「野口英世像」

上野のお山に久々に行った。目的は「東京国立博物館」。現在は特別展はやっておらず常設展だけだった。その中で驚いたことがいくつかあった。一つは「根付」だった。「高松宮様」が寄贈された根付の数々。実に見事な作品類だった。江戸時代、力は武家から商人へと写っていった。貨幣経済が発展するに連れてその傾向は益々強くなっていく。そんな町人文化の一つがこれらの「根付」だった。微妙な精密な細工物の根付。利用は色々な小物を帯などに止める際の備品なのだが、一つ一つが実に丁寧に作られており、江戸文化の一つの象徴だろう。しかしこれらの大半は実は幕末から明治に掛けて大量に国外に持ち去られてしまったのだった。日本人にとっては大したものではなかったが、外国人にとっては驚きの品々として土産物として持ち帰られたという。もう今では造る人もいないだろうし、それほど貴重な品なのだ。二つ目は「江戸時代の地図」だ。「伊白煙h」が作った日本全土の地図になんと驚くことに「緯度線」が記載されていたのだった。私にとっては本当に驚きだった。世界的な基準である>b>「緯度経度」が既に日本でも通用していたということ。何も驚くには当らない「天地明察」という小説では星を観測しながらその場所の位置を計測していく江戸時代の人たちのお話しが描かれているが、このお話しは1600年代半ばのお話しであるから、伊白煙hは18世紀後半の人だから緯度も経度も日本に伝えられていて当たり前だったのだが、その地図に正確に記されていたことには驚かされたのだった。館内の「仏像」も「国宝」「重要文化財」等々が目白押しでそれは素晴らしいものだったが、極々つまらなそうな「根付」や「古地図」にも驚きや面白みが沢山詰まっているのでした。最後にお山にはなんと「野口英世像」があったことだ。アフリカで亡くなった野口博士の偉業を称えてあるのだが、初めて発見したのでした。

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