「手前勝手世界食物語、第301話」

「生牡蠣」
久々に生牡蠣を食べようと思い立ち、インターネットで調べた店に行って見た。丸の内の某大手商社のビルの地下にその店はあった。「ジャックポッド丸の内店」。以前有楽町にあった同店の別な支店に行った事があったが、今回の店も非常に狭い店だった。「国内産の生牡蠣」を産地別3種類づつ貰う。どの牡蠣も濃厚な味でそれなりに美味しかった。サービスで「焼き牡蠣」が出たが、これも秀逸でした。毎年一回は明治安田生命地下の「グランド・セントラルステーション・オイスターバー&グリル」に行く。ここはニューヨークのグランドセントラル駅にある有名店の東京支店だ。国内も輸入物も豊富にあるし、ちょっと雰囲気もシックでかっこいい。無論それなりに値段も高いが。それに対してジャックポッドはカジュアルな店だ。若い男女の二人連れが多く入店してきていた。しかし、値段は結こう高かった。安かったのはワイン位だろうか?「牡蠣」は好きな食べ物の一つだ。娘の旦那さんのご両親の出身が宮城県は東松島なので、いつも季節になると牡蠣を送ってくれるので我家では冷凍していつでも食べられるように用意している。
以上、いよいよ梅雨入りした東京より勢古口がお送りしました。

「江戸の庶民の生活は楽だったか?17」

「富籤(とみくじ)」
まあ、世の中、いつの時代にもこういったものがあった。江戸時代にも今で言う「宝くじ」のようなものがあった。別名「富突(とみつき)」とも言われ、当り籤を錐で突いた事からこう言われていたらしい。当り籤は最高額1000両、最低10両が当ったらしいが、この籤、江戸では「谷中の感応寺」「湯島天神」「目黒不動」の俗に言う「三富」が認められていたが、勘定奉行に瑞ソして色々な寺社がこれを売っていたらしい。いつの時代もこういったものが流行るのだ。でもこの富籤、一枚が二分(一両の二分の一)や二朱(一両の四分の一)と高額だったから、何人かでお金を持ち寄って買ったらしい。大体一両が現代の10万円から8万円相当だからその高額さが分かると思う。最高額の1000両だと1億円にもなったのだから、その熱狂振りも伺えるというもの。逆に庶民相手には非公認の「陰富」と呼ばれる一枚一文で当っても10文というヤクザ者が扱うものまであったという。富籤の札を裏で売ることから、こういった人たち、所謂売人を「札屋」といい、やがて「ダフヤ」という隠語になったという。言葉は面白い。

「江戸絵画の奇跡」
今、両国の「江戸東京博物館」で江戸時代の絵画展が行われている。アメリカ人「ファインバーグ夫妻」のコレクションの絵画展だ。江戸時代のそれぞれの時代の有名な画家の絵がアメリカ人により収集され、それが今回、公開された。当代一流画家たちの日本画の美しさ素晴らしさに感動すら覚えた。必見の価値有りでした。いつの時代にも絵の上手い人はいるもんだと感心しました。

「月島風景」

東京にお住みの方なら「月島」と聞けば直ぐに「もんじゃ焼き」を思い浮かべるか?と思う。お好み焼きでもなく、それでも鉄板の上に具材を乗せて焼く。ここまではお好み焼きと変わらないのだが、具材自体は出し汁がしゃばしゃばと入っている。まずキャベツ中心の具材で土手を周囲に作り、中に出し汁を流し込み、ある程度時間が経ったら全体をかき混ぜ、焼き上げてきて、ある程度固まったら、小さな鉄製のコテ(もんじゃハガシというらしい)で少しづつもんじゃを削りながら食べるというもの。具材はキャベツや野菜と魚介に肉類。出し汁に特徴があるのだろうか?と思っていたらTBSで「月島特集」をやっていて、出し汁は某大手メ[スメーカーのものだと言うのだ。そんな月島の町を半年振りに訪れたら、町の雰囲気が全く変わっていた。統一された町並みに変化していたので驚いた。歩道の上の屋根も、そして暖簾も統一されて綺麗になっていた。びっくりでした。私は余りもんじゃ焼きが美味しいとは思っていないのですが、皆さん、どうですか?

「麦秋至」(ばくしゅう、いたる)
5月31日は「24節季・72候」の一つ「麦秋至」の日だ。意味は「麦を刈り取る頃」だが、冬に植えた麦がいよいよ実り、刈り取りの秋(とき)となったことだ。古く中国ではこの時期を待って戦争の開始となったという。主たる食料の一つである「麦の収穫期」を終えてから、人々は戦いに刈り出されたという。なんとも意味のある時期ではなかろうか。だから麦秋前の戦いは原則ない。戦に刈り出される農民にとっても、戦いが専門の軍人にとっても食料がなければ戦えない。従ってこの麦秋の時期までは皆が平和を満喫できたという訳だったという。戦と言うのは昔も今も「兵站」が重要だ。昔は食料は現地調達だったが、敵が攻めてくると分かれば当然家や食料を燃やして逃げてしまい、敵に深追いさせ逆襲するという策もあるから、兵站を助ェに整えて食糧を持って戦に行くのはある意味常識だった。だから、「麦秋至」の意味があったのだ。

「上野駅はどうなるの?」

今、「秋葉原駅」のホームに立つと、新幹線との間に新しい線路が敷かれているのが分かる。当初嵐閧フ2013年度開通は一年遅れたようだが、上野駅と東京駅を結ぶ新しい路線だ。ここを「宇都宮線」「高崎線」「常磐線」の「上野終着駅」だった路線が直接東京駅に乗り入れることが出来るようになる。そうなるとこれまで「北の玄関駅」だった「上野駅」はただ「単なる通過駅」となってしまうのだろうか?私も昭和46年4月にサラリーマンとして初めての赴任先の「仙台」に上野駅から「特急やまびこ」に乗って旅立った。新入社員、まだ2週間目のことだった。それから二度に亘って仙台勤務を通算6年半したので上野駅にはそれこそ何度も何百回も乗り降りした。それが単なる通過駅となってしまうと、北の玄関駅は東京駅になってしまう。果たして上野駅はどうなってしまうのだろうか?

