「人生は旅の如くー7月のチュニジア&11月のロシアにて」

「J  REPORT 2024 9月第1週号」
「リタイアメント・ノート 15年2ヶ月目」
「VOL.1380 SINCE  AUG.12th、1983」

「走るな! 転ぶな! 風邪引くな!」が老人には大切らしいです。75歳後期高齢者の㔟古口より、
追加して「癌になるな」もね。

2011年7月のチュニジ
いよいよアフリカ大陸だ。エジプトに続いて2度目の大陸上陸だ。ここは人生で一度は行きたかった場所だった。理由はカルタゴの遺跡だった。ご存じの通りカルタゴはローマ帝国に対立する形で地中海で向かい合っていた。そして2度に亙る戦争で唯一ローマまで侵入しかけた国なのだ。ジブラルタル海峡を渡りスペイン、フランスを経て、更にアルプスを象で超えてイタリアに侵入したのだ。その衝撃はローマ人にとっていかほどの物だったのだろうか?象でアルプス山脈を越えるという発想が凄い。しかしカルタゴもローマには勝てなかった。今遺跡ではローマ軍が放った火で焼け焦げた石垣が観える。こうして滅びたカルタゴに栄えてローマ。歴史はこれらの事実を今の我々も観ることが出来るのだ。
この時、女子サッカーワールドカップが開催されていた。その通り、なでしこジャパンが優勝した時だ。ホテルのロビーで我々ツアー客も観ていて大興奮した。
チュニジアには映画のロケ地もある。あの有名はスターウォーズだ。ほぼそのまま保存されている。
そして一番美しいのは「チュニジアン・ブルー」と呼ばれる濃紺の色をした屋根や扉だ。空は青く、家の壁は白く、屋根とドアは正にチュニジアン・ブルーが映えるのだ。砂漠にはオアシスがあり沢山の木々が生えていた。ここで初めてラクダに乗った。
早朝日の出を観に出掛ける。砂漠の朝は気持ちがいい。昼のn朝が2011年7月のチュニジ
いよいよアフリカ大陸だ。エジプトに続いて2度目の大陸上陸だ。ここは人生で一度は行きたかった場所だった。理由はカルタゴの遺跡だった。ご存じの通りカルタゴはローマ帝国に対立する形で地中海で向かい合っていた。そして2度に亙る戦争で唯一ローマまで侵入しかけた国なのだ。ジブラルタル海峡を渡りスペイン、フランスを経て、更にアルプスを象で超えてイタリアに侵入したのだ。その衝撃はローマ人にとっていかほどの物だったのだろうか?象でアルプス山脈を越えるという発想が凄い。しかしカルタゴもローマには勝てなかった。今遺跡ではローマ軍が放った火で焼け焦げた石垣が観える。こうして滅びたカルタゴに栄えてローマ。歴史はこれらの事実を今の我々も観ることが出来るのだ。
この時、女子サッカーワールドカップが開催されていた。その通り、なでしこジャパンが優勝した時だ。ホテルのロビーで我々ツアー客も観ていて大興奮した。
チュニジアには映画のロケ地もある。あの有名はスターウォーズだ。ほぼそのまま保存されている。
そして一番美しいのは「チュニジアン・ブルー」と呼ばれる濃紺の色をした屋根や扉だ。空は青く、家の壁は白く、屋根とドアは正にチュニジアン・ブルーが映えるのだ。砂漠にはオアシスがあり沢山の木々が生えていた。ここで初めてラクダに乗った。
早朝日の出を観に出掛ける。砂漠の朝は気持ちがいい。昼の熱気が嘘のようだ。
なつめやし 山羊が店先に並んでいた。

