垂オ訳ない。爺の馬鹿な独り言と思っていただきたい。産まれたばかりの孫娘が私と似ているのはなんと「耳」なのだ。私は所謂「福耳」で孫娘をじっと見てみると私と同じ福耳なのだ。耳の下の部分が膨れて大きく垂れているのが特徴なのだが、お釈迦様の耳がそれだが、私も一応福耳で孫にその遺伝子が伝わったのだろうか?確かにこれまで私はお金では苦労した経験が殆どない。孫にも生活に苦労してもらいたくない。どうか「福耳」の恩恵を受けて育ってもらいたいものだと、すっかり甘いお爺ちゃんになっている私でした。
「人間は二度死ぬ」
孫が産まれて尚更考えさせることがある。それは「死」だ。人間は二度死ぬという。一度目はそれこそ本当の肉体的な死だ。これは病気や歳や事故や色々とあるが、人間としての死だ。もう一度の死は「忘れ去られる」という死だという。誰からも忘れ去られ記憶から無くなってしまうという死だという。お墓に名前が記されているうちはまだなのかもしれないが、子供たちや孫達、荘キ達の時代になるともう完全に忘れ去られてしまうのだろう。過去帳や墓誌にしか残らない記憶の外に忘れ去られた時が本当の死なのだろう。孫が生まれてより一掃痛切に死を感じるようになった昨今でした。