「仙台」

「仙台」
朝、国宝である「大崎八幡宮」に行く。行くまでここが国宝に指定されているとは知らなかった。正月15日に「どんと焼き」があることは知っていたが、まさか国宝だとは思ってもいなかった。慶長12年(1607年)に建てられたのだが、豊臣家に仕えていた大工たちを京都、大坂、和歌山から連れてきて造られたという。安土桃山時代の豪華絢爛な建物で伊達政宗の趣味もあり、素晴らしいものになっていた。実は後からこの神社の正面上部壁には象の彫り物もあるのだということが分かった。ここを造った大工たちは後日、日光東照宮の造営も行うことになる。あの左甚五郎の彫刻もあった。(写真左、大崎八幡宮石段、写真中と右:国宝の社)

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「青葉城址」
市営地下鉄の東西線が来月開通するという。広瀬川の上をテスト走行しているのが見えた。東の仙台新港から仙台駅を通って、青葉山の下を通り、西の八木山まで走るという。時代は変わっていた。変化に驚くばかりだ。「青葉城資料展示館」に入り、当時を再現した3D化された映画を観る。大きな城だったが、戊辰戦争の賊軍ということで城は壊された。仙台市内を見渡す。昔から比べるとやはり大きなビルが増えていた。伊達政宗は外来品が好きで遣欧使節団をヨーロッパに派遣したりした開明的な武将だったようだ。(写真左:伊達家所蔵甲冑、写真中:仙台城模型、写真右:政宗騎馬像)
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仙台は人口103万人の大都市だ。(写真:仙台市内パノラマ)
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「瑞鳳殿」
伊達政宗の墓所が瑞鳳殿だ。国宝だったが、昭和20年の仙台空襲で全て焼け落ちたが、近年再建された。戦前絵画を学んでいた学生達が寸法を正確に測り、かつ色付きで描いていた資料があり復活出来たという。これも豪華絢爛那な極楽の世界を描いたものだ。瑞鳳殿の文字が刻まれた板も当時そのままに復刻されたという。赤の下地は「赤珊瑚」の粉で、白地は「真珠」の粉で描かれたという。社殿も素晴らしいものだった。その彫刻は驚きの美しさで政宗の遺体が眠る墓所の上に極楽にしていた。学術的に墓を調査し遺体を掘り出した結果、身長は159.5cmの細面だったということが分かったという。しかし政宗の肖像画も騎馬像も全て両目が開いている。理由は政宗の遺言で生んでくれた母親に申し訳ないから眼は両目開けて造るようにとのことだったらしい。
(写真左:瑞鳳殿銘板、写真中:瑞鳳殿、写真右:彫刻)
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政宗は72歳で死んだが、徳川3代将軍家光に慕われていたという。死ぬ1ヶ月前にわざわざ江戸まで出向き、己の死後のこと、伊達家の安泰を家光に頼んだようだ。そして江戸の屋敷で亡くなったが、どうも胃か食道のガンだったようだ。墓所の瑞鳳殿には殉死した家来たちの墓もある。左の写真は大崎八幡宮の「左甚五郎の睨み猫」で一般に人は見ることが出来ない場所にあるという。日光東照宮の「眠り猫」と対になるものだろう。廟の内部は年に何回かしか開けられない。(写真左:大崎八幡宮にある甚五郎作の睨み猫、写真中:瑞鳳殿内部、写真右:瑞鳳殿2面)
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