「旅暦137話 壱岐の旅 追加福岡編」
台風の影響で飛行機がキャンセルとなる、福岡で二泊追加することになった。孫たちは大喜びでまずは土曜日には「ティーム ラボ」へと向かったらしい。大変な人混みだったらしかったが、孫たちは遊び疲れるほど楽しんだようだった。(写真:B1)
(写真:B2)
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その夜はもう25年も付き合いのある馴染みの店「よしむら」に行った。元々はご主人の出身地佐賀県七山あやかり「山」として薬院にあったが、10年ほど前に赤坂に移って来ていた。残念ながらご主人は数年前に肝臓癌で亡くなっている。ママさんは元気で向かい入れてくれた。写真は余り気力が湧かず、断片になってしまったがお許しください。
(写真:A1)
(写真:A2)
(写真:A3)
(写真:A4)
(写真:A5)
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(写真:A7)
(写真:A8)
(写真:A9)

その夜満月でした(写真:moon)

「余命宣告 そして」

「癌闘病記―第28回」
今回よりこのコラムを当面休止とします。(2024年8月8日記)

「癌闘病記―第29回」
「余命宣告 そして」
医師より早くて1-2か月、年越しはできないだろうと言われた。緩和ケア病棟への入院を勧められたが、自宅で過ごしたいので、家族が調整して毎日誰かが泊まれる準備をするまで一時的に入院し、新体制が出来たなら自宅へ戻ることにした。その後死期が近づいたら再度入院することとした。もう身体中に癌が転移している状態で正に末期がん症状だった。余りにも速い展開に自らも驚いている。
(写真:画像)

本来胸には肋骨があり、白く映る筈だが癌が転移しておりステージ4となっていた。

「余命宣告」

「癌闘病記―第28回」
今回よりこのコラムを当面休止とします。(2024年8月8日記)

「癌闘病記―第29回」
「余命宣告」
医師より早くて1-2か月、年越しはできないだろうと言われた。緩和ケア病棟への入院を勧められたが、自宅で過ごしたいので、家族が調整して毎日誰かが泊まれる準備をするまで一時的に入院し、新体制が出来たなら自宅へ戻ることにした。その後死期が近づいたら再度入院することとした。もう身体中に癌が転移している状態で正に末期がん症状だった。余りにも速い展開に自らも驚いている。
(写真:画像)

