「熊本産馬刺し」

「手前勝手世界食物語、第322」
「馬刺し」
今年は「午年」ということで元旦から「馬刺し」を食べた。昨年、熊本の業者に注文したら、こちらの注文数量より少なかったために、再度追加発注したのが、年末に届いた。昨年からの「牛のレバー刺し」が禁止されたことから、馬の「レバー刺し」が大人気で品薄だという。最初500gレバーを注文したのだが、来たのは280gだった。私は500g分の代金を既に振り込んで会ったので、差し引き不足分が送られてきたのだ。写真は馬の「上刺し」だが、霜降りがよく入っていて実に美味しい。熊本の馬の原産地は「カナダ」で、その後輸入されて熊本で育てられているので熊本産ということになるらしい。鹿児島産の甘い醤油で食べました。美味しいね。
以上、正月の東京から勢古口がお送りしました。

「夜の銀座」

「夜の銀座」
3日には有楽町の火事で新幹線はじめ交通網が大混乱だったようだ。有楽町駅のイトシア側にあるパチンコ店とゲームセンターから出火したらしい。いつも抜け道で歩く場所らしい。だから周囲の商業施設は閉鎖された店もあったようだ。しかし、夜の銀座はかなりの人出で今年の景気良さを裏付けるような人の動きだった。外国人観光客で越年した人たちも多かったようだ。

「江戸の庶民の生活は楽だったか?36」
「家と血筋」
前にもお話ししたが、江戸時代は「家」が大切にされた。だから血筋を残すということより、「家名」を残すことが重要だった。だから「養子」や「側室」或いは「妾」を設けても、家を残すということが大切だった訳だ。武士の場合、先祖の功績によって「扶持」を与えられていたから、主筋から貰える扶持を守るためには家名を継ぐ人が必要だった。現代社会は家が忘れ去られ、個人が重要視されるようだが、果たしてこれでよいのだろうか?三世代家族ということの大切さも忘れてはならないと思うこの頃の私でした。

「川崎大師」

「川崎大師」
元旦は正に「寝正月」の幕開けとなった。殆ど一日何もしないでベッドでごろごろしていた。正月はテレビを観る気もしないし、風呂には3度入った。二日は「箱根駅伝」をテレビで観ながら、横浜の叔母の家に家族全員で向う。駅伝は本当に面白い。有力視されていた選手が突然不調で倒れたり、予想できないドラマ展開がいつも起きる。選手にはすまないが、実に面白い。川崎大師に行く途中、携帯に電話が入った。なんと同期の仲間からだった。アメリカンフットボール日本一を決める「ライスボウル」の会場である東京ドームで待っているのがどうしているのか?とのこと。いけない、日程を間違って明日4日だと思い込んでいた。大変失礼しました。ということでフットボールは観ることが出来なかったが、川崎大師には行くことが出来た。約1時間並んで漸く境内に入れた。「お護摩法要」に出席して、心も新たに今年の「健康長寿と家内安全」を祈った。

「からすみ」

「手前勝手世界食物語、第321」
「台湾産からすみ」
3S会の一人から台湾土産の「からすみ」を送って頂いた。その大きさにまず驚く。調理方法は「薄皮」を剥いで、その後、薄く切って、さっと油で揚げるという。因みに私は火でさっと炙った。仄かに香が漂う「からすみ」を食べると何ともいえない美味しさが口中に広がる。お酒のあてには最高の品だ。まるでチーズのような風味がする。「からすみ」はボラなどの卵巣を塩漬けしたもので、先日訪れた佐賀県武雄温泉の「鮨 まねき」ではこの時期自家製のからすみを造り、馴染みのお客に売っているというが、からすみは保存食品だが、これほど美味しい保存食品は希だろう。
以上、年末の東京から勢古口がお送りしました。

「家族会」

「家族会」
私の実家は横浜にある。今は両親も亡くなり、妹夫婦が住んでいる。そこに私の91歳になる叔母、叔母の娘夫婦とその娘、私たち夫婦と長男夫婦、長女夫婦と栞ちゃん、次男、の私たち家族、そして妹夫婦とその息子夫婦、娘夫婦とその長男が集まった。総勢18名。私は熊本産の馬刺しと博多のモツ鍋を持参した。写真は孫娘の栞ちゃんとその「はとこの怜也(りょうや)君」だ。このあと、二人はハイタッチした。栞を担いでいるのは、姪の旦那さん、はとこを担いでいるのは妹の旦那さんだ。わいわいと騒ぎ、食べ、飲み、親睦を深めた。1年振りの集いだった。熊本の馬刺しで特に「レバー」は品切れ状態だという。牛のレバーが食べられなくなったから、馬のレバーに注文殺到で熊本でも殆どないという。500gオーダーしたが、やっと208gだけだった。

