嵐が丘

「J  REPORT 2013 2月第4週号」
「リタイアメント・ノート 4年8ヶ月目」、
「VOL。781 SINCE AUG.12th、1983」
「嵐が丘倶楽部」の集い
昨年7月2日以来の集いだ。既にご承知の方も多いとは思うが、このメンバーは、大学時代の「体育会アメリカンフットボール部」の昭和43年卒から46年卒の仲間なのだ。私が高校1年生の時の大学1年生が、大学1年生の時には当然最上級生になっていた。当時は大学も高校もグラウンドは一緒だし、練習も一緒に行うこともあり、皆大学生も高校生もよく知っていた仲間だった。私たちが最下級生という訳だ。夏の合宿も期間の長短の差はあったものの、福島県岳温泉で一緒に合宿した。あれから既に40年以上経過したが懐かしい仲間達、といっても未だに上下関係は存在する。ひょんなことから私が幹事役になっている。大手上場会社の役員になったり、自営業を継いだり、普通のサラリーマンだったりと、その後の人生はいろいろあるが、集まれば皆あの古き時代に逆戻りなのだ。さて、前回の「スーパーボウル」の話しの際に身体を防御する「パッド」のお話しをしたが、その後日談をすることにする。プロの選手達は上半身のプロテクターは当然装着するが、下半身をカバーするパッド類をつけていない選手が数多く見受けられ、非常に不思議だという話題が出た。そこで現在もフットボールの審判を行い、且つ審判団のスーパーバイザーをしている我々の同期のY氏に聞いて見たら、結論は「自己責任」なのだそうだ。人よりも速く動く必要があれば身軽にするためにパッド類を装着しない。それで仮に怪我をしてもそれは「自己責任」ということなのだとのこと。ルール上はパッドをつけることは義務化されていない(但しプロのみのこと)如何にもアメリカ的というか「安全は自己責任。SAFETY IS YOUR OWN RESPONSIBILITY.」ということなのだ。そこで全員が納得した。本日の集い「嵐が丘倶楽部」という名称は何なのだろうか?という疑問が浮かぶだろう。今は日吉のキャンパスの北側のちょっと離れた陸の上に通称「嵐が丘」と名付けられていた丘があった。そこは現在は「理工学部」の校舎が立ち並んでいて「矢上キャンパス」と呼ばれているが、そこは私たちが4年生の春までグラウンドとして使っていた場所だ。丘の北側には「鶴見川」が流れ、丘の下には「東海道新幹線」のトンネルが走っている。当時は、東側から「自動車部」、「アメリカンフットボール部」、「高校硬式野球部」のグラウンドが並んでいた。今も「日吉キャンパス」には「イタリア半島」「蝮谷」等の奇妙な名が残っているが、これらは地形の形から呼ばれるようになったものだ。勿論「嵐が丘」も荒涼とした殺風景なグラウンドから来たものなのだろう。大学4年生の夏に新しい理工学部の校舎が建つからと移動させられ、蝮谷の上の小さなグラウンドを与えられたが、そこは草ぼうぼうの野原だった。そこを夏の大半を通じて我々自身の手で開墾し、平らなグラウンドにした苦労は忘れられない。今はそこも110ヤードのちょっと短いがりっぱな「人工芝グラウンド」になっている。40年の差は大きい。

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