「日田へ」

「日田へ」
昨晩の雨が止み阿蘇の外輪山の麓を走る列車からは低く垂れ込めた雲が見える。(写真中)
乗ったのは「特急ゆふ号」(写真左) 日田は大分県といっても熊本福岡にほぼ隣接している九州の臍のようなところだ。豊臣秀吉が九州征伐後にこの地を直轄地にして支配したというのは交通の要衝であり、九州全体を眺められ押さえられる土地柄だったこともあり、徳川幕府もここを「天領」とした。古き江戸の色合いが濃く残された土地だというが初めてのこともあり地元のガイドさんをお願いしてある。駅から待ち合わせ場所の資料館まで約20分ほど歩く。道路脇に日田弁というのか大分弁というのか手書きの交通標識があった。(写真右)

OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

ガイドのGさんとジョインして町並みを案内してもらう。「日田市豆田町」は碁盤の目にように区切られており、道路が細いのに車がひっきりなしに通るから結構危ない。(写真左) 本日は入らなかったが「草野本家」という古い屋敷には200体ほどもある雛人形が有名らしい。(写真中) 日田で有名なのが杉で作った「日田下駄」だという。下駄を売る店も沢山あった。軽そうな下駄だ。(写真右)
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

江戸時代に地元で一番有名なのが「廣瀬家」。金融業を営む傍ら大分の「府中藩」の財政立て直しに奔走した当主が居たりする大金持ちだったそうだ。(写真左) 家の中は立派なのだが写真撮影禁止なので概観しか撮れなかった。更に周囲の人には華美に写らないように家の壁は土壁で質素倹約を旨としているような造りになっていた。近年の大金持ちは「岩尾薬哺」だという。(写真中) この岩尾さんの店は「日本丸(にほんがん)」という薬を作り、何でも効くという丸薬で明治の頃から日本兵必需品として兵隊さんは必ず携帯していたという万能薬だという。今は原材料がワシントン条約により入手出来なくなり製造はされていないが、これで明治大正昭和に掛けて膨大な財産を築いたという。(写真右)
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

木造三階の岩尾邸の天守閣から代官所のあったほうを見る。小高い山は城址で代官所は麓にあったという。(写真左) 「六地蔵」(写真中) 造り酒屋(写真右)を巡る。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

江戸時代、民間の学寮として廣瀬家が建てた「かんぎ園」という塾には延べ5000人以上の若者たちが全国から集まり勉強をしていたという。今は勿論建物はないが廣瀬家の人の隠居所跡が残っていた。(写真左) B級グルメで「日田焼そば」が有名だというが、ガイドさんに聞いたら「チャンポン」が美味しいというので駅前の「寶屋本店」という店でチャンポンを頼む。まあこんなもんかな?(写真右)九州はチャンポン発祥の地だけあって各地でチャンポンの美味しい店がある。一度試してみるといい。
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA