「スペインの食事」

「手前勝手世界食物語、第405号」

バルセロナでの昼食は海岸のレストランで地元名産の「フィデウア」を食べた。合わせてスパークリングワイン「カヴァ」を飲む。メイン料理は所謂パエリアなのだが、米ではなく細く短いパスタが用いられていた。海老と烏賊が入ったものだった。兎に角皆さんよく食べる。食べる。私はダイエットもあるので半分以上残したが、他の方々は完食していた。(写真23:フィデウア)

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バレンシアでの夕食はホテル。白身魚のフライだった。直径10cm位の魚の輪切りが出て来た。グリンピースが沢山付いていた。魚の名前は「メルルーサ」というらしい。(写真25:白身魚メルルーサのフライ)
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ラ・マンチャのコンセーグラでの昼食は、「ニンニクのスープ」(写真43:スープ)
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それにポークだったが、ぱさぱさのオークで不味かった。(写真44:ポーク)
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グラナダのホテルの夕食はビュッフェスタイル。これは味気ないし美味くない。(食事51:ホテルのビュッフェ)
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ミハスでの昼食は「魚介類のフリッター」だったが、これはまずまずの味だった。烏賊、蛍海老、白身魚のフライだった。(写真67:フリッター)
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コルドバのレストランでの昼食はイタリア料理でいう「オッソ・ブーコ」、所謂牛のテールの煮込みだったが、ボリューム満点だったが美味しかった。ほぼ完食した。(写真95:牛テールの煮込み)
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マドリッドのホテルは空港近くで「白身魚のフライ」だった。ボリュームばかりで淡泊な味だった。(写真103:白身魚)
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火曜日マドリードでの昼食は、生ハム、魚介のスープ、パエージャだった。(写真118:生ハム)
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(写真119:スープ)
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(写真120:パエージャ)
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旅の最後の晩餐での夕食もマドリードのスペイン広場近くで食べた。小皿料理でバルで出されるものだった。(写真144:生ハム)
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(写真145:魚のフリッター)
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(写真146:コロッケと烏賊リング)
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(写真147:キノコのアヒージャ)
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(写真148:赤トマトの芋包み)
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満喫しました。

「春本番」

「J  REPORT 2016 4月第4週」
「リタイアメント・ノート 7年10ヶ月目」、
「VOL。946 SINCE AUG.12th、1983」
ご意見ご要望等が御座いましたら、こちらへメールください。
 sekoguti@aa.e-mansion.com

「東京医科歯科大学にて」
感染症のために入院との話しを医師から貰ったのだが、認知症気味の妻のこともあり、毎日通院して点滴を受けるということで了解してもらった。結果、4月1日の手術、5日からの感染症によると思われる痛みと腫れ、6日の大学病院通院後、連続7日間の点滴投与となった。毎日一時間ほどの点滴、どうやら12日で点滴は終了した。一週間後の再診断を待つだけとなったが、血液検査の数値もほぼ正常になったということで一安心でした。(写真:東京医科歯科大学病院)

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驚いたことがまだまだあった。この歯科病院、外来だけで9部門ある。そして私が通った「口腔外科」には50名もの医者が壁の週の予定表に名前が記されていた。ずらっと並ぶ歯科用椅子は壮観だ。一体一日にどれほどの患者さんが通うのだろうか?歯科病院としては恐らく日本一なのだろう。兎に角圧倒されました。また医師も看護師も皆さん親切でした。ありがとう、お世話になりました。

