「夏祭の季節到来」

「夏祭の季節到来」
町には暑さと共に祭の季節がやってきた。竹に御幣と提灯を付けたものが角々に立てられていた。(写真:祭の印)祭の仕度
地元「富岡八幡宮」の祭の季節がやって来た。8月13日14日15日と続く伝統の祭だ。通称「水掛祭」、江戸三大祭の一つでもある。赤坂の日枝神社、神田の神田明神とで「江戸三大祭」だ。富岡八幡の今年は「子供神輿の渡御」だという。(写真:子供神輿の幟)

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永代通りの両側で祭の準備が進められていた。(写真:永代通り)
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神社の鳥居前の一番よい場所には、「寄付金」の額と名前が書かれたボードがあった。ここには子供神輿と大人神輿の2台の神輿も出されていた。(写真:準備2)
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さあ鳥居を潜ろう。(写真:鳥居)
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境内には準備中の舞台もあった。(写真:準備3)
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ここで初めてのものを発見した。それは「昭和天皇が立ち寄った」場所だという石碑だった。(写真:天皇の碑)
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ここに刻まれていたのに驚いた。何とそれは昭和20年3月18日の戦災に見舞いに昭和天皇がここに巡幸されたというのだ。(写真:天皇の碑文)
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それは3月10日に東京を襲ったあの「東京大空襲」で致命的な被害を受けた深川の戦災跡、そこはまだ燻っていただろうに、その現場を御幸されたというのだ。驚いた。多分この石碑は最近建てられたのだろう。昭和天皇が偲ばれる。さて、ここ富岡八幡には特徴的なものが二つある。一つは「大関力士碑」だ。江戸時代から相撲に縁のある神社で歴代の横綱の名前が刻まれている。(写真:力士碑)
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もう一つは「伊能忠敬像」だ。実際に自分で歩いて測量し日本地図の原点を作った忠敬は、晩年はこの深川に住んでいたということでこの像がある。(写真:伊能忠敬像)
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因みに弟子の「間宮林蔵」は幕府の隠密だったという話しは有名だ。更に宝物殿のようなガラス張りの建物の中には、江戸時代紀伊国屋文左衛門が寄進したという巨大神輿を模した神輿が2基ある。(写真:大神輿1)
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(写真:大神輿2)
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残念ながら紀伊国屋文左衛門寄進の神輿は関東大震災で消失してしまったが、今ある新しい神輿にも大きな宝石が嵌まった鳳凰があり、これまた素晴らしい。本殿に拝礼する。二礼二拍手一礼。(写真:本殿)
清々しい気持ちで本番の祭を待とう。(写真:準備進む門前)
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話しからは離れるが、紀伊国屋文左衛門は材木商として一代で財をなした。有名な話しとして、「総仕舞」と称して吉原の大門を閉めて、吉原全部を一人で借り切ったという。その額一日千両だったというから驚き。千両は多分現在の1億円相当だ。だが幕府の政策が土木事業中心から変更されたために破産したという。