「深川編4」

「松平定信公の墓」
仙台堀川を越えたその先は今は「清澄庭園」がある。この庭園、元々は元・?ノ「紀伊国屋文左衛門」の屋敷があった場所だったという。その後「久世大和守」の屋敷になり、明治に「岩崎弥太郎」が買い取り庭園とし、東京都に寄贈され現在に至っているという。庭園の東側に大きなお寺がある。「霊厳寺」という寺だ。「六地蔵」があることでも有名な寺だと言う。だがそこで発見したのは驚きの墓だった。江戸後期の老中で「八台将軍、吉宗公」の孫に当たり、「白河藩主」で「老中」として「寛政の改革」を実行した「松平定信」公の墓があったことだ。幼い頃より聡明で「将軍世子」となると奄ウれていたが、当時の権力者「田沼意次」の政治を批判したことから、奥州白河藩に養子に出されてしまい将軍になれなかった人だ。その後老中となり改革を推進した。こんなところにお墓があったなんて知らなかった。最寄り駅は都営大江戸線清澄白河駅だ。

「時代小説作家、都筑道夫」
1929年生まれの彼は2003年に亡くなっている。しかし、現役時代から「時代小説塾」を開き、後輩を指導してきただけあって、実に時代考証が素晴らしい。江戸時代の言葉も随所に散りばめられ、正に江戸時代にタイムスリッピしたような作品ばかりだ。地名も現代の住所も併記して具体性を持たせている。本当に素晴らしい作家だ。私が時代小説に本格的に嵌まり始めたのも、恐らく彼の影響だと思う。江戸時代を調べ始めたのも彼の考証を読んでからだ。

「江戸の庶民の生活は楽だったか?27」
「隠れ姓」
日本人の姓で多いのは「佐藤」「鈴木」「高橋」「田中」「渡辺」が上位5位らしいが、実は日本には江戸時代でも「隠れ姓」があったという。江戸時代は封建時代で、武士階級のみ苗字があったと言われているが、では武士とはそもそもなんだったのか?ということになり、日本人は昔から「姓」を持っていたが、時代の波で武士のみ風ァって姓を付けていたが、普通の人も姓を持っていたのだが、それを「隠れ姓」と呼ぶのだという。だから明治になって身分制度は崩壊し、全ての人が姓を名乗れるようになって、それぞれが隠れ姓を正式の姓にしたのだそうだ。これは意外に知られていない事実だ。まあ、武士も農民も昔は同じで、季節的に兵士として借り出される時は武士であり、農繁期に働いている時は農民だった訳だから、その辺は曖昧だったといえよう。身分制度がある時代には武士であるということがエリートであるということと同義語でないと支配階級としては特権が甘受できない。また身分制度の中で主と家臣との関係でも名字帯刀を主が許すことで特権階級入りできる訳だから、苗字は一つの階級を象徴するものだったのだ。だからといって武士以外は苗字がなかったということとは違うということだ。

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