芭蕉庵

「J  REPORT 2012 7月第3週号」
「リタイアメント・ノート 4年2ヶ月目」、
「VOL。749 SINCE AUG.12th、1983」
「芭蕉庵」
門前仲町から清澄通りを北上し「仙台堀川」の手前にその庵はある。ご存知「松尾芭蕉」の「芭蕉庵」だ。縁側には芭蕉の像がある。この辺り、昔の「深川」の風情を残した場所だ。芭蕉庵もこの近くにあったことは間違いない。そしてここから芭蕉は「奥の細道」の旅へと立っていったという。これより北側には武家屋敷が立ち並ぶが、この川岸までは町屋が立ち並んでいたと古地図にはある。恐らく芭蕉もこの辺の町屋で暮らしていたに違いない。芭蕉庵の北側、清澄橋を渡ったところには「清澄庭園」がある。ここは元々は「紀伊国屋文左衛門」の屋敷跡だったらしいが、その後「久世大和守」の下屋敷となり、明治に入って「三菱の創始者、岩崎弥太郎」に買われ、「深川親睦園」として今日に至っているらしい。木材問屋として財をなした紀伊国屋さんは深川に多大に貢献している。「富岡八幡」の「大神輿」を寄贈したのも紀伊国屋さんだった。(注:現在の神輿は佐川急便の元会長が寄贈した)松尾芭蕉は1644年生まれで1694年に没している。紀伊国屋さんは1669年生まれ、1734年没。だから紀伊国屋さんは芭蕉のことは「有名な俳人だ」ということは知っていただろうが、芭蕉さんは紀伊国屋さんのことはまだ知らなかった(若かったから)かもしれないが、ほぼ同時代の人である事は間違いない。二人はきっと深川のどこかで擦違ったこともあっただろう。そんなことを考えると実に楽しい。

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