「江戸名物」
江戸時代、江戸は日本最大のそして世界最大の都市だったといわれている。人口百万人もいた時もあった。全国300諸侯が1年おきに江戸と地元とを往復していたから江戸の文化は比較的スムースに地方にも伝わった。江戸の名物と言えば「伊勢屋、稲荷に犬の糞」だという。伊勢屋という屋号の店があちこちにあったこと。そして町町に必ず稲荷神社があったこと。また犬の糞があちこちにころがっていたこと。等々から「伊勢屋、稲荷に犬の糞」が江戸名物だと称されたという。伊勢の商人として最も有名なのが「三井越後屋」の三井家だが、その他にも沢山の伊勢商人が江戸で活躍していたことが伺える。たまたま歌舞伎座前を通過したら、そこに稲荷神社があるのを初めて見つけた。中年の白人女性がおられたので許可なく写真を撮った。(写真:歌舞伎座前の稲荷神社)
江戸名物に「火事と喧嘩は江戸の華」があるが、これは余りありがたい話しではないので、とても華とはいえないだろう。「浅黄裏」という言葉がある。これは「田舎者の武士」のことであり、軽蔑語だ。地方の藩から江戸にやってきたオノボリサンの武士に共通していたのが、羽織の裏生地に「浅黄色」の裏地を皆が皆使っていたことから、呼ばれた蔑称で田舎者とあざ笑うために使われた。浅黄色とは薄い水色のことで歌舞伎の舞台の背景にもよく使われている色だ。歌舞伎座では写真が禁止されているのでその写真はないが、なんとなくお洒落のつもりが逆に笑われる原因(流行ったのは数十年前だったのに知らない田舎者)になってしまったというお話しだ。
江戸名物の一つに「浅草海苔」がある。源頼朝公が岩海苔を朝廷に献上したのが記録されていると言う。江戸の海苔は当初は年の瀬に西葛西から運ばれてきて浅草の門前市で売られていたと言うが、非常に高価な貴重品だったそうだ。それが享保年間(1716-1735、八代将軍吉宗の時代)以降に品川の海で「ヒビ建て養殖法」を用いて増産されるようになったという。ヒビ建てとは魚の生簀用の柵で、これに天然海苔がよく付くことに気付いた浅草の漁師弥平が養殖を始めたという。その後上野の寛永寺の僧侶「天海」が江戸の寺院の代表的な精進食材として海苔を広め、浅草の名物となったと言う。その後浅草海苔は名物の贈答品として天海が使ったことも普及に繋がったと言う。
「東京名物はスカイツリー」
「十三夜」であった10月25日の夜は「十三夜」の満月直前の月が東の空に輝いていた。満月に至る前のちょっと不完全な丸さを昔の人は愛でたという。見ると「東京スカイツリー」もライトアップされていて。十三夜の月とスカイツリーの調和が美しかった。(写真:十三夜の月とスカイツリー)
26日は「十四夜」。(写真:十四夜の月)
そして27日は「十五夜」。翌28日の早朝、正に陽が上ろうとする直前、西の空に沈み行く「十五夜」の月が大きく見えた。東に日輪、西に満月、更に金星と木星も東の空に見えた。(写真:十五夜の沈み行く満月)