本来胸には肋骨があり、白く映る筈だが癌が転移しておりステージ4となっていた。

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次は前週のJ REPORTに続きます。

「壱岐の旅」

「J  REPORT 2024 8月第4週号」
「リタイアメント・ノート 15年2ヶ月目」
「VOL.1380 SINCE  AUG.12th、1983」

「走るな! 転ぶな! 風邪引くな!」が老人には大切らしいです。75歳後期高齢者の㔟古口より、
追加して「癌になるな」もね。

「旅暦137話 壱岐の旅」
「初日」
家族一族郎党での旅は多分これが最後となるだろう。私も妻も人に頼らないと生活できないし、皆それぞれ忙しい現代人だからこれが最後の御奉仕と思っての旅だ。快晴の東京からまずは小倉へ。妻の実家があったところだ。スカイフライヤーのエアバス320で一時間10分ほどの旅だ。空港からタクシーで皆はお寺へと墓参りに。私は小倉駅近くで皆を待っている。昼は小倉の名店「もり田」の鮨だ。(写真:A2)
この店には妻の家族は70年以上も通っていた。特に妻は小学校をさぼって午前中から鮨屋に入りびたりだったという。今は代替わりして息子さんが握っているが、先代と比較されると味に変わりがあるかも。不満を持たれる方もいるかしら。確かに先代は鮨屋の先生と言われた位全国から学びに来た人も多かった。ネタに拘り味付けに独自の介錯を取り入れ、殆ど醤油を使わずにそのまま鮨を食べさせた。今は二代目はまだまだ修行中だろうから客が板前を育てる気持ちが必要だと思う。小倉の鮨は天寿司ともり田が2強だ。元々先代も天寿司で修業して独立した。25歳で独立したという。やはり苦労の連続だったのだろう。さてこの店カウンターのみの8席しかないし、家族経営だから沢山のお客は取れない。本日は我が家11名を2グループに分けて席を確保して貰った。(写真:A3)
カウンターの上には冷気によるネタの乾燥を防ぐため、冷房のパイプは全てネタの下を通しているという。店内は実にシンプルだ。(写真:A4)
飾り気はない。勝負は味だ。(写真:A5)
まずは関門海峡の「煮蛸」。(写真:A6)
「ひらまさ」(写真:A7)
「くえ」(写真:A8)
藍島の「赤雲丹」(写真:A9)
「車エビ」(写真:A10)
10年前の親子二人(写真:A11)
先代は3年前に亡くなったという。今の店主は築地の魚屋で修業してから小倉へ戻ったという。だから魚の目利きは、間違いない。
「まぐろ」(写真:A12)
「まあじ」(写真:A13)
「のどぐろ」(写真:A14)
私はもうお腹一杯なので握りはここまで。他の家族はまだまだ食べる。
「お吸い物」ジュンサイ入り(写真:A15)
ご馳走様でした。美味しかったです。
午後3時、再度皆が集まって博多へ。駅で驚いた。タクシー乗り場が長蛇の列なのだ。何回も博多には来ているが、こんな光景は初めてだ。博多港のフェリーターミナルへ向かう。
壱岐の島は歴史的にも重要な島だ。魏志倭人伝にも出て来る島で大陸や半島との連絡窓口でもあり、重要人物はこの島を経由して北から南へと。そして南から北へと渡っていった。島には古墳があちこちにある。我らの住処は7-8年前に買った福岡の企業の保養所だったところだ。今は人に貸している。
ジェットフォイールで、70分の船旅だ。(写真:A16)
壱岐の島郷ノ浦港だ。(写真:A17)
(写真:A18)
(写真:A19)
その建物は丘の上にあり、玄界灘が目の前に見える。夕陽だ。(写真:A20)
この夜は家を貸している会社が経営しているレストランに行った。(写真:A21)
(写真:A22)
(写真:A1)
もう時刻は午後9時だ。まずは「イサキのカルパッチョ」(写真:A23)
「肉と野菜」(写真:A24)
「豆腐とトマト」(写真:A25)
孫たち(写真:A26)
「パンとハワイ風マグロ」(写真:A27)
「烏賊」(写真:A28)
「スパゲティ」(写真:A29)
「ナシゴレン」(写真:A30)
兎に角量も多いし食べるのには努力が必要な状態だった。
「豚肉」(写真:A31)
地元壱岐の「スイカ」(写真:A32)
このスイカ、皮が実に薄いのだ。そして甘い。
皆満足でした。結局食べ残しは包んでもらい持ち帰った。(写真:A33)
午後11時にお開きとしました。もうお腹一杯ですよ。

「二日目」
嫌なニュースが入って来た。台風7号が東京直撃だという。帰京の日に正に直撃だ。飛行機は飛ばないだろう。仕方なくまずは当初予定の翌々日の日曜日に便を何とか予約した。ホテルもお金さえ出せば取れるようだ。
さて家族たちは午前中から海水浴に出掛けた。私は留守番役だ。初日に歩き過ぎて太ももがパンパンに腫れてしまい。段差のある所は歩けない。
鳥居前で。(写真:B4)
孫息子。(写真:B5)
孫娘たち。(写真:B6)
海には30cmほどの魚も泳いでいたと言っていた。実に美しく透明度の高い海だそうだ。
(写真:B7)
ばあばと(写真:B8)
夕方は地元勝山漁港主催の花火大会だ。8時から約1時間、2000発を打ち上げるという。地元民が続々と集まってきた。協賛企業が紹介されいよいよ打ち上げだ。(写真:B9)
(写真:B10)
(写真:B11)
(写真:B12)
(写真:B1)
(写真:B2)
(写真:B3)
私は車内からの観戦だ。目の前で打ち上げられる花火。規模は小さいが心の籠った花火大会だった。
我が家も皆楽しんでいるようだ。

