「またまた、北の国への鮨の旅」

「函館編、追加」 第三日目
午前中はこれもお目当ての店「うにのむらかみ」に行く。前回1月は店のオープンが11時からと遅かったので入れなかったが、夏季期間は7時30分から開いているので、朝から「ウニ、いくら、ホタテの三色丼」Sサイズ@1680円を頼む。昨晩沢山食べたのでサイズを小さくして食べたが、新鮮な具材に感動感激だ。この店もミシュランガイドで紹介されていたが、「ウニ」専門店で自社工場で製造しているという。そこで3S会の残りのお二人には「利尻産生うに」の箱詰め80gをお送りすることにした。「函館朝市」にも観光客が朝早くから訪れていて、歩くだけでも売り込みの人たちの声が大きく掛かる。更に港方面へ向かい、「青函連絡船の摩周丸」が係留されていたので、ちょっと概観だけ見学して、「赤レンガ倉庫」群を経由して、函館山中腹にある「キリスト教教会」群を訪れた。中々由緒ある建物ばかりで異国情緒を味合うことが出来た。勿論有名な人気の「八幡坂」も下った。市電で駅まで戻ると、丁度札幌行きの特急列車の自由席が乗車可狽ノなったところだった。危うく遅れるところだったが、何とか席を確保出来た。すると反対側ホームに青森からの特急列車が入ってきて沢山の人たちが乗り換えてきた。あっという間に満席状態となり、立ち席の人が続出し始めた。危なかった。札幌まで3時間以上立ち席では叶わない。やはり「大人の休日倶楽部パス」の人が圧倒的に多い。指定席は満席、自由席も満席にプラス立ち席状態だ。2時間以上経過して室蘭、苫小牧あたりで漸く立ち席が解消されたが、大変な混雑でした。

「またまた、北の国への鮨の旅」

「函館編」 第二日目
東京発新青森行きの新幹線は満席との車内放送があった。新青森まで約3時間の最短便に乗り込む。途中駅は「大宮、仙台、盛岡」だけだ。そして「青函トンネル」経由の「海峡線」で目的地の「函館」に入った。ちょっと時間があったので、市電を使って「五稜郭」に向う。「五稜郭タワー」の約100mの展望台からの景色は圧巻だ。眼下に「五稜郭」の城郭があり、その先には「大沼公園」、本来は見えるはずの「駒ケ岳」は雲の中。南に目を転じると市街地の先に「函館山」と「函館港」が見える。素晴らしい景色だ。夕方にはお目当ての「鮨処、美な味(みなみ)」へ行く。今回で3回目の訪問だ。函館で唯一「ミシュランガイド1つ星」獲得の店だ。店はカウンター8席にテーブル席2つ。ご主人と女性の手元の二人だけだから、沢山お客を取るのは無理だろう。冷酒を飲みながら、「お任せ」が出てくるのを待つ。電話で入店の依頼があったようだが、最近は混んでいるので前日や当日の蘭?ヘ全て断っているとのこと。私は一ヶ月前に蘭?オたから大丈夫。さて突き出しは「長芋の干天の上に、北海しまえび乗せ」、次が「とらふぐの刺身、酢とオリーブオイルかけ」、この河豚は地元「南芽部」産、天然物はこの時期しか獲れないのだという。この季節に北海道では河豚が食べられるのだ。これまた驚き。「煮蛸(戸井産)と、鮎(愛媛産)の山椒炊き」、「真烏賊(通称するめいか、松前産=生きていたものを目の前で捌く)の刺身」、「烏賊の塩辛」、「焼き穴子」と出た。この穴子(北斗産)が実は物凄く大きくて鱧(はも)かと思っていた。骨きりをした大穴子(開いた状態で幅10cm、長さ30cmほど)を焼き、レモンと岩塩で食べるのだが、兎に角美味いし、珍味、珍味で大感激。「なめこ汁」の後に、いよいよ「握り」をお願いした。「マツカワカレイ(森産)」、「平目の昆布〆」、「青柳」、「鮪(青森産)」、「ウニ(函館産)」、「小肌(佐賀産)」、「煮蛤(千葉産)」と豪勢に食べた。もうお腹一杯、至福の一ときを楽しんだ。本当に美味しかったなあ。またまた日本に生まれたことに感謝、感謝でした。食べ終えて、「函館山」に登ろうとロープウェイまで歩き出したが、直ぐ近くにバス停があり、今正にバスが到着したところ。行き先を見ると函館山となっているので満員のバスに飛び乗る。5分ほどで山頂へ。ところが凄い人の数。丁度日没後の一番よい時間帯だったようで大混乱の展望台から下を眺めると、くびれた函館市内に明かりが灯り、「百万ドルの夜景」が眺められた。多数の観光客だったが、特に「台湾」からの人たちが多かったようだ。北海道は台湾人に人気なのかなあ?

