論今は道路になってしまっている。永代通りがその名残りだ。江戸時代の裁判制度については、幕末に訪れたイギリス人は日本には裁判制度がないと記しているらしいが、町には古町商人3人の「町年寄」がいてこれが今で言えば「地方裁判所」に相当し、次が「奉行所」でこれが「高等裁判所」、そして「評定所」が「最高裁」といえるのではないだろうか。町役というのも町年寄の下にいたが、これはある意味「家庭裁判所」に当るのだろう。それぞれの訴えを地域段階で処理して、それでも処理できなかったものを上に挙げたものらしい。それでは将軍は裁判には関与しなかったのか?最終的には将軍の裁可があったのだろうが、実際にはめくら判だったのだろう。八代将軍「吉宗」は「目安箱」を設け、庶民からの訴えを直接聞いたという。その後形骸化されたらしいが民意は大切だ。

「イルミネーション」
各地でクリスマスのイルミネーション点灯が伝えられている。「神戸ルミナリエ」も止めてしまったと思っていたら,やっているという。今や全国中で木々にLED電灯がつけられて光り輝いているようだ。どこの街路樹も木々からすれば迷惑なことではないだろうか?同じことが犬にも言えよう。犬に服や靴をはかせる人がいるが、犬がどれだけ迷惑しているのか、分かっているのだろうか?木だって邪魔で迷惑していると思うが、如何か?

映画

映画「新少林寺」(有楽町スバル座にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年196作目)
時は1912年、中国は「清国」が倒れた後、中国各地では「軍閥」が割拠していた。そんな最中に一人の軍閥の将軍が少林寺に乗り込み犯罪者の引渡しを求める。その後彼は部下から裏切られ娘を殺され挙句に少林寺に助けを求めることになる。そこで軍閥と少林寺との戦いが行われる。カンフーの動きが凄い。

映画「アントキノイノチ」(丸の内ピカデリーにて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年197作目)
吃音で高校時代に虐められ精神病となった青年と、同じく高校時代にレイプされ自殺未遂を起こした若い女性が同じ職場、「遺品整理業」で働くことになり、愛が芽生える。だが悲しい出来事が起こる。理解されない若者達の切ない生き方に注目か。

映画「コンテイジョン」(ユナイテッドシネマ豊洲にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年198作目)
SARSに匹敵するウィルス汚染が突如始まった。震源地は香港か?世界中に被害は広がる。あっという間に3ヶ月が経ち、全世界で2700万人が死亡した。果たして対策は打てるのか?未だ有効なワクチンが見つからない。緊迫の画面が続く。身に詰まされる出来事の連続に人類とイルルスとの戦いは終わらない。

映画「ハッピーフィート2」(ユナイテッドシネマ豊洲にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★(今年199作目)
「皇帝ペンギン」の子どもが主役のアニメ映画。巨大な氷山により海に行けなくなった皇帝ペンギン達を仲間のペンギンやオットセイたちが助ける物語。歌と踊りが売り物だ。但し、劇場の観客は私一人でした。

映画「ハートブレイカー」(ヒューマントラストシネマ有楽町にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★★(今年200作目)
フランス映画のコメディー物。恋愛中の男女を別れさせるのが仕事と言う男性と彼の姉の夫婦の三人組。女性に近付き愛を打ち明け目覚めさせて今付き合っている男性から別れさせるのだが、フランス映画らしいウィットとお色気が嬉しい。中々の見物でした。

映画「アーサー・クリスマスの大冒険」(ユナイテッドシネマ豊洲にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★(今年201作目)
クリスマスの日、世界中の子供たちにプレゼントを配るサンタクロースの一家の物語。世界中に20億個のプレゼントを20億人の子供たちに配るのだが、実は一人の子供だけ配り終えていないのが分かった。サンタの一家の次男「アーサー」がその子供の元に向うのだが、色々な困難が立ちはだかると言うアニメ映画。劇場の観客は私一人でした。

映画「ハラがコレなんで」(ユナイテッドシネマ豊洲にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年202作目)
アメリカから帰国した妊婦の女性が15年前に住んでいた都内の下町へ戻ったお話し。「粋だ」と「OK」、「風が変わる」というのがキーワード。いつも諦めない明るい性格が楽しい。

日経新聞12月2日夕刊の「シネマ万華鏡」の評価は、「無言歌」が5つ星、「リアルスチール」が4つ星、「歯ポピーフィーと2」が3つ星、「50/50」が4つ星、「ピザボーイ」が2つ星、「RAILWAYS」が3つ星、「トーキョードリフター」が4つ星でした。

