「家族会」

「家族会」
私の実家は横浜にある。今は両親も亡くなり、妹夫婦が住んでいる。そこに私の91歳になる叔母、叔母の娘夫婦とその娘、私たち夫婦と長男夫婦、長女夫婦と栞ちゃん、次男、の私たち家族、そして妹夫婦とその息子夫婦、娘夫婦とその長男が集まった。総勢18名。私は熊本産の馬刺しと博多のモツ鍋を持参した。写真は孫娘の栞ちゃんとその「はとこの怜也(りょうや)君」だ。このあと、二人はハイタッチした。栞を担いでいるのは、姪の旦那さん、はとこを担いでいるのは妹の旦那さんだ。わいわいと騒ぎ、食べ、飲み、親睦を深めた。1年振りの集いだった。熊本の馬刺しで特に「レバー」は品切れ状態だという。牛のレバーが食べられなくなったから、馬のレバーに注文殺到で熊本でも殆どないという。500gオーダーしたが、やっと208gだけだった。

「江戸の庶民の生活は楽だったか?35」
「箱膳」
昔の食事は銘々にお膳が出る、「箱膳」形式だった。それが「ちゃぶ台」を囲む方式になったのはいつ頃からなのだろう?今は殆どの家がテーブルなのだろうが、昔はそれぞれが自分のお膳を持って来て食べていた。だから「二の膳」「三の膳」と呼ばれるような追加のお膳が形式呼び名共に今も旅館や料亭では残っている。昔は武家でも商家でも箱膳で食事をしていた。それも身分の上下関係が歴然としていて、主人と使用人とが一緒に食事することなどなかったという。当然オカズの中身も違っていただろう。将軍の朝食は意外に質素でオカズは「きす」(醤油付け焼きと塩焼き)が2品、「白身の刺身」、「煮物」でこれが一年中続いたという。変化は全くなかったらしい。

「下り酒」
上方から船便で運ばれる酒を「下り酒」といい、上物とされていた。しかし、輸送に時間が掛かるので、樽の中に松の葉を入れて腐敗を防ぐ防腐剤としていた。そのため、松脂が染み出した酒は、冷やで飲みすぎると頭痛を誘うため、お燗をして飲む人が多かったという。酒だけでなく、「下り物」と呼ばれる品々は極上のものとされ、上方、京都や大坂の品々は尊ばれたという。

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