至福の食の旅に、1

「J  REPORT 2013 7月第2週号」
「リタイアメント・ノート 5年1ヶ月目」、
「VOL。801 SINCE AUG.12th、1983」
「至福の食の旅に !」
また「JR東日本」の「大人の休日倶楽部パス」の季節がやって来た。@25000円5日間東日本・北海道乗り放題の切符で旅に出た。
「松本、蕎麦の旅」 第一日目
新宿発「あずさ7号」は満席状態だった。この日から乗り放題パスが利用可狽セからか、「大人の休日倶楽部」人気は凄いものがある。私は今年で3年目だが、毎回列車の旅を楽しみにしている。まずは松本の「そば処、浅田」へ。松本駅前から大通りを歩くこと約10分、NHK松本局の先を右手に曲がる。住宅街の中にその店はある。駐車場には県外ナンバーの車もある。5台分しかない駐車場だから既に満杯だ。店の中もほぼ一杯だが、偶然先客が出てきたので空き席に座れた。頼んだのは「+割蕎麦」と「蕎麦」、共に冷たい蕎麦だ。+割を「じゅうわり」と呼ぶのか「とーわり」と呼ぶのか、意見は分かれると思うが、私は「とーわり」が正しいのではないかと思っている。「どちらから先に出しましょうか?」と言われたので、「+割蕎麦を先に」と頼む。出て来た蕎麦はちょっと固目に茹でられていて、これをかなり濃いの強い醤油ダレで味合う。この店の「大根おろし」が一番高いそうで、地元産の大根は1kg@1800円というものらしい。店の説明によれば「まず大根おろし半分ほどを出汁に入れて、これで蕎麦を味わって欲しい」とのこと。この大根、高いだけでなくい「辛い」そうだ。薬味にはほかに「刻み葱」と「おろし山葵」だ。蕎麦は咽喉越し良くつるつると胃袋に入って行く。あっという間に一枚目を食べ終えた。食感、咽喉越し共に最高だ。次に普通の蕎麦。これは先ほどの「+割蕎麦」よりは若干柔らかな食感だ。それでも咽喉越しは素晴らしい。辛目の出汁にちょっと浸し、つるつると食べるが、「日本人に生まれてよかった」と感じる「至福の時」だ。二枚の蕎麦を食べて満足感一杯で店を出る。「+割蕎麦」@1000円、「蕎麦」@800円、合計1800円だが、決して高いとは思わない。店の中では順番待ちの列も出来ていた。さて、松本から小淵沢経由「小海線」で「JR一番高い場所」を通過し、佐久平から新幹線に乗り、大宮下車。そして埼玉の安行で例の3S会メンバーで「蛍狩り」を行った。実に充実した旅でした。