「三日目」
本日は辰の島へ海水浴だ。子供らは早々に出発していった。島で一番綺麗で遠浅の海だから小さな子供も安心だ。本当に綺麗な海なのだ。夏来ると必ずこの海に行っていた。
小型船で島に渡り遠浅の海岸で水遊びする。ここも本当に綺麗な海だ。小さな魚が沢山泳いでいる。辰の島にて(写真:C20)
(写真:C21)
これは猿岩だろう。(写真:C19)
少し観光もしたみたいだ。
夜はBBQだ。この施設にはサウナあり、屋外バスタブあり、ドッグランあり、屋根付きBBQ場ありだ。(写真:C1)
サウナ(写真:C2)
目の前は海(写真:C3)
それではBBQを始めよう。(写真:C4)
(写真:C5)
(写真:C6)
(写真:C7)


焚火にも点火。(写真:C10)
突然誕生日の歌が。家内と私の誕生日が近いのでバースデイケーキが出て来た。(写真:C11)
(写真:C12)
記念の写真集もくれた。そして花火大会だ。(写真:C13)
(写真:C14)
(写真:C15)
(写真:C16)
(写真:C17)
そして大人たちは延長して宴会をしていた。

「今週の映画と本」

「今週の映画と本」
この暑さと病院通いで体力を消耗して、映画も読書も出来ない状態です!
「ツイスターズ」(TC日比谷にて)私的評価★★★(今年57作目)

また、8月16日付け日経新聞夕刊の「シネマ万華鏡」には、「至福のレストラン/三ツ星トロワグロ」「助産婦たちの夜が明ける」「侍タイムスリッパ―」「フォールガイ」「美食家ダフのレストラン」「ぼくの家族と祖国の戦争」「二ユーノーマル」が紹介されていました。

「2024年の映画で私が良いと思ったのは」
★★★★★=「哀れなるものたち」「ジャンヌ・デュ・バリー 国王最期の愛人」「コット、はじまりの夏」「オッペンハイマー」

★★★★=「枯れ葉」「ゴールデンカムイ」「ダム・マネー ウォール街を狙え!」「ブルックリンでオペラ」「パスト ライブス/再会」「人間の境界」「無名」「鬼平犯科帳/血闘」「碁盤斬り」「関心領域」「ハロルド・フライのまさかの旅立ち」

「私の2023年に観た映画は98本、星5つは
★★★★★=「ドリーム・ホース」「SHE SAID その名を暴け」「生きる LIVING」「パリタクシー」「クロース」「ふたりのマエストロ」「JFK/新証言 知られざる陰謀」

「2024 観劇シリーズ」 2023年の歌舞伎観劇は12度でした。
寿初春大歌舞伎昼の部「常辰歳歌舞伎」と「荒川十太夫」「狐狸狐狸ばなし」を観劇。
一月大歌舞伎「平家女護嶋」(新橋演舞場にて)を観劇。
猿若祭二月大歌舞伎、昼の部を歌舞伎座にて観劇。「新版歌祭文」、「釣女」、「籠釣瓶花街酔醒」の3題目。
三月大歌舞伎、昼の部「菅原伝授手習鑑」、「傾城道成寺」、「小浜御殿綱豊卿」を観劇。
四月大歌舞伎、夜の部「於染久松色読販」、「神田祭」、「四季」を観劇。久々の玉三郎でした。
團菊祭五月大歌舞伎、昼の部「鴛鴦襖恋睦」「極付番隨長兵衛」「毛抜」を観劇。
六月大歌舞伎、昼の部「上州土産百両首」「義経千本桜・時鳥花有里」「妹背山婦女庭訓・三笠山御殿」を観劇。
七月大歌舞伎、昼の部「星合世十三團・成田千本桜」市川團十郎十三役早替り宙乗り相勤め申し候を観劇。(写真:K71)
八月納涼大歌舞伎、第二部「梅雨小袖昔八丈」「艶紅曙接拙」を観劇。(写真:K8月)
秀山祭九月大歌舞伎、第二部「摂州合邦辻」「沙門空海唐の国にて鬼と宴す」を観劇予定。(写真:K9月)

