「関帝廟」

この地にこの廟が開かれて150年だという。そうすると1861年。横浜が開港されたのは1859年(安政6年)のことだということだから、開港3年目に早くもここに住み着いた中国人たちによって築かれたものなのだ。ご存知「三国志」の中に出てくる英雄「関羽」を祭っている廟だ。当時の中国は「曹操」率いる「魏」、「孫権」率いる「呉」、「劉備」率いる「蜀」の三国が争っていた。その中で蜀の劉備は「漢王朝」の末裔であり、正統な皇帝を任じていて、そこに集まった英雄の一人が関羽なのだ。ご存知「諸葛孔明」も蜀の武将で劉備に「三顧の礼」を持って迎えられた人だ。孔明の知略は有名な「赤壁の戦い」によって映画にもなっている。そんな関羽は忠誠心の最も厚い人として知られており、中国人民から絶大な尊敬を寄せられ、こうして世界各地の中華人街に祭られているのだった。「孔子廟」と並び称されるほど「関帝廟」は必ずどこの中華街にもある。

「香港路」
中華街はメインの大通りから枝葉のように、はたまた魚の骨のように左右に小道が伸びている。メイン通りが木の幹か魚の背骨ならば、小道は枝か小骨か。そんな小道にも名前が付けられている。その一つが「香港路」。この小道の両側にも中華料理店や土産物店が連なっている。最近の中華街の特徴の一つが「バイキング形式」の店が多いということだ。更に驚いたことに「回転飲茶」の店まであったが、ここもバイキングだった。2000円前後でオーダーバイキングから、時間フリーのものまで色々と趣向を凝らしていたが、「安く早く美味く」というのが客寄せの狙いなのだろう。中華街は昔から伝統のある老舗から最近出来たばかりの新しい店まで雑多だが、そこには中国人の強かな計算が隠されているようだ。街全体として徐々にではあるが伝統は守りつつも脱皮し新しい時代に合わせようとする強かさには驚かされた。

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