芸術の秋2

「J  REPORT 2012 11月第3週号」
「リタイアメント・ノート 4年5ヶ月目」、
「VOL。767 SINCE AUG.12th、1983」
「芸術の秋、第二段」
「リヒテンシュタイン 華麗なる侯爵家の秘宝」
まずは「日展」で賑わっている六本木「国立新美術館」の「リヒテンシュタイン公国」から出展されている絵画展を観た。これは本当に素晴らしい作品群だった。17世紀からリヒテンシュタイン侯爵が集めた数々の絵画。まずこのリヒテンシュタイン公国とはスイスとオーストリアの間にある「小国」だ。第二次大戦中はナチスドイツから守り抜かれた3万点もの品々があるという。そのうちの一部だが、色々説明する前にご覧になることをお薦めする。本当にヨーロッパの貴族は凄いことをやるもんだ。私の好きな「ブリューゲル」の作品もありました。嬉しくなりました。

「KOBAN」
江戸時代、警察組織と言えば将軍様お膝元の江戸市中は「南町奉行所」と「北町奉行所」が元締めといえよう。これにも格があったようで、奉行で言えば南町のほうが「格上」だったようだ。南町奉行所は「数寄屋橋」に、北町奉行所は「呉服橋」付近にあった。これらの奉行所は今で言えば「東京都庁」を拡大させたようなもので、「政治・経済・裁判・警察機煤v等を全て持っていた。奉行の下には「与力」「同心」(ここまでは下級武士)、「岡ッ引き」「小者」「手先」と呼ばれる民間人などがいて治安を守っていた。一方、実際の街中には「番屋」「辻番所」と呼ばれる「小屋」があり、「辻番」がいて、街の人々の安全を守っていたという。地方自治は各藩に任せられていたから、幕府直轄地にはそれぞれ奉行がいた。さて今回の「KOBAN」だが、ちょっと前までは「交番」と書かれていたはずだったが、いつの頃からか「KOBAN」になっていた。江戸から明治になって、奉行所は廃止され、東京には「警視庁」が置かれた。それで昔の「辻番」は多分「交番」となったのだろう。「辻」は「角」の意味だろうから、「交番」の「交」は「交差点」の意味だろう。辻番は各町内からそれぞれお金を出し合い人を雇って運営されていたから、あくまで「民間」だ。それが明治になって交番は警察機高フ出先になったから「官営」だ。「おい、こら」の呼び方で民衆を恫喝した警官たちがそこには詰めるようになった。時代が変わることはいいことも悪いこともあるという証拠の一つだ。「交番」システムもシンガポールなどに取り入れられているという。海外の警察はパトロールカーによる巡回が中心だが、日本では伝統的に固定式の「辻番」「交番」方式が取られてきているという歴史的なものがあるのだ。日本は固定式の「KOBAN」と、パトロール用の「自動車とバイク」と「自転車」が併用されている。この自転車というのは如何にも日本的なパトロール方式だと思う。小回りが利いていることは認めるが、機動力では劣るが、これが日本警察の実態なのかもしれない。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。