「招き猫」

銀座を歩いていたら、ウィンドーのガラス越しに沢山の招き猫が手を振っているのに遭遇した。それで思い出したが、大阪にも招き猫専門店があった。大阪は「本町(ほんまち)通り」を東に大阪城方面に行くとその店はあった。ご存知の通り、大阪は南北の道が「筋」、東西の道を「通り」と称する。だから非常に分かりやすいといえば分かりやすい。大阪勤務時代に偶然にその店を発見して「流石、商人の町」だと思った。そしたらやはり東京にもそれに近い店があったのに驚かされた。嘗て大阪、敢えて大坂と古い名前で呼ぼう。江戸時代から戦前までは「商都・大坂」は経済の中心地だった。なにせ「大阪市の人口」が一番多かったのは戦前の昭和10年代の280万人だというのだから恐ろしい。確かに周辺都市の人口は着実に増えている。しかし経済は?と言えば、今では東京を中心とした経済体制に変わってしまった。凋落激しい大阪なのだ。だが今、正に大阪復活の機運が出ているようだ。一度「JR大阪駅」周辺に行ったみたいものだ。「大丸」「阪急」「阪神」「三越伊勢丹」と大手百貨店が大激戦を繰り広げているようだ。「商都・大阪」復活の狼煙を上げてもらいたいものだ。果たして「招き猫」効果を獲得するのは誰なのか?橋下大阪府知事が「副首都」と言う国zを打ち上げているが、「関西復建権」期待しています。

「二八蕎麦」
美味い蕎麦に「二八蕎麦」というのがある。これは江戸時代から言われているそうで、二と八の意味は?と言うと二つ説があるようで、一つは「小麦粉2:蕎麦粉8」と配合比率だというのと、もう一つは「2掛ける8で16文」という「かけ蕎麦の値段」だったというものなのだ。江戸時代、比較的蕎麦の値段は安定していて大体「12文」から「16文」だったらしい。今の立ち食い蕎麦の値段等を勘案すると、1文は凡そ20円程度か?16文ならば320円、まあまあこんなものだろう。4000文が一両だから、一両は約8万円か?すると千両役者などと言われていた歌舞伎役者などは8千万円、これならば納得出来る。

「手前勝手世界食物語、第305」

「海員閣」
日曜日に中華街を訪れたので、いつも行く「香港路」の小さな名店「海員閣」に行った。ところが「午後5時まで休憩中」となっていた。これまでは土日休日は午後の休みはなく営業していたが、どうしたのだろうか?コックさんの高年齢化か?客足が減ってきたのか?まあ両方が考えられる。特に店の経営者でレジを預かる小母さんは、本当に歳を取った。髪が白くなり、背中が曲がり、本当に老婆になったなあと思う。私自身は40年も通っているから余計そう思うのかなあ。食べたのはダイエット中ということもあり、「シュウマイ」と「車海老の殻煮」、そして「牛バラ煮込み」を注文。これまでだと更に「アワビと野菜のうま煮」を食べたのだが、それだと腹12分目となってしまうので、止めた。何を食べてもこの店の料理は美味いし、ボリュームもある。だが、他の客は殆どが「麺類」を頼む。何でこの店でそれも並んでまでして麺なのか?実にもったいない。一番のお薦めはやはり値段は高いが(@3000円以上)車海老の殻煮に限る。これを手を使ってむしゃむしゃと食べるが、本当に究極の味を楽しめる。殻付きの車海老を醤油ベースでたっぷりのニンニク、生姜と合わせて炒めてあるが、このニンニクがまた美味しく、思わず食べてしまうのだ。ちょっと並んだら、ぜひ召し上がってください。「シュウマイ」も美味いよ。一番先に出てくるから、他の料理が出てくるまでの繋ぎには絶対にシュウマイです。
以上、800回目を迎えた「J REPORT」を勢古口が東京からお送りしました。これからも宜しくお付き合い下さい。

「ナスカの地上絵、木」

腰の痛みを耐えながら「南米」に旅行したのは今年の3月だった。最後の目玉は「ナスカの地上絵」。どうしてこんなものをこんなところに造ったのだろうか?疑問が疑問を呼ぶ。そして感じたことはやはり「貧困」ということだった。「ペルー」は元大統領のフジモリ氏でも分かるように日本人移民も多いところだ。だが、行ってみて実態は貧富の差が大きな低開発国だったということだった。「銅」などの天然資源はあるものの、主だった輸出物は少なく、頼るは「観光」なのだろう。世界一行きたいという観光地「マチュピチュ」を抱えるペルーだが、貧困との戦いはまだまだ続くのだろう。

