「真田丸」

「真田丸」
今、NHK大河ドラマで公開されている「真田丸」の特集が両国の「江戸東京博物館」で開かれている。我々には「真田幸村」という名で知られている武将の本名は「真田信繁」だと初めて知った。幸村の名は大坂夏の陣のあと、「難波戦記」という本が出され、そこで使われた名前だという。歴史的な手紙類などがたくさん展示されていた。(写真:真田丸)

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江戸時代になっても信繁の大活躍、特に夏の陣の最後に徳川家康の本陣に迫ったことが伝えられ、人気を博し、「真田十勇士」なども創作されたという。

「江戸時代が好きな訳」
私が江戸時代が好きなのは、何と265年にも亘る平和な時代があの混沌とした大航海、植民地時代にあって日本には齎されていたということなのだ。そこでは平和に人びとが暮らしていて、各地に独自の文化が発達し、また江戸を中心とした文化が謳歌されたことだ。今の大都市は全てといってよいほど、当時の藩の中心地だった。武士の力が衰え,代わりに金を持った商人の台頭がある。庶民文化の発達も凄いものがあった。そんな江戸を学びたいと思い、江戸時代関連の本なども読んでいるのだ。当時発達したものの一つに「日本料理」がある。平和だからこそ料理の文化が発展したのは間違いない。
本格的な日本料理は3つに大別される。「本膳料理」、お茶で供される「懐石料理」、宴会等で供される「会席料理」だ。本膳から懐石や会席に発展した。
宴会向けの「会席料理」は、「先付け」、「八寸」、「座寸椀」、「お造り」、「煮物」、「焼き物」、「蒸し物」、「油物」、「酢の物」「留椀」の順で出される。目出度い席での一例としては、「先付け」は雲丹に子持ち昆布、「八寸」は海老に白魚の紅梅煮、「座寸椀」はふきのとうに独活(うど)と蕨の潮(うしお)仕立て、「煮物」は伊勢海老の具足煮、「焼き物」は鯛の浜焼き、「蒸し物」は甘鯛の道成寺蒸し、「油物」は精進揚げ、「酢の物」は赤貝と鳥貝、「留椀」には紅白団子の白味噌仕立てに、香の物と赤飯といった具合だ。先付けと八寸で酒を楽しみながら、座寸椀を出した後、「包丁式」という料理法と作法がある。烏帽子直垂(えぼしひたたれ)姿で、出刃包丁と鉄の真魚(まな)箸を左右の手で握り、まず形を披露する。その後その形に従って実際に魚を切り捌くことをいう。包丁式には四条流、大草流、園部流、進士流、生間流などの流派がある。
「本膳料理」は主に「式三献」「雑煮」「本膳」「二の膳」「三の善」「硯蓋」からなり、一部には七の善まであった。
「懐石料理」は禅宗の「温石」(おんじゃく)に通じるため「懐石」の文字が当てられた。僧侶が温めた石を懐に入れたことからも分かるように寺で出された質素な料理で茶道の茶の湯の食事である。
これは全て平和な時代が生んだ貴重な財産なのだ。
以前にも書いたが、文化文政の頃(19世紀初頭)、鶴岡の豪商の奥さんが連れの男性2人を率いて江戸から伊勢、大坂、京都、金沢を廻る紀行記をご紹介したが、当時の江戸では料理屋の番付が出来ていて、美味しい料理を江戸の人達は食べ捲くっていたというから凄いものだ。当時の江戸は恐らく世界最大の百万人都市で、且つ美食家の集まりだったのだろう。