「極東の民、日本人。徒然のままに」
地球儀で日本国を見てみる。太平洋の西の端と見るのか、大陸の東の果てと見るのか、いずれにしても端であるという点では一致している。そんな列島に住む日本人。実に面白い民族だと思う。いかなる理由かは分からないが、西の大陸から人びとは、新たな土地を目指して、または追われて、果ての島に辿り着いた。そこは文明の果てなのだろうか。否、新しい混合文化を育む土地だと私は思っている。面白いには日本語だ。日本には元々「大和言葉」なるものがあった。例えば物の数だが。大和言葉では「ひー、ふー、みー、よー、いつ、むー、なな、やー」となる。そこに大陸から漢字が入ってきた。当時、呉音で発音された漢字は「音読み」の「表意文字」だった。元々の大和言葉には文字はなかったので、漢字の発音から真似て、大和言葉に漢字を当てはめて、更に文字を崩して簡単な文字「平仮名」を作った。それが更に略した「カタカナ」になった。これだけ柔軟性のある考え方をする国民性を持つ日本人。驚きとしかいいようがない。平仮名やカタカナは「表音文字」だから、表意文字と表音文字を混ぜ合わせて使う新しい日本語が出来たということだ。実に素晴らしい考え方だ。新しい文明を見事に取り込んでいくのが日本人の特性なのだろう。それは日本人が大陸の西や北や南から海を渡ってきて、交じり合い、互いを受け入れて出来た民俗だからなのだろう。地球上の災害と言う災害を抱え、常に危険な自然との闘いは、正に災害史上のデパートだ。しかし、そこには四季があり、美しい自然もあり、恵み多き海山がある。近年では「戊辰戦争」や「明治維新」、「太平洋戦争敗戦」という荒波に揉まれながらも、ここまで発展してきた。将来はと言えば、「少子化」の波が襲う日本。だが必ず解決策を見出して行くことを私は信じている。東京の桜も既に散った。記録的だった「暖冬」後の桜は素晴らしかった。(写真:豊洲公園の桜の花絨毯)
桜絨毯

「三日月」

「三日月」
日没後の西の空に三日月が見えた。美しい三日月だった。これから十五夜目指して太って行く。人間はどうしてこうも月に惹かれるのだろうか?(写真:三日月)

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4月15日は「大安」だ。旧暦では弥生3月の9日だ。桜の季節だし、海からは「桜海老」が揚がる時期だ。春本番の日本列島を14日の夜、激震が襲った。2016年「熊本地震」だった。テレビで見る限り、「熊本城」の石垣の一部が崩れていた。天守閣の真下の角の部分だった。熊本地方ではこれまでにない巨大地震だったと思われる。被害者の早期救出を願うばかりだ。
まだ昼の3時、快晴の空に薄く月が観える。暖かい日の一こまでした。(写真:真昼の月)
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「2016 私の映画鑑賞記録」
映画「ボーダーライン」(UC豊洲にて)私的批評眼(J‘CRITICAL EYE)★★★(今年55作品目)
メキシコの麻薬カルテルに妻と娘を殺されたエージェントがCIAとFBIと組み、戦うというもの。メキシコの麻薬汚染の現実が描かれる。

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映画「ルーム」(TC日劇にて)私的批評眼(J‘CRITICAL EYE)★★★★(今年56作品目)
7年間誘拐され監禁されている女性とその息子5歳。遂に脱出のチャンスが訪れる。親子は逃げ切れるのか? アカデミー主演女優賞獲得作品。子役の演技が素晴らしい。
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映画「さざなみ」(シャンテシネ銀座にて)私的批評眼(J‘CRITICAL EYE)★★★★(今年57作品目)
45年目の結婚記念日を1週間後に控えている初老の夫婦。夫は50年前にスイスアルプスで亡くした恋人が氷河の中から当時の姿で見つかったことを知る。そこから生まれた夫婦間の微妙なずれが波紋の如く広がる。夫は嘗て彼女と結婚しようと思っていたことを告白する。「さざなみ」の如く湧き上がり、薄っすらと浸透する疑惑。女性の心理状態を実に上手く描いていた。
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映画「モヒカン、故郷に帰る」(UC豊洲にて)私的批評眼(J‘CRITICAL EYE)★★★(今年58作品目)
モヒカン刈りの青年が故郷「呉市」の沖合いの島に戻ってくる。連れは妊娠している女性。そこで起きるドタバタ劇。父は末期の肺癌。父はまた地元中学の吹奏楽部のコーチでもあった。笑いあり涙あり、喜劇でした。
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映画「ミラクル・ニール」(UC豊洲にて)私的批評眼(J‘CRITICAL EYE)★★★(今年59作品目)
宇宙人が地球を破壊するかどうかの論議で誰か無作為に選んだ地球人に万能の力を与えたらどんな行動を取るのか?それにより地球の先行きを決めようとして偶然選ばれたのがイギリス人の作家ニールだった。そこで起きるドタバタでした。笑えますね。
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日経新聞4月15日夕刊の「シネマ万華鏡」の評価によれば、「スポットライト 世紀のスクープ」が5つ星、「グランドフィナーレ」が4つ星、「オマールの壁」が4つ星、「ハロルドが笑うその日まで」が2つ星、「無音の叫び声」が3つ星、「あいつだ」が3つ星、「夢の女 ユメノヒト」が3つ星でした。