「江戸の庶民の生活は楽だったか?35」
「箱膳」
昔の食事は銘々にお膳が出る、「箱膳」形式だった。それが「ちゃぶ台」を囲む方式になったのはいつ頃からなのだろう?今は殆どの家がテーブルなのだろうが、昔はそれぞれが自分のお膳を持って来て食べていた。だから「二の膳」「三の膳」と呼ばれるような追加のお膳が形式呼び名共に今も旅館や料亭では残っている。昔は武家でも商家でも箱膳で食事をしていた。それも身分の上下関係が歴然としていて、主人と使用人とが一緒に食事することなどなかったという。当然オカズの中身も違っていただろう。将軍の朝食は意外に質素でオカズは「きす」(醤油付け焼きと塩焼き)が2品、「白身の刺身」、「煮物」でこれが一年中続いたという。変化は全くなかったらしい。

「下り酒」
上方から船便で運ばれる酒を「下り酒」といい、上物とされていた。しかし、輸送に時間が掛かるので、樽の中に松の葉を入れて腐敗を防ぐ防腐剤としていた。そのため、松脂が染み出した酒は、冷やで飲みすぎると頭痛を誘うため、お燗をして飲む人が多かったという。酒だけでなく、「下り物」と呼ばれる品々は極上のものとされ、上方、京都や大坂の品々は尊ばれたという。

「富士山」

「今年を振り返る」
年賀状にもしたためたが、今年は5月に大手術をした。「脊柱管狭窄症」という腰の痛みを除くための手術だった。術後は回復も早く、今は全く問題なく動けるようになった。それ以前の半年は歩くのにも不自由し、10m歩いては立ち止まり、暫く休んでは歩き始めるといった状態だった。お蔭様ですっかりよくなれた。ありがたいことだ。そして今年も「旅、読書、映画鑑賞」にと動き回った年だった。海外旅行は3月に南米(イグアス、マチュピチュ、ナスカ)、9月に南西フランス(ボルドー周辺のフランスで一番美しい村々)、10月に東部カナダ(モントリオール、ケベック、オタワ、トロント、ナイアガラ)、11月に南アフリカ(ケープタウン、ヨハネスブルグ、ヴィクトリア・フォール)を訪れ、「世界三大瀑布」(イグアス、ナイアガラ、ヴィクトリア)を征服した。これで世界の55カ国を訪れたことになる。長時間のフライトが非常に苦しくなり、後半は「ビジネスクラス」か「上級エコノミー」にした。来年もそうするつもりだ。国内では北海道に4度、内一回は二度目の利尻礼文だった。他の3回は食の旅だった。九州にも2度、その他信州にも2度、青森、房総に1度づつ行った。映画は220本観たし、本は350冊ほど読んだ。映画では日本映画によい映画が多かった。著名人の方々が沢山お亡くなりになった年でもあったが、私の周辺では上司も同僚も部下も知り合いも亡くなる方がなかったのが、せめてもの救いの年だった。

「富士山」
今年世界遺産に登録された富士山は意外に登山客が少なかったという。今、雪に覆われた富士山はやはり日本人の心の故郷なのだろう。美しい優雅な姿が遥か東京からも観ることが出来た。

「東京スカイツリーと夜景」

「東京スカイツリー」
ライトアップされたスカイツリーが実に美しい。予想以上に人を集めたスカイツリーもすっかり東京名所になった。東武鉄道は大喜びだろう。初雪が東京に降った日、エジプトのスフィンクスにも雪が降ったと報道されたが、これは「東武ワールドスクェアー」のスフィンクスだったというから、これまた驚きだった。

「2013年の映画のお話し」
映画「プレーンズ」(ユナイテッドシネマ豊洲にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年213作目)
全米で大ヒットしたアニメ。前作の「カーズ」から今度は飛行機、それも農薬散布機が世界一周レースに勝利するというもの。それなりに面白いから不思議だ。

映画「ウォーキング with ダイナソー」(日劇にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年214作目)
7000年前のアラスカで起きたと思われる恐竜たちの争いと生き方を描く。客の半数は子供たちでした。

映画「永遠のゼロ」(ユナイテッドシネマ豊洲にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★★★(今年215作目)
泣けた、泣けた。今年一番いい映画だった。あの時代、戦争に翻弄された日本人を描ききったといえよう。絶対お薦めだ。

映画「オンリー・ヴァーズ・レフト・アライブ」(TOHOシネマ日比谷シャンテシネにて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年216作目)
現代に生きる吸血鬼のお話し。今も吸血鬼はいるのだった。

映画「ブリングリング」(銀座TOEIにて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年217作目)
LAでセレブの家に侵入して泥棒をしていた高校生達を描く。実話。

