「南町奉行所」

「江戸の庶民の生活は楽だったか?81」
「めっきは日本語」
銀メッキは水銀を溶解させて作ったアマルガムを銅や真鍮の表面に塗り、加熱して水銀を蒸発させるのを銀メッキという。普通はめっきはメッキあるいは鍍銀(とぎん)とも書くが歴とした日本語だそうだ。古くから技法は伝わっていたという。豆知識でした。

「南町奉行所」
JR有楽町駅前にあるパチンコ屋だが、数年前のクリスマスの時に火災で焼失し再建された店だが、そこに「南町奉行所跡」の掲示板がある。(写真:南町奉行所跡)

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この「数寄屋橋御門」内に奉行所が出来たのは、八代将軍吉宗と町奉行は大岡越前守の一人前「松野河内守」の時で「宝永4年」(1707)と言われている。それまでは「常葉橋御門」内にあった。この宝永4年と言うのは「宝永大地震」と「富士山大噴火」が起こった年だ。大変な年に移転したものだ。