「肺癌」

その寺の狭い境内に「親鸞」の像があった。その日、東京は朝から快晴だったが、まだ風は冷たかった。私の大学時代のフットボールの先輩の葬儀が行われたのは、高輪のお寺だった。何人かの先輩の顔も見える。互いに挨拶して話しを聞くと、「肺癌」のステージ3だったという。享年68歳、短すぎる人生だ。ご冥福をお祈りします。合掌。その先輩H氏は、私が高校時代の大学生だったが、その当時は大学も高校も同じグラウンドで練習するし、日によってはポジション別に大学高校合同練習もした。それと合宿は福島県の「岳温泉」でこれも一緒だった。それにしても肺癌で死ぬ人が多いのには驚かされる。私の元の会社の上司も何人も肺癌でお亡くなりになった。それでも相変わらず「喫煙者」を見掛ける。「死を賭して」まで煙草を吸おうと思うのはなぜなのか?喫煙習慣という問題だけなのか?よく理解出来ない。私自身は昭和53年3月3日からきっぱりと止めている。なぜなのか?理由はその日、友人の結婚式があり、帰宅後観たNHKテレビの番組が肺癌特集で、物凄く汚れた肺を見せられてもう驚きとショックでその日から煙草は捨てた。翌日取引先の人と筑波に車で出掛けたが、私は助手席でチューインガムをずーっと噛み続けていた。それからほぼ一ヶ月はガムを噛む日々だったが、徐々にガムも少なくなり、完全に止めることになった。あれから33年経ったが、全く一本の煙草も吸っていない。それでも「受動喫煙」の被害は大なり小なり受けているので完全に煙草から逃れられているとは思わないが。

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