「私の去年2013年の映画の評価は?」
今年の★★★★★は、「舟を編む」「少年H」「タイピスト」「そして父になる」「かぐや姫の物語」「ゼロ・グラビティー」「永遠のゼロ」
今年の★★★★は、「シェフ」「アルバート氏の人生」「ライフ オブ パイ」「東京家族」「ムーンライズ・キングダム」「ジャンゴ」「愛、アムール」「ヒチコック」「天使の分け前」「藁の盾」「アイアンマン3」「ラストスタンド」「カルテット」「旅立ちの島唄」「奇跡のリンゴ」「アンコール」「真夏の方程式」「ワイルド・スピード ユーロミッション」「風立ちぬ」「クロワッサンで朝食を」「最愛の大地」「スマイル・アゲイン」「サイド・エフェクト」「凶悪」「グランド・イリュージョン」「危険なプロット」「49日のレシピ」「燦燦」「ペコロスの母に会いに行く」「武士の献立」
「鑑定士と顔のない依頼人」

「本の記憶シリーズ」
「烈火の剣」(鳥羽 亮 著)双葉文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年344冊目)「はぐれ長屋の用心棒」シリーズ第29弾

「思惑」(上田 秀人 著)講談社文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年345冊目)「百万石の留守居役」シリーズ第2弾

「ご恩返しの千歳飴」(牧 秀彦 著)幻冬舎文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年346冊目)「甘味屋十兵衛子守り剣」シリーズ第4弾

「夜隠れおせん」(鳥羽 亮 著)角川文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年347冊目)「火盗改鬼与力」シリーズ第6弾

南アフリカの旅、後記

「J  REPORT 2013 12月第2週号」
「リタイアメント・ノート 5年6ヶ月目」、
「VOL。824 SINCE AUG.12th、1983」

「南アフリカの旅、後記」
「国家、キング・プロテア」
香港とヨハネスブルグ間往復にビジネスクラスを使った。これまで海外旅行には時差対策もあり、機内では寝ないで過ごし、現地時間に早く合わせようとしてきた。だから20時間以上寝ないこともあった。だが、今回は片道約13時間強をビジネスクラスの完全にフラットになる座席で6?7時間は眠った。これはやはり楽だった。もう歳だと思ったが、65歳を超え、元気なつもりでもやはり長旅は身体に堪えるということがよく分かった。これからは無理せず眠れるような旅にしようと思う。
ケープタウンの植物園で見た「キング・プロテア」の豪華な花は正に「国花」に相応しい花だった。それと感動したことの一つに「テーブルマウンテン」を下り降りる「雲」がある。次々とゲーブルマウンテンの後ろ側から湧き出す雲が次々と山を越えて、こちら側へと流れてくる。この迫力は見たものでないと分からないだろう。一度見たいと「摩周湖」で話しを聞いて思っていたが、摩周湖では年に1回か2回しか見ることが出来ないという。それがどうやらケープタウンではしょっちゅう見られるらしい。ケープタウンも治安が悪いのが玉に傷か。それがなければ本当に住み易そうな街だった。

南アの旅から戻って翌々日には、早速JR東日本の「大人の休日倶楽部パス」で北海道に向かった。流石に旅行の疲れが溜まっているのか、東北新幹線の社内では寝てばかりいた。新青森から見る八甲田の山々は既に雪景色だった。青函トンネルを渡り北海道へ。函館山も白く雪化粧していた。流石に寒さがちょっとばかり気になる。今日は函館本線で札幌に向かう。JR北海道は不祥事続きで特急の最高速度が130kmから120kmに落とされ、
では多分台湾からの観光客と見られる数人の若者が乗ってきたが、台湾でも日本の特に北海道は人気で温泉巡りが流行っていると聞いていたが、どうやら本当のようだ。いつも行く札幌の「すし処 ひょうたん」に行った。満席で私の席だけがカウンターのはじに空いていた。いつもの大将の前の席ではなく、若い板さんの前に座る。まずは「烏賊刺しとカニ子」「白子の酢の物」「いばら蟹の白子と内子」「煮たスルメ、タコ、アワビ」「ヒラメ、つぶ貝、甘海老の刺身」「青海苔の佃煮」「きびなごの干し炙り」、そして握りは「ホッキ貝」「ヒラメ」「中トロ」「ボタン海老」「オオスケ(天然の鮭)」「スルメ烏賊」「サバ」「ウニ」「イクラ」最後はお吸い物で「三平汁」で完了。本当に美味しかったし、安かった。至福の一刻でした。やあ、北海道は美味しいね。札幌には来年2月にまた来ます。明日は帯広と函館です。