「私の去年2016年の映画の評価は?」あくまで私の私感ですからね!!
今年の★★★★★は、「俳優、亀岡拓次」「サウルの息子」「最高の花婿」

今年の★★★★は、「はなちゃんのみそ汁」「ブリッジ・オブ・スパイ」「最愛の子」「ザ・ウォーク」「ブラック・スキャンダル」「キャロル」「オデッセイ」「マネー・ショート」「ヘイトフル8」「家族はつらいよ」「アーロと少年」「リリーのすべて」「バットマンVSスーパーマン ジャスティスの誕生」「ルーム」「さざなみ」

「2016 観劇シリーズ」
・1回目の観劇=二月喜劇名作公演(新橋演舞場)「名代 きつねずし」

「2016 旅の記憶シリーズ」
国内は1月の北東北「角館、秋田市内(秋田)」、「三内丸山遺跡(青森)」、「あつみ温泉、酒田(山形)」、「村上、新潟市内、瓢湖、燕三条、弥彦(新潟)」へ旅しました。海外旅行は、2月のキューバ(65カ国目)、そして2月のタイでした。

「2016 本の記憶シリーズ」
「まぼろしのコロッケ」(倉坂 鬼一郎 著)光文社文庫 私的批評眼(J‘CRITICAL EYE)★★★(今年72冊目)「南蛮おたね夢料理」シリーズ第3弾

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「福を届けよ」(永井 紗耶子 著)小学館文庫 私的批評眼(J‘CRITICAL EYE)★★★(今年73冊目)「日本橋紙問屋商い心得」
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「銀座恋一筋殺人事件」(風野 真知雄 著)文春文庫 私的批評眼(J‘CRITICAL EYE)★★★(今年74冊目)「耳袋秘帖」シリーズ第20弾
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「巨鯨の海」(伊東 潤 著)光文社文庫 私的批評眼(J‘CRITICAL EYE)★★★(今年75冊目)
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「連合艦隊司令部跡」

