「山形」

「山形」
午後4時ギリギリに山形城、即ち「霞城」(かじょう)と呼ばれる城内にある「山形県立博物館」に入館出来た。そこには国宝の「縄文の女神」と呼ばれる土偶があった。知らなかったが、国宝には「国宝指定書」というものが文科大臣から出され「右を国宝に指定する」ということになっていた。その後旧県庁舎だった「文翔館」の夜景を観てホテルに入った。既に外は真っ暗だ。タクシーの運転手の推薦の地元料理の店で名物の「芋煮鍋」を食べた。夜食は米沢で買い求めた駅弁「牛肉ど真ん中」を食べた。(写真左:国宝の土偶、写真中:旧県庁舎、写真右:芋煮鍋)

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翌朝、ホテル近くに「山形城、三の丸」の土塁の跡があったが、山形城は1.8kmx1.4kmの大きさだったようで巨大な平城址が確認出来た。(写真:土塁跡)
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「天童」
JR天童駅の中に「天童将棋資料館」がある。そこで本日のガイドのG氏と一緒にまずは将棋の駒の製造過程を見学した。ここも写真禁止だった。天童市内を歩く。道路は昔のままの形を残している。面白いのは市の施設にも将棋の駒が描かれていたことだ。写真は鋳鉄製の弁だ。驚くことに天童藩は「織田信長」の直系の子孫が藩主だったという。織田信長は本能寺の変で殺されるが長男も自刃してしまう。次男の信雄は助かり、その後織田宗家の当主となり、後に群馬県邑楽郡に領地を与えられる。その後ここ天童に移り「天童織田藩」となる。(写真左:天童の人間将棋の風景、写真中:天童市の仕切弁、写真右:御陣屋跡)
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しかし戊辰戦争では官軍側に付いたことから幕府軍の鶴岡藩に攻撃され陣屋も含めて町は全て焼き尽くされたという。その際家臣が織田家の御位牌だけは持ち出せたので火災を逃れ今は菩提寺の「三寶寺」に安置されている。また織田家には日本に来た宣教師が描いた信長公の肖像画があり、その写真があったが、これが最も信長公に似ていると言われているらしい。三寶寺の寺紋は「五七の桐」でこれは天皇の副紋で足利氏に許され、足利氏から信長公に、更に織田家から三寶寺に使用許可された高貴な寺紋だという。(写真左:三寶寺、写真中:織田家御位牌、写真右:織田信長公肖像画)
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天童は松尾芭蕉にも所縁の土地である。「奥の細道」で芭蕉はこの天童を通って山寺に向っている。場所の弟子たちが塚も建てた。(写真左:奥の細道、写真中:芭蕉の句、写真右:翁塚)
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旧「東村山郡庁舎」が資料館として保存されている。さて、新幹線で山形市内に戻る。新幹線といっても実際には在来線の特急と同じだ。山形国体に合わせてフル規格の新幹線でなく在来線の線路幅を広軌にしてその上を走られている新幹線だからスピードは特急並みだ。昼は山形駅にある「三津屋」で「半板蕎麦」を食べる。どうも粉っぽい蕎麦で銀座の田中屋の蕎麦を食べ慣れている私には美味しくは感じなかった。(写真左:3S会とKさん、写真中:山形新幹線、写真右:三津屋の半板蕎麦)
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「山寺」
午後からは山寺だ。だが私は膝が痛くて痛くてどうしようもないので「立石寺」への参拝は止めた。1100段の階段は登れても降りられないだろう。他の3名は地元のなんと89歳のガイドさんの案内で山を登ったという。山形と言えば「紅花」だ。紅花は銀の重さに匹敵したとも言われていた貴重な産物だった。今も化粧品に使われているという。約3時間後に3人と合流し仙台に向う。まずは腹ごしらえとして駅地下の本塩釜が本店の「すし哲」に行く。非常に混んでいたので30分で切り上げるという条件で入店し「すし哲物語」という握りの最上級品を頼む。流石美味しい。仙台に着た時には必ずこの店には本店か支店かは別にして寄せてもらっている。もうお孫さんが店長になっている時代だ。嬉しいことに大人の休日パスを見せると一貫寿司を追加してくれた。蛸の頭を茹でたものだった。(写真左:紅花、写真中:立石寺、写真右:すし哲の握り)
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