「古地図片手に日比谷公園」

日比谷公園にやって来た。古地図を観てみると、この辺りは全て武家屋敷だったことが分かる。今の「日比谷公会堂」は「松平甲斐」、公園の一番北側、即ち江戸城側には「松平大膳」「御用ヤシキ」「松平肥前」「阿アノト」他10家があった。武家屋敷には必ず「紋」が書かれている。この辺は江戸城からも近いから「譜代大名」か「高・ネ旗本」の上屋敷だったのだろう。今の「プレスセンター」や「富国生命ビル」の辺りは「町屋」で「久右衛門丁」「クボ丁」「センエモン丁」「ケンホウ丁」等々となっていて、その周囲はまた武家屋敷だらけだった。霞ヶ関の官庁街は勿論「武家屋敷」が立ち並んでいた。今の「警視庁」は「松平市正」となっていた。どこの誰だから分からないが、「桜田門」の目の前と言う位置からすると高・フ旗本だと考えるべきか。ちょっと飛ぶが、都内最大の墓地である「青山墓地」は当時は「青山タイゼン」の屋敷だったようで、墓地と屋敷用地が完全に一致している。次回は「御門」を考えてみよう。

「はげと白髪、そして鬚(ひげ)」
中高年の悩みと言えば男性は「はげ」、女性は「白髪」、或いは男女共にこの二つは共通の悩みなのだろう。かくいう私はお蔭様で額は若い頃から2cmほど後退したが、髪の毛自体は薄くはなったもののまだある。白髪も鬢(びん)の部分に若干あるものの普通の茶色っぽい黒髪だ。そうは言っても髪の毛の量は減ったし、細くなった。だから真上から見下ろされると若干透けて見える。歳から比べれば黒いほうだが、最近は男性でも髪の毛を染めている人が増えている。大体芸柏lなどは殆どが「鬘(かつら)」か「染めて」いるのだろうが(それでないと黒過ぎる)、我々の世代でも染めているが多い。まあ歳相応であったほうが良いとは思うのだが、個人の問題だから関係ないか。さて、かなりの人が引退生活を始めるとなぜだか「鬚」を蓄え始める。どうしてなのか?サラリーマン時代に出来なかったことをなそうとするのか?ところがこれが似合う人と似合わない人がいる。それがまたまた不思議だ。私はと言えば、一日でも髭剃りをしないで無精ひげにしてしまうと、途端に鬚に白髪が目立ってしまうのだ。仕方ない訳ではないが、だから毎日髭剃りに励み、無精ひげにはしないように、勿論「鬚」は生やさないつもりだ。

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