「江戸の庶民の生活は楽だったか?21」
「町木戸」
江戸の町には「木戸」があった。町と町との境にあり、これは大きな門と扉がセットになったもので、そこには「木戸番」が常時いて、出入する人々を監視していたという。木戸は「夜四つ」(午後10時頃)から「明け六つ」(午前6時頃)までは基本的に締められていた。ということになっていたが、そんなことでは不便でしょうがない。夜遊びも出来ない。と言った具合で「建前は建前」として実際には木戸は閉められていなかったというのが真実らしい。落語の「時そば」では、蕎麦を食べ終えた男が夜鳴き蕎麦屋の親父に16文の代金を払うのに銭を出して「ひ、ふー、みー、よー、いつ、むー、なな、やー、今なんどきだい」「へい、ここのつでぃ」「とー、ひー、ふー、みー、、、」と数え、九文目を出さず、一文分得をするというお話しがある。この時の九つとは午後12時、真夜中だ。真夜中に屋台の蕎麦を食べる客がいるのに木戸が締まっていては話しにならない。こんなことからも実質的に木戸は開いていたことが分かると言うものだ。更にもう一つ「お江戸、日本橋、七つ立ち、初のぼり」という歌があるが、これは旅人が朝の「七つ」即ち午前4時頃に日本橋を旅立つというものだ。これでは木戸が閉まっていては通れない。従って、木戸は開けられていたということが分かろうというものだ。幕末に来日した外国人が江戸の火事の跡を撮影した写真が残っているが、道路に日本の大きな柱が二本づつ、あちこちに立っているのが写っていた。それが「木戸」の残骸だったらしく、あちこちに木戸の柱部分だけが焼け残っていて、その他、家は全焼して見渡す限り焼け野原になっていたから驚きだった。木戸の数の多さには本当にびっくりさせられる。

「長屋」
以前にも書いたが「九尺二間」というのが普通の縦割り長屋だ。間口九尺(約2.7m)で奥行き二間(約3.6m)という広さだ。だから、土間を含めても6畳間の広さと言うことになる。狭い長屋で大半の庶民は暮らしていたのだ。「大家と店子は親子」という言葉が落語などで語られるが、「大家」は所謂現代の「管理人」で、「店子」は勿論「借家人」。「地主」が別にいて、これは土地建物の所有者で大家に管理を任せているのだ。大家は店子の面倒も見るが、「家賃」を取り立て、「どぶ板」を直し、「井戸浚い」をさせ、「雨漏り」を修理させる。一方で共同便所から出る「汚わい」を肥やしとして農民に売る代金は大家のものになるらしい。

「点字ブロック」

今ではどこにでもある「点字ブロック」だが、これが日本発、それも「岡山発」だということを知っている人は少ないだろう。私もついこの間知ったのだった。「視覚障害者」が道を歩く時にその道筋を示すこのブロック。実は色々な事故があり、その結果出来たものだそうだが、岡山発とは思わなかった。既に海外でも使用されているこの点字ブロック。だが、心無い人たちがブロック上に物を置いたりして、視覚障害者の痛ましい事故が起こっていることもまた事実だそうだ。ハンディーのある人に優しい社会を作らなくてはならない。

「勝鬨橋から築地・汐留を見る」

鬱陶しい梅雨空、勝鬨橋上から隅田川沿いの築地市場やその後の汐留高層ビル群を見る。築地も数年後には豊洲地区へ移転が決っている。東京の変貌は激しい。これに「2020年オリンピック」の東京開催でも決ったものならば、この辺も大変なことになるだろう。臨海部にもオリンピック関連施設が集中されるが、築地にも色々な関連の建物が建てられると聞いている。オリンピックの決定も9月に迫っているが、果たして東京の勝利はあるのだろうか?