「さいたま歴史研究会-12」
新年度最初の会でした。3S会の他の二人はマスク姿で風邪気味。私はと言うと点滴したばかりの病院帰り。何とも様にならない3人でした。今回のM先生のお話しは我が母校の日吉校舎地下にあった「連合艦隊司令部」跡だ。太平洋戦争も戦況悪化し本土空襲も常態化していた最中、我が連合艦隊は昭和18年4月には山本五十六長官が戦死、19年3月には古賀長官も戦死。そこで台地にあり、通信事情もよく、東京と横須賀に近いという利点がある日吉の丘が選ばれ、そこに地下基地が建設され、今も残っているのだった。19年6月のマリアナ海戦で日本軍の空母は虎の子の3隻全てが沈没しほぼ海軍機は全滅だった。同じ6月にはサイパン島玉砕、9月グアム、テニアン玉砕、太平洋の制空制海権を全て失った。そんな頃、国内ではいよいよ連合艦隊司令部の移転が始った。既に大学生の徴兵猶予は18年10月になくなり、20歳に達した大学生が徴兵されていた。19年9月から着工された掘削作業は10月の本隊進駐に間に合うようにと突貫工事が続いた。トンネルを掘り、厚さ45-55cmのコンクリートでトンネル内部を覆い、その強度は素晴らしく強く、70年を経た現在でも安定した強度を保っているという。総延長は不明だが900-1000mはあると思われる。ここに豊田司令官、幕僚、下肢間、通信兵ら約400名がいたと思われる。しかし戦況の悪化に歯止めがかからない。フィリピンでの闘いで遂に日本軍は海軍は「神風隊」(じんぷう)を、陸軍は「石腸飛行隊」を組織する。所謂「特攻隊」だ。10月15日初めて出撃し、米空母1隻、巡洋艦1隻を沈没させ、空母1隻に火災発生させるという戦火を挙げた。12月レイテ沖海戦で完敗。事実上連合艦隊は壊滅した。そして沖縄戦が20年3月から始まる。この頃までには米軍の艦隊護衛は完璧となっており、特攻隊は殆ど戦火を挙げられず、突入する前に撃滅されていたという。既に「戦艦武蔵」なく、「戦艦大和」への出撃命令が日吉より発せられた。4月7日午後大和撃沈。戦死者3332名、生存269名。一方米軍側の資料によると米軍側被害は、120機の特攻機による体当たり攻撃で艦船の沈没29隻、死者3048名、負傷者6035名とあるから、被害の多さも際立っている。この時日本軍は海軍機1439機、陸軍機954機が突入したとの記録もある。約1400機の日本軍機が発進し120機が突入したというのだ。真偽のほどは分からないが最初に特攻を命じたのは誰か?という疑問は未だに解明されていない。それは特攻隊員は「自発的志願」ということにされていたからだ。自ら望んで志願して特攻に赴いたというのだ。しかし第一海軍航空部隊「大西滝次郎」中将は「操縦技能が未熟で、空中戦、艦船攻撃に劣る者は、爆弾を抱えた特攻攻撃戦術しかない」と判断して組織化していったという。因みに大西中将は終戦時に割腹自殺している。私も学んだ母校の日吉の丘の地下には今も当時のまま地下道網が張り巡らされている。戦争の記憶は消してはならないと思う。春、「ハナカイドウ」が咲いていた。(写真:ハナカイドウ)
ハナカイドウ
71年前の沖縄、本島に上陸した米軍との戦いは6月25日まで続いた。戦艦大和は沖縄本島の海岸に乗り上げ座礁し、砲台として戦う予定だったという。
不思議なのはこれらの地下トンネルの真横の地下を「東海道新幹線」が通っていることだ。

「南町奉行所跡」

「南町奉行所跡2」
JR有楽町駅の東側、ITOCIAのあるほうの広場の一部に嘗ての「南町奉行所」の塀になっていた石が掘り出され置かれている。余り知る人も少ないのだが、有楽町駅前東側一体が南町奉行所跡であるということの証拠なのだ。現物は地下にあったらしいが、あの有名な大岡越前守も住んでいた奉行所がここにあったということは何となく感激的な思いを呼ぶ。奉行所は奉行の私邸でもあり、半分は私邸、半分は公邸となっていた。奉行は月番の時は毎日千代田城に通い評定を行い、帰宅してから判事の仕事もしたから激務だったらしい。(写真:南町奉行所跡)

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江戸幕府は面白いものでほぼ一つの役に二人が付いていた。奉行で言えば、「南町」と「北町」がそれで、それぞれ月毎に月番を交代しながら奉行所を運営していた。チェック&バランスということなのだろうか。遠国奉行の最たるものは「長崎奉行」だが、これも二人いて、毎年交代で江戸と長崎に勤務した。交代されることで不正を防いだのだろうか。家康からの考え方らしい。因みに町奉行は旗本の最高位でその後は閑職の「大目付」で引退したという。譜代大名は町奉行にはならない。代わって「京都守護代」、「勘定奉行」、「若年寄」、「老中」が出世コースだったという。

「江戸の庶民の生活は楽だったか?82」
「江戸の米」
11代将軍「家斉」(いえなり)治世の時代、即ち19世紀初頭の江戸は人口100万人の大都市だった。この為江戸には200万俵を越える米が入ってきていたという。その内訳は、幕府米が50万俵、藩米が53-54万俵、残りの100万俵弱は旗本や御家人の知行地から年貢として納められたものの一部であったという。(写真:米蔵)

