銘板

「J REPORT 2011 6月第3週号」
「リタイアメント・ノート 2年12ヶ月目」 「VOL.689 SINCE AUG. 12th、1983」
「銘板」
6月4日の土曜日、久々、本当に久々に「日吉」の町を訪れた。中学、高校、大学と10年間に亘って通ったところだ。駅前から緩やかな登り坂の並木道が美しい。通い慣れた道だ。本日の目的は「日吉記念館」に置かれている「慶応義塾創立150周年記念、寄付銘板」の公開を観ることだった。企業と個人が学校に寄付した記念にステンレス製の板に名前を刻み、謝意を示すというためのものだ。個人の名前は実に3000名に及ぶという。それもある一定金額以上の寄付を行った人たちだけでだ。その内の一人が私だった。私の名前も「あいうえお」順に並べられて刻まれていた。「日吉記念館」は創立100周年記念の時に造られたもので「東京オリンピック」の会場の一部としても使われた多目的体育館だ。何の競技をやっていたのかは忘れてしまった。記念館に向って右手に高校の校舎がある。白亜の3階建ての建物はもう古いもので私の高校時代もここで勉強した。懐かしい建物だ。この風景は40年前の昔と全く変わっていない。日吉の校舎は「日吉台」という台地の上に建っている。戦争中はこの岡の地下に日本軍の施設が造られていたという。今でも地下トンネルは残っているらしい。東海道新幹線もこの台地の下を走っている。それにしても「東急東横線日吉駅」は変わったものだ。隔世の感がある。モダンなたてものとなり、ホームと線路は地下式になり、地上を東西に結ぶ連絡用自由通路もあり本当に便利だ。都営地下鉄三田線から直通運転で都心から乗り換えなしに日吉まで来ることができる。勿論中目黒経由での直通路線もある。昔の日吉駅は線路とホームが地上で階段を使って改札口に向わねばならなかった。フットボールの練習を終えて帰宅する前に改札口前の売店で菓子パンを買って頬張った。駅の向こう側、普通部側にある酒屋で立ち飲みもよくしたものだった。

「一番風呂」
物心付いた時から私の家には風呂があった。何度か建て直したが、所謂「内風呂」というものがあった。昔の日本人の生活の中には自宅には風呂がないのが当たり前だったから、近所の人に残り湯に入ってもらっていた。その時、一番風呂は我が家の男子が入った。父がいる時は勿論父が、いないときは私が一番風呂に入った。女性陣は必ずその後だった。男尊女卑の典型的な例だった。檜の風呂桶の香もかぐわしい風呂に入るとうっとりとするくらい気持ちが良かったのを覚えている。我が家は元々は戦後出来たばかりの市営住宅だったが、改造して風呂を増築したのだと思う。昔は市営住宅に風呂などなかったはずだから。風呂が使えない時には近くの銭湯に行った。普通は銭湯が当たり前で各地に銭湯があったと思う。今や銭湯は恐竜と同じに駆逐されてしまったのだが。戦後、日本は変わった。それでも風呂に入るという習慣には殆ど変化はなかったのだろう。団塊世代の私にとって風呂はやはり自宅ではいる内風呂が一番ありがたい。

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