「2024年旅暦」
1月に蕎麦の旅で東北と信州に、6月には福岡と佐賀に行きました。
更に6月には山形へ蕎麦の旅へ、行きましたが、直後入院となり、釧路行きハワイ行きは断念しました。
また8月には家族全員で壱岐の島へ旅しました。通院の予定があるために、旅行は難しいですね。
海外には2月にハワイに行きました。

「2023 本の記憶シリーズ」  2022年の読書数は、185冊でした。
「秘めた殺意」(喜安 幸夫 著)光文社文庫 私的批評眼★★★(今年96作目)「新・木戸番影始末」シリーズ第9話

「八月納涼大歌舞伎観劇記」
河竹黙阿弥作 幕末から明治にかけて二つの時代で活躍した劇作家だ。

「梅雨小袖昔八丈 髪結新三」
松本幸四郎に中村勘九郎と七之助兄弟の芝居だ。
白子屋は老舗ながら店が傾きつつあり、娘のお熊(亀松)に婿を取り持参金で屋台骨を建て直そうとしていた。ところがお熊は手代の忠七(七之助)と恋仲。そこへ現れたのが髪結新三(勘九郎)。二人を唆して駆け落ちさせようとする。世間知らずのお熊に忠七はその手に乗るが、新三はお熊をかどわかしてしまう。困った果てに頼ったのは浅草の顔役弥太五郎源七(幸四郎)。ところが悪者の新三は交渉に応じず源七を追い返してしまう。最後に登場したのが新三の家の大家だ。ここでの二人の丁々発止のやり取りが見ものだ。
お熊は何とか助け出したが、これで収まらないのが源七だ。遂に新三を闇討ちにしようとするというもの。2時間の長丁場でした。

「艶紅曙接拙(いろもみじつなぎのふつつか)紅かん」
江戸の数々ある大道芸や物売りが登場して浅草の雰囲気を踊りで示す。

「壱岐の旅 後半 そして」

「癌闘病記―第28回」
今回よりこのコラムを当面休止とします。(2024年8月8日記)
「緊急報告」
完全に車椅子状態になりました。もう独りでは動けません。

「壱岐の旅 四日目」
最悪のニュースが入って来た。金曜日帰京予定の便は台風の影響で欠航となったのだ。参りましたね。次に取ってある予約は日曜日18日の便になるので博多で2連泊することになった。
壱岐の島も観光立国を目指していて、これまではこの小島には神社はあったもののカラスの塒だった島は干潮時にはモンサンミッシェルのように島への道が現れるのだ。ここを小島神社も含めて整備して観光の目玉にしようとしていた。(写真:D1)
海辺にて(写真:D2)
孫たち(写真:D3)
夕方は小島の対岸の牡蛎小屋を訪れた。既に潮は満ちていて島は海の中だった。(写真:D4)
早速牡蛎を焼く。(写真:D5)
(写真:D6)
貝も焼く。(写真:D7)
結構美味しい。皆楽しんでいる。(写真:D8)
(写真:D9)
締めは牡蛎の出汁から採った汁でうどん。を食べる。これも中々の美味しさだ。

「五日目」
不思議なことに長崎県の行政区は変わっている。壱岐も対馬も長崎県なのだ。五島列島のように海にある島々は全て長崎県なのだ。ところが一番近い福岡県とは経済的に強い絆があるのに長崎県に入っているのだ。
昼はテルで休み夕食は博多駅のレストランで食べた。鉄板焼きステーキの「天」と言う高級店だ。(写真:D11)
シーザーサラダ(写真:D12)
(写真:D13)
(写真:D14)
ステーキ(写真:D15)
ガーリックライス(D17)
他にも色々と食べたが、写真を撮り忘れた。
もう疲れたし、」動けなくて車椅子状態です。