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そしてそれらの米は玄米だったから、市中の米屋は玄米を精米して白米にして販売した。(写真:米屋の店先)
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だから江戸の庶民は白米を食べていた。米どころの米産地のお百姓は白米など食べられなかっただろうに、江戸では誰もが白米を食べていたというから不思議と言うか面白い。そこで起こったのが「江戸患い」というものだ。今で言う「脚気」だ。白米ばかり食べるからビタミン不足となり脚気となる。だから参勤交代の武士たちは地元に戻ると白米を食べなくなり脚気が治った。だから「江戸患い」なのだ。では江戸市民はどうしたかというと「蕎麦」が食べられることでビタミン不足を補ったという。だから江戸では「蕎麦」が流行った。正に江戸は蕎麦の文化なのだった。これも必然か。

「四川麻婆麺1841」

「手前勝手世界食物語、第404号」
「四川麻婆麺1841」
今話題の東急プラザ銀座の10階のレストラン街にある「四川麻婆麺1841(イチ・ハチ・ヨン・イチ)」という店に入った。昼時だった。テーブルとカウンターで20席もないだろう小さな店だ。(写真:店内)

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オーダーもペンでメニューをタッチし、戸数もタッチペンで入力するというもの。人件費削減のアイデアなのだろうが、本当に入力出来たのかペンからの声が小さくてよく分からなかったら、予想通り二人前オーダーしていた。勿論一人前に訂正した。店員は厨房も店内も皆中国人のようだ。出てきたのは「胡麻風味四川麻婆麺」。一番定番風の物を頼んだのだ。しかしまずスープが温い。恐らくお風呂並みの温度だ。更に麺も具も何もかもインパクトがない。全く特徴のない味で一回目で二度と行くまいと思ってしまった。この店、早晩撤退するのではなかろうか?消費者の目は甘くはないぞ。(写真:麺)
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やはり今回も「うどん屋」さんの行列が一番だった。大人気のようだ。

さて、来週21日より三度目のスペインに行きます。従って新たなHPの更新は29日、30日の連休になりますので、宜しくお願い致します。以上、東京から勢古口がお送りしました。

「恐ろしい突然の感染症」

「J  REPORT 2016 4月第3週」
「リタイアメント・ノート 7年10ヶ月目」、
「VOL。945 SINCE AUG.12th、1983」
ご意見ご要望等が御座いましたら、こちらへメールください。
 sekoguti@aa.e-mansion.com

「恐ろしい突然の感染症」
4月1日に歯茎を切開して骨に変化する人工物を入れる手術をした。理由は減ってきた骨の回復だった。その後順調かと思っていたら、5日の火曜日に腫れ出し、痛みが酷くなった。顔も変形したかのように左頬が膨らんだ。(写真:本人の腫れた顔)
感染1
6日水曜日に麹町の歯医者に慌てて駆け込んだが、この医院では処置は無理だと言われ、直ぐに「東京医科歯科大学」への紹介状を書いてもらって行った。大学病院で血液検査とレントゲン撮影後に医師からは「CRP」と「白血球」の値が高いので要注意だとのことでその場で点滴を受けた。所謂「感染症」にかかったのだった。腫れが酷いが熱はない。明日7日の朝の予約を貰ってその日は帰宅した。ところが予約表を見ると14日になっていた。慌てて大学病院に電話し、修正してもらった。担当医の入力ミスだった。ところがその夜、大学病院の担当医師から電話があり、院内での検討会の結論として「入院を勧める」とのことだった。困った。8日には妻の病院の予約が2件と、私の整形外科の予約もあるのだ。
7日木曜日、朝病院で点滴したが、かなり楽になり、口も前日よりも開けるようになった。また「膿」もかなり出た。出す時は指で押されて非常に痛かったが、まあ仕方がない、我慢した。医師からは8日の朝にもう一度検査をして、そこで入院の可否を判断するということになった。帰宅後、8日の予約を全てキャンセルした。それよりも6日には大学の体育会の同期会があったのだが、これもドタキャンすることになってしまった。1月の新年会も膝痛でドタキャンしたし、連続2回のドタキャンで本当に申し訳ない。
この種の感染症は、切り傷等から細菌が侵入し、化膿するもので体力が落ちている時とかに起こり易いものだ。実は私は1998年6月にも足の傷から同様の感染症を係り、即入院となった経験がある。この時は歩行困難になったほどだった。非常に危険な状態になる可能性もあるので恐ろしい病気だ。5日には口は指2本分ほどしか開くことが出来なかった。しかし7日にはほぼ全開出来るようになった。
8日金曜日、血液検査の結果、CRP(タンパク質の量らしい)は変わらないが、白血球は減少したという。従って週末も点滴を行うことで入院は回避できた。助かった。それにしても恐ろしい1週間でした。お蔭さまで顔の腫れはかなり元に戻りつつあります。それでもまだ腫れは完全には引いてません。痛みは去りました。

