「伊勢屋、稲荷に、犬の糞」
江戸の町を皮肉った言葉に「伊勢屋、稲荷に、犬の糞」というのがある。これは江戸の町に沢山あったものということで、やたらと「伊勢屋」という「屋号」の店があったらしい。商人と言えば代賦iは伊勢出身の「三井家」だし、勿論「近江商人」も有名だが、どうして伊勢屋と言う名前が流行ったのだろうか?次の「お稲荷様」は各町内にあった。今も日本橋周辺を歩いてみれば、町の辻辻に必ず極々小さな「お稲荷さん」がある。それほど人々はお稲荷さんを大切にしてお堂を造って祭っていたのだ。そして最後の「犬の糞」は、飼い犬、野良犬含めて多数の犬が闊歩し、糞を撒き散らしていたと言うことだろう。「伊勢」と言えば、「お伊勢参り」だ。「お蔭参り」と称して、一時的に多数の人たちが日本全国から「お伊勢様」詣でをしたらしい。ツアーコンダクターすらあったというこのお伊勢参り、ピーク時には年間500万人が訪れたという記録もあるらしい。日本全人口が3000万人の500万人だから凄い。
「読売り16文」
江戸時代にも新聞に代わるものがあった。それが「読売り」と呼ばれたものだった。今の号外のような形式のもので価格は「16文」だったというから、「蕎麦」の代金16文と同じだったから、それなりに高かったといえよう。それでも庶民の情報源の一つといえよう。現代では蕎麦と新聞は2:1程度だから、読売りが高いことが分かる。まあ手造りだから仕方がないが。
「クウォーター」
江戸の通貨単位の代賦iは「両」だが、これは庶民には高値の華だった。最も今でも驚くのは1両=4分、1分=4朱と「クウォーター」即ち「四分の一制」が使われているのだ。ご存知の通り、「ドル」は、クウォータードル=4分の1ドル=「25セント」硬貨が多用されている。例えばお釣で70セントだと、彼等は「25セントx2枚+10セントx2枚」となる。80セントだと、「25セントx3枚+5セント」となる。日本人みたいに「10セントx7枚か50セント+10セントx2枚」とは余り使わない。江戸時代の通貨の基本に「四分の一」があったのはどうしてなのだろうか?それにしても日本で「2000円札」が使われなかったのはどうしてなのだろうか?海外旅行をすると一番利用する紙幣は「20ドル、20ユーロ」札が一番便利なのに。アメリカで50ドル以上の札を見たことがない。勿論100ドル札もあるのだが。これは「ニセ札防止」の意味合いもあるのだろう。20ドル札のニセ札を作っても、労多くして益薄しだから。
「亀戸天神の藤の花」
いよいよ「藤の花」の季節になった。バスに乗って「亀戸梅屋敷」というところに行って見た。「江東区報」に載っていたので楽しみにしていたのだが、なんてことは無い「区のアンテナショップ」だった。つまらなかった。その後「亀戸天神」を訪れた。「藤の花」は8分咲きだったが、これからが盛りだろう。近くに「東京ツカイツリー」も見えるので背景に入れて写真撮影。ところで東京スカイツリーの中国語名は?なんと「東京晴空塔」となっていた。