2013年の映画のお話し
映画「アフター・アース」(丸の内ピカデリーにて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年108作目)
宇宙船が墜落した先は、1000年後の地球だった。生き残ったのは親子二人だけ。怪我をした父親を救うために少年が旅をするが、次々と危機が訪れるというもの。詰まらなかった。ウィル・スミス親子主演。

映画「10人の泥棒たち」(TOHOシネマ六本木にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年109作目)
韓国人5人と中国人5人の泥棒たちが、マカオにある時価2000万ドルの宝石を盗み出すというお話し。舞台はャEル、香港、マカオ、釜山。ハリウッド並みの活劇を目指したのだが、どうかな?

映画「ハード・ラッシュ」(丸の内ルーブルにて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年110作目)
妻の弟が麻薬の運び屋として失敗し、家族の命が狙われることになった。男は家族を守るために、危険な密輸をやらざるを得なくなった。目的地はパナマ。そこから多額のニセドル紙幣をLAに持ち帰るという。果たしてどうなるのか?

映画「さよなら渓谷」(有楽町スバル座にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年111作目)
三原橋の「銀座シネパトス」が3月末になくなったから、恐らく銀座一古い映画館が「有楽町スバル座」だろう。ここで「日経新聞シネマ万華鏡」で五つ星を得た作品が公開中だ。少年を殺したとして逮捕される母親の隣に住む夫婦の愛憎の原因が徐々に明らかにされる。なんとも不思議な映画だった。

映画「アンコール」(日比谷シャンテシネにて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★★(今年112作目)
イギリスの田舎町。病気で余命少ない妻。それを支える夫。妻は老人達の合唱団で最期の歌声を響かせる。息子との確執の最中、妻を失った夫も歌の仲間へと入って行く。ハートフルなお話しでした。

日経新聞6月28日夕刊の「シネマ万華鏡」の評価では、「欲望のバージニア」が4つ星、「スタンリーのお弁当箱」が3つ星、「アンコール!!」が4つ星、「ハングオーバー」が3つ星、「コン・ティキ」が3つ星、「真夏の方程式」が3つ星、「立候補」が3つ星でした。

「私の去年2013年の映画の評価は?」
今年の★★★★★は、「舟を編む」
今年の★★★★は、「シェフ」「アルバート氏の人生」「ライフ オブ パイ」「東京家族」「ムーンライズ・キングダム」「ジャンゴ」「愛、アムール」「ヒチコック」「天使の分け前」「藁の盾」「アイアンマン3」「ラストスタンド」「カルテット」「旅立ちの島唄」「奇跡のリンゴ」「アンコール」

「シノプスシ226」
「双剣霞竜」(鳥羽 亮 著)ハルキ文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年193冊目)「八丁堀剣客同心」シリーズ第22弾

「炎の刃」(あさの あつこ 著)文春文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年194冊目)「燦」シリーズ第4弾

「双星の剣」(辻堂 魁 著)徳間文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年195冊目)「疾風の義賊」シリーズ第1弾

「叛き者」(辻堂 魁 著)徳間文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年196冊目)「疾風の義賊」シリーズ第2弾

「乱雨の如く」(辻堂 魁 著)徳間文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年197冊目)「疾風の義賊」シリーズ第3弾

「献心」(堂場 瞬一 著)中公文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年198冊目)「警視庁失踪課・高城賢吾」シリーズ最終第10弾

「オメガ」(濱 嘉之 著)講談社文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年199冊目)「警視庁諜報課」シリーズ第1弾

「八月からの手紙」(堂場 瞬一 著)講談社文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★★(今年200冊目)
面白かった。戦前戦後の野球界を日米から見詰めた作品だったが、本当に素晴らしかった。絶対にお薦めだ。