2013年の映画のお話し
映画「水滸伝」(ユナイテッドシネマ豊洲にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★(今年84作目)
大量の長いDVDを編集して劇場用にしたらしいが、余りにも長い物語だけに全く詰まらない荒筋だけの映画になっていた。大体108人もの英雄が出るのに短過ぎるよ。失望でした。

映画「プレイス・ビヨンド・ザ・パインズ/運命」(ヒューマントラストシネマ有楽町にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年85作目)
天才的オートバイライダーは生まれたばかりの息子のために銀行強盗となる。それを追い詰めた警官。その15年後、彼等二人の息子達が偶然同じ高校で出会う運命の不思議さ。

映画「図書館戦争」(日比谷スカラ座にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年86作目)
ベストセラー小説の映画化。SF的荒唐無稽なお話しでした。勿論本は読んでますよ。

映画「体脂肪率計タニタの社員食堂」(角川シネマ有楽町にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年87作目)
初めて体脂肪計を作ったタニタの社員の涙ぐましいダイエットを描く。私も頑張らなくてはと思ってしまいました。「なんでこんなことで苦しまなければならないの?」というデブの女子社員の言葉が身に滲みる。

映画「ポゼッション」(ユナイテッドシネマ豊洲にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年88作目)
実話に基づく悪魔に憑依された少女とその家族を描く。ホラー映画です。

映画「俺、俺」(ユナイテッドシネマ豊洲にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年89作目)
それなりに面白い。次々と自分と同じ人間が出現するが、やがて消去されていってしまうという不思議な物語。

映画「グランド・マスター」(日劇にて) 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年90作目)
カンフーの師を描く。しかし私にはよく分からない映画で、格闘場面ばかりが多かったとしか言えなかった。

日経新聞5月31日夕刊の「シネマ万華鏡」の評価では、「グランド・マスター」が4つ星、「リアル?完全なる首長竜の日?」が4つ星、「オブリビオン」が3つ星、「バレット」が3つ星、「パパの木」が3つ星、「言の葉の庭」が4つ星、「はじまりのみち」が3つ星でした。

「私の去年2013年の映画の評価は?」
今年の★★★★★は、「舟を編む」
今年の★★★★は、「シェフ」「アルバート氏の人生」「ライフ オブ パイ」「東京家族」「ムーンライズ・キングダム」「ジャンゴ」「愛、アムール」「ヒチコック」「天使の分け前」「藁の盾」「アイアンマン3」「ラストスタンド」「カルテット」「旅立ちの島唄」

「シノプスシ222」
「富くじ始末」(幡 大介郎 著)ハルキ文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年157冊目)「千両役者捕物帖」シリーズ第4弾

「辻斬り無情」(早見 俊 著)PHP文芸文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年158冊目)「二本+手捕物控」シリーズ第2弾

「月」(坂岡 真 著)徳間文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年159冊目)「死ぬがよく候」シリーズ第1弾

「転び者」(佐伯 泰英 著)新潮文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年160冊目)「新・古着屋総兵衛」シリーズ第6弾

「湯殿盗人」(幡 大介 著)双葉文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年161冊目)「大富豪同心」シリーズ第11弾

「甲州隠密旅」(幡 大介 著)双葉文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年161冊目)「大富豪同心」シリーズ第12弾

「夢芝居」(藤井 邦夫 著)双葉文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年162冊目)「知らぬが半兵衛手控帖」シリーズ第20弾完結編

麦秋至

「J  REPORT 2013 6月第1週号」
「リタイアメント・ノート 4年12ヶ月目」、
「VOL。796 SINCE AUG.12th、1983」
「江戸の盛り場、両国」
江戸時代、「両国橋」の袂は江戸時代最大の「盛り場」の一つだったという。両国橋の「東詰めと西詰め」には色々な小屋があったりして庶民で多いに賑わったという。もう一つ江戸では「浅草奥山」も多いに賑わった。今の「浅草六区」だ。「見世物小屋」「矢場」「芝居小屋」「食べ物屋」」等々があり、「大道芸人」も沢山いたというから、どの時代にも庶民の楽しみ方は一緒なのだろう。今、両国には「国技館」、「回向院」、「江戸東京博物館」、「吉良上野介屋敷跡」などがあるが、盛り場としての雰囲気、面影は残っていない。学校も「日大一中、一高」、「安田学園」などがある文教地区でもある。写真は江戸時代の「両国橋」の絵だ。多くの人が行き交っているのが分かる。この橋を中心にしての「両国の花火」も江戸時代の風物詩だったといえる。古地図によると花火師の「たま屋」や「かぎ屋」などもこの両国に住んでいたのが分かる。「本所松坂町」の「吉良邸」跡地はかの「忠臣蔵」、「赤穂浪士の討ち入り」で有名な場所だが、当時は約2500坪ほどの大きな屋敷だったというが、討ち入り後幕府に没収されてなくなり、今はその内の「首洗い井戸」跡を中心にして小さなナマコ塀を巡らせた跡地が保存されているだけだ。