以上、壱岐の島から㔟古口がお送りしました。

「人生は旅の如くー7月のマレーシアにて」

「J  REPORT 2024 8月第3週号」
「リタイアメント・ノート 15年2ヶ月目」
「VOL.1379 SINCE  AUG.12th、1983」

「走るな! 転ぶな! 風邪引くな!」が老人には大切らしいです。75歳後期高齢者の㔟古口より、
追加して「癌になるな」もね。

「人生は旅の如くNO.19-2010年編・第6話、7月のマレーシアにて」
マレー半島に位置し南北に細長く続く国マレーシア。私が訪れた当時マレーシアは老後の終の棲家と言われ日本人の移住先として大人気を博していた。物価は安いし生活はし易いということだったようだ。そんなマレーシアは勿論初めての土地だったが、他民族国家でもあり中々に美しい国だった。今は日本からの移住者がどうなっているか知らないが、医療の問題等があり必ずしも極楽とは言えなかったのではなかろうか。
マレーシアはある意味東西の架け橋でもあり、オラウータンなどの動物やホタルの群れに驚かされたものだった。自然が一杯のマレーシアには戦争中の遺跡もあり、日本軍の侵略を思い出される場所でもあった。イエズス会の影響もあり、キリスト教も布教されフランシスコ・ザビエルの遺物もあった。南側はシンガポールだし、マレー海峡は交通の要衝だ。

「今週の映画と本」

「今週の映画と本」
この暑さと病院通いで体力を消耗して、映画も読書も出来ない状態です!

「インサイドヘッド2」(TC日比谷にて)私的評価★★★(今年56作目)
中学3年生の少女は高校進学を前にアイスホッケー部の新人選抜キャンプに参加する。彼女は少女から思春期を経て大人へとなろうとし色々な悩みが現れるというもの。ちょっと子供には難しい内容のアニメだ。完全に大人向けと言えよう。

「ツイスターズ」(TC日比谷にて)私的評価★★★(今年57作目)
北米大陸内陸部で起きる巨大竜巻に立ち向かる若者たちを描く。自然との闘いは猛烈で友人を次々と失う。だが罪なき市民を助けるために彼らは立ち上がる。その方法は最新科学に基ずくものだった。

また、8月9日付け日経新聞夕刊の「シネマ万華鏡」には、「夜の外側 イタリアを震撼させた55日間」「マミー」「ブルーピリオド」「新記者トㇿッ子 私がやらねば誰がやる!」「ボレロ 永遠の旋律」「夏の終わりに願うこと」が紹介されていました。

「2024年の映画で私が良いと思ったのは」
★★★★★=「哀れなるものたち」「ジャンヌ・デュ・バリー 国王最期の愛人」「コット、はじまりの夏」「オッペンハイマー」

★★★★=「枯れ葉」「ゴールデンカムイ」「ダム・マネー ウォール街を狙え!」「ブルックリンでオペラ」「パスト ライブス/再会」「人間の境界」「無名」「鬼平犯科帳/血闘」「碁盤斬り」「関心領域」「ハロルド・フライのまさかの旅立ち」

「私の2023年に観た映画は98本、星5つは
★★★★★=「ドリーム・ホース」「SHE SAID その名を暴け」「生きる LIVING」「パリタクシー」「クロース」「ふたりのマエストロ」「JFK/新証言 知られざる陰謀」