「東急プラザ銀座」

「東急プラザ銀座」
オープン直後の日曜日4月3日の昼、訪れた東急プラザ銀座、即ち元の東芝銀座ビルが再開発されたビルだが、大混雑だった。百数十の店が意外と狭いフロアーに一杯で特に食事時とあってどの店も混雑していた。地下二階のサンドウィッチの店ではテレビでも紹介されていた「キャヴィア」一缶分乗せのサンドウィッチが@6000円で出ていた。一度は食べてみたいものだ。それよりも飛行機のファーストクラスで食べたほうがいいかも?それと仙台名物「牛タン」は「撰 利久」が新しい店を出していた。これまでは東京駅中でしか食べられなかったのが、銀座で食べられるのはありがたい。昼飯にはきっと人気になるだろう。それとうどんの店に大行列があった。器がもの凄く大きなうどんだった。ディナーよりもランチ向きの店が多いのも特徴かな。まあこれで色々な店を廻ることによりネタ集めがし易くなりそうだ。ハワイのパンケーキの有名店も出ていた。まあパンケーキで夕食はないだろう。(写真:東急プラザ銀座)

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今後の食べ巡りが楽しみだ。

「2016 私の映画鑑賞記録」
映画「バットマンVSスーパーマン ジャスティスの誕生」(TC日本橋にて)私的批評眼(J‘CRITICAL EYE)★★★★(今年52作品目)
バットマンが活躍する「ゴッサム・シティー」の隣がスーパーマンが活躍する「メトロポリタン」。一人の悪い男がバットマンとスーパーマンを戦わせ殺し合わせようとするというお話し。最後は?意外な展開に。まあ娯楽映画としては面白いか?

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映画「LOVE 3D」(UC有楽町にて)私的批評眼(J‘CRITICAL EYE)★★★(今年53作品目)
まるでポルノ映画だ。アメリカ人の青年がパリで送る学生生活。そこで知り合った女性を愛するのだが、お互いの浮気で別れることになる。そんな二人と絡み合うのが隣の部屋の若い女性。まあセックスシーンばかりでした。
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映画「あやしい彼女」(TC日本橋にて)私的批評眼(J‘CRITICAL EYE)★★★(今年54作品目)
韓国映画でヒットしたもののリメイク。73歳の老女が20歳になり新しい人生をやり直すというもの。
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日経新聞4月8日夕刊の「シネマ万華鏡」の評価によれば、「さざなみ」が4つ星、「ルーム」が4つ星、「孤独のススメ」が4つ星、「ボーダーライン」が3つ星、「、おらリリ・ニール!」が3つ星、「モヒカン故郷に帰る」が3つ星、「蔦監督」が3つ星でした。

「私の去年2016年の映画の評価は?」あくまで私の私感ですからね!!
今年の★★★★★は、「俳優、亀岡拓次」「サウルの息子」「最高の花婿」

今年の★★★★は、「はなちゃんのみそ汁」「ブリッジ・オブ・スパイ」「最愛の子」「ザ・ウォーク」「ブラック・スキャンダル」「キャロル」「オデッセイ」「マネー・ショート」「ヘイトフル8」「家族はつらいよ」「アーロと少年」「リリーのすべて」「バットマンVSスーパーマン ジャスティスの誕生」