遂に800号、だが通過点だ

「J  REPORT 2013 7月第1週号」
「リタイアメント・ノート 5年1ヶ月目」、
「VOL。800 SINCE AUG.12th、1983」
「遂に800号!!!でも、通過点だ」
ホームページの最初にも書いてあるが、「1992年10月」に創めた当時は「MARUBENI STEEL NEWS」として毎月1回のペースで発行していた。そして転職して大同コンクリート工業に移った「1994年4月」からは「DAIDO CONCRETE NEWS」として、更に「2001年11月」からはインターネット上のホームページとして「J REPORT」として毎週掲載するようになった。足掛け21年で、遂に800号になった。「継続は力なり」を実証出来たことは我ながら素晴らしいと思っている。毎回、何を書こうか?と悩みつつのこの道の長さだ。稚拙な文章もあった。また実名入りでご迷惑をお掛けして方もあった。失敗続きだったが、兎に角この20年余の私の歴史であることは間違いない。次の目標である「900号」目指し、頑張っていこうと思う。それにはまずは「健康」だ。最近、心臓が急に締め付けられることが度々あり、先日の人間ドックで医師にその話しをしたら、直ぐに主治医に相談したほうがいいということになった。そして主治医の紹介で、心臓の専門医との面談の結果、「エコー」と「造影剤を入れての心臓CT」検査を行うこととした。また薬は血液をさらさらにする薬と、痛みが出た場合に飲む薬の二つを貰った。CT検査は混んでいるので8月上旬になった。心配だ。2010年の膝の手術、そして先日の腰の手術と老化かも知れないが、もう若くないと実感させられる昨今でした。

「関帝廟」
久し振りに「横浜中華街」に行った。多分1年数ヶ月振りだと思う。確か前回は「春節」の時だと思うから、昨年の2月だったのだろう。その日も非常に混んでいた。中華街も随分と変わった。昔あった寿司屋や八百屋もなくなり、やたらと「オーダー式食べ放題時間無制限」と銘打った@1980円の店が客引きをしていた。競争が激しく大変なのかも知れないが、年間2500万人の客が訪れる横浜中華街はやはり日本最大の中華街だ。あちこちで色々な国の言葉が飛び交い、中国系の人たちの力強さを感じた。「関帝廟」は中華街のシンボルだ。沢山の人たちがお参りしている。その隣が「中華学校」だが、校庭で胴着を着た子供たちが「武道」(少林寺拳法?)の練習していた。最近は日本人の生徒も多いと聞く。日本語と中国語の「バイリンガル」が目的だとか聞いたことがある。それにしても「発財、発財」の中国人。大陸の中国人と台湾の中国人、それに国外にいる中国人、皆、同じ中国人なのに住む国家体制でこうも違う人種のようになってしまうのか?不思議でならない。大陸には6000万人の共産党員がおり、残り12億人の人への搾取で成り立つ国家を担っているという。富める者は基本的に共産党員以外にはありえない。役所は勿論、企業も同じことだという。中国人自身も自分たちの体制が10年先も続くかどうか疑問視しているらしい。

「手前勝手世界食物語、第304話」

「新しい店発見へ」
今回の店は銀座の「ディ プント」です。
テレビの深夜番組でこの店を放送していたというので、銀座3丁目店、銀座松屋の裏の店に行って見た。イタリア料理の店で「お薦めは?」と聞いたら、「生ハムとサラミのたくさん盛り」だという。ハーフサイズ(@780円)を注文して見た。生ハムとサラミがあり、その上にオプションで生野菜を置いてある。まあ、こんなものかという味だった。その他「海老のアヒージャ」「生タコのカルパッチョ」「挽肉のチーズ焼き」「蟹焼きペンネ」を頼んだが、ちょっと食べ過ぎた。ワインは1900円からと比較手に安い。だが店が狭い上に、カウンターの椅子は背もたれもないから、長居出来ない仕組みだ。残念ながらリピーターになるつもりには私はなれなかった。難しいよね、新しい店を探すのは。
以上、梅雨の空が続く東京から勢古口がお送りいたしました。