「有楽町は赤一色」

有楽町駅前はクリスマスのイルミネーションか、赤一色の電飾で飾られている。今や銀座のデパート大戦争が火花を散らしているが、その火花が飛び移ってきたかのような色だ。ここ「有楽町マリオン」裏と「有楽町交通会館」の間にびっしりと張り巡らされた電飾は余り節電にはならないが、気分を盛り上げることにはなるだろう。さて「大江戸地図帳」を片手の「街歩き」の続きと行こう。今の「東京駅」は江戸時代には大名の上屋敷だった。南のほうからいくと、「鍛冶橋」側から「松平・三河」「堀田・セツ」「松平・ノト」「真田・信ノ」「水野・キイ」「松平・クラ」「松平・タンバ」「松平・泉水」「北町奉行」「松平・伊豆」「秋元・但馬」「細川・越中」らの屋敷がそれだ。大きな屋敷も若干小さな屋敷もあるが、千代田城を取り囲む肝心要な場所であるから、恐らく明治維新で政府に召し上げられたこの辺りは屋敷は取り払われて一面の野原にでもなっていたのだろうか?今の丸の内側はその後「岩崎弥太郎」に払い下げられ「三菱村」が出来た訳だが、東京駅からそのまま皇居まで一直線に進むことが出来ることになるためには、大名屋敷は取り払われていたのだろう。元々大名や旗本、御家人の屋敷は徳川幕府から貸し与えられていた訳だから幕府崩壊後は明治政府に召し上げられたのだろう。「南町奉行所」のあった有楽町駅周辺、そして「北町奉行所」があった東京駅日本橋口までは約1.1kmの距離だ。ここで江戸時代の裁判の数々が行われたのだろう。そして東京駅日本橋口から大手町交差点に掛けての南側に「評定所」「傳奏所」があり、奉行所で裁けなかった高度な判断を老中たちが下したところだという。今の「みずほコーポレート銀行」と「新住友ビル」のある場所がそれだったのだ。評定所前の北側には「道三堀」という掘割があったが、勿論今は道路になってしまっている。永代通りがその名残りだ。江戸時代の裁判制度については、幕末に訪れたイギリス人は日本には裁判制度がないと記しているらしいが、町には古町商人3人の「町年寄」がいてこれが今で言えば「地方裁判所」に相当し、次が「奉行所」でこれが「高等裁判所」、そして「評定所」が「最高裁」といえるのではないだろうか。町役というのも町年寄の下にいたが、これはある意味「家庭裁判所」に当るのだろう。それぞれの訴えを地域段階で処理して、それでも処理できなかったものを上に挙げたものらしい。それでは将軍は裁判には関与しなかったのか?最終的には将軍の裁可があったのだろうが、実際にはめくら判だったのだろう。八代将軍「吉宗」は「目安箱」を設け、庶民からの訴えを直接聞いたという。その後形骸化されたらしいが民意は大切だ。

「イルミネーション」
各地でクリスマスのイルミネーション点灯が伝えられている。「神戸ルミナリエ」も止めてしまったと思っていたら,やっているという。今や全国中で木々にLED電灯がつけられて光り輝いているようだ。どこの街路樹も木々からすれば迷惑なことではないだろうか?同じことが犬にも言えよう。犬に服や靴をはかせる人がいるが、犬がどれだけ迷惑しているのか、分かっているのだろうか?木だって邪魔で迷惑していると思うが、如何か?

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