「アンコール遺跡群編」

12月10日(土曜日) 第三日
ホーチミンを出て30分後には「トンレサップ湖」上空に達した。湖と湿地帯が一緒になったような巨大な海のようなもので周囲には水田が広がっていた。首都「プノンペン」から北西に約200km離れたここ「シェムリアップ」が「アンコール遺跡群」観光の拠点だ。昨晩は大きな満月がカンボジアの夜空を照らしていた。さて、朝になると快晴の空、澄み切った空気が気持ちいい。この地方はベトナムより一層貧しい農村のようだ。基本的にカンボジアは農業国、あとは観光だが、ここ「アンコール遺跡群」には年間200万人が訪れるという。ホテルも完備している。「アンコール・トム」(大きな都という意味らしい)、「アンコール・ワット」(寺院の都)、「プレループ」遺跡からの夕日を観たが、アンコール・ワットを全く誤解していた。これらの石造建設物は古いものは9世紀初頭から、中心的には12世紀以降の「仏教、ヒンドゥー教、イスラム教」等の宗教文化と当時存在した王国の都の遺跡群だったのだが、この地がフランスの植民地時代にこれら遺跡が発見されたと鵜呑みにしていたが、実はカンボジア人たちは存在を知りつつもただジャングルに放置していたのだった。それがフランス統治時代に発掘され現在に至ったおり、日本、フランス、イタリア等の援助により復旧されており、ジャングルの中の遺跡というイメージは全く違っていた。不幸なことにカンボジアは3年数ヶ月の間に「ポルポト政権」により、少なくとも170万人最大では220万人とも言われる国民が殺されたというのだ。その際に銃撃戦の痕が遺跡にも残されているが、この地が約1000年も前の偉大な文明の中心地だったということになんら変わりはないのには驚かされる。素晴らしい文明が現代に残された。ありがたいことだ。勿論「ユネスコの世界文化遺産」だ。夕食時には観光名物になっている「宮廷舞踊、アプサラの舞」を鑑賞したが、独特の女性の手と足の動きには日舞にも通ずるものがあると思った。宗教的にはカンボジアは「小乗仏教」の国で95%以上の人が仏教徒だという。過去、隣国のベトナム、ラオス、タイのアユタヤらとの激しい戦いを繰り広げてきたカンボジアは今は平和な国になっていた。アンコール・ワットの壁に刻まれているレリーフには神話が語られていたが、不思議なことに「善は猿、悪は阿修羅王」として描かれているのはタイと全く同じなのだ。この東南アジア、インドシナ半島のある意味での共通点なのだろう。

12月11日(日曜日) 第四日目
朝5時。日の出を観に行く。「アンコール・ワット」の西側の入り口から入り5本の塔を眺めながら、東の空を望む。5本の塔の前の池にその姿が逆に映る。やがて夜明け、徐々に空が赤く染まり、明るくなってきた。このアンコールワットの塔がカンボジアの国旗にも入っている。昨日訪れたアンコールトムの巨大な顔の像(バイヨンの微笑み像)はお札に刷り込まれているという。さてワットの中は朝から観光客で一杯だ。5本の塔はヒマラヤを現しているという。そんな「カンボジア王国」だが、100年にわたるフランスの植民地化、独立戦争、アメリカのベトナム戦争の余波、そして共産主義勢力ポルポトによる内戦で国土はずたずたになり、30年前には人口は700万人にまで減ったという。だからカンボジアには老人がいない。平均寿命62歳のこの国の今の人口は1400万人で、30歳以下が70%、15歳以下が49%だという若い国だ。だから今のカンボジア人たちは皆元気だ。確かに田舎には電線もない、ということは電気が通じていない。しかし、農業で自活でき、副業で現金が稼げればそれでいいというのが彼らの考え方のようだ。贅沢などしなくても食べて家族が生活できればそれでいい。これって当たり前の話しだと思うが如何なのだろうか。地元のスーパーに立ち寄ったので、「お米」の値段を見てみた。ちょっと高級なお米があった。2kgで3.45ドル、1kg当たり150円程度か。日本とは一桁違うようだ。さてこのアンコール遺跡群はそれこそあちこちに埋もれていた遺跡が見つかった。それぞれが造った王様の時代の宗教により違うが、「大乗仏教」「ヒンドゥー教」「小乗仏教」と時代により違うのだが、ヒンドゥー教はその前にあった仏教の釈迦如来像をことごとく破壊してしまっている。一方、仏教文化は自分たちの前の宗教を破壊してはいない。「宗教戦争」といってしまえばそれまでなのだろうが、この地に残された「仏教対ヒンドゥー教」の戦いの遺跡は1000年の永きに亘る文明間の対立の象徴のようだった。兎に角ジャングルの中にあちこちに数百年隠されていた遺跡群に人間の力を再発見した思いだった。映画「トゥーム・レーダー」にも出た「タ・プロム」の遺跡は400年の間に「ガジュマル」の木に遺跡全体が覆われていて自然の力を知らされた。巨大なガジュマルの根へ戻る。今度は「ハノイ」だ。そこからバスで「ハロン湾」へと向かう。夜中、ハロン湾のホテル到着。疲れた。ハノイからここまでの道のりはごく普通の一般道を走る。街中には「NAH HGIH」とのネオンサインがたくさんあった。これは所謂「旅館」という意味らしい。旅行者用なのか地元の人用なのか分からないが、道々にたくさん出ていた。

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