「手前勝手世界食物語、第319、後半」

第六日目
朝食はいつものバイキング、昼食は機内食のサンドウィッチ。夕食はホテルのこれもバイキングといつもと同じでした。

第七日目
朝食はホテルのバイキング。昼食はチョベ川畔のレストランで「ラム肉の煮込みとライス」を食べた。美味くない。夕食は地元名物料理のバイキングだったが、まずは「ワニ肉のャeー」、これは新宿でも食べたが、ワニは鶏肉のような感じであっさりしたさっぱり味の肉だ。一緒に「トーモロコシのビール」があったが、ひどい味だった。とても飲めない。次に「牛サーロイン・ステーキ」「ポークのそーセージ」「いぼイノシシのステーキ」、それに野菜を食べた。勿論ハイライトは、ゲテモノの「芋虫」を食べることだ。暗いからよく中身が分からなかったが、壺に入った、長さ5?6cm、太さ1cmほどの黒い塊が芋虫で、それを焼いてある上にそースを掛けてある。食べました。証明書も貰いました。味は?まあ、なんだかよく分からなかったというのが真実かな?かりかりなので生々しさは全くないし、ちょっと気持ちは悪いが、現地での重要なタンパク源だと思えば、食べ易いというもの。贅沢言わないで食べなさい。芋虫の甲羅の部分が歯に挟まって困りました。帰って歯磨きしました。

第八日目
朝食はホテルのバイキングで定番です。
その他も一緒でバイキングでした。
以上、南アフリカより帰国した勢古口がお送りしました。

第八日目(11月28日、木曜日)

いよいよ「ヴィクトリアの滝」だ。水量は10月が最低でこれから増えてくるという。さて、朝4時にまた空を見に行く。晴れてはいるが、外灯の光で地上近くの星は見えない。ホテルの従業員が出てきて、「南+字星はこっちだが、夏は見えない」と言っていたが、全く違った西のほうを指差していた。違うだろう、こっちだよ。見えない訳ないだろうに、本当に分かっていない奴だ。確かに南アフリカよりは赤道が近いから、低い位置でしか見えないのは事実だ。午前5時35分、「日の出」、地平線から真っ赤な朝日が昇ってきた。しかし、方向が「東南東」からなのだ。それでいいのかな?夏の時期だからいいのか?!!日本に戻ったら調べてみます。先ほど、漸く「ぱそこん」のメールが繋がった。何と252通ものmailを受信した。相変わらず携帯のメールは送れない。まあ、インターネット経由のメールが受信できただけでもめっけものか?助かりました。「ヴィクトリア・フォールズ」の「ザンビア」側に行く。ジンバブエのイミグレーションではNOチェックで出国し、ザンビア入国時には20ドル払いビザを得た。滝は残念ながら雨季に入ったばかりで水量が少なく、その姿の一部しか見せていなかった。本来ならば1.7kmに亘る幅で、93mの高さから落ちる滝を観るはずだったが、極々一部を水が流れ落ちていた。それでも虹が随所に見え、心を楽しませてくれた。これで「世界三大瀑布」を征服した。水量が少ないザンビア側を出て、ザンビア出国。ところがジンバブエ側では手数料の一人当たり30ドルだけ取られたが、イミグレーションでは入国手続きなしだった。あのお金はどこに行くのだろう?係官たちの臨時ボーナスになったのだろうか?余計な心配かな?ジンバブエ側には「悪魔の滝」というのと、「メーン・フォールズ」という有名な滝があり、それらは水量不足ながらそれなりの量の水が流れていた。午後からはヘリコプターによる10分ほどの飛行で滝を観た。本来ならば水が溢れんばかりに流れているはずだったが、残念だ。2月から6月が水量が多いとのこと。だがその時は逆に問題がある。というのは滝と見物客との距離、即ち滝壺と対岸の距離が非常に近いので、イグアスやナイアガラと違って船で滝壺近くに行かなくても、水飛沫を浴びてしまうのだ。水量の少ない今でもそれなりに風向きによっては、飛沫が飛んでくる。だから本格的なシーズンでは雨合羽、サンダル、カメラ保護用のビニール等は必需品だという。それでもずぶ濡れになるという。まあ今回は気持ち良い小雨が降っていたという感じだった。「イグアスが男性的な迫力ある滝」だとすると、「ナイアガラは美しい女神」のような佇まいだった。そして「ヴィクトリア・フォールズからは、目覚め前の魔女」を思い起こさせられた。上空からは滝から流れた水が極端なヘアピンカーブを何度も描きながら流れていて、不思議な地形を形どっていた。周囲を見回すと延々とサバンナが続き、地平線まで何もなかった。これがアフリカの大地だと実感させられた。貧しいアフリカに本当の幸せが来るのはいつなのだろうか?