「シノプスシ151」
本「月を鏡に」(井川香四郎著)文春文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年355冊目) 「樽屋三四郎言上帳」シリーズ第4作目 
町年寄の三四郎が見事な裁きをする人情物語の4作目。

本「赤鬼奉行根岸肥前」(風野真知雄著)文春文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年356冊目) 「耳袋秘帖」殺人事件シリーズ第1作目 
南町奉行に付いたのは61歳の根岸肥前守だった。彼の知識を活用して江戸の町を取り締まる。

本「沙門空海唐の国にて鬼と宴す」上(夢枕獏)角川文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年357冊目)
本「沙門空海唐の国にて鬼と宴す」下(夢枕獏)角川文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年358冊目)
9世紀初頭、日本から「遣唐使」として渡った「空海」のお話し。彼の目的は天竺から唐に伝えられた「密教」を日本に持ち帰ることだった。

「孫娘と私と似ているのは?」

垂オ訳ない。爺の馬鹿な独り言と思っていただきたい。産まれたばかりの孫娘が私と似ているのはなんと「耳」なのだ。私は所謂「福耳」で孫娘をじっと見てみると私と同じ福耳なのだ。耳の下の部分が膨れて大きく垂れているのが特徴なのだが、お釈迦様の耳がそれだが、私も一応福耳で孫にその遺伝子が伝わったのだろうか?確かにこれまで私はお金では苦労した経験が殆どない。孫にも生活に苦労してもらいたくない。どうか「福耳」の恩恵を受けて育ってもらいたいものだと、すっかり甘いお爺ちゃんになっている私でした。

「人間は二度死ぬ」
孫が産まれて尚更考えさせることがある。それは「死」だ。人間は二度死ぬという。一度目はそれこそ本当の肉体的な死だ。これは病気や歳や事故や色々とあるが、人間としての死だ。もう一度の死は「忘れ去られる」という死だという。誰からも忘れ去られ記憶から無くなってしまうという死だという。お墓に名前が記されているうちはまだなのかもしれないが、子供たちや孫達、荘キ達の時代になるともう完全に忘れ去られてしまうのだろう。過去帳や墓誌にしか残らない記憶の外に忘れ去られた時が本当の死なのだろう。孫が生まれてより一掃痛切に死を感じるようになった昨今でした。

山手線100年

「J REPORT 2011 12月第1週号」
「リタイアメント・ノート 3年目6ケ月目」 「VOL.715 SINCE AUG. 12th、1983」
「山手線100年」
今から100年前の1911年、明治44年に「山手線」は環状線として完成したという。「省線」という言葉は今は死語だろうが、多分当時は「鉄道省」の運営する鉄道だから、山手線もそう言われていたのだろう。ぐるっと東京のターミナル駅を巡る鉄道を造った国の考えには感服するしかない。多分レンガを積み上げて高架部分を造ったのだろうが、今は山手線だけでなく、少なくとも東京駅には、「中央線」「京浜東北線」「東海道線」「東海道新幹線」「東北・上越・長野新幹線」が走っている。地下には「総武横須賀線」「京葉線」「地下鉄丸の内線」もある。そして来年には「宇都宮・高崎線」が東京駅に乗り入れるという。まあ入り組んだ線路が絡み合っているものだ。そうそうヨーロッパの新幹線に類する高速鉄道が普通の一般の線路を走っていると言うことをご存知だろうか?日本や韓国、台湾は専用線路を新幹線は走る。だがヨーロッパは全ての列車が速度の差はあるものの、同じ線路を走る。350kmを出すものの、100km以下のものも同じ線路を走っている。どう調整しているのか?不思議だがそれが一つの技術なのかもしれない。高速鉄道の最前部と最後部の2両が動力車で引っ張って押して走る。中央部の車輌は人や物が乗るだけ。それがコンピュータの管理の上で同じ線路を走る。ある意味恐ろしいことだ。

「高所恐怖症」
私はれっきとした「高所恐怖症」だ。毎度思うのだが、どうして高所が怖いのだろうか?まず自分が落ちるのではないか?との恐怖感に襲われるのだ。それとカメラなど持っている物を落としそうな気持ちになるのだ。なぜなのかわからないが兎に角怖い。ところが飛行機に乗って窓から下を眺めても全く怖くない。寧ろ楽しみな位だ。それでいて高い建物の上では怖くて縁に寄れない。熱気球に2度乗ったことがある。一度目はオーストラリアのケアンズ、2度目はトルコのカッパドキアだった。乗ったが怖かった。もう再び乗ろうとは思わない。それと高い建物の床がガラス張りのにも近寄れない。助けて下さい。高いところは怖いよ。どなたか解消法対処法があったら教えて下さい。