「人生は旅の如くー10月のトルコより」

「J  REPORT 2024 5月第5週号」
「リタイアメント・ノート 14年11ヶ月目」
「VOL.1369 SINCE  AUG.12th、1983」

「走るな! 転ぶな! 風邪引くな!」が老人には大切らしいです。㔟古口
追加して「癌になるな」もね。

「人生は旅の如くNO.10-2009年編・第8話、10月のトルコにて」
2009年は10月11月の二か月間でヨーロッパに3回旅した。その最初がトルコだった。
ルフトハンザ・ドイツ航空でフランクフルト経由トルコのイスタンブールに入った。フランクフルトと言えばフランクフルト・ソーセージが有名だが、ルフトハンザ航空のラウンジで一番人気がこのソーセージとポテトの組み合わせだった。これが実に美味しい。それからは毎度フランクフルトではソーセージを食べることになった。
またトルコ航空のイスタンブールのラウンジがこれまた素晴らしいものだった。広さに設備、それに食事と言い本当に満足出来るものだった。24時間稼働は勿論だが、中ではステーキを焼いていていつでも食べられた。
イスタンブールはハブ空港としてアフリカ、ヨーロッパ、中東、アジアを結ぶ重要な空港だった。
トルコは初めてだった。大雑把に行って反時計回りでトルコの海岸線から内陸部を廻った旅だった。
トルコは歴史的にも正にヨーロッパとアジアの架け橋だった。地図を観るとお分かりのように西はエーゲ海を挟んでギリシャと向き合い、北は黒海、南は地中海、東はアジア大陸へと続き、ボスポラス海峡を経てヨーロッパに繋がる交通の要衝だ。シルクロードの起点でもある。民族的にはアジア系とヨーロッパ系の混血の人たちだが宗教はイスラム教が大半。一時期オスマントルコ帝国は地中海の南側の大半を支配し、バルカン半島を超えてウィーンの周囲にまで攻め込んでいて大帝国を作っていた。ウィーンはポーランド国王らの連合軍に救われたが、この勝利を記念してウィーンのパン屋がトルコ国旗の三日月を真似て風刺したものが「クロワッサン」だ。また、第一次世界大戦では枢軸側に付いたため破れて帝国は消滅した。この危機を救ったのが英雄「アタチュルク」だ。政治と宗教を分離し、アラビア文字を廃止しローマ字に変える等画期的な政策で救世主となった。トルコ滞在中、何のアタチュルクに関する記念日だったのか、午前中のある時間の知らせと共に人々が歩みを止め直立不動となり黙祷を始めた。未だに国民から父と慕われている英雄なのだ。後日判明したのが、11月10日が彼の命日だということだった。
国内には今もクルド人の独立運動があるものの東西の緩衝地帯ではある。
首都アンカラは内陸部にあるので、ここを中心点として時計を描くと、イスタンブールは10時、トロイは9時、パレッカムは7時半、エフェソスは8時、カッパドキアは4時半となろう。3時に当たる東の山脈地帯にはノアの箱舟伝説の船もあるという。
旅の大半はバスで回るが、当時から運転手の働き方が制限されていて一定時間以上の勤務は認められていなかったので、動く時は素早く時間内に次の目的地に到着し休憩が求められていた。それが今2024年に日本にも漸くやってきたのだった。
有名な観光地をいちいち説明しても仕方ないので代表的な物だけを申し上げよう。
まずはトロイ。ギリシャとの戦争ではトロイの木馬でギリシャが勝利した古戦場だ。パレッカムは温泉と石灰石で棚田状の小さな池が沢山出来ている。エフェソスには大野外劇場や神殿もあるし、カッパドキアは茸のような不思議な形の石が林立する。風雨による自然現象なのだろうが素晴らしいものだった。またエフェソスには世界最古の職業である売春宿を示す遺跡もあったのには驚かされた。アンカラからは列車でイスタンブールに向かい、旧東ローマ帝国の首都コンスタンチノープル(現イスタンブール)の宮殿やモスクも素晴らしかった。兎に角歴史が詰まっている国だから観る物も飽きない。
料理だが世界三大料理と地元では言っていたが美味しかった。壺の中に煮込んだ食材があり、表面を塩の蓋で固めてあるスープはお替りしたい位の美味しさだった。ケバブも有名なのだろうが、一人で港近くのレストランを訪れて食べたがこれも美味しかった。鯖サンドも地元の人たちの人気だった。
更なる詳細は2014年1月に3S会で行った2度目のトルコ記に譲ろう。

PS:友人のM君がトルコ旅行から帰国し早速前号以前の間違いの指摘を頂いた。
まず、「鬼平犯科帳」の原作者は司馬遼太郎ではなく池波正太郎であること。南米の「クスコ」はチリではなくペルーにあること。等々訂正しなくてはならない。どうも老人ボケの始まりだろうか?一度文字にしてしまうと思い込みが激しくて訂正に至らず、本当に申し訳ございませんでした。M君いつも適切なご指摘ありがとうございます。今後共宜しくお願い致します。