「千鳥が淵の桜」

東京の桜の名所「千鳥が淵」は人で溢れていた。ちょっと肌寒い日だったが、休日とあって沢山の人が「桜見物」していた。ここは場所取りが出来ないのでただ歩くか写真を撮るだけ。人混みの中、見事な桜を満喫することが出来た。
ところで「古地図」を参照してみると、「千鳥が淵」は「アキチ」となっている。今の「戦没者墓苑」のところから「インド大使館」のところまでお城の堀に沿って空地となっていたらしい。そして同じく「靖国神社」も「ウエダメアキチ」となっている。ここから今の四谷駅にかけてのお堀の南西側は全て「旗本、御家人」の屋敷が割り当てられていた。勿論「番町」辺りは全て武家屋敷だ。「御城」の周りにいくつもの「アキチ」があるのが見受けられるが、多分これは「火事」のための「火除け地」の意味だろう。江戸時代は大火がいくつも起こった。江戸城も「天守閣」を消失してしまう大火事にあっている。その後天守閣は建設されない。堀で囲まれているところに、更にお堀に沿ってこういった形での「空地」が設けられていたと考えれば納得が出来よう。二重の防御を考えていたらしい。その天守閣を消失させた火事は「明暦の大火」通称「振袖火事」と呼ばれるもので、「明暦3年(1657年)」に起きた。当時の江戸の人口が約55万人程度(半数が武士、半数が町民)でその内の約10万人が死んだと伝えられている。物凄い火事だったに違いない。さて、千鳥が淵のところから半蔵門にかけて今は「イギリス大使館」があるが、ここは江戸時代は旗本屋敷だったようで古地図によれば「マツ下ナカイ」「前田タンゴ」「水ノ」「永井ハリマ」「南ア丹後」となっている。これらの屋敷がそっくりイギリス大使館の敷地になったようだ。他の大使館に比べ一番お城に近い場所が割り当てられたのは、イギリスが日本にとって非常に重要な国だったということなのだろう。

「読書」
私の趣味の一つに読書がある。まあ最近は「時代物」を中心に読んでいるが、どうだろう月間約1万円は本代に遣っているだろう。月によっては2万円の月もある。だから今読み残している本は30冊位あろうか?私は一覧浮?釋?チている。それはシリーズ物になっている本のどの分まで買ったかを記しているもので、シリーズ全体で20から30シリーズ位あるので、どれを買ったのかを覚えていないととんでもないことになってしまう。シリーズ物は作家によっても違うが、大体数ヶ月おきに出されるケースが多いので、浮??ゥながらこれは既に買ったものか、そうでないものかを観ながら判断しているという訳だ。読書をすることの楽しみの一つに「疑似体験」というのがあると思う。それについては次回にお話ししよう。

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