「石巻」
昼は「利久の牛タン定食」を食べた。牛タンに麦飯、そしてテールスープ、美味しかった。タンは厚いが柔らかい。実に美味しい利久の牛タンでした。午後からは石巻在住のO氏の案内で被災地と復興の現場を巡る。松島海岸駅で待ち合わせ、海岸線を石巻まで北上することになった。O氏とは入社以来のお付き合いだから45年にも亘る。津波で全て流されたところに海岸線に沿って巨大な堤防を造っていた。盛り土してそこに植栽していたが、何かこれでいいのかと思ってしまう光景だった。簡保の宿が廃墟となって建っていた。このように使用されなくなりそのまま残されている建物を次々と観ることになる。海岸にはもう何もない状態だった。(写真左:利休の牛タン定食、写真中:堤防、写真中:廃墟)
JR野蒜(のびる)駅はもう現在は使われていない。線路は内陸部に移されたからだ。この駅の屋根を越える津波が襲ったという。駅の向こうに見える家も半数は空き家だ。新駅は100m以上離れた場所で数十メートル高い場所に移っていた。駅前は住宅地にすべく急ピッチで造成工事が進む。しかし果たして利用者はいるのだろうか?途中でも堤防の内側に住宅地を造る工事が見られたが果たして人が住み着く町が本当に出来上がるのだろうか?国の予算を使って兎に角造ればよいというような雰囲気を感じた。だいたい年寄りがここまで登って来ることが出来るのだろうか?今のところ新駅の利用者は一日5-60人程度だという。元の野蒜は大きな町だったが、今人は殆どいない。(写真左:野蒜駅、写真中:野蒜駅2、写真右:新しい野蒜駅にて)
石巻の「日和山」に登る。ここからの眺めは非常によいが、無人の家とただ開けた野原が観えるだけだった。人口密集地域だったが、寂しい風景しか見えなかった。嘗ては港町として栄えた場所だったが、多くの人が津波で命を失った石巻でも一番酷い被害が出たところだ。なんともやりきれない気分になった。天気がよいだけに余計に気持ちが塞いだ。石巻の中心街は空き家とシャッターが仕舞った店ばかりで復興しているのは金融機関だけのようだった。しかし5月に仙台まで線路が繋がり漸く市民生活も元に戻りつつあるようだ。石巻の人も基本的には仙台へ通勤通学する人が多い。仙石線も快速は途中から東北本線経由となり石巻から1時間で仙台駅に着いた。被災地ではまだまだ沢山の避難所が残されている。新しく復興住宅が建てられたが家賃を払えない人は避難所から移らないとも聞く。果たして何年経てば元の町に戻るのだろうか?そして人びとは戻ってくるのだろうか?(写真:日和山にて)
今回の旅では各地でボランティアガイドの方たちにお世話になったし、石巻のO氏にも多大なお世話になってしまった。でも楽しい4人旅だった。
以上、南東北の旅から帰った勢古口がお送りしました。