美しい村と巡礼の未知

「J  REPORT 2013 9月第3週号」
「リタイアメント・ノート 5年3ヶ月目」、
「VOL。811 SINCE AUG.12th、1983」
「旅暦45、南フランスへ」
昨年11月の「北スペインの旅が旅暦43」だった。そして今年3月の「イグアス、マチュピチュ、ナスカの旅が旅暦44」で、今回の「南フランスの旅が旅暦45」となる。エールフランス機でパリ経由ボルドーへと向う。

「美しい村と巡礼の道」
第一日目「ボルドーへ」
長女と次男の三人で、次男の住んでいたスペイン「マラガ」からフランスに旅してきたのが、2008年の8月だった。その後何度もヨーロッパには来ているが、フランスは多分それ以来だろう。ヨーロッパへの12時間近くのフライトは今回はエールフランス機「エアバスA380」という二階建ての超大型機だった。日本にも就航していたんだ。510数人乗りの機体は安定してパリのシャルルドゴール空港に着陸した。そこから乗り継いでフランス南西部の「ボルドー」へ、成田を出て16時間の長旅だった。現地は小雨模様。このところ雨が続いていて少し肌寒いという。ボルドーまでの機内で隣に座ったフランス人男性は皮のジャケットを着ていた。今回はフランスの美しい田舎村と古城を廻るツアーだ。「東京オリンピック2020」が決まって日本中が沸き立つ中、昨年11月以来のヨーロッパだ。ツアーも15名と少数なので楽なバスの旅になるだろう。時差7時間、歳を取るとやはり時差は辛い。話しは変わるが、私が住むところから数キロメートル以内にオリンピック選手村や競技施設が多数出来ることになった。7年後、自宅近くの周辺はどんな姿に変貌しているのだろうか?楽しみだ。資産価値も上がるだろう。

第二日目「ボルドーにて」
昨晩の日の入りは午後8時頃、本日の日の出は午前8時近くだった。「世界遺産」に登録されているボルドーの旧市街を廻る。驚くべき点が幾つかあった。まずは、「トラム」所謂「路面電車」だが、これが架線のないところを走っているのだ。勿論架線のあるところを走るときは「パンパグラフ」を立てる。しかし架線のないところでは電力を引き込まずに多分蓄電池の力で走行しているのだろう。次の驚きは「路面清掃車」だ。先頭に回転する針状のモップを回しながらごみを車体の中央部分に集め「掃除機」のようにごみを吸い取っていた。日本も同じなのだろう?まるで「動く掃除機」だった。「郵便局の黄色い可愛らしい配送車」が可愛らしかった。ショッピングモールで物価を見たが、そこそこな値段だった。聞くとこれでもパリから比べれば格段に安いとのこと。さて、新しい「TGV」の線路が建設されていた。現在パリーボルドー間約600kmはTGVで現在約3時間だそうだが、この線路が完成されると2時間になるという。すると物価の高いパリが通勤圏内になるという。フランス国鉄もやりますね。フランスの子供たちの学校への送り迎えは親の義務で、法律で決められているらしい。学校の前に車や徒歩で親が子供を送ってきていた。更に聞くと学校は平日の「月、火、木、金」しかなく、夏休みは9週間だそうだ。これで勉強になるのだろうか?ボルドーには昨年11月に訪れたスペインの「サンチャゴ・デ・コンポステーラ」に続く「巡礼の道」が通っていた。今回この旅を選んだ理由は添乗員がS氏だったからだ。彼のヨーロッパに対する、またはキリスト教文化に対する憧憬の深さのためにこの旅を選んだといっても過言ではない。ボルドーでも現地に暮らす日本人女性が現地ガイドとして付いてくれたが、彼女は肝心な説明ではノートを広げていたが、添乗員S氏は全く何も見ずに、その豊富な知識を披露してくれるから素晴らしい。「人気添乗員」の一人だというが、本当に凄い人なのだ。さて、この辺りでは水道水が飲めるという。確かに普通の感覚で飲めた。ヨーロッパへ来て初めて水道水を飲んだが、具合悪くはならなかった。若干石灰分が多いらしいが、これも驚きの経験だった。

第二日目「サンテミリオンにて」
今日は「13日の金曜日」だ。この日がキリスト教国で忌み嫌われる理由は、中世「+字軍」が盛んだった頃、借金に悩まされていたフランス国王が財産を奪うために裕福な「テンプル騎士団を虐殺した日」だったことによるらしい。「1307年10月13日金曜日」のことだ。午後からボルドーの東にある「サンテミリオン」に行く。ここは「ワインの産地」だ。「シャトー」と呼ばれる「ワイン造醸所」が1000箇所ほどあるらしい。この地域全体が「世界遺産」だ。栽培されている葡萄の種類は土地の土質により異なるようだが、植え方にも驚かされる。1mほどの背丈の葡萄の木が植えられていて、葡萄自体は地上数10cmに実っているのだ。これは湿度が低いから、そうするのであり、日本のような高温多湿だと、高く植えないと葡萄が駄目になってしまうらしい。葡萄畑の周囲には必ず「薔薇の花」が植えられているが、これは葡萄に発生する病気を早期に探知するためのものだという。さて「教会のステンドグラス」を観るとその教会の財政状態が分かるらしい。「赤い色は金(ゴールド)」を溶かすので、赤いステンドグラスを沢山使っている教会は裕福だという。因みに「黄色は銀」だそうだ。一口にキリスト教といっても、「カャ潟bク」「プロテスタント」「正教」と色々と風習仕来りも違うようだが、同じキリスト教なのにと思ってしまう。「懺悔室」があればカャ潟bク、礼拝堂に椅子があればカャ潟bクかプロテスタント、なければ正教だそうだ。クロスの切り方もカャ潟bクとプロテスタントは右手の五本指で額、下、左、右とクロスを切るが、正教は右手三本指で額、下、右、左の順だそうだ。さてここで造醸所でのワインの製造を学ぶ。説明は研修生だという若い中国人女性だった。英語での説明だったが、彼女は英語・フランス語・中国語が話せる訳でたいしたものだと思いました。ワインは最後は樽に入れられて寝かされてからボトルに詰められるが、樽一つからワイン250本から300本取れるという。ワイン1本を作るのに必要な葡萄の量は約1kg、葡萄の房では2つから3つだそうだ。ここサンテミリオンは石灰岩の岩盤の上にあり、舞wはわずか数10cmの土が覆っているだけで、その下は石灰岩だ。こんなところで良質なワインが取れるとは驚きだ。ここでは「赤ワイン」しか造っていないそうで、テイスティングしたが、何がいいのか、味はさっぱり分からなかった。味音痴なのだろうか? さてヨーロッパは1849年に「大飢饉」に襲われたそうだ。アイスランドの火山噴火による低温と穀物の病気が蔓延したそうだ。ワインも全滅したようで、ここでの葡萄の種はカリフォルニアから持ち込まれたものだそうだ。1849年といえばカリフォルニアは「ゴールドラッシュ」に沸いていた時だ。アメリカに住むアイルランド系の人の大半はこの飢餓の時代に移住した人たちの子孫だという。もう一つ、教会の内壁を飾る白い漆喰を作るのには大量の生卵の白身が必要だそうだ。そこで余った黄身の部分を使ったお菓子が考えられるようになったという。面白いものだ。これらもみな添乗員S氏からのお話しだ。

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