「エルミタージュ美術館のレンブラント」

レンブラントの「ダナエ」の裸婦はテレビの解説によると、裸婦の手の位置が当初のものから書き換えられているという。神々しいばかりの裸婦の右手が左側空間の光に向かいかざしているように手の位置が変えられたらしい。まあ素晴らしい絵だ。絵の奥でその光を見詰めている男が何を浮オているのか?見る方向が違ってはいませんか?

「五輪」
いつも不思議に思っていることの一つが翻訳語、所謂外来語の和訳語だ。今、真近に迫っている「ロンドン・オリンピック」だが、何時の間にか、オリンピックが五輪となってしまった経緯は知らないが、実にユニークなネーミングであることは事実だ。オリンピックと言う名前自体が、発祥の地「ギリシャのオリンポス」で開催されていた「古代の競技会」から採られた言葉なのだろうが、それを日本語にする際に、一つの象徴でもある「五大陸を浮キ五つの輪」のマークから「五輪」とつけたのは日本人らしい感覚だといってもいいだろう。どこから見てもオリンピックが五輪に変化するはずがない訳だからだ。実はその語源はひょっとすると「九輪」にあるのかも知れない。「九輪」は五重塔などの塔の先端に立っているもので、普通は九つの輪が縦に並べられているから、日本人には比較的親しみ易いものだ。丁度、東京スカイツリーの先端みたいだ。さて、同じような言葉に「野球」がある。「ベースボール」をどうしたら野球に訳せるのか、凡人である私には分からない。本来ならば「塁球」としたほうが直訳だろうが。ベースボールをやるのをフィールドと呼ぶから、「フィールド=野」としたのだろうか?一説に「正岡子規」が訳したとしているらしいが、史実は違って第一高等中学校のベースボール部員だった「中馬庚」が作った和製漢語だというのが正しいそうだ。話しを戻して「五輪」がだ、どうやら読売新聞の「川本信正」氏が1936年に作ったものらしい。その下敷きには「五大陸の五つの輪」と「宮本武蔵の五輪書」があるらしい。驚くことにお隣の国「韓国」でもオリンピックを五輪と呼んでいるという。

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