「2016 観劇シリーズ」
・1回目の観劇=二月喜劇名作公演(新橋演舞場)「名代 きつねずし」

「2016 旅の記憶シリーズ」
国内は1月の北東北「角館、秋田市内(秋田)」、「三内丸山遺跡(青森)」、「あつみ温泉、酒田(山形)」、「村上、新潟市内、瓢湖、燕三条、弥彦(新潟)」へ旅しました。海外旅行は、2月のキューバ(65カ国目)、そして2月のタイでした。

「2016 本の記憶シリーズ」
「恋文の樹」(和田 はつ子 著)小学館文庫 私的批評眼(J‘CRITICAL EYE)★★★(今年66冊目)「口中医桂助事件帖」シリーズ第14弾

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「阿修羅」(鳥羽 亮 著)祥伝社文庫 私的批評眼(J‘CRITICAL EYE)★★★(今年67冊目)「首斬り雲十郎」シリーズ第5弾
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「戸惑」(上田 秀人 著)徳間文庫 私的批評眼(J‘CRITICAL EYE)★★★(今年68冊目)「禁裏付雅帳」シリーズ第2弾
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「料理番名残りの雪」(小早川 涼 著)角川文庫 私的批評眼(J‘CRITICAL EYE)★★★(今年69冊目)「包丁人事件帖」シリーズ第7弾
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「刃鉄の人」(辻堂 魁 著)角川文庫 私的批評眼(J‘CRITICAL EYE)★★★(今年70冊目)「刃鉄の人」シリーズ第1弾
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「やぶ医薄斉」(幡 大介 著)角川文庫 私的批評眼(J‘CRITICAL EYE)★★★(今年71冊目)「やぶ医薄斉」シリーズ第1弾
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「お宮参り」

「お宮参り」
毎度毎度、孫の話しで申し訳ないのだが、最初の内孫「蓮」の誕生一ヵ月後の「お宮参り」をした。戌の日にも訪れた「乃木神社」で行った。神殿内は撮影禁止なので外でしか写真が取れなかったが、当日の境内はほぼ満開の桜と、沢山の結婚式の写真撮影が行われていた。皆神式なので着物姿の新郎新婦たちでした。(写真:境内の桜)

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(写真:本殿)
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さて、孫の「蓮」も一ヶ月経ち、3250gにまで大きくなった。(写真:一ヵ月後の蓮)
蓮160327
(写真:お宮参りの蓮1)
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(写真:お宮参りの蓮2)
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寝ていて起きないので寝かしたままにしておいた。(写真:長男と蓮)
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長男がずっと抱いていた。(写真:長男と蓮、桜の下で)
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境内入口の枝垂桜も見事に咲いていたので、皆さん記念写真を撮っていた。(写真:境内入口にて)
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(写真:親子3人)
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ちょっと肌寒い日でしたが、厳かなお宮参りとなりました。

「南町奉行所」

「江戸の庶民の生活は楽だったか?81」
「めっきは日本語」
銀メッキは水銀を溶解させて作ったアマルガムを銅や真鍮の表面に塗り、加熱して水銀を蒸発させるのを銀メッキという。普通はめっきはメッキあるいは鍍銀(とぎん)とも書くが歴とした日本語だそうだ。古くから技法は伝わっていたという。豆知識でした。

「南町奉行所」
JR有楽町駅前にあるパチンコ屋だが、数年前のクリスマスの時に火災で焼失し再建された店だが、そこに「南町奉行所跡」の掲示板がある。(写真:南町奉行所跡)

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この「数寄屋橋御門」内に奉行所が出来たのは、八代将軍吉宗と町奉行は大岡越前守の一人前「松野河内守」の時で「宝永4年」(1707)と言われている。それまでは「常葉橋御門」内にあった。この宝永4年と言うのは「宝永大地震」と「富士山大噴火」が起こった年だ。大変な年に移転したものだ。