「2024 観劇シリーズ」 2023年の歌舞伎観劇は12度でした。
寿初春大歌舞伎昼の部「常辰歳歌舞伎」と「荒川十太夫」「狐狸狐狸ばなし」を観劇。
一月大歌舞伎「平家女護嶋」(新橋演舞場にて)を観劇。
猿若祭二月大歌舞伎、昼の部を歌舞伎座にて観劇。「新版歌祭文」、「釣女」、「籠釣瓶花街酔醒」の3題目。
三月大歌舞伎、昼の部「菅原伝授手習鑑」、「傾城道成寺」、「小浜御殿綱豊卿」を観劇。
四月大歌舞伎、夜の部「於染久松色読販」、「神田祭」、「四季」を観劇。久々の玉三郎でした。
團菊祭五月大歌舞伎、昼の部「鴛鴦襖恋睦」「極付番隨長兵衛」「毛抜」を観劇。
六月大歌舞伎、昼の部「上州土産百両首」「義経千本桜・時鳥花有里」「妹背山婦女庭訓・三笠山御殿」を観劇。
七月大歌舞伎、昼の部「星合世十三團・成田千本桜」市川團十郎十三役早替り宙乗り相勤め申し候を観劇。(写真:K71)
八月大歌舞伎、第二部「梅雨小袖昔八丈」「艶紅曙接拙」を観劇予定。(写真:K38月)
秀山祭九月大歌舞伎、第二部「摂州合邦辻」「沙門空海唐の国にて鬼と宴す」を観劇予定。

「2024年旅暦」
1月に蕎麦の旅で東北と信州に、6月には福岡と佐賀に行きました。
更に6月には山形へ蕎麦の旅へ、行きましたが、直後入院となり、釧路行きハワイ行きは断念しました。
また8月には家族全員で壱岐の島へ旅する予定。
通院の予定があるために、旅行は難しいですね。
海外には2月にハワイに行きました。

「2023 本の記憶シリーズ」  2022年の読書数は、185冊でした。
「秘めた殺意」(喜安 幸夫 著)光文社文庫 私的批評眼★★★(今年96作目)「新・木戸番影始末」シリーズ第9話

「パリ五輪後半戦を観て」

「パリ五輪後半戦を観て=小手先では勝てない、層の厚さと組織力」
柔道の男女混合対抗戦を観てフランスの層の厚さにその底力を観た。
組織力と言えば嘗ての共産圏が国の威信を掛けて選手を送り込んだものだったが、今は情報力に選手を支えるスタッフが如何に充実しているかと変化しているようだ。
プロスポーツは勿論大学スポーツでも資金力がものをいう時代だ。そんな中、日本も小手先や個人の努力だけでは勝てないということを実感させられた五輪だった。
既に今もその傾向は見られるが、10年以内には五輪で活躍できるのは、①運動能力の高い黒人系の選手、②経済発展を遂げた人口大国の人、③独自の才能を持ち資金力情報収集力がある一部のアスリートになってしまうのだろうか。

「日本の縄文時代」

「癌闘病記―第28回」
今回よりこのコラムを当面休止とします。私のみっともない姿をお見せし大変恥ずかしい限りですが、これが現患者の実態だということを申し上げたかったのですが、これからは静かに癌との戦いを続けますので何か大きな変化がない限りこれで休止致します。(2024年8月8日記)

「日本の縄文時代」
先日NHKラジオで放送していたのだが、日本の縄文時代はざっと1万年続いていたという。今では考古学や人類学の進歩で新しいことが分かってきたという。以前の話しだそうだが、縄文土器が見つかると煤だらけなので新人は煤取りをさせられてという。ところが時代が進むとこの煤に貴重なものが含まれていることが分かったという。日本では約千年にも亙り同じ地区で生活していた地域があった事も縄文土器から分かったという。土器に付いた煤からは当時の人たちが土器を使って何を煮炊きしていたのかが分かるという。千年もの永きに渡り定住に近い生活をしていくためには、食料の確保が最優先だ。森があり獲物が住み木の実が摂れる。また湖や海、川があり魚が獲れる。こういった条件の中で千年も暮らす知恵が生まれたのだという。土器からは海水を煮て塩も生産していたことが分かるという。まず海草を煮てそれに更に海水を入れて煮込み塩を生産していたという。歯や骨からは何を食べていたかも分かるという。稲作はないのだから、栄養素は自らが創り出すしかない。所謂雑食なのだ。土器等の道具は進歩し調理することも出来るようになり生活は進歩するという。しかし千年も同じ所で生活していた人たちの喜びはなんだったのだろうか?